モンパルナスの灯のレビュー・感想・評価
全9件を表示
モジリアニ 肩越しに見ゆ 首傾けて 人の流れのそよぎつつ 青白き瞳よ
アメデオ・モディリアーニ。 うちに大著の画集があった。折りにふれてページを開いていた僕だ。 美大を出た母の持ち物だった。 この映画を観るのも、もう僕にとっては50年ぶりのことになるだろう。少年時代に自宅のテレビで、その母と一緒に僕は観たのだ。 悲しい最後と、白黒映像のフランス映画であったことは覚えている。 もっとも当時、うちの白黒テレビで観たのだから、本物は天然色映像であったのかもしれないが・・ ・・・と、今回DVDをセットするまえに、かつてのテレビの思い出が蘇って来たし、そして同時に、こんなことも考えるのだ、 50年もあれば、いろいろと僕も経験をしてきたのだから、作品の見え方も、そして人の世の色合いも、それは当然変わっているはずで。 苦労の挙げ句に、身重で死んだジャンヌ・エビュテルヌは、そしてくだんの貧乏画家の生き方は、 今の僕にはどう見えてくるのだろうか。 ・・・・・・・・・・・・・ 国立新美術館で、 アメデオとジャンヌのコラボレーションの展示を観た。 半地下の、薄暗いガラスの中に妻ジャンヌの残した「素描」を見たときに、 はからずもその様に圧倒されたことを覚えている。 力強さ、質感、生命力、そして内側から発せられる光。 たかが腕一本のデッサンにも、知られざるジャンヌの画家としての力量を知らされて、僕はそんな事をまったく予想もしていなかっただけに、すっかり目を奪われて、その場を動けないほどだったのだ。 まるでギリシャの彫刻家の腕前だ。 しかし、かたや、並べられている夫モディリアーニの素描は、それはそれは、儚くて弱くて、まるでケント紙の上に煙草の灰で えがいたような、吹けば飛ぶような代物だった。 ・・・・・・・・・・・・・ 美術学校でイーゼルを並べていれば、師弟関係で、あるいは学生同士で、彼らのように恋人関係になる絵描きたちはたくさんいるのだろう。 僕は、我が娘の在学した美大の「卒展」を覗きに行ったけれど、 会場の雑踏の中に娘は立っており、長身の美しい男子学生が傍らにいて娘に話しかけているのが見えた。 「父です」と、娘が耳打ちしたのに違いない。青年は後ずさりして人混みに消えていった。 親を捨て、イタリアから来たユダヤ人画家の許へ走った愛娘のジャンヌが死んだときに、その父親はどれほどか嘆いただろうに。 ・・・・・・・・・・・・・ 映画は、 モディリアーニの作品があまり画面に映らない。少し変わった演出なのだ。モノクロのせいでもあろう、絵が見立たない。 そしていつも彼の絵は、意識的にだろう、裏返しに置かれている。 製作の風景も、意外にもとても少ない。 その代わりにモジのカンバスから飛び出したような女たち、男たちが動き出す。 「君を幸せにしたい」。 「幸せに出来なかったとしても、それは心ならずだ」。 貧乏画家に一目惚れして追いて行ってしまったジャンヌを、まだあどけなさが残る、若き日のアヌーク・エーメが演じる。 そして、今回の50年ぶりの観賞で判明したことは、この劇中では「ジャンヌの後追いの死」は触れられていなかった事だ。病院での夫の死と、その死を知らずに絵が売れたことを喜ぶ妻ジャンヌの、健気な笑い顔で映画は終わっていたのだった。 「ジャンヌはね、身重の体でアパルトマンの窓から飛び降りてしまったのよ」と、あの日、テレビが終わって母が呟いたその言葉。 僕はそれを完全に記憶の中で映像化していて、映画のラストシーンとして覚えていたようだ。 結核、酒、貧窮。 二人の出会いと、結婚と、その貧しい生活だけを、蝋燭とランプの薄暗りで映し出す、 古き佳き時代の、フランス映画の悲恋物語だった。 ジャンヌを演じたアヌーク・エーメは裸婦にはならない。他作「プレタポルテ」でも彼女は裸体を表わさなかったし、劇中口づけも無い。主義かもしれない。 けれどジャンヌを含めて、取り巻きの女性たちの髪が大変に美しいから、そこにもご注目を。 ・・・・・・・・・・・・・ 追記: 大人気の展覧会。美術館は満員でした。 モディリアーニの絵を観る人たちを、その様子を少し離れて後ろから眺めていると、面白いことに気付きます。ゆっくりと人の塊が絵の前を移動して流れながら、観客の首が右へと、左へと、一斉に風にそよぐんですよ。ご存じでしたか? 大勢のお客さんたちの肩越しに 絵のモデルの灰白色の目が 力なくこちらを向いているのが見えます。 画家は、画龍点睛を避けたのだろうか。幸せになることも避けたのだろうか。 そして彼は人々の視線からも逃げていき、彼自身が、 とうとう灰になってしまったのかもしれません。
