地下鉄(メトロ)に乗ってのレビュー・感想・評価
全32件中、1~20件目を表示
大沢たかおの演技が凄い
タイムスリッパーとなった主人公が、過去に戻って父親の人生を目撃する話。傲慢な父親が嫌いで家を出た主人公だったが、やがて心の中で父を許し、和解していく。
若き日の父親が子供にかける夢を語る場面、そして、その後に続く「生まれてきてくれただけで嬉しかった」という台詞には、全父親が涙すると思う。
しかしSFとしての出来は、いろいろ辻褄が合ってなくて少しげんなり。地下鉄に乗って過去と行き来するルールだと思っていたら、急にベッドの上で夢から覚めたみたいに現在に戻るのは、なんだかなーという感じ。小説だったらそのあたりうまく流せるのだろうけれども、実写になると自然な表現が難しいのだろう。
最後に、印象に残った台詞をひとつ。
“「あのねお嬢さん、親っていうのは、自分の幸せを子供に求めたりしないものよ」”
営団地下鉄のノスタルジー
郊外からお袋のデパート巡りに付き合わせられてよそいきを着て地下鉄に乗る高揚感。黄色い銀座線、赤い丸ノ内線、三越前に近づくと一瞬消灯。暗がりの車窓は好奇心と不安が混じった感じ。幼児体験が思い出される、運転席からの映像シーンが好き。この作品は、そんな記憶をくすぐりノスタルジーの世界に浸れる。
浅田次郎の原作や作品のでき以上にまた観たくなる。
意外とよかった。
確か当時「Always 三丁目の夕日」のスタッフ再結集くらいに宣伝して
ロードショー時「全然ちがうじゃん!」みたいに酷評されて失敗していた記憶。
CATVで何気なくみたけど、普通に「ええ?!」という意外な結末でよかったような。
まあ、でも男性目線の終わり方で
時代には合わないかなぁ。
主人公的には都合よくよかったねって感じで
女性からの反感は多く買いそう。
私は「ほう……そうきたか」と思ったけど。
男性目線の解決の仕方で、がっかり
何これ?!大沢たかおが、20代?から死ぬまでを演じたのは凄いかもしれない。けど、女性からしたら、男性に都合良すぎな展開で、ビックリしました。原作もこんな感じなんだろうか?
時代の往来に時間かけるより、主人公の父の生き様をもっと前面に出すべき
何の期待も予備知識もなく鑑賞。
みちこが、自分は親に愛されながら生まれてきたことを知り、泣くシーン。
嗚咽してしまった、映画で泣くのはいつ以来か。
真次にとっては、愛する不倫相手が、何と腹違いの妹だったという。
そして、みちこがとった行動は愛する真次のために自分の存在を消すこと。
劇中、ドストエフスキーの罪と罰が出てきたことで、不倫に対する罰と
考えられなくもないが、自分はストレートに純愛だと思った。
大沢たかおと堤真一の共演もよかった。
親を知り、自分を知る。
親の愛情を知ることは自己肯定感につながる。
原作も読んでみたいと思う。
悲劇のタイムスリップ
堤真一扮する衣料品営業の長谷部真次は、田中泯扮する地下鉄で年老いた野平先生に出会った。何故か地下鉄が来ず、真次は銀座線に乗り換え様とした時に死んだはずの兄を見た気がして地下鉄を出たらタイムスリップして昭和39年に来ていた。
確実に戻れるならタイムスリップもいいよね。それもふたりとも出来るなんてさ。まあ特殊能力なんだろうけど。でもいつタイムスリップするのか分からないのは困るね。あまり向こうで馴染み過ぎて居残りたくなるのも困るしね。悪知恵に乗って野暮な事にならなきゃいいけどさ。さらには当時の肉親に会うと大変だね。これは悲劇なのかな。
本当のテーマは「罪と罰」だと思います
お彼岸に観るに相応しい作品でした
1988年大林宣彦監督の「異人たちとの夏」に少し似ています
地下鉄の出口の外は過去の時代という設定は同じですし、両親の若い頃に出会う物語も同じです
なぜそんなあり得ないことが起こるのか
その理由を「異人たちとの夏」ではオカルトに求めています
しかし本作では単に不思議な出来事だけに留めています
半蔵門線永田町駅のホームでであった不思議な老人の言うように、地下鉄は乗り換えればどこへでも行けます
本作のように、時も同じように乗り換え次第で好きな時代に行けたなら素敵だなあというていどのことです
新中野駅は1964年
新橋は1944年頃
満州は1945年8月
有楽町は1946年頃
バーアムールでのことは1964年のあの夜のこと
では現在は?
浅田次郎の原作小説が刊行された1994年のことのようです
死んだ長男昭一は1964年当時高校生くらいだから1946年頃の生まれ
真次は中学生ぐらいだったから1950年頃の生まれでしょう
三男の圭三は小学校高学年に見えたので1953年頃の生まれでしょう
となると1994年の現在真次は44歳、圭三は41歳
みち子は本当なら1964年生まれで30歳
真次の父アムールこと小沼佐吉は1944年頃20歳とすれば70歳となります
本作はタイムスリップもののSF作品?
