リバー・ランズ・スルー・イットのレビュー・感想・評価
全79件中、1~20件目を表示
川のうねりに時を映す作品。
⚪︎作品全体
川を時間の流れや人の一生に例えることはよくある。本作も、大きく言えばその一つだ。生きている中で直面する出来事や変化…そうしたものが流れていく様子を、静かに見守るような物語である。
川の流れを見続けることを退屈に感じる人には、きっとつまらないだろう。だが、私は川の流れを眺めるのが好きだ。その時々の水のうねりや音。それに気づいて心を揺らすことが好きだ。本作には、そうした小さな変化と、「流れ続ける」ことの美しさが描かれていた。
「水のうねり」にあたるのは、主人公・ノーマンを中心とした人間関係の移り変わりだ。歳を重ねるにつれて、人との関係は少しずつ形を変える。ある日を境に劇的に変わるのではなく、時間とともに変わっていくようなリアリティがある。その描写はとても丁寧だった。
特に弟・ポールとの関係は説得力がある。幼い頃はただ後ろをついてくる存在だった弟が、やがて個性を見せ始め、単なる「後ろにいる弟」ではなくなっていく。川下りや新聞社で働く姿を通じ、ノーマンは弟の優れた部分に気づく。そこに嫉妬もあっただろうが、対立ではなく、驚きと理解によって二人の関係は更新されていく。その変化には、兄弟として積み重ねてきた時間と、相手を受け止める愛が感じられた。
「流れ続けること」は、すなわち時間の経過である。誰もが「あの時に帰りたい」と思うが、それは叶わない。けれど、その時に見た景色を鮮やかに、あるいはセピア色の寂しさとともに思い出させてくれるのは、流れ続けた時間があったからだ。ここで描かれる時間は、ただの喪失ではなく、目の前を絶え間なく進む抗えないものとして、厳しくもかけがえのない情景となっている。
変化の物語でありながら、不変だった人物もいる。ポールだ。ノーマンは彼を「美術品のようだ」と評し、父は「美しかった」と語る。それは何ものにも削られずに存在し続けた証だ。ポールは殺されてしまうが、不変であったがゆえに川の流れのような変化を持たなかったことが、その結末に繋がったとも言える。
また、ポールはしばしばノーマンを釣りに誘う。この作品における釣りもまた、不変の象徴だ。ポールが地元に留まる理由であり、幼い頃のように兄や父と共に竿を垂れる時間は、変わらない景色として残る。物語の展開を一度堰き止めるようなモチーフだが、兄弟にとっても親子にとっても共通言語であり、その再確認の瞬間は彼らにとって大切な時間だ。そして、釣りの場面で見せる三人の笑顔が、その時間の「かけがえのなさ」を強く伝えてくる。
この作品が普遍的でありながら心に刺さるのは、美しい風景を映しているからだけではない。
物語全体に流れる時間の経過と、その緩急。そして釣りという「堰」が、多彩なうねりを生み、太陽に乱反射するからだ。
その景色は、とても素晴らしかった。
⚪︎カメラワークとか
・凝ったカメラワークはなかったけれど、兄弟が顔を見合わせる時の「わかった表情」の切り取り方が好きだった。二人しかわからない無言の笑顔。そこに二人の絆が見て取れるような切り取り方だ。
⚪︎その他
・ノーマンの恋人・ジェシーが日焼けした兄を見て一方的にノーマンを罵る場面。見てるときは腹立つシーンだったし、そのあとノーマンが恋に落ちる理由も理解不能だったんだけど、ラストにノーマンのモノローグで「人は理屈を離れ、心から愛することができる」という言葉で納得した。理屈ならノーマンの言葉に耳を傾けないジェシーを見損なうところだけど、それでも一緒にいたいというのが愛なんだ、みたいな。
・賭け事に溺れるポールに対し両親はなぜ注意しないんだろうと思ったけれど、幼少期の麦を残したエピソードが伏線になっているのか。ポールが確固たる意思を持っていて、ポールの考え方を(たとえ歪んでいても)変えることはできないと知っていた、というような。頭の片隅にはその確固たる意志という美しさをそのままにしておきたかった、というような感情もあったのかもしれない。
タイトルなし(ネタバレ)
映画のテンポや河の映像、禁酒時代のバーの感じなどが良かった。
アメリカの手紙、詩、説教のリテラシーや、田舎暮らしの経験がないので、乗り切れなかったのかもしれない。
相手を尊重して、嘘を指摘しなかったり、明らかに間違っているのに自分が愛する人の側に立ったりすることは間違っていると思う反面、誰かがその人を支持しなきゃ孤立してしまうから家族がそれをやらないとダメだとも思った。
人は無条件で人を愛することができるけど、その人のためになる行動は本当に難しいと思った。
ポールを1人の男として尊重してロロに残したサイモンの気持ちもわかるけど、ぶん殴って連れて帰るのが愛だと思った
「“Splendor in the Grass” 追悼ロバート・レッドフォード②」
