硫黄島からの手紙のレビュー・感想・評価
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なんだこの映画は?漫画の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は読んだ事が...
なんだこの映画は?漫画の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は読んだ事がある。8巻まで読んで途中とん挫している。
まぁ、映画の方は
イーストウッドさんの名前を使って、渡辺さんの映画をプロデュースしたのが直ぐに分かる様な映画だった
まぁ、だいたい敵国だつた国が作る映画としては及第点だが、なぜ?投降した日本兵を殺してしまうのか?そう言った事はあったろうが、なんか自虐的だ。
さて、
この戦い中で、本当の犬死はアメリカ兵だと旧大日本帝國人民は知るべし。こんな無益で勝てる戦争で若い有能なアメリカ人がたくさん死んでいて、その中には幼子がいた者もいるだろう。
やはり、総大将は率先して投降すべきだ。
ナチスドイツはソ連のモスクワで総大将が率先して投降している。その点がナチスドイツが日本の軍国主義よりも多面性を持っている所と思う。
太平洋戦争の激戦地の一つである硫黄島の戦いを日米双方の視点から描...
太平洋戦争の激戦地の一つである硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた2部作(米兵視点:父親たちの星条旗)の戦争映画の一つ。こちらは日本兵目線で描かれている。史実を基に作成されているが、齟齬が生じない範囲で上手にフィクション部分が加えられている。
ハリウッド映画なのに全編日本語・日本人という稀有な映画であり、この映画をこの形で世に送り出してくれたイーストウッド監督に深謝する。『変な日本人感』は一切感じない。悲劇を扱っているため娯楽性は一切なく、合わない人もいるだろう。ただ、先人達の歴史を知っておく必要はあり、視聴すべき映画の一つだろう。
彼らは天皇のために戦ったのでない。
家族を守るために戦争に駆り出され死なざるを得なかった先人達の苦痛が映像から伝わってくる。栗林中尉の『家族のために死ぬと決めたのに、家族のために死ぬのをためらう』というセリフが心に突き刺さった。
ちなみに米兵目線の『父親たちの星条旗』の方には『戦友の為に戦い、死ぬ。死んだ者はヒーローだ』とのメッセージが込められている。国民性の違いなのか興味深い。
なお、硫黄島の戦いとは第二次世界大戦末期に東京都に属する小笠原諸島の硫黄島で1945年2月19日から3月26日まで行われた戦闘でアメリカ軍側の作戦名は『operation Detachment』。日本軍20,933人(うち戦死17,845-19,900)とアメリカ軍250,000人(うち上陸部隊111308人、戦死6821人、戦傷19217人)が激突した。日本軍は栗林忠道(陸軍中尉・戦死後大尉)が率いた。
硫黄島からの手紙
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二宮らが硫黄島でアメリカ軍と戦う。
結局投稿した戦友も米兵に殺され、憧れの渡辺も自決。
二宮だけが敵に発見され、捕虜として生き残る。
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史実をもとに作られた作品。
悲惨。本当に戦争は恐ろしく、罪だと思う。
人間性の強烈な抑圧と無視