1964年、戦争中や敗戦後の混乱期の東京へのノスタルジーを描く作品?
違うと思います
そんなことは小道具に過ぎないのです
単に不思議なこと
いやすべては地下鉄に揺られて居眠りした主人公の白昼夢に過ぎないのかもしれません
だからタイムスリップの原理だとか、整合性だとかそんなことはどうでもよいことなのだと思います
タイムスリップして父の実像を知り、死の間際にある父親と和解する物語
確かにそうです
しかし、それも違うのだと思います
本当のテーマは別にあります
それは「罪と罰」です
ドストエフスキーの名作小説
序盤に主人公の勤める小さな会社の社長が仕事中にこの小説を読んでいます
罪を犯したものは、必ず罰を受けるとの台詞があります
そして最後に表紙が写されます
これがこの物語のテーマであるという意味であったのだと思います
一体誰が罪を犯し罰を受けたのでしょうか?
それは主人公真次とその愛人みち子です
二人は会社の同僚であり不倫関係です
真次には妻があり、小学生の息子と実の母と暮らしている家庭があるのにも関わらず、みち子の部屋に泊まって朝帰りして平気な男です
妻には適当なことをいい誤魔化していますが、妻はとうに感づいているようです
普通なら精神に異常をきたしてもおかしくないのに、努力して気丈に振る舞っています
しかしそれがいつまでもつのか危ういものを感じます
愛人のみち子は主人公から貰った指輪を右手の薬指にはめて常に意識しています
左手に本当は嵌めたくて仕方ないのですが、叶わぬことであると諦めようとしているのです
しかし別れるつもりはないのです
物語の終盤で、この二人が実は異母兄妹であったことがわかります
不倫、しかも近親相姦
二重の禁断の恋であったのです
恐るべき罪です
罪を犯したならば、罰を受ける
クライマックスのバーアムールのシーン
お時の娘がみち子であることが何を意味するか
主人公の真次はよく飲み込めていません
しかしみちこは理解していました
だから自らを生まれて来ないようにしたのです
自らすすんで罰を受けたのです
自らを文字通り消し去ることで罪を購ったのです
そして主人公もまた、みち子を失う痛みを負います
しかし、それは悪夢を見たようなことで、会社にでれみれば別の女性がみち子の机で仕事をしているのです
営業にでて地下鉄に乗って居眠りすればすべては白昼夢だったように思えてくるのです
ふとスーツのポケットに彼女の指輪があることに気がつきます
みち子が自分を消そうと決意したとき、彼のポケットにしのばせたものです
それは経験したことが事実である証拠です
しかし、それでも彼はそれが本当にあったことなのだとは確信を持てない表情をしているのです
もはやあれほど愛した女性のことも白昼夢の中のこととして忘れつつあったのです
なんという大きな罰なのでしょう
母はかって愛した人の遺影を半世紀も仏壇にいれ記憶のなかで愛することを許されたのに
息子とキャッチボールをする優しい家庭人の主人公のシーンとはそういう意味です
父にして欲しかったことを自分の息子ににして罪を償っているのです
まともになった?
罪を償い更正しようとしているともいえます
不倫の愛なぞ無かったことにさせられてみち子を愛した記憶さえ奪われたのです
それで罪を償ったのです
しかしそれで妻は救われたのでしょうか?
これから彼は妻からの罰を受けるのであろうと思います
兄が死んだ本当の理由
母と父の本当の関係
兄の出生の秘密
そんなことを何もしらず、知ろうともせず
籍を抜いて気ままに生きる
それもまた罪です
その罰は和解の機会もなく死に目に間に合ったのみで父はこの世を去ってしまうことです
白昼夢の中で、大声でいったようにあなたの息子であったことを誇りに思いますとは直接本人に言うことはもう許されず、お墓か仏壇にしか言えなくなったのです
不倫と近親相姦の罰だけでなく、これもまた第二の罰だったということです
彼は母と弟と共に墓参りをして手を合わせる事しかできない罰がもう一つ与えられたのです
主人公はきっとこれからお彼岸やお盆には必ずお墓に永遠に詫び後悔し続けるのです
父の病床の枕元にはアムールにあげた真次の腕時計がありました
地下鉄は乗り換えればどこへでも行けます
でも永田町駅で半蔵門線から銀座線に乗り換えようとすれば地下連絡通路を延々と赤坂見附駅まで歩いて5分かかります
かと思えば、赤坂見附駅みたいに銀座線と丸ノ内線が同一ホームの反対側であっという間に乗り換えできるところもあります
人生の別れ道は乗り換えのようなものです
永田町のように乗り換えし辛い駅もあれば、簡単に済む赤坂見附駅もあります
永田町駅でも有楽町線ならすぐ乗り換え出来ます
真次はやっと罪を受けたことで
人生の路線を乗り換えできるのかもしれません
だから永田町駅だったのです
銀座線に乗り換えするには大変だったのです
東京の地下鉄の路線図はスパゲティのように複雑に絡まりあっています
人生の路線図もきっとそんな風に複雑怪奇なのでしょう
私達は罪を犯さずに罰を受けることもなく、人生を乗り換えて人生の目的の駅に着くことはできるのでしょうか?