10月1日から10月9日、Bunkamuraル・シネマ渋谷でロバート・レッドフォード追悼上映 in 4K。
“Thank You, Robert Redford. Tribute Screening of The Way We Were and A River Runs Through It in 4K”
不世出の映画人レッドフォードに敬意を表し、長いフィルモグラフィーの中でも不動の人気を誇る、主演作『追憶 4Kリマスター版』と監督作『リバー・ランズ・スルー・イット 4Kリマスター版』を上映。
追悼上映企画のビジュアルの美しさから、企画担当のスタッフの想いが伝わってきました。(映画.com9月26日付ニュースに画像あり)
9月16日のレッドフォードの訃報を知って、映画を思い出しながらレビューアップしたのが偶然この2作だったので、うれしい追悼上映でした。
『追憶』公開時のレッドフォードは38歳、『リバー・ランズ・スルー・イット』公開時のブラット・ピットは30歳。
撮影時にはまだ20代だったブラピが、「レッドフォードの再来」と話題になったことを思い出しました。
モンタナの大自然、ブラックフット川のフライ・フィッシング、自由奔放な次男ポール(ブラット・ピット)の笑顔。
真面目な長男ノーマン(クレイグ・シェイファー)が父親(トム・スケリット)の書斎から聴こえてきた詩を共に口ずさむ、ワーズワースの「草原の輝き(Splendor in the Grass)」のように、全てが光り輝きそして戻らない、美しい映画でした。
『普通の人々』のフレンチトースト、『リバー・ランズ・スルー・イット』のオートミール、『クイズ・ショウ』のチョコレートケーキ。
レッドフォードの監督作で不思議と記憶に残っているのは、食卓の父親と息子の会話でした。
レッドフォード監督の優しい眼差しから、家族の日常への愛情が伝わってきました。
ラストシーンでは、幼い頃から映画の撮影現場に連れて行ってくれた父と、映画を観る楽しさを教えてくれた母に、感謝したくなりました。
(忙しくて映画館に行かれず、1人でAmazon Prime Videoで映画を観て楽しんでいる、ダンナ様にも少しだけ…)
✎____________
映画館で鑑賞
BS・地上波・配信で鑑賞
10月4日映画館で4Kリマスター追悼上映鑑賞
9月17日★★★★★評価
10月4日レビュー投稿
神様からの賜物、ブラッド・ピット
ロバート・レッドフォードの映画は監督作品も出演作品も多分見たことがなかったが、美しい人、良きアメリカを体現している人というイメージをなんとなく持っていた。
この映画を見ることができてよかった。川と土と木々と森に恵まれたモンタナの自然の美しい映像は自分まで清められるようだった。色んな文化をヨーロッパから持ち寄って移民によって作り上げられた町と家族のお話。筋も知らず初めて見る映画だったので、次はどうなるのかいちいち予想をたてながら見ていった。ことごとく予想は外れた。
老境に入ったノーマンが語る子ども時代からの話は、厳しくも愛情溢れる家族愛と仲の良い弟ポールとの兄弟愛に満ちていた。その中心に常にあるのはフライ・フィッシング。メトロノームのリズムから学習する難しそうな川での釣りだ。幼い二人は父親から教わり、いつの間にか弟のポール(ブラピ)が釣りの天性を表す。川の中に立ち水面に反射される光を浴びるポールは天からの賜物みたいに美しかった。
二人の息子が大人になってから、父親は何気なく、ポール(ブラピ)は「姓(Maclean)を大文字にしたようだ」と言うシーンがある。MacLeanにしたのかMcLeanにしたのかよくわからないけれど、出自がスコットランドであることを意識してのことなんだろう。誰の出自にも敬意を表すことは、ポールのガールフレンドが先住民であることにも繋がっているように思う。美しい自然、釣りを愛するポールにとってその自然をそのままの形で大事にしてきた先住民への尊敬と感謝の気持ちがある。この映画は1992年公開なので、先住民問題はまだ意識化されていなかったろう。映画でも「インディアン」と言っていた。レッドフォード監督が意識していたかどうかはわからないけれど。
この映画が撮影された頃、ブラピは27~28歳だったろう。その前年公開の「テルマとルイーズ」でもキラキラ輝いていたピット。30歳までの人間の顔は天から与えられた子ども顔(何かで読んだ気がする)というのは本当だと思った。俳優ブラピはそれから思考し、天任せにしないで自分で大人の顔にしていったんだ(と、勝手に思う)。ポール=ブラピに備わっているユーモア、誠実、勇気、優しさが私は大好きだ。
子ども時代のノーマンを、まだ10歳に満たないジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じていて本当にかわいくて上手かった!