戦争そのものが人間性を踏みにじるものだが、この映画では、その有様はもちろん、日本が戦争に向い、その戦争を支えるために組立てられ、人々が従っていた人間性の強烈な抑圧と無視が描かれている。一定の人間性を示していると思われた西は負傷し指揮も戦闘も行えなくなったとき、捕虜となることを良しとせず、自決する。同じく栗林も人間性にも感じられるその振る舞いや思考の多くは、この戦争での皇国の敗戦を一日でも遅らせるための合理性から来るものだ。そして、西と同じ身の処し方を選ぶ。生きて帰りたい気持ちを抑えつけ泣きながら手榴弾で自決する兵士たちもいる。西は、部下と別れる場面で、「正しいと思う道を行ってくれ」と言った。しかし、最初は仕組まれ、やがては、ある意味では民衆たちが自ら転がしていたを振り払い、逃れ、生き残った者は少なかったに違いない。
硫黄島からの手紙
【ピロシの映画レビュー①⑨】
硫黄島からの手紙
Letters from Iwo Jima
⚫︎監督
クリント・イーストウッド
⚫︎脚本
アイリス・ヤマシタ
⚫︎出演者
渡辺謙
二宮和也
伊原剛志
⚫︎公開
2006年
⚫︎上映時間
141分
⚫︎製作国
🇺🇸アメリカ合衆国
⚫︎ジャンル
戦争ドラマ
歴史ドラマ
『日本人、特に若者に見て頂きたい映画No.1❗️』
細かいことはwikiにお任せして笑
戦争反対を語るより、映像で見た方が絶対良いと思いますね。
どうしたって資源や補給路を断たれたら敵わないのはわかっていただろうに。
何故勝ち目のない戦争をしてしまったのか。
日本人は利発なはずでしょうに。
時折描かれる理不尽すぎる暴力は、許せませんね。
他は、あえてネタバレせずに、、、
役者陣で言うと、渡辺謙は勿論ですが、伊原剛志の芝居が渋くてグッド👍でした。
是非ご覧くださいませ!
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アメリカ対日本の戦争。加瀬亮が雰囲気にあってる。防空壕の中でみんな...
アメリカ対日本の戦争。加瀬亮が雰囲気にあってる。防空壕の中でみんなが爆弾を使って自爆しているのがリアル。生々しかった。どんどん大切な人が死んでいって悲しい。自決する決意のできた顔や仕草がかっこいい。
数奇な運命
イーストウッド監督は公開に際して「勝ち負けを描く戦闘映画ではなく生身の人間を描きたかった、どちらの側であっても、命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在であるということ、映画は彼らに対する私のトリビュートなのです」と語っている。馬術のバロン西は有名だが栗林中将がハーバードに学んでいたとは知らなかった、米国にも知人の多い二人が硫黄島で散って行ったという運命の数奇さも製作の動機になったのだろう。
清水上等兵(加瀬亮)が米国人捕虜の母からの手紙の内容が自分の母からのものと同じだったことに衝撃を受ける、鬼畜米英と習ってきたのに彼らもまた自分と同じ人間であると気づくのだった、しかし投降するも米兵に射殺されてしまう戦争の現実。いたずらに感傷に走らず淡々と戦場を描いていく群像劇の傑作、民間人の視点で描いた硫黄島の死闘の裏側は脚本家のアイリス・ヤマシタさんの着想、謙さんのアドバイスも相当あったらしいがハリウッドが日本映画より日本映画らしい力作を作ってしまったことに驚きを隠せない、クリント・イーストウッド監督は日本人の心を鷲掴みにしてしまったことでしょう。
涙は流しても、笑顔は作らない。戦争がどれだけ愚かで卑劣な行為かが分かる。
1945年2月、日本本土を守る最重要拠点となった硫黄島で起きた戦争を
描いた「硫黄島からの手紙」を観ました。
日本兵 2万2786名に対し、アメリカ軍の兵士は11万名。
圧倒的な戦力差にも関わらず栗林中将(渡辺謙)を中心に驚異の粘りを見せ、
36日間の猛攻の末、日本兵が壊滅するまでが描かれています。
硫黄島の戦いと呼ばれ、アメリカ兵の死傷者が日本兵の死傷者数を
上回る稀有な戦いとなりました。
映画は彩度を落とし、戦場の重苦しさや命の儚さを表しています。
アメリカ軍が上陸してくるシーンにただならぬ恐怖を感じました。