大衆に受け入れられることは悪なのか
20世紀初頭の絵画は写真の普及により写実的表現に価値を見出せなくなったことから、心象風景を絵に反映することで差別化を図ろうとしたと聞いたことがある。 モジリアーニの独特な肖像画もその一つなのだろう。つまり何とかして自分の付加価値を売り込みたかったはず。 なのになぜ盛況な個展に嫌気が刺し、商標に使うと言った富豪の話を蹴ったのか。低俗な商業主義に迎合したくないということなのか。でもアートは多くの人に楽しまれてなんぼ。特に個性的な表現が共感を得るには、YouTube同様、より多くの人の目に触れる必要があると思うのだが。ジャンヌがラストシーンで語った「彼は報酬より励ましが欲しかったのです」と言う言葉も、だったら励ましを得る機会を増やすべきでは、と思ってしまう。結局自己の評価を確認することなく生涯を終え、愛する人までも悲惨な末路を迎えることとなった。 絵描きを生業にする以上、自分の精神の吐露が多くの(でなくても)他者の共感を得ることは無上の喜びではないかと思うのだが…「自身の苦悩を絞り出している」と言うセリフもあり、それをベタベタとイジられたくない、というのが答なのかもしれない。何か因果な仕事ではあるなぁ。
大阪中之島美術館で、モディリアーニ展が開催中です 本作もあわせて是非ご覧下さい 西洋美術好きならマストです
1958年公開 アメリカ・フランス合作 モンパルナスとは、ご存知の通りパリのセーヌ川左岸14区の繁華街のこと フランス国鉄と地下鉄の駅があり、主要な大通りの交差点でにぎやかなところです 100年ほど昔、そのモンパルナスに「エコール・ド・パリ」と呼ばれた芸術家たちが大勢住んでいた街として有名です 本作はその中の一人、伝説的な天才画家アメディオ・モディリアーニの最後の日々を描いています 字幕ではモジリアニと表記されます 西洋美術好きなら、その名前はピカソ、ゴッホ、モネ、セザンヌに並ぶほどの著名画家です 作品のほとんどは肖像画です 長く引きのばされた首 その上のうりざね型の顔 簡潔な線で表現された表情 アーモンド形の眼が左右非対称に描かれていて、その瞳は塗りつぶされていることが多いです それがモディリアーニの作品の特徴です 冒頭のテロップにあるように、今では世界中の美術館が彼の作品を熱望する最高峰の画家一人とされています 数年前に彼の絵が172億円という史上最高額で取引されているぐらいです しかし生前の彼は全く評価されず、極貧の中失意の内になくなったのです 原題は「モンパルナスの恋人たち(モンパルナス19)」 19とは、おそらく1919年を指しているのでしょう 本作は、実際の1917年3月のヒロインと出会いから、1920年1月の主人公の死までの3年間の出来事を描いていますが、どうも1919年3月から1920年1月の1年間に物語を凝縮しているようです それで(モンパルナス19)なのでしょう このように、本作は若干脚色が過ぎるところが有り実際と違うことも多いです 生前モディリアーニと親しく交際していた人物からは、彼はこんな低俗な人物ではなかったと非難しています とはいえ、彼の伝説の大体のところは伝わるかと思います 彼はユダヤ系イタリア人 パリに住むようになったのは1906年、22歳の時でした その頃のパリは、「花の都パリ」と呼ばれるようになった最も繁栄した華やかな時代でした 1900年のパリ万博から、1914年の第一次世界大戦勃発までの期間 それを美しい時代という意味の「ベル・エポック」と呼びます パリには新進気鋭の才能ある芸術家が世界各国から続々と集まってくるようになります 