夢のレビュー・感想・評価
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旦那が観てみたいと言うので、一緒に鑑賞。 不思議な作品でした。昔、...
旦那が観てみたいと言うので、一緒に鑑賞。
不思議な作品でした。昔、子どもの頃に夢中になって読んだ日本の昔話を思い出しました。最初の狐の嫁入りと、桃の精の話は良かったです。杉浦日向子の百物語みたいな雰囲気です。雪女は、一歩間違えるとコントかな…
戦死した部下たちとトンネルで会う話は良かったです。耳なし芳一みたい。強いて言うなら、黒澤明の父親は元々陸軍の教官で、その後教師になっているのですが、徴兵の検査員が父親の教え子だったおかげで黒澤自身は徴兵を免れています。黒澤は戦争に行っていないのです。同年代がみんな戦死していき、黒澤としては「頼むからもう俺の夢に出て来ないでくれ!」と言いたいのが正直なところかと思います。戦争に行かなかったからこそ、今の黒澤作品があるとも言えますが。
原発の話は、当時は真っ向からこんなこと言いにくかったでしょうに、肝がすわってますね。まぁ、その原発で作った電気を使いまくって映画作品を供給してるんですけどね…
最後の水車がある村の、おじいさんの話になると段々説教臭くなってきて、作品として面白いかと言われるとよく分かりません。ただ、自分の葬式もこんな風に明るく踊りながらしてもらえたら良いなぁ〜と思いました。とても賑やかで綺麗でした。
スコセッシ演じるゴッホは、発音がすっかりアメリカ英語でしたね。…ハッ!もしやあの人、ゴッホのそっくりさんで実は人違いなんじゃ…??なんて。スコセッシはシチリア系のアメリカ育ち、ゴッホはオランダの人です。でもきっと大事なのはそこではなく、スピルバーグと一緒にこの作品を作ったということ、スコセッシが参加していて、ワーナーブラザースが供給しているということなんでしょう。
しっかり睡眠をとれてる状態で見ないと、とにかく眠いです。何度も寝落ちしそうになり、横の旦那に起こされました。ただ、退屈過ぎて寝てしまうというより、スピードがとてもゆっくりなのと、単純に画面が綺麗なので気持ち良くて寝てしまうのかもしれません。
高校生の時、授業でクラス全員で能を見に行ったのですが、みんな見事に爆睡してました。終わった後シテ(上品なお爺様でした)が解説して下さる時間があったのですが、「眠いのは決して悪いことではありません。羽衣は特に眠くなるんです。クラシック音楽も聴いてると眠くなりますでしょ?美しくて気持ち良いと人間は眠くなるものです…ホ、ホ、ホ…」と笑っておられました。(小面の下で目が笑っていたかどうかは謎です)
正直わからないなあ
黒澤明が見た夢をもとに作った映画らしい。
全8話のオムニバス形式だが、ほとんど意味がわからない。
オチもなく、ホンマに見た夢のままなんちゃうん?って感じ。
まあ最後の話だけは意味がわかって、寺尾聴が老人がら話を聞く。
世の人は便利さばかり求めるけど、そんなの必要ない、って話。
老人の戯言に過ぎないのだが、筋が通っていて共感する部分も多かった。
あの老人は俳優なのだろうか?それとも普通に話してるだけなのか?