大量の戦艦・戦闘機が押し寄せ、兵器の恐ろしさに圧倒されました。
日本兵は、銃弾・火炎放射・爆撃など陸・海・空のあらゆるところからの集中砲火を
受けることになります。
とてもじゃないが勝てる見込みはありません。
人が物のように吹っ飛び、命を失っていきます。
それでも圧倒的戦力の前に立ちふさがったのです。
その時の心境なんて戦後に生まれた僕には想像もつきません。
ただ、戦場がどれほど恐ろしい場所か、
戦争がどれほど卑劣な行為なのかは分かりました。
そもそも硫黄島自体が過酷な場所でした。
その名の通り硫黄が立ち込め、地下道を掘ると有毒ガスが充満していたそうです。
飲み水も自力で確保できず、本土からの物資と雨水に頼っていたとのこと。
さらに上官が目を光らせ、下手な発言もできない超体育会系な社会だったのです。
こんな場所でいつ死ぬかもわからない行為をしていたのですから、
戦争って誰にとって得なのか疑問に感じました。
ストーリーは現代に戻り、兵士たちが立て籠もっていた洞窟から
多数の手紙を発見します。
その内容のほとんどが本土に残した家族の心配でした。
どんな心境だったのでしょう。
もう二度と会うことができないと確信し、それでも家族のことを思い、
届くかどうかも分からない手紙を書き残す。
手紙を書くことが心の支えになっていたのでしょうか。
書かずにはいられなかったのでしょうか。
手紙の内容がナレーションのように読まれ、映画は終わります。
戦争で涙を流すことはあっても、笑顔を作ることはありません。
戦争の恐ろしさが、ずしりと心にのしかかる映画でした。
うーん、画面が見にくいし、声が聞き取れない…
戦争美化的な要素があるのでは、と警戒しながら見たが、杞憂だった。
ただ、映像がセピア色に加工されていて、白黒映画の「第三の男」のように、何が映っているのかよくわからないところが多々あった。
音声も聞き取りづらく、英語の箇所の日本語字幕が一番わかりやすかったので、日本語にも日本語字幕を付けてもらいたいレベル。
題名からイメージしていた家族との兵士の繋がりはほとんど明らかにされず、西郷の妻子のことしかよくわからない。
渡辺謙は主役だったのだろうか?彼の家族への手紙の一部は紹介されているが、家族自体は明らかにならず、彼の立ち位置もよくわからないまま。
印象的なのは、戦闘中に投降しても米兵に撃ち殺されたということ。生き残って帰ってきた人というのは、本当に戦闘終了まで生き残って捕虜になった人しかいないのだろうか?
西郷が大宮でパン屋をやっていたというが、戦時中にパン屋って洒落てるな、と思ってなかなか感情移入できず、惜しいことをした。
Amazonでみる。
Amazonで見ることができた。時間が取れなくて途切れ途切れに、丸一日かかった。iPhoneの小さい画面。劇場でみるのとはわけが違うとは思うが、自分用に記録する。
硫黄島の戦争のことは、ほとんど知らなかった。
なぜこれがクリントイーストウッドによって映画化されたかもわからない。アメリカ側の「父親たちの星条旗」とと対になる作品らしい。ということは、二本まとめて見なくてはならないことになる。
本作の主人公、二宮和也がいい。元パン屋で、顔を見ぬ我が子が一人。戦争とは無縁のような男だ。「ブラックペアン」とはちょっと違うが、すこしニヒルなところはあるような気もする。
あとは、ほぼ軍人がでてくる。中村獅童、井原剛志、加瀬亮。このような男たちが、遠い島まで戦争にきて、よく知りもしないアメリカ軍と戦っていたのだということが、いまさらだが、認識させられるのだ。軍人と言っても、職業軍人は一握り。あとはパン屋であったり、農家であったり、特高警察くずれであったりの寄せ集めなのだ。そして職業軍人であっても、水や食糧や武器もなく、風呂に何日も入らなければおかしくなってくる。
画面はモノクロームで、当時に思いをはせるために適した映像効果になっている。