彼等の多くは19世紀後半に活躍した印象派の画家達が多く住んでいたセーヌ川右岸18区の憧れのモンマルトルに住み着きます モンマルトルに有名な通称「洗濯船」というボロアパートがありました セーヌ川に浮かぶ洗濯船のようなバラックだったそうです そこにはピカソをはじめ将来大物になっていった芸術家、文学者、俳優、画商達が大勢住むようになりました モディリアーニもそこに出入りして彼等との交流を持っていました ピカソ、キスリング、コクトー、サンドラル、ジャコブ、バクストなどの将来大物になっていく人達が、モディリアーニに自画像を描いてもらっています しかしモンマルトルも、印象派の芸術家の街として有名となり次第に観光地化してきて、高級住宅も増えて家賃が高騰してくるようになりました それで、貧乏芸術家の彼等は1914年頃から、セーヌ川左岸14区のモンパルナスに次第に拠点を移すようになりました その彼等のことを指して「エコール・ド・パリ」というのです パリ派ぐらいの意味です 印象派のような芸術運動を共有する流派と異なり、お互いの交流はあってもそれぞれは一匹狼な集団です その貧乏芸術家の面々が現代につづく芸術の革新を推進していくことになるのです 大繁栄した「ベル・エポック」は第一次世界大戦で一旦終ります しかし戦争が終わると今度は、翌1919年から大恐慌が始まる1929年の10年も間つづくことになる「狂乱の時代」が始まりまったのです いわば戦後景気のバブル時代です ボヘミアンなエコール・ド・パリの面々は、この時代にモンパルナスで昼はアトリエ、夜はカフェやダンスホールで大いに活躍します モディリアーニはその中でも、「モンパルナスの貴公子」と呼ばれ、芸術家仲間だけでなく、女性達に特に人気者でした しかし本作に描かれた物語によって彼は伝説の画家になったのです 本作はここから始まります 序盤に登場する女性はベアトリス・ヘイスティングスです モディリアーニは彼女をモデルにして幾つかの絵を描いています イギリス人美術ジャーナリスト パリには3年前の1914年に来ました 目的はロンドンの雑誌に「パリの印象」というコラムの記事を書くことでした 彼女はモンパルナスにたむろする芸術家達を取材しているうちに、モディリアーニと知り合い、男女の仲になりました ジャンヌ・エビュテルヌ 本作のヒロインです モディリアーニは彼女の肖像画を何枚も描いています 彼女がモディリアーニに出会ったのは19歳 モディリアーニは33歳 14歳差の恋愛でした 内縁の妻となりますが、実際には死ぬ前にモディリアーニは婚姻届を故国のイタリアに郵送していました しかし、当時の郵送事情の事で数ヶ月を要して役所に届いた時には既に彼は故人となっており、結局彼女は内縁の妻のままでした 本作では子供は出来ていませんが、実際にはニース滞在中に娘を出産しています そして本作では夫の死を知らぬままエンドマークを迎えますが、史実の結末はこの続きがあります モリジアーニの死を知り、その2日後彼女は実家のメゾンの5階から身を投げ死んでしまうのです しかも彼女は身重でした 両親に先立たれた一人娘は伯母の養女となったそうです ジャンヌを演じたアヌーク・エメは、とんでもなく美しいです ちょっとオードリー・ヘップバーンに似ています ローマの休日は1953年ですから、彼女の方が似ているわけですね レオポルド・ズボロフスキー 主人公の後援者でかつ友人として登場します 本作には登場しないモディリアーニの後援者でポール・ギュームという画商と、この人物で一人のキャラクターを合成して描かれています 実際にはモンパルナスのモディリアーニと同じ安アパートに住む貧しい画商です モリジアーニは、彼の肖像画はもちろん、彼の妻アンナ(ハンカ・ズボロフスカ)の肖像画も描いています もちろんギョームの肖像画もあります 本作の役者はこの二人の肖像画のそれぞれの特徴を合成して演じているようです ドームとはモンパルナスの交差点の角にあるカフェの名前 1897年にオープンした老舗カフェ「ル・ドーム・モンパルナス(Le Dôme