この話は映画としてというより、ドキュメンタリー的だった。
それまでの7話との関係もイマイチわからず仕舞い。
難しい。
黒澤明監督の人生と、日本の歴史をだぶらせた映画に思えました。
この映画が公開された当初にみたときは、「よくわからない映画」でしたが、30年がたち最近観たら、ものすごく伝わってくるもののある映画でした。
基本は「人生は夢のようだった」とご自身の人生を振り返り、描いているのだと思いましたが、中でも戦争を描いた第四話は衝撃でした。黒澤明監督は、戦争体験している世代ですが、これまでその時代を描いた映画はなかったように思いますが、この短い映像から戦争の怖さがひしひしと伝わってきました。
夢中で仕事に明け暮れた時代を振り返ったかのような第五話も印象的でした。
第六話から第八話は、日本の未来を二つみせてくれた気がします。
第六話と第七話のように、原発が爆発し、放射能汚染の中で、逃げまどって死ぬのか、
第八話のように 水車のような自然エネルギーを使い、助け合って、こどもからお年寄りまで、楽しく生きるのか
それはあなたたちの前に開かれた二つの道なのだと、どちらを選ぶんですかと問いかけてくれたような気がしています。
水車のある村を教材にする。
黒澤明監督『夢』を映画レビューのクラスで使うが、私の考察をここに書いておく。教えているクラスは先生主導型のクラスでなく学習者主導型で、この「夢」を観て、学習者が選んだ討論テーマについて話し合う。ただ私個人の見解をここに書き、クラスのあと、ユニークな考えがあったらここに加える。
水車のある村“ ”: “The Village of the Water Mills” from“Dreams” というこの映画の最後の映画を使う。
仕事で映画を見る時は、かなり緊張感がいる。ただ、面白かったでは済まされなく、エンターテーメント的ではない。論理的な意見がいるので、『なぜ』は貴重なアプローチだ。
なぜ、黒澤明はこの「水車のある村』を最後に加えたのだろう。彼の意図は?自分の意見は?それに対する賛意両論もというアプローチである。
私感:
「水車のある村」は過去、現在、未来の構成で出来上がっていると思う。
一例は村を訪問して死亡した人の墓(過去)子供達が花を捧げたり、主人公(寺尾聰)がこの村を訪問している(現在)、主人公がこの村での経験を自分の生活に持ち帰る(未来)。この意味は私たちに多様な思考力や初来展望や批判的思考を与えてくれる。
例えば、過去。村で死亡した旅人を例に挙げよう。この旅人に尽力を尽くし、手厚く扱ったことが伺えよう。そして現在も花を添えているが
この意味はすでに形骸化してしまっている。なぜかというと、『死んだ親父に聞いた話だが.....その習慣が今になっても残っている.....訳も知らずに花を乗せ.....』と言って過去の習慣・伝統を訳も知らず、守っているという日本社会に対する皮肉を込めている。伝統は守るもので現状維持している社会に。この習慣の意味はなんだ?現在社会で必要なのか?それらにお構いなしの社会構造があると察する。黒澤はこれは現在、未来への危惧感をここに提示している。でも、ここでそれを持ち帰る主人公(人間)に選択肢や希望を与えている。アッパレ!
賛意両論(pros. cons)の矛盾的なアプローチだが、これは「観賞者が考えてください」というアプローチをとっていると思う。その一例は、例えば、自然との共存という『バランス』。根本的には観賞者が結論をだすことだが。水車を直している老人(笠智衆)の言葉から察すると、「人間は便利なものに弱い。便利なものほど、いいものだと.......』などなどと一見現代の人間が開発した文明の力、テクノロージーなどを否定しているかのように思える。しかし、この老人は水車という人間の技術が創造した、水力の発電を使っているのだ。また、おかしいことに、「この村の人はみんなここに住んでいるんですか」と主人公がいうが老人は「住んでいる村は別にある」と答える。住んでいる人たちは電気、灯を使って生活しているのかなと思わせる。その答えはないが、葬式の参列者は文明の利器、ブラス楽器を演奏していたりして、何か矛盾を感じる。こういう社会構造、ダブルスタンダード(二重基準)も現代に見られるから指摘しているのかもしれない。黒澤明監督は多様的に深く考えられる人なので、視聴者が一つ問題点に気づけば、あれこれと疑問が出てくるから面白い。葬式の形式や死に関する捉え方もクラスで話せる面白いテーマになると思う。
しかし、すべての討論のテーマは学習者が決めることであるが、私の見解を書き留めた。
夢が、そのまま…
黒澤明監督が、夢で見た内容を、そのままオムニバス形式に映画にした作品。
その当時、受け売りで、自分も見た夢を映画に出来るんじゃないかと、見た夢を
ノートに多く書くも、30年経っても映画になりそうな夢は見ず…
やはり、黒澤明監督の様な「神がかった才能を持つ人が見る夢」と「普通の人が
見るタダの夢」というのは、違う…
ネタバレになるので、詳しくは書けないが「富士山の麓の原発事故」と「核戦争に
よって生み出された鬼」の話が好き。
特に「核戦争の鬼」は、あの故いかりや長介さんが出演している。
巨匠・黒澤明監督の作品に、日本のお笑いのトップ・いかりや長介さんが
出ている… 凄ェ……
8編からなるオムニバス映画!巨匠が見た夢が現すのは?