可もあり不可もあり
皆さん仰るようにアメリカ製の映画で描かれる日本人像としては異例とも言えるほどナチュラルに感じた。
あまり演技がうまいとは思わないが、嵐の二宮が演じるキャラクターは飾らず、偏りのない等身大の青年であったのが良かった。
戦闘シーンをはじめ細かな演出に違和感を感じる事が多く、あまり劇中世界に没入できなかったのが低評価の主要因。
あとラストシーンで二宮がシャベル振り回していたのは
何だか物を盗られて子供みたいに怒って足掻く非力な日本人と、質・量ともに勝る武器を持って多勢でいなすアメリカとの太平洋戦争そのものの風刺みたいに思えた。
制作者はそんなこと意図してないにせよ、そんな風に見えたという個人的な解釈のひとつなのであしからず。
余談だけど、映画を観て戦争について考えるというのは不十分だと考えていて
映画は少なからず制作者やスポンサー等の意図やバイアスが反映されるので
それを観てそのまま戦争とは、、、と考え出すのは早計かと。
あくまで動機付けと位置付けて、映画をトリガーにして色々調べるってのが必要なのかなと。
日本人として勉強になる(知っておくべき)歴史作品
H25.4月、安倍首相が硫黄島を訪問し、日本兵の遺骨収容作業を視察。
との報道があったものの、恥ずかしながら硫黄島について、
歴史知識がなかったことから、歴史を学ぶ上でも本映画を観ました。
同じような人がいれば、本映画を観て勉強するのはいい方法だと思いますよ。
1.硫黄島への米兵上陸
米兵による島への上陸の様子は、ノルマンディ上陸を描いたプライベートライアンとは
異なり、ある程度島への上陸を許してから一気に銃撃といった具合。
これは栗林忠道大将の戦略。
2.トンネル(要塞)作戦
この戦争で、日本軍での状況は圧倒的不利。
日本本土からの支援(増援)はなし。戦力(軍事力)の差は歴然。
そこで栗林大将の作戦は、要塞を徹底分析しそこを拠点とすること。
3.日本兵の忠誠心
天皇陛下万歳などと声をあげる集団自決シーン。
実際に映像で見るのは個人的に初めてでした。
多くの兵士が天皇陛下万歳と叫び、銃などで自決していくシーンは
衝撃を覚えました。
簡単に映画鑑賞後気になったシーンをメモ書きしておきました。
関連映画の硫黄島の父親たちの星条旗も観てみようと思います。
自然体を貫く二宮
二宮の大出世作ということで,前から見てみたかったのだが,戦争物は後味がどうしても悪いので敬遠していた。でも,思い切って見てみて,よかった。これが,ジャニーズの二宮?と思えるような役。アイドル的に何のメリットも感じられない。ヒーローとは真逆で,まったく格好よさはなく,むしろ弱く情けなく惨めで,これ以上の汚れ役はないだろう。けれど,それがなぜかはまるのが二宮なのだ。彼は,この映画の主役かと思えるほど光っていた。「天皇陛下万歳!」の世の中にあって,二宮はいたって普通の人間だ。体制に逆らいはしないが,決して嘘で飾りたてた言葉は使わない。友達には本音でぶちぶち不平を言うし,人一倍生への執着も強い。格好良い軍人になる気も毛頭ない。ただ日本へ帰って,家族と会いたいのだ。それが,ひしひしと伝わってきた。友達や上司の死を目の当たりにしてきても,あきらめにも似た表情を貫いてきた二宮が,ラストで感情を爆発させるシーンは圧巻だった。自然にあふれ出る大粒の涙,初めて怒りと憎しみを露わにアメリカ兵に立ち向かう姿が,目に焼き付くとともに,戦争そのものの悲惨さを強く訴えかけてきた。イーストウッド監督も本当にすごい。日本人の監督以上に,軍国主義の日本をリアルに描き,日本とアメリカを公平な目で見ている。伝えたかったのは,ただ一つ戦争のむごさと,繰り返してはいけないということだろう。そして,日本の俳優陣の魅力をあそこまで引き出す手腕もお見事である。まさにプロの仕事である。
