ロッキーのレビュー・感想・評価
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エイドリアンと叫ぶシーン
ロッキーは2011年くらいに初めて見て、2021年6月に2度目の視聴をした。
この映画を見る前は、エイドリアンと叫ぶシーンや生卵を飲み干すシーンなどが有名なボクシング映画だと思っていた。
しかし、実際には冴えない人生からなんとか這い上がっていく男のストーリーで、ボクシングはその手段に過ぎないくらいだ。
あえて言えば恋愛映画とも言えるかもしれない。ロッキーは最後のシーン、試合後の判定を待っているとき、判定の結果など気にもせずエイドリアンを呼び続ける。冴えない3流ボクサーが世界チャンピオンと最終ラウンドまで戦ったぞ!と伝えるために。このシーンのためにこの映画があるようにさえ思えた。最高の映画だ。
2回目の視聴では、ロッキー以外の登場人物の苦悩や人生が見えるようになった。歳を重ねるほどに面白みが増す映画でもあると思われる。
若い時と年老いた時の感想が違う傑作。
青臭い、若い頃はスポ根と思って観てたけど
歳とると、究極のラブストーリー、一人の青年がダメ人間から真っ当な人間に成長していくヒューマンストーリーだとわかる。
試合自体のシーンはほんの僅か。しかしその分濃厚。
全てのラウンドも終わりに近づき、死闘に血だらけボロボロのロッキー、アポロの強烈なパンチに打ちのめされてボコボコでダウン→たまらず最大の味方である老トレーナーも「もう立つな、寝てろ」と叫ぶ→恋人のエイドリアンが控え室から意を決して会場に現れるとそこには這いつくばるロッキーの姿。思わず目を伏せるが、いやいけない、愛する恋人の戦う姿を目に焼き付けなければ。→15ラウンドついにリングに立ち続けたロッキー、判定は全く意に介さず、ひたすら愛するエイドリアンの名を叫び続ける→兄貴の計らいでリングに上がれたエイドリアン、ロッキーと抱擁。って・・・構成が完璧すぎ。
試合までのエイドリアンとのいきさつや、老トレーナーとの葛藤、(まだ黒人差別が残っていた70年代に)敢えて余裕で興行を仕掛ける圧倒的なパワーのチャンピオン、名士であるアポロ。伏線も十分。
何年ぶりかで見たが今は動画配信でクライマックスのシーンだけとかで観れるから便利。
不朽の名作。不動の人生映画ベストテン以内。「ジョーズ JAWS」も同様だけど、ともに劇場ではなくテレビの夜9時からの放送で繰り返し擦り付けられた。良い意味で。昔は配信もレンタルビデオもないから、テレビの影響むちゃくちゃデカかった。ビデオも完全普及ではないから、映画館と同じ、1発勝負のリアルタイム。不便だけども、それはそれで良かった。
勇気をもらえる胸熱映画
人生についての映画
これは単なるスポコン映画ではなく、どれだけ人生のどん底に陥っても戦おうと思わせてくれる、人生についての映画。
ロッキーは借金取りか何かをしながら生活し、エイドリアンには振り向いて貰えず、3流ボクサーと言われ続けるなど、最悪の人生を送っていた。そんな中ボクサーチャンピオンであるアポロクリードに対戦を申し込まれる。この戦いははっきり言って見せしめで、ボコボコにされることは十二分に分かっていることであるが、ロッキーはその戦いを受け入れ、トレーニングに励む。という話。
なぜロッキーがクリードと戦うか、それは、自分の人生において自信がゴロツキでないと証明するためである。もちろん戦いで勝てるとは思っていない。しかし、リングで耐え続けることは出来るかもしれない。最後のゴングがなった時にリングで立っていることが出来たら、自分の中でそれが勝利であり、人生を生きる資格となる。
この映画はボクシング映画であるが、人生についての映画である。人間は人生において多く、戦いを強いられる場面に出くわすが、その中での戦い方を教えてくれる。勝たなくてもいいんだと。戦い続け、倒れないことことが、その戦いでの勝利であると。
最後、ボクシングの勝敗では負けたが、戦い続けることが出来たロッキーはエイドリアンとの愛を確認する。最悪の人生にいたロッキーのリザレクションを描いた、ということになる。
誰の境遇にも当てはめることが出来る戦いを描いた、紛うことなき傑作である。
名古屋では「えーどりゃー」
【居酒屋雑談①】
「エードリアン」の話で盛り上がったあと、やおらクイズです
⇒ところでさぁ、映画「卒業」でダスティン・ホフマンが教会のガラスを叩きながら叫ぶよね、あれ何だったっけ?