Montparnasse)」のこと 今では超有名な観光名所です 当時はジャン・コクトーや、藤田嗣治、モディリアーニ、ピカソなどのエコール・ド・パリの画家や芸術家たちが集うカフェでした 劇中、ジャンヌがキスリング展でモリジアーニを見かけて一目惚れしたといいます モイズ・キスリングも、エコール・ド・パリの画家です モディリアーニの特に親しい友人でした もちろんモディリアーニは彼の肖像画を描いています というか、いくつかの「ルネ・キスリング夫人の肖像画」のほうが有名ですね モディリアーニがニースへ転地療養していると ジャンヌがそこに現れてひしと抱き合うシーンがロマンチックです 実際は、ズボロフスキーの手助けは同じでも、二人揃ってニースに転地しているそうです 1918年のことでした 少年の絵を描くシーンがありますが、この頃は「農家の少年」の絵などがいろいろ残されています ウェイル画廊 本作では実際とは時系列が異なります GalerieBerthe Weillで開催された唯一の個展は1917年のことです 実際でもショーウインドーに飾られた裸婦の絵で人だかりが出来てしまい、それを見咎めた警察が猥褻物陳列を理由に即日閉鎖されてしまいました 本作でもこのエピソードは描かれれますが、警察は、ショーウインドーの裸婦の絵を片付けただでら直ぐに引き上げます ショーウインドーに展示されているのは、 「白い枕に横たわる裸婦」 入り口の右手にあるポスターもまた有名です 画商モレルは架空の人物です モレルは架空の人物であり、当時の彼への無理解を象徴させた存在だと思います ウェイル画廊での個展で不愉快なモレルにズボロフスキーが彫刻を思わず投げつけるシーンがあります あの彫刻もモディリアーニの作品 彼はもともと彫刻家を目指していたのです ギョームや未亡人となったズボロフスキー夫人はコレクションしていたモディリアーニの作品で後に大金を手にしていますが、モレルのようなあくどい画商では決してなかったのです 二人ともモディリアーが肖像画を贈っていますし、二人の持つ作品の数々がモディリアーニの再評価の導火線となっていったのです モレルとは全く違います 彼と会話をする中年女性はこの画廊の超有名な女主人ベルテ・ウェイルです 彼女の画廊は第二次世界大戦が始まった1939年まで続きました 彼女の画廊からはモリディアーニだけでなく、ピカソなど著名な芸術家が数多く巣立っていきましたが、彼女もまたモレルとは大違いで、巨万の富を得ることもなく人生を終えています ピカソが、モリジアーニの死んだ年の1920年に描いた「ベルテ・ウェイルの肖像画」はフランスの国宝になっています 劇中、モリディアーニの絵をアメリカの富豪を見せに行くシーンがあります 富豪はセザンヌを買ったとぞんざいな手つきで彼に見せます セザンヌはモディリアーニに衝撃を与えた彼が尊敬する画家です モリディアーニの絵を良いと言ってはくれますが、自社製品の宣伝キャラクターに使いたいとかいいまふ このような製薬会社の富豪の芸術に対する無理解ぶりに呆れてモディリアーニは「ゴッホは絵は苦悩から生まれると言った」と言います ゴッホもセザンヌも活躍した時代はモディリアーニの時代より30年以上前のことですが、すでに大芸術家と評価は定まっていました この富豪はアメリカの美術収集家バーンズをイメージしているようですがひどく悪く描いています 実際はまるで違い、バーンズは多くの才能ある画家の才能を発掘しコレクションしていた美術愛好家です 自社製品の広告に使うなんてことはありません バーンズコレクションは世界有数のもので美術館が作られています 30年ほど前に東京国立西洋美術館でコレクション展が開催され107万人もの来場者があったぐらいです モリディアーニも世界的に再評価されたのも、ギョームが持っていた彼の作品が、このバーンズのコレクションに加わってから、世界中の美術館から注目されるようになったのです モリジアーニは同時代の日本にも影響を強く与えています 彼の絵の価値を見抜いた日本人の画商が彼の絵を買い日本に持ち帰って展覧会で披露して大反響を巻き起こしていたのです それがベルデ・ウェイルの画廊のショーウインドーに飾った裸婦のシリーズの中の一枚 「髪をほどいた横たわる裸婦」 数奇な流転をへて日本に死蔵されたままの伝説の絵画でした その作品が2022年2月に開館した大阪中之島美術館で4月より開催中のモリジアーニ展の目玉として展示されています 国内外から集めたモディリアーニ作品約40点 しかも世界初公開・日本初公開作品も含まれているのです! 