衝撃以外の言葉は、出てこない映画でした。
「映画はストーリーがあって初めて成り立つ作品である」という固定概念を見事に打ち破ったのが、黒澤明が描いた「夢」です。
一見するとバラバラで、ストーリーらしいストーリーはありません。
しかし映画全体を通してみると、1人の男の人生を描いていた節が感じられました。
最初は可愛い少年が登場。次に雪山で遭難する青年。
年齢も重ねてくると世の中の残酷さも分かるようになるのか、恐ろしいエピソードが立て続けに登場します。
そして最後に登場するのは、再び美しい日本の風景。
「夢」撮影当時、黒澤明の年齢は80歳。
80年の人生を経てたどり着いた答が、ラストエピソード「水車のある村」に描かれていたように感じました。
1つ、1つは大した事無いが、8つ纏まると印象深い
1本目=狐の嫁入り → 母親の言葉がキツイので楽しくない
雨が上がった後、山の麓の花畑+虹の光景が印象深い
2本目=桃の木伐採 → 木の精の踊りが印象深い
最後に女の子が桃の木に変化 → 少し寂しい
3本目=雪山遭難 → 吹雪になり、雪女も出て来て死を覚悟?
青空になり、4人とも生還 → 雪山登山は大変
4本目=山のトンネルを抜けたら、全滅した小隊の亡霊が出てきた
「回れ右」の号令で帰ってくれたが、悲しい映画
5本目=美術館で絵画鑑賞してたら、絵の中の世界に入った
絵の中の人と少し会話の後、現実世界に戻った → これこそ夢
6本目=原子炉爆発の映画 → 原子炉の完全制御は無理を暗示
2011.3.11の福島を予見した感じ → 怖い映画
7本目=濃霧の中、巨大なタンポポや鬼と出会う
核戦争後の放射能の怖さを暗示 → 怖い映画
8本目=水車のある村を歩く話 → 村人は、葬式の行進時、踊る
村人の生活は、自然体で明るい感じ → 印象深い
印象深いのを2つ挙げると、8本目と6本目
因みに、今回で4回目+α(一部とか、流し見)
印象深い映像を観たくて、観ました
日本映画でもこんな美しい写真が撮れるとは
黒澤明も晩年になるとその作品に出てくる役者の演技力はずいぶん落ちたなと感じられるそれがとっても残念だ。日本の映画俳優というものはみんなタレントの兼業みたいになってしまって。むしろ、いかりや長介のような俳優でない人の方がいい演技をしてるぐらいに感じた。この映画は全体に写真の良さやイメージの面白さや雰囲気を楽しむ映画。そういう映画は退屈するものが多い中でこれはやはりさすがと言うべきであると思う。特に「トンネル」。この短編の醸し出している緊張感とか迫力とかメッセージとか、短編映画としてとても優れてると思った。 まぁオムニバスなんてものは一作いいものが入ってれば十分のような気がする。そしてこれが「トンネル」がそれであって、私としては映画全体に満足した。
黒澤明が見た夢というのを売りにした作品。まあ芸術にいちいち「これは...
