ロッキーのレビュー・感想・評価
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全体がとてもコンパクトにまとまっている
ロッキーのテーマ曲を聞いた事がない人はいないと思う。自分も子供の頃からテレビにてマラソンしている人をこのテーマ曲を流しながら移している場面を見たイメージがある。しかし肝心の映画は見たことがなかった。劇場公開日が1977と大分昔のものだ。自分もそうだが、一般大衆は今現在もてはやされている創作物を楽しむが、過去の作品に翻らないという傾向がある。自分は3,4年前ごろから昔の作品をちょくちょく見るようになったのだが、この作品を見終わって、その強いテーマ性に心打たれ、再度、過去の不朽の名作にあたる価値について思い知らされた。
内容は、シルヴェスター・スタローン扮する落ちこぼれボクサーのロッキーがエイドリアンとであったり大きなチャンスを与えられ大きな晴れ舞台でリングに立ち自分の思いを遂げるまでである。まずスタローンの少し可愛いさも感じるような甘いマスク、クールな声が印象的だ。またヒロインであるジュリアンの性格も印象深い。極度の恥ずかしがり屋で寡黙な女性として登場し、そのセリフ数はあまり無い。しかしこの映画上で大きな存在感を保っている。映画の最後でロッキーに呼ばれるのが彼女の名前である。
今作品の見どころは所々で登場人物が己の苦悩を爆発させ訴えぶつかりあうシーンである。それぞれが何かを抱え、囚われている。それをロッキーが突き進んでいくことで周りも巻き込まれて自分を変えていく。感情の暴発はその場面は愚かだと思うが、それをもって反省し変わっていく姿を見せられ、勇気づけられる。現実を翻ると、自分は自分の中に積もり積もったものを吐き出すことがめったになく、長年変われないことに苦悩している。それをもって、現実と創作は違うんだとは言わない。同じ人であるのだから、人は変われるということをロッキーやジュリアンが教えてくれる。
ラストシーンについて。監督であるスタローンが解説で言っているが、ラストがこの作品の最高潮にボルテージが上がった場面であるのが特徴だ。もう一つは、ロッキーが最後に選んだ選択が、ジュリアンとの愛であることだ。最後の最後、自分が試合前に言っていたラストまで立ち続けることをやり遂げた時、敵や目標は彼の視界から消え去り、ジュリアンとやり遂げた自分の幸福を分かち合いたい。それだけになったのだろう。それは彼の成長や、変化を物語っている。物語開始時はエイドリアンとの仲は何もできておらず、彼はボクシングに対してどこかテキトーで真摯に自分が勝ち上がろうとする意思も無かったのだ。
創作物の価値は人を勇気づける、元気づける、生きるヒントを与えることにあると思う。この作品は人を勇気づけた名作であった。人は変わることができる。現状は腐っているかもしれないが、愚かにも周囲と激突を重ねながらも自分が変わっていけば、自分も周囲も変わっていき、最後にはすぐ近くにある大切なものに気付かされるのだ。自分も自分のやり方で人を勇気づけたい。
ボクシング部を辞めてから観た!
これはまだ運動能力があり溢れている頃に映画館で観た。当時感じたのは、トレーニングと15R闘いぬく男のスポーツロマン。それとエイドリアンの魅力だった。この映画に感化されて、同じようなアディダ○のトレーニングウェアを購入し、生卵を飲み込んだ後に走ったという苦い経験がある。しかし、生卵は3個が限界だ。これ以上飲み込むと気持ち悪くなるだけだ。
20数年ぶりにTVで観ると、スタローンのどうしようもない声に虫唾が走ったものの、やはり感動できる!劇中にもシンデレラ・ボーイなる台詞が出てくるものの、ハングリー精神があり、貧しいダウンタウンの中での友情が美しい。また、いつもジョークを飛ばすのに、聞こえぬ振りをするタリア・シャイアのはにかみの表情。ミッキー(バージェス・メレディス)がロッキーの部屋から出て行くときにトイレから顔を覗かせる彼の表情。細かいところにいい演技があります。
なぜミッキーをマネージャーとして雇ったのかは、10代の頃には理解できませんでしたが、今観るとロッキーの心の中が痛いほど理解できました。ラストの「エイドリアン~!」だけは吹替えの方がいいかも。
スタローン登場!
