もののけ姫のレビュー・感想・評価
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人間と自然の対立を描く映画ではきっとない
人生で初めて映画館で観た映画。親から聞かされた話によれば、怖くて、わからなくて、とにかく泣いていたらしい。でもきっとその原体験が僕を映画の世界へと導いてくれた気がする。だからとてもとても特別な作品だ。繰り返し鑑賞するなかである一つの解釈が生まれたので、そのことを書きたいと思う。それは、一般的な解釈であろう「人間と自然」という二項対立ではなくて、人間にも自然にも共通する「生と死」あるいは「自己と他者」という関係性の物語ではないかという問いかけである。
多くの人がきっと感じているであろう基本的な作品構造としては、「卑しい人間たち」に鉄槌をくだす「崇高な自然」という対比ののち、でもやっぱり「生きていく」ということに執着する人間の本性は覆せず、そのためにある「人間の悪」を「自然の豊かさ」が許す、という見解ではないか。
しかしきっとその見方は、ある側面では正解なのだが、実はもう少し別のことを描こうとしているのではないかと僕は思った。というのも、この「生への固執」ということは、なにも人間に限ることではなく自然においてもまた描かれているからだ。それは、人間へと復讐をとげようとする「イノシシ」や「豺」などの自然側の考え方も、実は「他者の排除」であり、「他者への不理解」がベースになっているということだった。しかし、それは責められたことではなく、生きていくために“仕方のない”考え方でもあり、また、それが“生きるということ”だと主張されているような気がしたのだ。
しかしこの「他者の排除」は、往々にして「自己の崩壊」をも招きかねない。他者の手打ちを知らない自然は、人間に焼かれ、イノシシたちは全滅する。「猪突猛進」という自己への陶酔と、人間=悪という絶対的な決め打ちのもと、悲劇的な結末を迎えてしまうのだ。そして、エボシに代表されるタタラ場もしかり。自然への不理解への結果、自分たちの破滅を招いてしまう。この表裏一体の関係が、すなわち「生への固執」は「死への道」を招きうるというその二面性こそが、シシ神が「生を与え、死をもたらす」という二面性を備えた暗示的な意味合いではなかろうか。シシ神だけが、その両面をも理解して、だからこそ自然だけに偏重するのではなく、時として人間を生き返らせることもすれば、動物を殺すことさえしてしまう。それは、全くもって「生への固執」がないからであり、ただの「理」として、絶対的に存在する「生命の法則」を奏でているに違いない。
そして、その奏で手として、今作では人間側にアシタカが描かれる。彼もまた「自然と人間の共存」という言葉をもって、「生きながらにして死ぬ」「死を意識して生きる」ことを選び取る。「祟り」という存在は、人間における、あるいは自然における「生への固執」としての表出である。「祟り」が、人間だけでなく、自然をもまた蝕むことは、上述の「人間」と「自然」の「生への固執」における平等を示しているのではないか。しかしアシタカは、「祟り」に蝕まれる自らの運命(あるいは死)を受け入れ、「くもりなき眼」で見定めようとする。その姿のみが、エボシ様に代表される人間も、ヤックルに代表される自然も、双方が惹かれていく「生きる」姿なのではないか。
しかし、最後に興味深いのは、その「生」と「死」を司るシシ神ですら、自己の死に直面し、「生に固執」してしまう。その結果として、彼が支配した理の全てを放棄して、自然も人間をも食い殺す。作品の表象的な理解としては、あの結末は人間という欲深い生き物の招いた悲劇には違いないが、一方で「生きるモノ」の宿命としての「死」を予感させる筋書きではないのだろうか。すなわち、シシ神もまた死ぬのであって、その眼前では、やはり怖いのだ。生きていたいのだ。
