「説明不足で惜しい」ゲド戦記 リボンさんの映画レビュー(感想・評価)
説明不足で惜しい
最初は低評価だったので見るつもりはなかったものの、他の3作品を映画館で見たので、勢いで鑑賞。
つまらないとか、色々書かれていたので期待しないで見ました。
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テルーが実は竜だった、という設定は、ちゃんと説明さえしてくれたら良かったのに、惜しいなという印象。
おおまかなメッセージは良いんです。不老不死を願うんじゃなく、今ある限りある命を大切に思うことが大事って言いたいんだと思うし、それは良い。
心に闇を抱えてしまって、幽体離脱?っぽくなったり生きる怖さ故に自分でも訳のわからないことをしてしまうとか、それもまぁ有りうるかもしれないので、アレンの不安定さも一応よしとします。
残念なのは、
「竜が人間の住む領域に姿を現すなんて、ただごとじゃない!」
という設定なら、そことテルーの存在の整合性をきちんと説明しないとアウト。
冒頭で、つい最近、海に竜2匹が現れて共食いしていました。
でも実は竜だったテルーは10代後半くらい?の少女。仮に竜として生まれて普段は人間の姿で暮らしてるなら、もう10年以上、竜と人が共存してることになってしまい、「今は共存していない」という城で王に家臣が話してた、この世界の設定に矛盾します。
もしかしたら、テルーは幼少期はただの人間の女の子だったけど、ごく最近?または今回の、クモに首を締められて生死の境に瀕して初めて竜が宿った?あるいは人間としては死んだけど竜になって蘇った???のか。。?もしれませんが、倒れたあとあっさり竜となり、ここで全く説明無し。とにかくこれが最大の謎で、見ててモヤモヤ。
原作を何も読んでない私のような観客も行くので、映画だけで最低限の筋書きは説明するべき。これが無いのでテルーが竜になって、クモは倒すしまた幸せに暮らすし、っていうハッピーエンドを素直に受け入れられなくて残念。。
あと設定として気になったのは、「真の名前」が重要というのは千と千尋の神隠しと同じ。原作がそうだったなら、何も同じ設定の話を映画化しなくてもなぁ、と少し残念。人が竜に変わり、また人の姿に戻る場面、テルーが千と千尋のハクに思えてしまいました。パクったわけじゃないんだろうけど、状況が似ててなんだか残念。
敢えて評価するなら
「力を持つ者は、世界のバランスを保つためにそんなに簡単に力(作中では魔法、現代なら科学?核兵器?)を使ってはならない」という教え。
テルーの竜設定をきちんと説明したうえで、このあたりを深く掘り下げられたらもう少し高評価の映画になりそうだったので、それが惜しいです。