少しセンチメンタルというかノスタルジーが前面に出ていた映画ではあったけれど、性格がよくて憎めない、光り輝くブラピを見て幸福感に包まれた。
タイトルなし(ネタバレ)
正にロストジェネレーションの時代で、ボクサー、ネイティブアメリカン、フィッシング、ギャンブル、喧嘩。
アーネスト・ヘミングウェイのニック・アダムス物語を心に描いた。
僕はアーネスト・ヘミングウェイは短編の作家だと思っている。それで、この映画も「Big Two-Hearted River」が原作だと思っていた。しかし、ある司書さんに
「原作者は他にいるよ」と言われてもう一度見てみた。なるほど。
だから、はっきり言うが、ヘミングウェイの短編を大いにリスペクトしているって。
それにカインとアベルの話をいい意味で盛っている。
ちなみに、我が亡父はこの映画を見て「こんな映画作るからへら鮒がいなくなるんだ」って怒っていた。我が亡父は自分で釣りの仕掛けを作るくらいへら鮒釣りには凝っていた。
「釣りは短気な者がやるもんだ」と言っていた。僕は短気だが釣りはやった事が無い。
ご冥福をお祈りします。
圧倒的映像美で兄弟愛を描く
ストーリー的には日本にもあるような家族の原風景や子の成長を描いた作品の域は出ず、正直退屈である。
が、田舎の日常の背景だからこそ風景の映像美が生きてくる。映像美は田舎の景色とブラピの美の2本柱だ。
危なっかしいブラピが危険な目に遭いそうなシーンがちょいちょいあり、そのたびに観客は心配になるが、いつも事なきを得る。それを繰り返すことがラストへの伏線であり物語の効果である。
映像美や効果技術へのこだわりを感じるが、カットの繋ぎはシーンが飛び過ぎかなと思うところもあるし、各人の人間性を掘り下げておらず、ぶつ切りな印象が残る。
先住民や主人公の彼女の兄などのエピソードに時間を割くわりには出てきては去ったきりおしまいになる。結局それらを通して、主人公家族の兄弟愛ただ一点しか描こうとしていないからだ。そしてそれも浅い。
物語はオールドノーマンの記憶であり、弟の死をも叙情詩的に描き、まさに家族の出来事がランズスルーイットして流れていく。だからひとつひとつの描きが浅いのかも知れない。
主人公ノーマン役は兄のクレイグ・シェイファーなのだが、ノーマンとしてのナレーションは別俳優で、オールドノーマンもまた別俳優というのが謎。あまり気にせずシェイファーにナレーションをさせなかったとしたらずいぶん雑だと思う。
追悼レッドフォード、
そう、私たちは川のほとりにいる。
若い時から観ているが、
もう還暦になっても軽々しく思えないレッドフォードの
真面目さがわかる作品。
(真面目・地味で70年代に時計が止まった感覚、なのかもしれない。
サンダンス映画祭開催で多くの斬新な映画を受け入れても
レッドフォード作品の創作の刺激にはならなかったようだ。
でも、それがレッドフォードのオリジナリティである。
エンタメにしないけど、
詩的であり文学的であり、宗教を説きながら、縛らない。
レッドフォードらしい作品である。)
いまだに、
ブラピ超カッコいい〜!