でも路線図はどこにもありません
スマホの乗換案内アプリのように、どこで何に乗ればいいのか調べる手段もないのです
気がつけば、自分が子供の頃の両親よりも年上になっているのです
かって銀座線や丸ノ内線はポイントの辺りに差し掛かると車内照明が消えて、非常灯だけの暗くなる瞬間がありました
本作でもそのシーンが再現されています
この物語は長い人生の中の一瞬の非常灯だったのかもしれません
みち子役の岡本綾は素晴らしい存在感を示しています
彼女が2007年以降芸能活動を中止してしまったことは日本映画界にとって大変な損失だったと思います
なんとか復帰なさって頂きたいものです
音楽は小林武史、主題歌はSalyu 「プラットホーム」はなかなか良い曲です
本作とは関係ありませんが、2018年にJUJUのシングル、作詞松尾潔、作曲小林武史の「メトロ」という曲があります
これも素晴らしい曲です
あわせてお聴き下さい
時代設定が?
お時がみちこを妊娠したのは、1980年頃では?お時とみちこはおばあちゃんと孫くらい、年齢の開きがあるはず。真次も公開時に40代ではないはず。
原作未読ですが、かなり不思議に感じてしまいました。あと、みちこがお時を流産させたシーンも良く分かりませんでした。
親父に似てる。
堤真一や大沢たかおが若~い。
地下鉄(メトロ)に乗って過去に行く。若い父に会う。どんな人だったのか分かった。自分と重なる所があった。嫌いな父でも血が繋がっているから何処か父と似ているところがある。
自分が生まれる前、父の過去を知り父を受け入れることができた。父が子どもを愛していた事を知った。
まるで。(和製)バック.トゥ.ザ.フューチャーです。 過去変えちゃっているけど。
なんか話に入り込めない。
残り30分で見るのが飽きた。
父親が苦労してきたことなどをタイムスリップで知るという話なんだがいまひとつ共感できない。
温かい家族をつくるといっていたわかかりし日々の父親がどこで変わったのだろうか。
タイムスリップとうのは、ありきたりで面白くない。またいったりきたりで全く落ち着かない。
よくわからん映画だ。
「社長!黒のスリップ、入荷しました!」「そうか、よくやった!それじゃ商品名はタイム・スリップにしよう」
メトロとはパリの地下鉄のことで、日本では東京地下鉄株式会社の愛称が東京メトロというらしい。決してウルトラセブンと戦ったメトロン星人のことではないのですが、原作者が浅田次郎と聞くと、どうしても団次郎を思い出してしまいます。調べてみると、メトロン星人は煙草の中に人を発狂させる毒を仕組んだらしく、この作品の小物でもあるピースの存在が大きくなってきます。また、堤真一が吸っていたタバコが旧パッケージのマイルドセブンだったので、懐かしく感じるのも束の間、笑わせるシーンとなって楽しませてくれました。
堤真一といえば『ALWAYS 三丁目の夕日』で日本アカデミー賞助演男優賞を取ったことが記憶に新しい。そういえば、この三丁目では古行淳之介・古行和子というネーミングに笑ってしまったのですが、このメトロでは本物の吉行和子が堤真一の母親役として登場します。お母さんも一緒に昭和三十年代のセットに登場していたらパロディ映画になってしまうところでした。また、キーパーソンである常盤貴子の起用は、強く生きる女性という設定はうなずけるのですが、同じ満州がらみで『赤い月』を連想してしまいます。
『ローズ・イン・タイドランド』『オトシモノ』『旅の贈りもの』と鉄道関係の映画鑑賞が続き、『時をかける少女』『もしも昨日が選べたら』『イルマーレ』とタイムスリップものが続きましたが、それよりも最近観た映画が兄弟ものがとても多いことに気づきました。不倫といった男女関係も多かったのですが、それよりも異性の兄妹ものが目立ってしまいます。血が繋がってなくてもお互いに支え合うものだったり、異父兄妹だったり、義姉義弟だったり、この映画のように××××だったり・・・そして「罪と罰」!。×くんを演じた中村晴日くんもこっそり存在感をアピールしていました。
ほとんど感想になってない文章ですが、指輪のエピソードはよかったです。評価はやばいかなぁとも思っていたのですが、これだけで加点。それにしても、『鉄道員(ぽっぽや)』に続いて、一発どんでん返し映画のような印象が残りましたが、浅田次郎氏はまさか和製シャマランとは呼ばれないですよね・・・
【2006年10月映画館にて】
全32件中、1~20件目を表示