「1・2・3・4ッ!」ロックンロール・ハイスクール モアイさんの映画レビュー(感想・評価)
1・2・3・4ッ!
の掛け声で鳴り出す軽快で単調なドラム。ベースはブリブリ轟き、ギターはザクザク音を刻む。そこへ乗る不思議な耳障りの唄声はなんともキャッチーなメロディを聞かせてくれる―。
これがラモーンズのロックンロールなのだ。
アメリカの奴隷労働者の音楽:ブルースがそのルーツとされるロックンロールは50年代にチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリー等により広く世間に知れ渡り、60年代のビートルズの登場を切欠に巻き起こったブリティッシュ・インヴェイジョンとボブ・ディランを中心としたフォークブームと前衛芸術とがない交ぜになり、立派なカウンターカルチャーへと仕上がった。
そして70年代には市場規模をドンドン膨らませ、卓越した技術により複雑な構成の楽曲を演奏するバンドもドンドン出てきたのだが、気付けばロックンロールが本来持っていた単純明快さと野蛮性がどこか遠くに忘れ去られてしまいそうになっていた。
そんなロックシーンの真っただ中である1976年にレコードデビューしたのがラモーンズである。
この映画はロジャー・コーマンが製作総指揮を執ったラモーンズの啓蒙映画だ。プロモーションなんて生易しいものではない。“啓蒙”である。どこぞのインテリ大学生のような大層な思想など持ち合わせちゃいない、あるのは劣等感と理由なき反抗の衝動のみというろくでなしのガキ共に向けた“啓蒙”なのだ。いつの間にかインテリ好みの楽曲で溢れかえってしまい、ロックにさえ居場所がなくなってしまったガキ共に、お前らに相応しいバンドがここにいるぞ!と“啓蒙”しているのである。
クイーンは確かに素晴らしいバンドだが、クイーンの曲では満たす事の出来ないモノがある。それを満たしてくれるバンドが存在しているんだと呼びかけている映画なのだ。
音楽室から持ち出したプレイヤーで学校中にロックンロールが流れると生徒たちは授業中でもお構いなしに踊り狂う。学校に秩序を取り戻そうと躍起になる新任の校長は生徒たちを狂わすロックンロールを研究する。マウスを使った実験によると、一週間ロックを聞かせたマウスは革ジャン、サングラス姿となり。檻は不潔に、夜中にギターを弾き、メスと同棲をするようになってしまうのだ!更に最悪なのがラモーンズの楽曲は校長開発?の相対騒音度測定器なる物で計測するとテッド・ニュージェントやザ・フーを超えた数値に達し、終いにはマウスが爆発してしまう…。
校長が対策を思案する一方で、学校一のラモーンズマニアである主人公:リフは音楽の宿題で作曲した「ロックンロール・ハイスク―ル」を近々ライブの為に街へやってくるラモーンズに渡すのだと張り切っている。リフはロックスターのポスターだらけの自室で一人タバコをくゆらせながらレコードを掛ける。すると彼女の目の前に憧れのラモーンズが現れ、夢のような時間を提供してくれる。それは彼女の妄想であるのだがライブはもうすぐだ!
ライブ当日、幾つかトラブルはあったものの無事にラモーンズに自身が作曲した曲を手渡せたリフ。ライブ後の楽屋でピザを食べるメンバー(ジョニー・ラモーン)がピザを投げつけた壁にミック・ジャガーのポスターが貼ってあるのは何かのメッセージか?
しかし学校では生徒たちが連れ立ってラモーンズのライブへ行ったことを問題視し、生徒たちの所有するラモーンズのレコードを焼くという強硬手段を実行する!ラモーンズのレコードと一緒についでに焼かれるローリング・ストーンズの「スティッキー・フィンガーズ」やボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」…。燃え盛るレコードを見て生徒たちは怒りを爆発させる。そこへラモーンズも現れ、生徒たちと一緒に学校を占拠するのだ!
この時流れている曲はアリス・クーパーの「スクールズ・アウト」(72年)。終業式が終われば夏休みに突入する高揚感を歌った曲であり、
『もう鉛筆なんかいらない、教科書もいらない、汚ねぇ先公ともおさらばさ!
学校は夏休み、永遠におさらばさ、学校は粉微塵に吹っ飛んだ! 』という様な歌詞で、この後の映画の展開を示唆している。
(アリス・クーパーはDV騒動でハリウッドから軽く干されていた時期のジョニー・デップと一緒にバンド活動しており、騒動中もずっとデップを擁護していた人物である。)
そして学校を占拠した生徒たちはロックンロールにのって校内で乱痴気騒ぎ。最後はラモーンズの演奏する「ロックンロール・ハイスクール」にあわせて学校を爆発させてTHE END!!(最初の爆発のタイミングがあまりに見事で実に気持ちがいい!)
と、映画としてはメチャクチャで、倫理観が裸足で逃げだしそうな内容だがこれがロックンロールなのである。そして最も重要なのはこの映画に本物のラモーンズが出演し、演技し、ライブパフォーマンスを披露している事である。
この映画のライブシーンに収められた迫力は映画のスタッフによって演出されたものではない。客席に映るエキストラはイモ洗い状態になりながらも頭を振り、飛び跳ねながら拳を突き上げる。このカオスはラモーンズの演奏によって巻き起こされた本物の熱狂なのだ。アーティストの音頭にあわせてみんなが一斉に規則正しく両の手を振るような管理されたものとは訳が違うのである。
バンドメンバーも役者もエキストラも自然と笑みをこぼす瞬間があるのをカメラは捉えている。音楽が鳴っているホンの短い間だけは、ろくでなし共が抱えている劣等感や怒りや破壊衝動なんてネガティブな感情も全てポジティブなエネルギーへと昇華される。それがロックンロールなのだ。
映画に出演しているバンドメンバーで今も存命なのはドラムのマーキー・ラモーンだけのため、この映画の持つ意味は現在も更に高まっている。この映画はラモーンズという偉大なゴロツキ共がロックンロールとその信奉者たちに何をもたらしたのかの証明であり、ロックンロールという現象とその歴史の貴重な一ページなのである。
ただ最後に一つだけ記しておくと、学校を占拠した生徒たちが給食のおばさんを縛りあげ、不味いランチを投げつけるというシーンがあるのだが、これだけはいくらロックンロールでもメチャクチャ心が痛むので辞めて欲しかった。(その分マイナスしても私にとってこの映画は☆5なのです。)