だけでは終われない。
勿論、どのシーンもブラピはカッコいいし可愛いし、輝きまくっている。
(外見だけではない、魂の輝き。
繋ぎ止めてはおけない、するりと抜ける輝く煌めきのような魂。)
そんな主人公だから、だ。
亡くなった弟を『釣りの名人だった』という兄に、
父が『あの子は美しかった』と。
そのシーンを観るたび、僕は腹の底が何かに絞られるように涙が出る。
レッドフォードはあの美しかった時代のアメリカ、
美しかった家族愛、
人に乱されても生き続ける自然の豊かさを
描きたかったのだろう。
神が創った神の恵みを。
もうすぐ、
きっと僕も、この映画のラストシーンのように、
人生の流れのさまざまな思い出のなか、身を静かに置くだろう。
おぼつかなくなった指先で、神の恵みを探すだろう。
ブラピ様
川は静かに、そして今も確実に流れ…。
もう初公開から30年以上の歳月が経つんですねぇ……。
この映画で、大自然の美しさ、大恐慌時代のつましい生き方、ピッチピチで、まるで川から跳ね上がる若鮎の様に若くて美しいブラッド・ピットを映画館で観た時に「この人は絶対にスターに成る」と確信しました。
物語は田舎で厳格につましく暮らす牧師の一家の物語ですが、思わずうっとりとしてしまう大自然の美しさと、ブラピ扮する「ちょっと破天荒なんだけど、憎めない可愛らしさを持つ弟」がスクリーン一杯に躍動し、そして切ない別れを迎える、良い意味で〈教会のお説教のような映画〉ですが、観終わった後、心が洗われた様な気持ちで映画館を後にした記憶は、30年以上経った今でも忘れられません。
家では、BDで楽しんでいます。
父親役の俳優さんが「トップガン」の鬼教官、ヴァイパー役の方で驚いた記憶も懐かしい…。
振る舞いの指標に
舞台はモンタナ
ブラピの美しさが際立っている
午前10時の映画祭で。大好きな映画。
4Kレストア版。92年制作で、私は、レーザーディスクもDVDも持っていたけど、スクリーンでは初めて。
とても豊饒な時間を過ごした。ブラピの美しさ。もう際立っている。
ブラピが、出始めの頃(「テルマ&ルイーズ」の一年前)で、作品そのものが、当時の美しいブラピに捧げたような映画。そしてフライ・フィッシングの美しさを讃えたような映画。
ロバート・レッドフォードの揺るぎない演出。美しい撮影(アカデミー撮影賞)。
編集もよかったので、何か賞を取ったかと思ったけど取っていなかった。
主役は、兄だけど、本当の主役は弟(ブラピ)という、凝っている脚本だった。
あと音楽も良かった(こちらはノミネートのみ)。
父役のトム・スケリット(「マッシュ」、「エイリアン」、「トップガン」)がなんともいい。
兄役のクレイグ・シェイファーという役者でよかったけど、その後あまり見ていない。
it が指すものは?
約30年ぶりかな?観たのは
アカデミー特集で再視聴
輝く笑顔と曲線を描く釣り糸しか記憶になかった映画だが
ブラピの顔に驚いた
こんなにイケメンだったんだ
こんなに美しかったんだと
今も格好いいのだけれど
若いって凄いなぁ
モンタナの雄大な自然と川のせせらぎ
そして、流れる曲とが融合して
ただのフライフィッシングが神々しく見えた
日本ではあまり聞かない釣り方が斬新で面白い
あんな広い川は日本にはないからね
映画のあちこちで、詩が溢れ出す
時には心地よく
時にはキザでこそばゆい
ラストでの父親(牧師)の説教は
愛することの意味を考えさせられる詩だ
そして聞きながら涙が頬をつたう
さすがロバート・レッドフォードだ
監督としての力を発揮した作品だと思う
タイトルの it は何を指すのだろう
愛 自然 記憶 神
時 人生 運命
どれも正解に思えるし
全てを渾然一体にしたものにも思える
違った考えをする人もいるだろうし
何も指してはいないのかも
それに思いを馳せるのは、観た人にだけ与えられる特権なのかも知れない
ただノーマンの恋人:ジェシーの兄貴だけは要らないし
素敵な映画の思い出に汚点を残す存在だと思う
対照的な存在を示すためのものだとしてもね
細いテグス。太いテグス。 渓流の両岸で互いを想う、ノーマンとポールの物語。
釣りは、もう何十年もやっていない。
けれど、
生まれて初めて自分の仕掛けに魚がかかった瞬間 (!)の、あの特別の興奮と驚きは、まるで昨日の事のように、この手が覚えている。
あれは小学校の裏の大きな池だった。
校門の前の小さな釣具店で、糸と,針と,浮きと,コメ粒のような鉛の重りを買って、見様見真似で 拾った棒っきれに結わえ付けた。