ただ一つ,リアリティーに欠けたのが,二宮が結婚していて,子どももいるという設定。パン屋も似合っていないかな。年齢的には無理はないのだろうが,坊主刈りの姿は,どう見ても学生にしか見えない。共演した加瀬亮のように待っている母がいるとか,せめて恋人がいるという設定のほうが,見ている方がより感情移入しやすかったように思う。まあ,全編を通して言えばたいしたことではなく,減点しても満点である。
家族のために死ぬと決めたのに・・
映画「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督)から。
「太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを
日米双方の視点から描く映画史上初の2部作」との紹介に、
期待を込めて2作品を観始めた。
(「父親たちの星条旗」が第1部、本作が第2部だったらしい)
観終わった感想は、間違って第2部の作品から観てしまったが、
日本人の私にとっては、この順番が正しい気がする。(笑)
さて「気になる一言」も、出来れば「対」として選びたいと思い、
メモをとった。その結果選んだのは「戦う男たちの死生観」である。
日本人側の視点で描かれた、戦争に対する戦い方(死に方)は、
「国のため、天皇のため」と言いつつ、本音は「家族のため」。
「家族のために死ぬと決めたのに、家族のために死ぬのをためらう」
この台詞が、私の心に突き刺さった。
「靖国で会おう」「来世で会おう」の台詞を残して死んでいく兵士、
手榴弾で自爆していく光景は、涙が止まらなくなった。
日本の男たちが、戦争に突き進んでいく理由は「家族愛」
そして、アメリカの男たちが、死を掛けて戦うのは「男同士の友情」。
死に対する意識の違いをもった人種が戦っていたんだな。
配達されなかった“手紙”によってとりもどす兵士たちの日常
「父親たちの星条旗」に続く「硫黄島からの手紙」は、“悪役でも中国人俳優でも合作でも流用でもない”市井の日本人が戦場へと駆り出されていった姿をアメリカ人映画監督が初めて描く画期的な作品である。『日本にあるのは「反戦」映画ではなく「反軍」映画である』とは映画評論家双葉十三郎氏の名言だが、私はこの作品で初めて日本はその「呪縛」から逃れることができるのではないかと期待していた。その期待にそぐうように話自体はよくできている。だがどんなによくできた話でもやっぱり俳優の演技力が物語を左右してしまうんだな。まあなにがいいたいのかというと二宮の演技が本当にダメダメだということです。
言葉遣い自体はだいたい東京の下町なんてあんな言い方だったりしたわけで、そこに対する違和感は正直あまりないのだが、彼の場合、発声そのものがダメなので、演技以前の問題というかなんていうか、なにか喋るたびに“パン屋の無教養だが実直な主人”というよりもチンピラDQN風になってしまう。演劇的発声法(ex.ケンワタナ~ビ)がきっちりしている俳優と競演するとテレビドラマ的演技はまったく通用しないことがよく分かる。リアリティがでるというのは言い換えれば地のままというわけで、ああいう映画のようなある種演劇的空間に放り込まれるとよほどのキャラクターがない限り(ベルモントとか)単なるおバカちんな、どうにもならないDQNにしか見えなくなってしまう。あんまりすごいのでしばらくは彼の真似を持ちネタにしてしのげるなと思ったぐらい。「な~にいってんだよぉ」なんてウンコ座りされていわれたらそれなんて木更津キャッツアイ?てなもんです。彼である必然性がまったく感じられない(ていうかいくらなんでも若手俳優でもっとうまいやついるだろう)のでそのあたりはこうジャニーさんの「YOU、イーストウッドの映画にでちゃいなYO!」っていうなんですが裏のケツ指令っつーんですか?ああいうなにかを感じますな。そんな与太はどうでもいいんですがとにかくケンワタナ~ビにおかれましては演技上はともかく、演技指導ぐらいは栗林中将のような騎士道紳士精神を発揮せずに、ここは悪役鬼軍曹でいくべきだったんでは、と思ってしまいました。