期待して観たが駄目だった
昨日までの自分に打ち克つ
息子に観せる為、VOD無料配信を待ってたー。(ランボーと007は諦めてDVDレンタルしたけど音声が安定せず勝手に日本語吹き替えになっちゃうのが多いのでなるべく借りたくない)
ようやく来たので、シリーズ一気に再鑑賞予定。
なんだろう。
なんていうか「男が、男として大切に思うもの」がきっちり入っている。
ジェンダーがどうという話は抜きにして、やっぱり「男らしさ」「男に生まれたならば」みたいな、男性に象徴される魅力ってものはあると思う。
脳の構造やDNAレベルで、間違いなく「何かある」と思うんだな。
「不屈の精神」
「やるか、やらないか?の分岐点で『やる』を選択する勇気と精神力」
「女性に対しての、積極性と行動力、思いやりや気遣い」
易きに流れず、少女には悪友に流されない貞節の大切さを説き、ただのゴロツキでは終わらないことを自らに課す。
ポーリーやミッキーの言動に腹を立てる事はあっても、最後には肩を抱く優しさ。彼らが本当はロッキーの事を、ずっと大切にしてきてくれた事を、ロッキーもまたちゃんと知っているのだ。
45年経っても良いものは色褪せない事を再確認。
この歳月の間に、生卵たくさん一気飲みした野郎がどれだけいる事だろうかw
階段を駆け上がったあとに、勝利のイメトレをした愛すべきおバカさんがどれだけいるだろうか。
(おそらく女性には、ほとんどいないであろう)
「最後まで立っている事」がロッキーにとっての勝利。有言実行。
彼は「昨日までの自分」に打ち克ったのだ!
(ここでロッキーが世界チャンプに勝ってしまったりすると、一気に嘘臭くなるので判定負けは上手い処理の仕方だと思った。)
今見ると、冒頭の街路の汚さが印象深い。日本も結構ゴミだらけだったよなぁ。
ちなみに個人的に本作で1番好きなのはガッツォ。
ラフなジャケットのロッキーに対し、常にスーツとコートなところもスタイリッシュで格好良い。
もし、実は裏で卑怯な悪どい仕掛けなどしていたらどうしよう?と心配だったが、そんな事もなく純粋にロッキーを応援していてくれて良かった。嫌いにならずに済んだw
最近、若者の自己肯定感の低さがしばしば話題にのぼる。
ロッキーが底辺の暮らしをしている事は、作中、幾度も丁寧に描かれている。
男の子達には、ぜひ若いうちに一度本作を観ておいて欲しいと、、、
そう思うのだ。
エイドリアンと叫ぶシーン
ロッキーは2011年くらいに初めて見て、2021年6月に2度目の視聴をした。
この映画を見る前は、エイドリアンと叫ぶシーンや生卵を飲み干すシーンなどが有名なボクシング映画だと思っていた。
しかし、実際には冴えない人生からなんとか這い上がっていく男のストーリーで、ボクシングはその手段に過ぎないくらいだ。
あえて言えば恋愛映画とも言えるかもしれない。ロッキーは最後のシーン、試合後の判定を待っているとき、判定の結果など気にもせずエイドリアンを呼び続ける。冴えない3流ボクサーが世界チャンピオンと最終ラウンドまで戦ったぞ!と伝えるために。このシーンのためにこの映画があるようにさえ思えた。最高の映画だ。
2回目の視聴では、ロッキー以外の登場人物の苦悩や人生が見えるようになった。歳を重ねるほどに面白みが増す映画でもあると思われる。
勝敗についてつい最近まで勘違いしていた
こういう単純明快なストーリー、結構好きです。絵に描いたようなアメリカンドリームの見本みたいな映画だけど、勇気と希望を与えてくれました。チャンピオンになるんだと戦闘モードのスイッチがはいって、早朝のトレーニングを始めるあたりから試合までは圧巻でした。なぜか試合には負けてしまったのに、勝ったような感動を覚えました。試合は結果でなく、そこに行くまでの過程が大事なんですね。ちなみ、結構感動した映画だったのに、再見するまで、勝ってたと大きな勘違いをしていました。記憶って良いように変えてしまうことがあるんですね(私だけか?)。
