「【”ここはまだ、日本か・・。と名将は僕に言った。”今作は、第二次世界大戦末期、敗北が明瞭な硫黄島に赴任した栗林中尉と今や若き名優である二宮和成氏が演じた一兵士の生き様を描いた反戦映画の逸品である。】」硫黄島からの手紙 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”ここはまだ、日本か・・。と名将は僕に言った。”今作は、第二次世界大戦末期、敗北が明瞭な硫黄島に赴任した栗林中尉と今や若き名優である二宮和成氏が演じた一兵士の生き様を描いた反戦映画の逸品である。】
ー 今作を、最初に観た際には落涙したモノである。それは、名優渡辺謙が演じた、硫黄島総司令官栗林忠道中尉の、それまでの戦争映画の指揮官にはない、米国留学の経験に基づく理性的、且つ人間味ある言動に痺れたからである。
又、一兵卒の西郷を演じた当時は俳優としては未知数だった二宮和也氏の理不尽な戦争の中、妻花子に再び会うために必死に生きようとする名演に驚きつつも、涙が溢れたからである。
だが、私は今作を鑑賞中、知識が無かったために栗林忠道中尉は、架空の人だと思っていた。その後、いつもの通り本屋の棚を眺めていた時に目に入ったのが、名ノンフィクション作家である梯久美子さんの本「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」を見つけ、驚きつつも速攻で購入し、一晩で読み切ってしまったモノである。
そこには、今作で描かれている栗林忠道中尉の人柄が詳細に書かれており、涙しながら読んだ事は今でも覚えており、その後数度読み返している。
ご存じの方も多いと思うが、”散るぞ悲しき”とは、栗林忠道中尉が兄に書いた決別電報の最後に記された辞世の句の一句である。
”国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき”
だが、この句が、戦時中の新聞に掲載された時は”散るぞ口惜し”に改編されて、掲載されたという・・。ー
■敗戦濃厚な1944年6月。
陸軍中将の栗林忠道が本土防衛の最後の砦である硫黄島に降り立つ。
アメリカ留学経験を持つ彼は、長年の場当たり的な作戦である水際作戦、万歳作戦を変更し、島に降り立った途端に、徒歩で島中を確認した後に、地下壕を掘ることを命じる。
そして、上官の部下に対する理不尽な体罰も戒めるのである。
日本に身重の妻花子(裕木奈江)を残して来た西郷(二宮和也)は新しい上官の姿を見て希望を抱き始める。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、当時先進的な思想を持つ人物として栗林忠道中尉と共に、ロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で金メダルを獲得したバロン西中尉(伊原剛志)が登場する。実際に硫黄島に赴任した方であるが、彼は負傷した若き米兵を砦に運ばせ”手当てをしろ。”と命じ、その米兵と流暢に会話し、握手を交わすのである。
そして、その兵士が亡くなった際に、彼の懐に会った母からの手紙を、日本語に訳して皆の前で読むシーンは、印象的である。“皆と、同じだろう。”と言いながら。
・当時の日本軍の将校を象徴する人物として描かれる、栗林に反発する伊藤(中村獅童)が、すり鉢山から逃げて来た西郷達に激昂し刀を抜くシーンや、米軍の戦車を吹き飛ばす、と言いながら、そのまま死んだ日本兵の中で眠ってしまい、虚ろな目で空を見上げるシーンも、演出としても巧い
・西郷と生きようとした元憲兵だった清水(加瀬亮)が硫黄島に来た理由を示す、彼が夜に泣く犬を殺せなかったシーンや、彼が米兵に捕虜になった時に、“見張りが面倒になった”若き米兵に撃ち殺されるシーンも、衝撃的である。
■今作では、栗林忠道中尉は息子太郎に、西郷は妻花子に頻繁に手紙を書いている。冒頭とラストシーンで、現代の発掘隊が地中に埋められたずた袋を見つけ出し、多数の手紙が袋の中から落ちるシーンも、この映画のタイトルにある通りに、見事なる反戦思想を示していると思う。
<今作は、名匠クリント・イーストウッド監督が描き出した、ほぼ日本人キャストで構成された画期的、且つ強烈なる反戦映画の逸品なのである。
何度観ても、涙が溢れてしまう作品であり、且つ当時は俳優としての実績が殆どなかった二宮和也氏を抜擢したキャスティングと、今や若き名優である彼の、”何故に自分はこのような理不尽な目に合わなければいけないのか”という一兵卒の憤りの心持を見事に演じた姿や、数々の哀しきシーンが忘れ難き作品なのである。>
不覚にも本作未見なのですが、レビューを拝読すると西林忠道中尉と栗林忠道中尉と陸軍中将の栗林忠道が混在しているようですが・・(劇場で予告は何度も見たのに未見なので)。
あぁ、未見の名作が多すぎるな、反省。