黒澤明が見た夢というのを売りにした作品。まあ芸術にいちいち「これは何?」と聞いてまわるわけにもいかないので岡本太郎よろしく見るのが良いのでしょう。人間が自然(地球)を壊すという考えが古く感じたのはコロナのせいか。
遺書ではなかったのでしょうか
黒澤監督80歳の作品
遺書なのだと思います
8編の短編全て現世から見た彼岸を描いているのだと思います
その上に自分の一生を投影して語っているのではないでしょうか
虹の下の狐の家
夢を見たいが為に責任を取らねばならなくなりに死に向かったこともあった
雛壇のような桃畑
芸術の価値を追い求めてきた自負は誰にも負けないつもりだ
雪山のホワイトアウト
方向性を全く見失った事もあった
そのまま眠りたかったが、そのあとには晴天が広がって九死に一生を得た
彼岸とつながるトンネルと犬にくくりつけられた手榴弾
仕事とは言え部下達を酷使してすり潰してしまったこともあった
ゴッホの絵の中の女達はフランス語なのにゴッホとの会話は英語の世界
自分の価値を分かってくれたのは結局アメリカ人だけだった
彼らの力で機関車のように働いた
原子力発電所の爆発する世界
もう自分の才能を発揮べき場所はこのように爆発してむちゃくちゃになって終わった
核戦争後の地獄
何もなさずにただ生きているのは地獄そのものだ
なまじ角があるだけ苦しいのだ
安曇野の天国へつながる小橋
願わくば最後はこのような世界で安らかに過ごさせて欲しい
そのようなメッセージに感じました
このメッセージを受け止めて製作に力を貸してくれたのはやはりアメリカ人でした
日本人としては悔しく情けなくなります
黒澤監督のような稀有の才能を日本は最大限活かす活躍する場を与えられなかったのです
黒澤監督は70年代の初めに米国に移住すべきであったのかも知れません
その方が遥かに黒澤監督の才能を発揮出来たのかも知れないのは確かです
黒澤監督には2001年宇宙の旅に負けないSF映画を撮れたはずだと確信します
キューブリックに勝る才能があったはずなのです
今年2020年3月23日は、黒澤監督生誕110年です
ナニコレ?
何年前か忘れたが某国営放送で観たときは訳がわからず、驚いたものだった。
こんな夢をみた…と繰り返される幻想的な世界は次々と時代やジャンルを変えていく。
小学生だったので理解力に乏しく且つ飽きっぽかったはずなのに、「なんだこれ?」とただただ見続けたのが思い出深い。
クロサワ・ワンダーランド
DVDで鑑賞。
日本の美しい風景、独特な色合いで構築された美術セットと衣装、さらに摩訶不思議な物語が渾然一体となって、まるで芸術的な絵画のような作品群だなと思いました。
感覚が常人と違えば、見る夢の質も違うのか?
