ラストタンゴ・イン・パリのレビュー・感想・評価
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0055 ジジイに肩入れしてしまうなあ
1973年公開
マリアシュナイダーってこの1作しか見た事なく
結果的に申しますとスキャンダラスに身を
投じてしまった女優さん。
映画の内容は最後立場が逆転してフラれる中年男の
悲哀を描いているが、問題の撮影は昔はこういう事は
よくあったんでしょうね。
従妹の告白本も(立ち)読みましたが、
直線的な表現は避けているためもう一つ理解できない。
断片的な情報だと事の真相はよくわからないけど
ほーら令和の誰か、
マーロンブランドを吊るし上げろよ!
70点
面倒くさい映画
面倒くさい男と女がわけのわからない禅問答を延々と繰り返して、時々お約束のヒステリーを起こすという面倒くさい映画です。
TAR、マエストロ、スペンサー、蜘蛛女のキスみたような面倒くさいのが好きな人向けです。
オマケに場面が唐突に変化して知らない人が突然出てきて何だかまるでわからないシーンが頻出します。
ポルノ映画扱いされていましたが、あの時代にしても別に大したベッドシーンがあるわけでもないし、そこだけはこの映画の名誉のために証言しておきます。
エロスは芸術であり、ポルノは商業である。果たして?本作は・・
映画が芸術か?商業か?てのは、難しい案件だ・・。
同様に、本作が→芸術か?商業か?てのも、またこれ難しい問題だ。
50年前の作品だけど、瑞々しい・・。
『さよならミスワイコフ』や『愛のコリーダ』を思わせる(勝手に俺が思ってた)本作。
南部アメリカや?東京と違い?パリが舞台なので、何と無く成立してしまっては、いる。
『空気人形』とか『フィギアなあなた』は、この場合どの部類に入るのだろう?
話し、逸れた・・。
空き部屋を見に来たオッさんと婚約者の居る(今で言う彼氏の近くに居て欲しくない女)若い女が、ヤる。
それだけの映画・・。
ストーリー的には、支離滅裂の荒唐無稽。
でも?
何だか成立しちゃうんだよなぁ、パリだから?
Wアレン監督作品やMベルッチ出演作品が好きな俺的に・・
『それでも恋するバルセロナ』や『レイニーデイインニューヨーク』も見たくなったかなぁ・・。
↑↑↑に上げた作品は、ひょっとしたら?全て本作の影響を受けているのかも?
50年前に、いわゆる今のNTR系作品の走りを撮ってたベルトリッチ監督、恐るべし(笑)
ーーー
EべアールにSマルソー、フランス人と日本人だけが、いわゆる童顔巨乳を好きなんよなぁ・・。
レビューでも何でもない走り書きになっちゃったけど、エロス?ポルノ?
どちらなのかは?見て、各自で判断してみてくれヽ(`・ω・´)つ
公開当時は理解不能ゆえ嫌悪したが、自らの歳が進むにつれて何か分かって来たような….
女に対して尊大に振る舞い、強引かつ威圧的と言える強い態度で自らの欲望のままに従わせる中年男。
それに対して、何か謎めいた見ず知らずの粗野で強引な男に魅力を抱くようになってしまった自身にあがなう事が出来ず、堕落的な性行為を続ける関係を持ってしまう若い女。
しかし、互いが相手に対して自らが求めた勝手な幻想の中にいたに過ぎなかった、実際には“ただのくたびれた中年男”と“未熟で世間知らずだが若い女”であるに過ぎない両者の妄想が解け、互いの“本当の姿”が見えて正気に返った瞬間、求める側と求められる側のの立場は逆転する時を迎える。
本当は“何も有りはしない”中年男なのに、その不敵で尊大な態度で、自らの性的欲求だけを強引に求める姿に、自分の知らない“何か”を持ち合わせた謎めいた魅力を持った年上男性と(勝手な)錯覚を抱いた女がその幻想が解けたら、目の前に居るのが「ただの(虚勢をはった)落ちぶれ中年」に過ぎなかった事が見えてきた。
その両者の主従の立ち位置の入れ替わりの顛末から起こる悲劇。
まあ、年齢も離れていて、自分の知らない世界を知っているかのように思える未知の相手に対して、自らに都合の良い幻想を抱いてしまい、その後、また自ら失望を起こして夢から覚める。
有りそうな事です。(特に、世間知らずだったりする若い女性に??)