あと、テーマ音楽が早朝トレーニングの時に使われていましたが、実によくマッチしていて雰囲気を盛り上げていました。自分も20代の頃、難局を打破するための勇気が必要な時、この曲を聴いて背中を押してもらいました。
若い時と年老いた時の感想が違う傑作。
青臭い、若い頃はスポ根と思って観てたけど
歳とると、究極のラブストーリー、一人の青年がダメ人間から真っ当な人間に成長していくヒューマンストーリーだとわかる。
試合自体のシーンはほんの僅か。しかしその分濃厚。
全てのラウンドも終わりに近づき、死闘に血だらけボロボロのロッキー、アポロの強烈なパンチに打ちのめされてボコボコでダウン→たまらず最大の味方である老トレーナーも「もう立つな、寝てろ」と叫ぶ→恋人のエイドリアンが控え室から意を決して会場に現れるとそこには這いつくばるロッキーの姿。思わず目を伏せるが、いやいけない、愛する恋人の戦う姿を目に焼き付けなければ。→15ラウンドついにリングに立ち続けたロッキー、判定は全く意に介さず、ひたすら愛するエイドリアンの名を叫び続ける→兄貴の計らいでリングに上がれたエイドリアン、ロッキーと抱擁。って・・・構成が完璧すぎ。
試合までのエイドリアンとのいきさつや、老トレーナーとの葛藤、(まだ黒人差別が残っていた70年代に)敢えて余裕で興行を仕掛ける圧倒的なパワーのチャンピオン、名士であるアポロ。伏線も十分。
何年ぶりかで見たが今は動画配信でクライマックスのシーンだけとかで観れるから便利。
不朽の名作。不動の人生映画ベストテン以内。「ジョーズ JAWS」も同様だけど、ともに劇場ではなくテレビの夜9時からの放送で繰り返し擦り付けられた。良い意味で。昔は配信もレンタルビデオもないから、テレビの影響むちゃくちゃデカかった。ビデオも完全普及ではないから、映画館と同じ、1発勝負のリアルタイム。不便だけども、それはそれで良かった。
確かにこれを観てボクサーになろうと思うよりは映画監督になりたいと思ってしまう作品
魅せるシーンの繋ぎ方や絶妙なカットのタイミングなど、
本当に1977年に公開された映画なのが疑いたくなるぐらいの完成度の高い映像技術が目立つ映画。
それなのにこの映画は人の魅せ方がとても上手い。
基本的には癖のありまくる粗暴な登場人物しか出てこないのだが、
暮らす街での彼等なりの葛藤や哀愁が終始映像内に流れ溢れていて、
同じく粗暴だが心優しいロッキーと一緒に登場人物達の声を聞いているような感覚に陥る。
そんなロッキーの転機にそれを利用しようと群がってくる人達に遂にロッキーの感情が爆発して、
秘めていたロッキーの中のくすぶっていた怒りが吐露される感情の動きの描き方が情緒的に素晴らしい。
映像があるのだからセリフなんていらないよと言っているかのような、マネージャの老人と最後にロッキーが和解するシーンはとても印象的だった。
エイドリアンの存在も秀逸で、イタリアの種馬が見初めた相手がブランドの派手なギャルではなくて、
内気で地味なペットショップ店員というのが最初は違和感があるのだが、だんだんとそれが無くなっていくのがとても心地よさを与えてくれる。
内気と無口のカップルだなんて言いながら、ベラベラと喋りまくるロッキーはおそらく本当に無口な人間なんだと思う。
そんなロッキーがエイドリアンの心を開こうと頑張る姿が微笑ましく、
そんなロッキーに恐れながらも少しずつでも近寄っていこうとするエイドリアンの2人の構図が何とも言えない情愛を感じる。
ここまで古い映画は雑な作りが目立って、ちっとも洗練されていないだろうと思い込んでいたが、
現在の映画と比較しても、映像美こそ劣るものの、カットの手法やセリフで説明する場所しない場所の選択の演出などは引けを取らないどころか、優れているとさえ感じれる作品だった。