他の役者はみないいのになあ。特に獅童。ヤツの役はそのキャラの行方自体がかなりオイシイ上にそれを徹底的に生真面目に演じているからかえっておかしみをかもし出すことに成功している。あれを戯画的に演じたらいやらしいだけだ。そうはいっても獅童なので、計算してやっているのではなく天然なんだろうなあ。だがさすが歌舞伎出身だけあって、演技の基礎力ができているから二宮のような悲惨なことにはなってない。バロン西役の伊原剛志、栗林中将役の渡辺謙も安定感があってよい。ただちょっと渡辺謙は巧すぎて鼻につくきらいがなきにしもあらずだが、それも二宮の演技が下手すぎるが故かもしれない。おそるべし二宮。
このような(本質的かつ根源的な)瑕疵がありながらも、全体を見れば映画としては優れていると思う。(正直アカデミー作品賞は微妙だなと思うが。あわせ技一本なら可能だろう)手紙が全編にわたるテーマとなっており、内的な真実を手紙によって発露させるという方法がとられている。部下を鼓舞し叱咤激励しながら栗林の内面は家族と共にあり、パン屋の主人(に見えない)である一兵卒は妻とまだ見ぬ子供へ「生きて帰りたい」と真情を吐露し、捕らえた敵兵のもっていた母からの手紙を読み、敵味方を超えた普遍的な情緒に思いを馳せたりする。戦場において唯一「日常」との接点であった「手紙」に着目することにより、戦争映画における反戦の描き方に工夫をもたらすことに成功しているのではないか。私はスピルバーグの「プライベードライアン」に対してまったく何の価値も見出せなかった人間なので、逆にこのような大上段に構えない反戦意識ってわからないやつにはわからないだろうなと若干危惧した。バロン西の最期やら集団自決やら栗林の特攻なんぞだけを抽出し、この映画に対して戦意高揚映画なんていうヤツがいたら本当に馬鹿だと思う。
イーストウッドがこの二作を通じて訴えたかったのはおそらく「戦場において“日常”を維持することの難しさとそれを行わずにはいられない個人の弱さ、そして兵士は退役後もそれを続けなければならない、戦場は死ぬまで続くのだ」という冷酷な『事実』だろう。(戦争の「痛み」を観客一人一人に還元・実感させるために、「父親たちの星条旗」では退役後の兵士を「硫黄島からの手紙」では戦場における兵士の“日常”を描きだしている)当たり前のことが当たり前に過ぎていく“日常”を容赦なく断ち切る戦争、その“日常”を維持する唯一の手段であった「手紙」が届けられずに埋められる悲しさ。だが手紙はラストシーンで発掘され“救出”される。掘り起こそうという意思は、前作「父親たちの星条旗」で語られた「ありのままの戦争を見つめよう」というメッセージと呼応する。だからこそこの二つの作品を持って語らねばならなかったイーストウッドの構成力の確かさと「戦争の意味」をもう一度捉えなおそうという意思に感銘を受ける。埋もれていった兵士たちの思いを発掘し、ありのままに見つめる作業こそが、あの60年以上前に起きた出来事を風化させずに「いまここ」に現出させる行為にほかならないのではないだろうか。
ミリオタ(軍オタ)にいわせると一式貨物輸送機さえみられれば随喜の汁ダダモレらしいんだが、そんなこといわれてもなあ。そんな軍オタじゃなくてもこの映画、見て損はない。二宮の演技は華麗にスルーし、映画からのメッセージを受けとり、「あの戦争」をもう一度見つめなおす。その作業を行わずして一方通行な“もうあのせんそうをおこしてはなりません”式の思考停止状態から逃れることはできない。「あの戦争」の意味を私たちの手に取り戻そう。それが「あの戦争」で犠牲になった全ての人達に対しての、我々が行える唯一の鎮魂なのだから。
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