しかし、何れにせよ“相手あっての事”、行き違い(勘違い?)は取り返しのつかない結果を招く。
公開当時は、監督の意向により主演の二人が演技では無い本当のセックスを行う事を求められ、実際にそれに応じて映像に収められているという事でセンセーショナルを巻き起こし、各国で上映禁止や規制がかかったという問題作。(後年になって、監督が”疑似であった”と釈明するハメに。)
ブランド氏はそれが発覚した事で当時の夫人から三行半を突きつけられ、リアルに取り返しのつかない代償を払うハメになりましたとさ。
シュナイダーも後日、この時の判断を「監督に乗せられてしまった」といたく後悔したとか。
一番満足したのはこのようなトンデモ作の撮影が叶った“監督さん”でした、というのがオチでしょう。
因みに、他に「本当にしちゃってる」映画にスコセッシ監督の『明日に処刑を…』が有りますけどね。
主演のキャラダイン氏とハーシーでしちゃってるのは、映画の為というより、当時二人がそのような関係にあった事で“ノリでしちゃった”みたいな?
まったくもう、とんでも無い人たちです。
キャラダイン氏はまた“倒錯プレー”みたいのがとてもお好きだったようで、自らの最後もお一人でその行為に励んでた最中の“アクシデント”によっての昇天だったそうな…..(ある意味シアワセな方です)
なかなかおそろしい映画
結末に至ってみれば、これはおそろしい映画だと感じた。人間の心理の複雑さ、人生の本質、都会の恐ろしさ、のようなもの。
人生を他者依存で自堕落に過ごせば、それなりのラストが待っているのだよ、と嫌でもinputされてしまう。
持って生まれたルックスでなんとかやってこられても、若いうちにしか通用しない。
ごまかしてかっこいい舞台を作ってってみても、所詮は仮想空間に過ぎない。素朴な自分に立ち戻ってリアルに掴もうとしたとき、それはあっという間に掌からこぼれていく。大人でありながらそんなこともわかっていなかった未熟さ。
もともと彼には何もなかった。都会という柔軟性のある環境下、ルックスとセンスで過分にいい目を見た分、痛いしっぺ返しを喰らう。
題名が説得力を持ってくる。
絶望の中で最後の悪あがきをする男の哀れ
リバイバルでみた「波止場」や「欲望という名の電車」のマーロンブランドを名優だとずっと思っていた
この映画に出ている自体がスキャンダルそのもの
何故にこんなヨーロッパまででかせぎしなきゃならないと、公開当時思ってしまった
さすがにフランス映画、すかっと見終わるはずもなく
一筋縄ではいかない内容
妻が死んだことで、主人公のポールの生も終わってしまっている。生きる気力もないまま、たまたま出会ってしまった若い女ジャンヌと汚いアパートの一室で、現実逃避する。まだ人生経験も浅いジャンヌには、このうらぶれた中年男がミステリアスで、刺激的な男に見えてしまった。
ポールの本性は大人の男と呼ぶには程遠い、俗世にまみれた幼稚な中年に過ぎない
素性はもちろん名前すら明かさない状況が、妄想を膨らませ、想像力を刺激して当人をことのほか過大評価する。快楽だけを求めているならそれで充分だろうけれど、そんなことが長く続くわけがない。互いに仮面を着けて遊んでいるだけだから
その仮面が耐えられなくなって、男から去っていった「ナインハーフ」という映画もあった
ポールのつまらない人間性と中年男の哀れがラストに弾ける。女はいつでも現実的で、冷淡に変貌するのも知らないで…
この映画に出演したことでマリアシュナイダーの人生は変わってしまったといわれている。彼女の苦しみに同情しながらも、この映画が好きなのに変わりない
半世紀かけて時代がようやく映画に追いつく