勇気をもらえる胸熱映画
人生についての映画
これは単なるスポコン映画ではなく、どれだけ人生のどん底に陥っても戦おうと思わせてくれる、人生についての映画。
ロッキーは借金取りか何かをしながら生活し、エイドリアンには振り向いて貰えず、3流ボクサーと言われ続けるなど、最悪の人生を送っていた。そんな中ボクサーチャンピオンであるアポロクリードに対戦を申し込まれる。この戦いははっきり言って見せしめで、ボコボコにされることは十二分に分かっていることであるが、ロッキーはその戦いを受け入れ、トレーニングに励む。という話。
なぜロッキーがクリードと戦うか、それは、自分の人生において自信がゴロツキでないと証明するためである。もちろん戦いで勝てるとは思っていない。しかし、リングで耐え続けることは出来るかもしれない。最後のゴングがなった時にリングで立っていることが出来たら、自分の中でそれが勝利であり、人生を生きる資格となる。
この映画はボクシング映画であるが、人生についての映画である。人間は人生において多く、戦いを強いられる場面に出くわすが、その中での戦い方を教えてくれる。勝たなくてもいいんだと。戦い続け、倒れないことことが、その戦いでの勝利であると。
最後、ボクシングの勝敗では負けたが、戦い続けることが出来たロッキーはエイドリアンとの愛を確認する。最悪の人生にいたロッキーのリザレクションを描いた、ということになる。
誰の境遇にも当てはめることが出来る戦いを描いた、紛うことなき傑作である。
最高
30歳過ぎたゴロツキ、喧嘩屋、ボクサー崩れ。半分諦めていた人生。そこえ突然降ってきたビックすぎるチャンス。正直まな板の上の鯉。皆そう思ってる。テキトーやってファイトマネーもらえればいいじゃないか。でも本当にそれでいいのか?守りたいものもできた。試合目前、決意を新たに生卵を飲みほす。「負けてもいい。最後までリングに立っていたら、自分がゴロツキではないことを証明できる」人生の再起をかけ奮い立つ漢の物語。
名古屋では「えーどりゃー」
【居酒屋雑談①】
「エードリアン」の話で盛り上がったあと、やおらクイズです
⇒ところでさぁ、映画「卒業」でダスティン・ホフマンが教会のガラスを叩きながら叫ぶよね、あれ何だったっけ?
一同「エードリアーン!」
「エードリアーンだよな?」「えっ、そうだっけ何か違うような・・」
「エードリアーン!」(爆)
【居酒屋雑談②】
テレビの街頭ロケでやってました。
通行人に限界まで腕立て伏せをやってもらって「もう駄目です、ウググ~」の瞬間にラジカセでロッキーのテーマ♪
腕立て、復活するんですよ。
スゲー!
懐かしいですね
高校生の時、友だちと映画館で観ました。エロくなくて格好いい男のセックスを初めて見ました。
みんな何処か遠くの街で、くじけずに頑張ってるだろうか。
このテーマ曲を知らない世代が増えたので日本は凋落したのだと思います。
断言します。
1977年
映画館
ロッキーのテーマ曲が永遠に鳴り響く。
スラム街に暮らす4回戦ボクサーが、対戦相手が怪我で試合できなくなった世界チャンピオンに指定され、15ラウンドの激闘に挑む話。
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ロッキーについては、エイドリアンとか最新作のタイトルグリードとか、生卵飲むとことか、あとテーマ曲とか、断片的な知識しかなくて見進めていくうちに自分の知識の伏線回収がされていくような感じがした。
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そして劇中何度もロッキーのテーマがいろんな曲調で流れるんだけど、ロッキーの気合いが上がるにつれ徐々にテンポアップしていくのが良い。あの音聞くといやでもなにかのスイッチ入るよな〜.