餌には庭で掘ったミミズを使った。
「 !!! 」
あの指先に伝わった突然の振動。
まさかの生き物の振動。
釣れるとは、これっぽっちも思っていなかったものだから慌てる。
僕は、全世界を征服したかのような驚きと、勝利の達成感で、池のほとりで上気して立ち上がってしまった。
釣りとは、
つまりこういう事なのだ。
陸上で肺で呼吸をしている我々人間と、
水中でエラ呼吸をする魚との、
この別々の裏側の世界に生きる者同士が、細いテグスで水面を挟んで、上と下でお互いの気持ちを読み合う勝負。
いつ切れるとも分からない、あちらにいる相手とこちら側の自分で、
繋がっている「命の糸」を引き合う行為なのだ。
兄さんのノーマンと弟のポール。
モンタナの美しい自然の中で、兄と弟が糸を垂れる。フライを投げる。
時に言葉を交わし、またお互いに黙り、風に吹かれ、瀬音を受けて、二人の間の間合いを感じながら。
彼らもまた、兄と弟として、慮り、反目し、
こうして見えないザイルを引き合っているのだ。
物理的にも、心情的にも、僕たちは相容れずに誰かと離れて暮らしている。そして
生者の国と死者の世界にわかたれている場合もある。
渓流の水辺に立つ男たちの、この「人生の縮図」をスクリーンに見ながら、僕も、父や弟たち、そしてうちの息子たちのことを思い浮かべていた。
一緒に生きることは出来ない人と魚のことわり。
あちら側への思い入れ。
細い糸の先に、水鏡を通して、
離れて生きる彼らのことを、
彼岸に渡った彼らのことを、
じっと想わされた作品だ。
どうだろう、
僕にとっては「初めて魚が釣れたあの日」よりも、僕ら小さい兄弟を連れてダム湖へ行き、何にも釣れずに帰ってきた父との一日のことが、
今となっては何よりの楽しい思い出。
もしかしたら僕の人生で、一番の思い出だったかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・
レッドフォードが、グレイグ・シェイファーとブラッド・ピットをキャスティングした。
目の表情だけで演じられる繊細な俳優たちだ。
詩と光の奇跡がある。
流れてゆく人の命と、川への思慕が絶品である。
傷付きやすく、控えめで小心な兄。そして
奔放にして自由。時に兄の心を掻き乱す弟。
僕たちが「兄」であり「弟」であるならは、彼らの様子にはそれがよく分かるだろう。彼らの心の内と表情が、地味だけれど堅実で、
「家族のアルバム」のように楽しめる、レッドフォードならではの、いい映画だった。
「草原の輝き」=ウィリアム・ワーズワースの詩を、「つまらない男」と呼ばれて失意の中にある長男ノーマンと父親が、戸口で共に吟ずる場面はとても心に迫るものがあったが、
僕は、あそこでDVDを、一度途中で止めてしまった。
“なにか良くないこと”が起こるのではないかと、僕は胸騒ぎを抑えられなかったのだ。
モンタナ州。
スペイン語で「山の国」。
カナダに接する全米4位の巨大な土地。平原。そして高地。ロッキー山脈。
自動車のナンバープレートには「Big Sky」との愛称が。
アカデミー撮影賞受賞。
・・・・・・・・・・・・・
[メモ]
うちの子たちとは
近所の釣り堀に行ったっけね。
カツオ漁船よろしく、3人が入れ喰いで上げ続けるもんだから、針をはずす担当の僕は、大笑いの大忙しだった。
30分で30尾。大漁のニジマスだった。
覚えてるかな?
覚えてるよね。
切ない
モンタナの大自然の中でフライフィシングをする兄弟。その素晴らしく綺麗な映像は感動的だ。ただ、中盤から弟がギャンブルにのめり込んでいるということがわかってくると、結末はハッピーエンドではないのだろうと想像してしまう。
心配していた通り、弟は最悪の結末を迎えてしまう。あまりにも突然で、あまりにも切なすぎる最後で、後味はあまりよくない。弟がなぜギャンブルにのめりこみ、なぜ殺されたのか、また、なぜ兄や父は彼を救うことができなかったのかよくわからないので、やや消化不良気味であった。
映像美は良い
モンタナの大自然が美しい
美しい
投稿し忘れていた、、
ずっと気になっていて、やっと見れた映画
なんか美しかった、、
こういう感じの映画好き。
見てから書くまでに期間が空いてしまったから薄い感想になってしまったが普通にいい映画だった。
車で線路を逆走してるところ、久しぶりに兄弟で釣りにきたとこなどが印象が強い。
確かジョゼフゴードン目当てで見たが、子供で可愛かった。
自然は変わらず
全79件中、1~20件目を表示