これまでの監督の人生を俯瞰しながら、悩み、傷つき、戦って来たことの全てが8話の中に凝縮されている印象でした。
各話の主人公、もしくは主人公の出会う人物の年齢がどんどん上がっていくのは、監督自身の心境の変化だったり、考え方の変遷なのかな、と…。まるで人生の覚え書きのようでした。
文学的な物語もあれば、SFチックなストーリーもあったりして、非常にバラエティに富んだラインナップでした。
通底していたのは、黒澤監督が生涯に渡って追求し注いで来た、人類への真摯な眼差しではないかなと思いました。
醜くも儚い、冷たくも温かい、弱くて逞しい、人間と云う生き物への讃歌が、様々な形で心に迫って来るようでした。
[余談]
スティーブン・スピルバーグがプロデュースし、ワーナー・ブラザーズが配給していることが注目すべき点かと。
世界に認められ、数々の名作を生み出したにも関わらず、日本での映画製作がままならなくなっていた黒澤監督。
監督の作家性を重視した作品よりも、商業的に価値があるかどうかを重視する風潮が災いしてのことでした。
自国の映画会社がお金を出してくれないと云う晩年の巨匠の状況を知り、めちゃくちゃ胸が痛みました。
※修正(2023/12/14)
不思議な余韻
マーティンスコセッシが俳優として出ているらしいので
気になって見てみた。
夢の世界を扱ったオムニバスで何処と無く不思議な
非現実の世界の中に、幼少期の子供の感覚を思わせる怪異めいた話から、雪山の遭難、敗残兵が戦死した霊に出会い悔悟する話、原発による世界の週末、牧歌的な天国を思わせる幻想郷と一連のストーリーがある。
最後の話の老人の話が身につまされる。生きることは楽しい。死とは大抵においてめでたいのだ。
悲惨な話が挟まっていたはずなのに、心地良い余韻と共に終わる、穏やかな不思議な映画である。
人間と自然の近代史
下記は私の覚書で、本来のタイトルではありません。
①狐の嫁入り
②桃の節句
③雪女
④第3小隊
⑤ゴッホ
⑥原子力発電所爆発
⑦放射能汚染
⑧水車村
③までは正直何が言いたいのかよく分からなくて、早送りでも良いのではというくらい退屈でした。しかし最後まで観るとこの前半パートは、一人の男性の成長と共に、古き良き時代では敬意を払っていた、自然の摂理や脅威について描いているのかなと思いました。勝手な解釈ですが、狐に謝りに行ったり、桃の若木が残っていたり、雪女の手から生還したりするのは、「まだ引き返せる」という意味なのかしらと。
②の衣装はvividで素晴らしいです。流石です。
④の戦死した野口兵士の特殊メイクに、もしかしてこの夢はコントなのか?!と思ってしまいましたが、あの世とこの世を繋ぐような暗いトンネルから、全滅した小隊の英霊達が行進してくるシーンは訴えるものがありました。抑留からの帰還兵となった隊長の「生き残って申し訳ない」という苦しみはズシンと響きました。
⑤ではvan Goghの名画に入り込む主人公。純粋に自然の美しさをキャンバスに残し続けた画家としては、他の人のほうが適切な気もしますが、監督の見た夢ですからね。まるでa-haの"Take on me"のようで、美しく斬新な映像でした。Scorsese〜!そこは妥協せずにフランス語で通すべきでしょう。
⑥はもう預言としか思えない内容。「絶対安全と言われていたのに」ね。
⑦は放射能汚染で変わり果てた大地に住み、共喰いするしかない、鬼化した人間達。
⑧は良い空気、きれいな水で育まれた木々と花々に囲まれ、元気に人生を全うする人間達の理想郷。近代文明を拒むAmishのような生活だけれども、宗教的戒律はなく、パレードのような葬式で最期までイキイキしている。「生きているのは辛いなんて、人間の気取り」なのかぁ!
このまま行けば地球と人類の将来は⑦。
引き返して過ちを正せれば⑧。
自分が見た夢全てを繋いで、人類の壮大なひとつの夢にしてしまう所には脱帽です。
黒澤版、世にも奇妙な物語。8話から成るオムニバス。寺尾聰ばかりでオ...
黒澤版、世にも奇妙な物語。8話から成るオムニバス。寺尾聰ばかりでオムニバスの意味ないやんと思ったが、よく見るとオムニバスのようで、なにか微妙な繋がりもあるようで。
私的に衝撃だったのはやはり原発の話。まるで福島を予言したかのよう。黒澤監督の警告も虚しく、事故は起こり、はたまたその事故にも懲りず原発は続く。利権とは恐ろしや。台湾は廃止の英断を下したというのに。この国の政治は…悲しくなります。
自然を敬い生きる、忘れてはいけませんね。全編、そんなメッセージに溢れていたように思えました。いくつかの話にある踊りが、神秘的かつ厳かで、ユーモアまで感じられ、妙に印象に残りました。
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