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結果は敗北なのに、ここまで勝利を掴んだようなエンディングは他にあるだろうか。これが本当のアメリカンドリームって感じだね。
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私的に、あんな風貌なのにとにかくエイドリアンが大好きでテレビの取材でエイドリアン見てる!?って言っちゃうロッキー可愛すぎた。
アメリカンドリームを体現した愛のドラマ
敗者を描いた作品
この作品をアメリカンドリームの体現と勘違いしてる人が多い。
スタローンが言いたかったのは「努力すれば報われる、成功する」そんなことではない。
大事なのは結果ではなく挑戦する事。それ自体が尊いと言っているのである。
これはオリンピックの理念に通じる。
オリンピックは参加することに意義があると言われる。
この言葉の意味も多くの人が誤解している。
勝たなくていいんだ、適当に参加してればいいんだ。
そんな意味ではない。
人生にとって大切なことは成功することではなく努力することである。
勝つことではなくよく闘ったかである。
これが勝つことではなく参加することに意義があるという言葉の本当の意味である。
スタローンはチャックウェップナーの試合を見て感動しロッキーを書き上げた。
アリに到底敵うはずがない男が懸命に闘う姿に人生の意味を見出したのである。
アメリカン・ドリーム
リビングで観る旧作名作映画から、今回は44年前に公開された本作を投稿します。
主人公のもはや薹が立った三十路のしがないボクサー:ロッキー・バルボアが映画の中で達成したように、脚本を書き主役も演じた、当時ちょうど30歳のシルベスター・スタローンが、将に本作の成功によって実現した“アメリカン・ドリーム”。
更に、個人でもチームでも、士気を鼓舞しモチベーションを高揚させる時には、今でも奏でられる「ロッキーのテーマ」。この曲を聞くと自然に気持ちが昂ぶり闘志が滾ってくるのは、本作の偉大なる成果でしょう。
誰にでも夢を叶えるチャンスが落ちている国、アメリカ。本作はアメリカ合衆国独立200年の年に制作・公開された、いわば必然的に作られたメモリアル・ムービーと云えます。
映画は、ロッキーの現在の境遇を描き出すイントロから前半では、常に夜の暗闇の中、或は今にも雨が降り出しそうな曇天の下であり、ロッキーの荒涼とした心象風景を観客に植え付けます。
人生に挫折し将来への希望も持てず、鬱屈した思いで社会の底辺で日々の生活に汲々として生きる若者が、それでも漠然と抱く夢と野望が、現実にそのチャンスが目の前に現れた時、
ロッキーの顔が、眼光が、明らかに前半の鬱々とした生活と異なり、徐々に光り輝いていき、そしてクライマックスである世界チャンピオンのタイトルマッチ戦を迎えます。
私の世代では、このシチュエーションは、どうしても「あしたのジョー」のラストにオーバーラップしてしまいます。
試合展開、そして最後の試合結果を含め、ロッキー対アポロの試合は、矢吹丈対ホセ・メンドーサ戦と錯綜します。その結末も将に相似しており、ロッキーの恋人エイドリアンは、境遇には天と地の乖離はあるものの白木葉子に擬制出来ます。本作のラストの「エイドリアン!」と絶叫する感動のシーンは、ジョーが15ラウンド闘ったグローブを葉子に捧げたことと全く同質です。
センチメントが全く異なる日本とアメリカで、ボクシングを素材にしてこれほど似通ったストーリー展開と結末になるのは、きっと最下層の若者の夢の実現ドラマが感動を喚起するのが万国に共通するゆえなのでしょう。
ただ『ロッキー』は、本作の大成功によって続編、続々編、続々々編、・・・・と延々と制作されたのは周知の通りですが、「あしたのジョー」は燃え尽きて灰になってしまいました。
男は愛する女のために闘う、愛する女のために命を懸ける。やや古典的ですが、その純粋で直向きな姿の美しさ尊さは、人を惹きつけて已みません。
ファイトシーンの説得力!
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