ソドムの人老たるも若きも諸共に四方八方より来れる民みな其家を環みロトを呼て之に言けるは 今夕爾に就たる人(天使)は何処にをるや彼等を我等の所に携え出せ我等之を知らん ロト入口に出て其後の戸を閉じ彼等の所に至りて言けるは 請う兄弟よ悪しき事を為すなかれ 我に未だ男知らぬ二人の女あり請う我之を携え出ん爾等の目に善と見ゆる如く之になせよ(中略)エホバ硫黄と火をエホバの所より即ち天よりソドムとゴラムに雨しめ其邑と低地と其邑の居民および地に生るところの物を尽く滅ぼしたまへり(創世記19章)
性はこの映画が公開された時代、まだ公に触れることも論じることも、現在ほどには肯定されなかった。
日本では性的表現を行う者が刑法の猥褻図画頒布罪により多数処罰されたし、処罰されないまでも映画の世界ではあまり尊敬されたり、好意をもって迎え入れられなかった。つまり、「ポルノ」という別世界に追いやられたのである。
それは日本だけに限らない。諸外国においても、映画制作上の倫理コードは厳然として存在し、例えばヒッチコックは「サイコ」のバスルーム殺人シーンを撮影するのに、大変な労力を支払っている。その延長線上にある頃に本作は作られた。
こうした倫理規範にベルトルッチは戦いを挑み、旧約聖書のソドムとゴモラの性的悦楽を描いて見せた――それが本作のすべてである。
現代社会への風刺、ポップがどうしたとか現代人の孤独とか自殺云々とかは、ソドムとゴモラの悦楽をあれこれカモフラージュしただけの話だ。
あれから私たちはずいぶん遠くまで来た。ネットが世界を覆いつくし、共同体的なるものが空洞化し、あらゆる規範が希薄化する中、匿名性の下で単なる男と女として出会い、日常を共有することもなく性的悦楽に耽る人々が多数存在することを、今や誰でも知っている。そう、日本ばかりか世界中にソドムとゴモラが蔓延しているのだ。
本作はこのような世界を先取りし、匿名の関係が日常に侵出しようとする瞬間に、関係は破綻することまで描き切っている。今、新聞には出会い系で知り合った男女関係の縺れや、それに起因する殺人事件が、日常的に取り上げられるが、それは本作が現実化した光景だといえる。
半世紀も経って、時代がようやくこの映画に追いついたのである。マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーの素晴らしい性的悦楽シーンの数々は、ニ人の記念碑として、時代を超え永遠に生きるに違いない。
本作に対する感想は、評価者の性的倫理を反映すると思われる。しかし、本作を否定したとしても、性風俗が変革されるわけではない。監督は人間を直視し、未来を予見した。観る側も決して偽善の道徳家などにならず、映画の捉えた関係を直視すべきだろう。本作は現在を生きる私たちの性的現実なのだから。
ノーカット版も見たかったけど、もういいや
何も知らない男女がまた同じ部屋でセックスする。お互い、心に傷を持ってるようなで、それほど深刻でないような・・・ 女には婚約者もいる。映画監督だが、わけのわからない映画だ。
二人はその後も何度も部屋へ来てセックスする。家具も入れた。けど、二人はお互い名前を名乗らない。二人の会話だけ英語。一旦、経営するアパートに帰ると妻の自殺に悩むポール。そして妻ローザの不倫の相手と話を続ける・・・
婚約者が撮っていた映画がそのままベルトリッチの撮る映画を省みるなどとも言われてますが、だとしたら、あまり観たくなくなるかもしれない・・・
イタリアでの公開直後4日で猥褻なため上映中止となった映画だけど、今観ると、それほど過激なものはなかったような(TVバージョンではカットされてるのかもしれないけど)。それにハードコアではなさそうだし・・・