一同「エードリアーン!」
「エードリアーンだよな?」「えっ、そうだっけ何か違うような・・」
「エードリアーン!」(爆)
【居酒屋雑談②】
テレビの街頭ロケでやってました。
通行人に限界まで腕立て伏せをやってもらって「もう駄目です、ウググ~」の瞬間にラジカセでロッキーのテーマ♪
腕立て、復活するんですよ。
スゲー!
懐かしいですね
高校生の時、友だちと映画館で観ました。エロくなくて格好いい男のセックスを初めて見ました。
みんな何処か遠くの街で、くじけずに頑張ってるだろうか。
このテーマ曲を知らない世代が増えたので日本は凋落したのだと思います。
断言します。
1977年
映画館
ロッキーのテーマ曲が永遠に鳴り響く。
スラム街に暮らす4回戦ボクサーが、対戦相手が怪我で試合できなくなった世界チャンピオンに指定され、15ラウンドの激闘に挑む話。
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ロッキーについては、エイドリアンとか最新作のタイトルグリードとか、生卵飲むとことか、あとテーマ曲とか、断片的な知識しかなくて見進めていくうちに自分の知識の伏線回収がされていくような感じがした。
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そして劇中何度もロッキーのテーマがいろんな曲調で流れるんだけど、ロッキーの気合いが上がるにつれ徐々にテンポアップしていくのが良い。あの音聞くといやでもなにかのスイッチ入るよな〜.
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結果は敗北なのに、ここまで勝利を掴んだようなエンディングは他にあるだろうか。これが本当のアメリカンドリームって感じだね。
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私的に、あんな風貌なのにとにかくエイドリアンが大好きでテレビの取材でエイドリアン見てる!?って言っちゃうロッキー可愛すぎた。
アメリカンドリームを体現した愛のドラマ
敗者を描いた作品
この作品をアメリカンドリームの体現と勘違いしてる人が多い。
スタローンが言いたかったのは「努力すれば報われる、成功する」そんなことではない。
大事なのは結果ではなく挑戦する事。それ自体が尊いと言っているのである。
これはオリンピックの理念に通じる。
オリンピックは参加することに意義があると言われる。
この言葉の意味も多くの人が誤解している。
勝たなくていいんだ、適当に参加してればいいんだ。
そんな意味ではない。
人生にとって大切なことは成功することではなく努力することである。
勝つことではなくよく闘ったかである。
これが勝つことではなく参加することに意義があるという言葉の本当の意味である。
スタローンはチャックウェップナーの試合を見て感動しロッキーを書き上げた。
アリに到底敵うはずがない男が懸命に闘う姿に人生の意味を見出したのである。
アメリカン・ドリーム
リビングで観る旧作名作映画から、今回は44年前に公開された本作を投稿します。
主人公のもはや薹が立った三十路のしがないボクサー:ロッキー・バルボアが映画の中で達成したように、脚本を書き主役も演じた、当時ちょうど30歳のシルベスター・スタローンが、将に本作の成功によって実現した“アメリカン・ドリーム”。
更に、個人でもチームでも、士気を鼓舞しモチベーションを高揚させる時には、今でも奏でられる「ロッキーのテーマ」。この曲を聞くと自然に気持ちが昂ぶり闘志が滾ってくるのは、本作の偉大なる成果でしょう。
誰にでも夢を叶えるチャンスが落ちている国、アメリカ。本作はアメリカ合衆国独立200年の年に制作・公開された、いわば必然的に作られたメモリアル・ムービーと云えます。
映画は、ロッキーの現在の境遇を描き出すイントロから前半では、常に夜の暗闇の中、或は今にも雨が降り出しそうな曇天の下であり、ロッキーの荒涼とした心象風景を観客に植え付けます。
人生に挫折し将来への希望も持てず、鬱屈した思いで社会の底辺で日々の生活に汲々として生きる若者が、それでも漠然と抱く夢と野望が、現実にそのチャンスが目の前に現れた時、