自分も早速、展示会を観覧してきました 本作を先に観ていれば、より彼の絵画の理解を深められることと思います 7月18日までとのことお見逃しなく 東京を含めて巡回展は無いようです お早めに
女に愛されてばかりいる男には尻尾が生えてくる。
とにかく何が何でも惚れた女を描くことに無常の喜びを感じる。それがモジリアニ。描き続けている間は仕合せなんだ。世間の評価など眼中にない。ひたすら惚れた女の絵をキャンバスにぶつけ続ける。しかし、哀しいかな高揚した恋の炎は萎んでゆき、女の愛は世間に認められぬ彼の境遇を哀しみ彼を守ろうとする。男はそんな状況を受け入れられるはずもない。同情、憐れみは劣等感の坩堝へ追い込みをかける鞭となってしまう。 モンパルナスの酒場で自分の絵を客に売り込む姿は惚れた女へ男として対面を保つ唯一の方法だったのだろう。余りにも哀れである。 画家の伝記映画はいつもこんなものだ。芸術家は一人では決して生きてはいけない。 絵画家の才能を見抜く力を持つ人間に振るシッポを持つか、惚れた女を描くことの幸せを選ぶか・・はたまた死を選ぶしかなくなってしまう。
モディリアーニは、モンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリの画家
モディリアーニは、芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリの画家。 印象画の美術展で何度も観賞している画家の生涯を、映画で観ることのできて感慨深いものがありました。
モディリアーニの生涯については『モディリアーニ 真実の愛』によっ...
モディリアーニの生涯については『モディリアーニ 真実の愛』によって衝撃を受けた。彼が死んでからは美術家として高い評価を受けているものの、生前の彼は見向きも去れない画家であり、逆に皆から見下されていたのだった。 いきなり女にだらしないモディの映像。年上の元娼婦ベアトリスと付き合いながらもジャンヌに目がいってしまう・・・ ずっと普通の恋愛劇のような雰囲気で飽きてきそうなところ。終盤に貧乏画家らしくカフェで絵を売る姿が涙を誘う。表情の少ない画商モレロ(ヴァンチェラ)がすごくいい。これぞ画商だ!という雰囲気。モディの死を見とってから、自宅へ行って絵を買い漁る姿には彼をなんとか有名にしたいと思う心と画商として才能を発揮したいという二面性も垣間見えるのですが、なんとも皮肉な人生を・・・ 実際には妻ジャンヌは後追い自殺。束の間の喜びも感じることができなかったのかもしれません・・・と考えるともっと悲しい。
1958年フランス作品 画家モディリアーニの伝記映画。 私の中では...
1958年フランス作品 画家モディリアーニの伝記映画。 私の中では苦悩の画家といえば、大好きなゴッホですが、モディリアーニも苦悩の画家だったのですね。 彼の先進的な画風は一般的には受け入れられなくて貧困で酒浸りの日々。 貧困なのにお酒が飲めるのは彼が女性たちから愛されているから。芸術家らしいわがまま振りも魅力なんだろうな。 そんな彼が好きになる画学生のジャンヌ。 彼女も彼と彼の才能を本気で愛していたんだなぁって伝わるラストがちょっと切なかった。 ジャンヌはアヌーク・エーメが演じてますが、「男と女」とはまた違った美しさが観れました。
フランス映画の女優はなんて表情が美しいのだろう
と、思いながら観ていたら、「男と女」のアヌーク・エーメ」だと気づいた。ジェラール・フィリップもさすが名優、中盤はちょっと中弛みだったがそれも束の間、最後には二人の切ない世界にいつの間にか引き込まれていた。
全9件を表示