マーロン・ブランドの存在感
56.デジタルリマスター版。1972年初公開時に一大センセーションを巻き起こした性描写は、それ程大胆なものではない。しかし、40年以上経た今でも、斬新な構図、男女のすれ違いが生む普遍的で喜劇とも見える展開に惹きつけられる
演じる
タンゴを習いに来たアメリカ人の話だと思ったら違った。
若いカップルが「リアル」を残すためにカメラの前で演じるのが面白いと思った。まるでインスタに思い出を残すみたいに。
なんでも知ってると思ってた妻は謎の自殺を遂げ、自分の意のままだと思ってた女にはあっさり捨てられ。
すぐ怒鳴るおじさんはやっぱりやだな。うんざりした。
今となっては特段「過激」とも「猥褻」とも思わない。
マリアシュナイダーがかわいらしく、まだ若いうちにこの映画で過度に注目を浴びてしまったのはかわいそう。
中年の悲哀を描くために若い子の純粋さを利用するのってなんだかなー。
単純難解卑猥!?
M・ブランドの円熟味のある渋い演技が巧い!と思わせる。
情けない中年男だが、存在感に立ち振る舞いと"ビトー・コルレオーネ"に続いて素晴らしい。
唐突に出会い、嫌がる素振りもなく、関係が持続する心情が解らない。
女は男に対して、何かを求めていての薄情なセリフでのオチなのか?
M・ブランドも最低なオッさんだが、アノ女は上回っている!?
格調高いあの調べにのって…
ガトー・バルビエリが手がけたラストタンゴ・イン・パリの音楽が最高。何度も繰り返し流れる何パターンものアレンジメロディを楽しむことができる。
物語は退廃的、暴虐的。あの一室の空間だけが2人の世界。一歩外にでれば、女も男も正気に戻る。それゆえ、女は意図も簡単にすがってきた男を切り捨てられた。男は狭い籠の中の主でしかなかった。優位だと思っていた男の立場が逆転したのではない、最初から男は女に負けていたのだ。最後の女が吐くセリフは強烈で、女という生き物をまざまざと見せ付けられる。
Marlon Brando 恐るべしっっ!!!!
Marlon Brando が御目当て、それ以外に特に理由も無く観賞。結果として、大層 満足させて頂いた♪♪
Marlon Brando やはり恐るべし!!!!
私が まだ年端も行かぬ故、Mr.Brando は『The Godfather』や『Apocalypse Now』位しか観た事がなく(どちらも我が生涯で5本の指に入る傑作!!)、内省的で深淵なる精神の奥底を表現した名演に心酔頻り♪であったのだが、今作での Mr.Brando は実に瑞々しい演技で魅せる!!
枯れる直前とも言うべき男の哀愁、最後の灯火が何とも切なく、そして妙に溌剌と映る。
公開当時、「ただの pornography」と酷評を受けたらしいが(それで実際、主演の2人は本国 Italia で有罪判決を受けてしまったらしい)、意外と story も しっかり存在するし、scandal の影は脇に置いて、広く見直されて欲しい。
かっこいい映画
退屈な文芸作品だろうと高をくくっていたら、ストーリーは別に面白いわけじゃないのにカットがやたらとかっこよくて、ヒロインの脱ぎっぷりがすごいので特に退屈しなかった。ヒロインが嫌な性格だし、体も変なおっぱいで、全然好きじゃないんだけどとにかくエロだった。エロと人格や体型は関係ないことが痛感させられる。
若きベルドリッジはこの作品で世界をびっくりさせてやろうと野心満々で挑んだであろう、そんな気合や迫力が画面からビリビリと伝わるものがあった。
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