ロッキーの顔が、眼光が、明らかに前半の鬱々とした生活と異なり、徐々に光り輝いていき、そしてクライマックスである世界チャンピオンのタイトルマッチ戦を迎えます。
私の世代では、このシチュエーションは、どうしても「あしたのジョー」のラストにオーバーラップしてしまいます。
試合展開、そして最後の試合結果を含め、ロッキー対アポロの試合は、矢吹丈対ホセ・メンドーサ戦と錯綜します。その結末も将に相似しており、ロッキーの恋人エイドリアンは、境遇には天と地の乖離はあるものの白木葉子に擬制出来ます。本作のラストの「エイドリアン!」と絶叫する感動のシーンは、ジョーが15ラウンド闘ったグローブを葉子に捧げたことと全く同質です。
センチメントが全く異なる日本とアメリカで、ボクシングを素材にしてこれほど似通ったストーリー展開と結末になるのは、きっと最下層の若者の夢の実現ドラマが感動を喚起するのが万国に共通するゆえなのでしょう。
ただ『ロッキー』は、本作の大成功によって続編、続々編、続々々編、・・・・と延々と制作されたのは周知の通りですが、「あしたのジョー」は燃え尽きて灰になってしまいました。
男は愛する女のために闘う、愛する女のために命を懸ける。やや古典的ですが、その純粋で直向きな姿の美しさ尊さは、人を惹きつけて已みません。
ファイトシーンの説得力!
アメリカ
スタローン♪
ロングショットを見逃すな
子供の頃から何度か観ているが、その記憶の中では直線的で単純なストーリーが印象に残っていた。
久しぶりに鑑賞してみると、なかなか素晴らしい脚本と演出ではないか。当時無名だったスタローンが持ち込んだものを、映画会社が低予算でも撮らせることにしただけのことはある。
主人公ロッキーは粗野で人生に希望を持てない男として描かれる。この一人の男(ゴロツキ)が、出来レースになるはずのボクシングの試合に、本気で立ち向かうまでの変化を語っているのがこの映画である。そして、その変化について説得力が感じられるのかどうかが映画の焦点であろう。
最も象徴的な場面は、ジムのトレーナー、ミッキーがロッキーを訪れ、マネージャーを務めることを申し出るところ。
昔とった杵柄の話を一通りしゃべったミッキーに対して、ロッキーは相手のご都合主義に対して怒りを露わにする。
すごすごと部屋を出るミッキー。この観客も納得の成り行きが突如としてあらぬ方向へと向かい出すのが次のロングショットのシーンからである。
とぼとぼと歩くミッキーを追うロッキー。追いついたロッキーは何か話しかける。だが、遠景ゆえに声は聞こえてこない。観客と被写体の距離に忠実に、二人の声は観客の耳には届かない。
そして、握手をする二人。どうやら二人の間には、試合へ向けての協働関係が生まれたようである。観客は遠くから、そのことを推測することしかできない。
もちろん、この後の展開から、その推測が間違いではなかったことが誰の目にも明らかなのだが、この挑発的なロングショットこそが、この映画の肝である。
なぜロッキーの気持ちに変化が起きたのか。映画は自らの最も重要な部分からあえて観客を遠ざけている。観客それぞれの想像力を信じているからこそできる演出である。
ミッキーの過去の自慢話に苛立ち、悔しさを振り払うために本気でアポロと戦う気になったロッキーは気付いた。ミッキーが訪れたのは、自分をこういう気持ちにさせるためだったのだと。果たしてこれ以上のマネージャーがどこにいるであろうか。
そしてこれは、ミッキーにとっても夢を叶えるチャンスであり、これを逃すまいとする必死の思いにも共感したのだろう。であればこそ、エイドリアンの兄が自分をダシにして懸命に金を稼ぐことにも寛大になれるのだ。
ロッキーだけでなく、彼の周囲の人々の心にも変化が起きて、それぞれの欲しいものへ向かって強い気持ちで進んでいく。
「ロッキー4 炎の友情」の中に、「人間は変わることができる」というセリフがあるが、このことはシリーズ一作目からの大きなテーマなのだ。
有名すぎて観られていない名作
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