だからこそ、宮崎駿は「生きろ」という。この世に「生への固執」を抱かないモノなどいないのだと。それによって他者を排除し、自己を崩壊に導かぬモノなどいないのだと。それこそが、この作品のメッセージではないだろうか。だからこそ、宮崎駿は「赦し」の意味で、「生きろ」という。それは「生きていてもいいんだよ」という言葉に違いない。子供たちに、その抱えている闇を、それはアシタカですら抱えるものであり(「祟り」として)、また自然も、そしてシシ神さえも囚われてしまうものだと言っているように思ったのだ。
そして、このことは、実は「エヴァンゲリオン」と対になっているのだと思う。「人類補完計画」とは、個人としての「生への固執」を捨てることを要求していた。それはすなわち、「他者の排除」の存在し得ない世界であって、人間も自然もない、言ってしまえば、全てが「死んでいる」世界なのではないか。その格闘をエヴァではシンジ君が担う。私たち、生きとしいけるモノ全ての葛藤が、ある時にはアシタカとして、またある時はシンジ君として表出しているように思えてならなかった。
「生きる」ということは、「他者とかかわる」ことである。私たちは、人間も、そして実は自然までも、そこに恐怖を感じ、排除したいと思い、自らの存在=生に固執してしまう。その上で、「生きろ。」と宮崎は言った。この映画は、そういう物語なのではないか。
そなたは美しい。4Kだとさらに
4K版を劇場鑑賞。
ジブリ作品ではこれが一番好き。何回見ても面白いこの作品が初の4K化となれば、もう見らずにはいられない。
肝心の映像面は、アシタカが祟り神を射って旅に出るオープニングパートからもう映像の美麗さが際立っている。
木々の折り重なり、影の明暗、おぞましい祟り神。旅立ったアシタカが通り抜ける雄大な自然は奥行きがどこまでも続いているように見えるし、前途を表すような曇天は重みと広がりが際立っている。
自然の美しさが特筆される作品ではあるが、スカッと通り抜けるような青空は意外と少ない。旅立ちは曇り空だし、終盤に入ると戦火の煙が空を覆ってくる。全てを乗り越えたエンディングパートで、ようやく清々しい青空が見られる。
せっかくの4Kだからと画質のアップグレードに目を凝らしていると、光と影の使い方でこんなにも鮮やかにアシタカの揺れ動く心情を訴えていたのかと改めて気付かされた。
特に、エボシとの問答の後でションボリ歩くアシタカを、たたら場の灯が照らす場面は言葉に詰まる。
たたら場は映像面もさることながら、IMAX劇場の音響だと音の精彩も格段に良くなっている気がする。静かなエボシの庭では、こちらも息をひそめるほどの静寂を感じるし、賑やかな飯場ではどの方向から笑い声や話し声が響くのかが事細かに聞き取れる。
音響面では山犬の巣で問答を繰り広げるアシタカとモロのシーンが際立って素晴らしい。
元からパワーのある名場面だが、モロの声をあてる美輪明宏御大の声の強弱、感情の発散が全身に響いてくる。
洞窟の中だとアシタカの声が反響している事もハッキリ聞き取れる。あとサンがアシタカの頭巾や上着を繕ってくれた跡も4Kの画質でこれ以上なくハッキリ見える。サン可愛い。
個人的な気付きは、たたら場に戻ったアシタカを見て、おトキさんの隣に居た女性が一瞬、表情を明るくした所。
このシーンで、この女性が石火矢でアシタカをショットしたあの人だと気付いた。4Kというより大画面だったから気付いた事だが、アシタカが生きていて心から喜んでいるのが表情から見て取れてこちらも嬉しい。駿はこういう所をあまり説明してくれないから、何回見ても新しい発見がある。
総合的にとても素晴らしい映画体験だった。
この現代で、もののけ姫の初鑑賞が劇場で4Kバージョンという贅沢すぎる観客がいるのだと思うと嫉妬すら覚える。
何にせよ、まだまだ4K化が待望されているジブリ作品は多いので、これに続いて他の作品もぜひ4K化してほしい。あと4KUHDブルーレイも売ってほしい。
森は生きている。殺すのは誰?
