「ハードボイルドな仕草に隠された、裏切りによってできた心の傷。」ロング・グッドバイ すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
ハードボイルドな仕草に隠された、裏切りによってできた心の傷。
◯作品全体
自分のペースを保ち飄々として生きるマーロウ。余裕ある仕草がハードボイルド作品特有のかっこよさを漂わせる。警察に押入られても、やくざに難癖付けられてもその態度はほとんど変わらない。その立ち振る舞いのカッコよさだけで最高なわけだが、だからこそ、マーロウが怒りの感情を強くするシーンが印象に残った。
この作品には怒るシチュエーションがたくさんある。猫が餌を食べず、警察に押入られ、三日も拘留され、今度はやくざが押し入り、犬に吠えられ、ナースにテキトーにあしらわれる…ここまで並べてもまだ前半も前半だ。しかしマーロウはどれにも怒らずに煙草をくゆらせ歩いていく。相手に自分のテンポを崩させない、酸いも甘いも知り尽くした大人が醸し出す静かな生きざまがとても良い。ただ、作中で明確に表現した怒りが二つあった。一つはテリーの妻が殺害された日にロジャーが一緒にいたことを黙っていたアイリーンへの怒り。そしてもう一つはラストのテリーへの怒りだ。この二つに共通するのは「マーロウへの裏切り」。
アイリーンはマーロウとテリーが友人であることを知っていて、それでも「テリーは浜辺で見る程度」と話し、真相をマーロウに伝えなかった。ロジャーの酒乱トラブルにも協力して親密になったにも関わらず、ロジャーが死ぬまでマーロウを欺き続けていた。真相を知った時のマーロウは今までの関係性を一切置き去りにしてアイリーンへ強い口調で詰問する。いままで見せてきたハードボイルドなマーロウとはかけ離れた姿には、きっと信頼関係を築きつつあったことに裏切られた、という感情があったはずだ。やくざとの金銭トラブルにケリが付いたあとにマーロウが街でアイリーンを見つけるが、車にひかれて話すことはできなかった。もしここで話ができていたらアイリーンが黙り続けてきた理由を直接聞き、関係性に変化があったのかもしれないが、この段階ではアイリーンがロジャーをかばおうとしたのか、それ以外の理由があるか、マーロウはわからない(勘づいていたのかもしれないけど)。答えは「アイリーンはテリーと関係を持っていた」というもので、ラストシーンでそれが明らかになる。しかし、その時にはテリーが恩知らずで非常に身勝手な理由で逃亡したという二つ目の「マーロウへの裏切り」が降りかかった後だ。既にアイリーンへ応じる感情はなく、マーロウは並木道を進んでいく。
テリーに対する容赦ない報復もそうだが、身体的な傷や労力には寛大なマーロウは精神的な傷に対しては非常に敏感であることがわかる。ハードボイルド作品は主人公が感情をあらわにすることが少ない分、「主人公が記号化されている」、「人間味がない」と捉えられることもあるが、この敏感な反応がマーロウの奥行きを違和感なく表現していると感じた。
ラストカット、衝突しかけた老婆とダンスを踊るかのようにかわすマーロウの後ろ姿が、まるでなにもなかったかのように映る。飄々と、すべてを受け流すかのようなマーロウ。しかし内側では精神的な傷の痛みと戦い続けているのかもしれない。
〇カメラワークとか
・反射とかディゾルブを使った面白いカットがいくつかあった。アイリーンとロジャーが別れ話をする二人と窓に反射して映るマーロウを重ねるカットとか。二人の間で表面上の話に出てこなくても、根本の原因はこいつだろ、と思っているような、そんな演出だった。
〇その他
・『ロング・グッドバイ』、「長い別れ」の意味として、友人や配偶者の死が作品の鍵になっているというのもあるだろうけど、さらに人間関係としての別れもあるんだろうな、と感じた。マーロウにはテリーが友人として死んでいった一度目の別れがあって、その後に裏切り者としてテリーが死んでいく二度目の別れがある。肉体的にも、精神的にも別れを告げなければならないつらさが、この作品にはあった。
・タバコというプロップそのものよりも、マッチのほうが気になった。マッチ箱で火をつけるだけじゃなくて、壁やら床やら使ってったのが面白かった。
・マーロウが精神的な傷を隠しているという視点で見ていると、タバコを吸う行為でそれを隠しているように見えてくる。タバコは「大人の愉しみ」というよりも「大人の鎮痛剤」なのかもしれない。
・『カウボーイビバップ』の渡辺監督が映画のオールタイムベスト10を選んだ時に本作が入っていたんだとか。なるほどな、と思う要素がめちゃくちゃあって面白い。ちょっと間の抜けたところもあるけど思慮深い二枚目主人公、Yシャツの着こなし、琴線に触れると容赦ない性格…マーロウとスパイク・スピーゲルの共通点が多い。ムーディなジャズBGMも。