劇場公開日 1977年4月16日

「アメリカン・ドリーム」ロッキー keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0アメリカン・ドリーム

2020年7月3日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

リビングで観る旧作名作映画から、今回は44年前に公開された本作を投稿します。

主人公のもはや薹が立った三十路のしがないボクサー:ロッキー・バルボアが映画の中で達成したように、脚本を書き主役も演じた、当時ちょうど30歳のシルベスター・スタローンが、将に本作の成功によって実現した“アメリカン・ドリーム”。
更に、個人でもチームでも、士気を鼓舞しモチベーションを高揚させる時には、今でも奏でられる「ロッキーのテーマ」。この曲を聞くと自然に気持ちが昂ぶり闘志が滾ってくるのは、本作の偉大なる成果でしょう。
誰にでも夢を叶えるチャンスが落ちている国、アメリカ。本作はアメリカ合衆国独立200年の年に制作・公開された、いわば必然的に作られたメモリアル・ムービーと云えます。

映画は、ロッキーの現在の境遇を描き出すイントロから前半では、常に夜の暗闇の中、或は今にも雨が降り出しそうな曇天の下であり、ロッキーの荒涼とした心象風景を観客に植え付けます。
人生に挫折し将来への希望も持てず、鬱屈した思いで社会の底辺で日々の生活に汲々として生きる若者が、それでも漠然と抱く夢と野望が、現実にそのチャンスが目の前に現れた時、
ロッキーの顔が、眼光が、明らかに前半の鬱々とした生活と異なり、徐々に光り輝いていき、そしてクライマックスである世界チャンピオンのタイトルマッチ戦を迎えます。
私の世代では、このシチュエーションは、どうしても「あしたのジョー」のラストにオーバーラップしてしまいます。
試合展開、そして最後の試合結果を含め、ロッキー対アポロの試合は、矢吹丈対ホセ・メンドーサ戦と錯綜します。その結末も将に相似しており、ロッキーの恋人エイドリアンは、境遇には天と地の乖離はあるものの白木葉子に擬制出来ます。本作のラストの「エイドリアン!」と絶叫する感動のシーンは、ジョーが15ラウンド闘ったグローブを葉子に捧げたことと全く同質です。
センチメントが全く異なる日本とアメリカで、ボクシングを素材にしてこれほど似通ったストーリー展開と結末になるのは、きっと最下層の若者の夢の実現ドラマが感動を喚起するのが万国に共通するゆえなのでしょう。
ただ『ロッキー』は、本作の大成功によって続編、続々編、続々々編、・・・・と延々と制作されたのは周知の通りですが、「あしたのジョー」は燃え尽きて灰になってしまいました。

男は愛する女のために闘う、愛する女のために命を懸ける。やや古典的ですが、その純粋で直向きな姿の美しさ尊さは、人を惹きつけて已みません。

keithKH