「くすぶっている下町のあんちゃんの解像度の高さ」ロッキー 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
くすぶっている下町のあんちゃんの解像度の高さ
どこかの時点でなんとなく寡黙なイメージが付いてしまった気がするのだが、ロッキーは不器用で口下手であっても、それなりにお喋り野郎で、結構へらず口や叩いたり、どうでもいいジョークを言ったりする。ちょっとめんどくさい下町のあんちゃんと言った風情なのがとてもよい。挙動不審なくらい内気で美人とはいえないエイドリアンというヒロイン像も、アメリカンニューシネマ的な定石破りで、それを当時の王道エンタメに組み入れた功績も大きかったのではないか。
この下町でくすぶっている人間たちに対する解像度の高さが、スタローンの脚本家としての才能であり、演者としてもみごとだった部分なのだと思う。
そしてロッキーは次第にアメリカン・ヒーローと化していくわけだが、ほぼ「1」の続編として作られたとしか思えない『ロッキー・ザ・ファイナル』で、引退したロッキーを昔の栄光の思い出話ばかりしているレストランオーナーにしたスタローンは、マジでロッキーっていうキャラクターを誰よりもわかっているなと。そこはライアン・クーグラーが『クリード』で出せなかった部分でもあり、餅は餅屋、ロッキーはスタローンだと一作目に立ち返ることで改めて思い知らされる。
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