娘が泊まりに来たので映画の話しをした。
「おとう最近何観たの?」
「秒速5センチメートル。実写2回、新海誠の小説読んで、お前が押したアニメ3回観て鈴木史子のノベル読んで、鼎談動画見て約5千字のレビュー書いた」「ほぉ」
「お前は何観た?」「チェンソーマンと、もののけ姫」
「もののけは、吉祥寺プラザの閉館上映に行ったでしょ」「あれは思い出、今回は体験」
「スラムダンク」好きの娘はIMAXを初め、全ての上映形態で観たらしい。結局、Dolbyシネマが一番だと。
「だからもののけをDolbyシネマで観た。音が頭上から降って来る。浴びるんだよ。Dolbyシネマで観れば、昔と違う事感じるよ。」
老いては子に従え。Dolbyシネマではないが、なるべく音の良い画面の大きな劇場でとTCXシアターへ。
11月19日(水)
TOHOシネマズ日本橋で「もののけ姫」(4Kデジタルリマスター)を。
初公開時劇場鑑賞済、その後金曜ロードショーで複数回視聴。
アマゾンの熱帯雨林の伐採が凄いスピードで進んで、跡地は大豆畑にして大豆を生産している。地主は土地が高く売れ、大豆生産者は食料として売り利益を得られるが、樹木伐採によって干ばつが加速度的に進むらしい。
森が死んでいる。
本作が作られて28年経った今でも、いや舞台となった室町時代やそのはるか前から利権と自分たちの利益のために世界の何処でも人は対立し、戦い、憎み合っている。
シシ神様ではなくクマ神様が人里に出て来る今日この頃、木々は伐採され大量のソーラーパネルが敷き詰められている。新しく建てられるマンションはオール電化。
地元に1年前に建った高層マンションは上層階は億ションだが、投資目的の中国人が買い居住していないので、夜は電気が点いていない。周辺には木造の空き家が多い。隣駅の駅前に4棟の高層ビルの計画がある。
曇りのない眼で良く周りを見て欲しいものである。
宮崎駿の世界では、いつも森は生きている。
豊穣の森で生きているトトロは憎しみも争いもない。
心を盗まれても元気で生きていける。
サンは森で、私はたたら場で暮らそう。共に生きよう。
宮崎駿は、「生きろ!」そして、「君たちはどう生きるか」を問い続けるのである。
ラスト、ジコ坊に一言言いたい。「馬鹿はおヌシだ」と。
アシタカ、一度自分の村に帰らなきゃ駄目だよ。呪いは解けたと。
生きろ
人間と自然、そして文明の発展。
そこには再生と破壊が必ず有るもの。
女性が強い方が世の中、社会は上手く回る。
彼の思想でもあるが、今の高市早苗さんの如く。
男女平等の仕事の役割、病を患った
人々にも対等の仕事を与えて対価を施す。
資本主義も唱えている。
アシタカもタタラバ奥で働いてる人々を
見て、いたたまれない心情になり足踏みの
吹子を手伝ったのだろう。若いのに咄嗟に
受け入れる感受性。何が正しく何が間違ってる
のか分からなくなり、間に入るしか方法は
無いのかもしれないと感じたのかも。
あの森の乙事主が自然と森を守る為、人を
食し巨大な力を欲しがる所。
まるで大陸に居た原住民が未開の文明と
人と関わり、善悪の区別も分からなくなり
破滅に追いやられるような状態と被る。
人間の疚しい善が押し進み自然を壊して
行く不幸の始まり。難しい永遠の命題でもある。
ヤックルは常に可愛い。
乙事主とモロ、アシタカは格好良い。
米良さんの声には癒された。
おトキさんが『生きてりゃなんとかなる』とか
エボシが『生きることは誠に苦しく辛い。世を呪い
人を呪い、それでも生きていく』
サンが咀嚼してアシタカに干し肉与えるシーンも
生きろがテーマ。人間と自然と共に。
生きろ、生きろと何があっても生き続けろ
と魂に刷り込まれる映画。
小学生ぶり
言わずと知れた名作が映画館でやるというので見に行きました。
この映画は小学生の頃に劇場で見て以来、金ローなどで何度も見ている作品です。
(とはいえ、あらすじを覚えている程度ですが)
今回、大人になってもう一度劇場で見ることができ嬉しく思います。
正直、子どもの頃はちょっと怖い部分もあり、それでいて物語の全体像を掴むことも難しくそれほど感動したという覚えはありません。
それよりは少し大きくなりテレビでやっているのを改めてみた時に、「やっぱ面白れぇー!」と思った記憶があります。
改めて見てみると、やはり名作だな~と思います。特に森が再生するところなんかはやっぱ感動しました。
アニメーションや音、キャラクターやストーリーが全て高水準で、改めて良い映画だと思いました。
人の欲深さや業、自然のもつ美しさや神秘、畏敬。そして人と自然の対立や調和などのテーマ性もあり、はっきりと白黒のつかないところなど、とても良いと思います。環境問題など今にも繋がることですよね。
余談ですが、シシ神がなんで動物たちの見方をしないかというと、人間もまた自然の一部だからなんじゃないかと思います。知らんけど。
ただ、今回の作品はファンの方が高評価を連発していると思いますので、私の方では少しだけ気になったことを書きたいと思います。
① サンの声が気に入らない
これはもう個人的な好みかもしれませんが、なんだか役に入り切っていない(気持ちがこもっていない)ような気がしました。石田ゆり子さんすみません。単に監督の好みでそうしたのかもしれないが。
② 主題歌のテンポが早すぎる
これも私だけかもしれませんが、なんかテンポが早すぎてもう少し気持ちが乗りませんでした。でも久石譲は神です。私がじじいなだけかも。
③ 間が悪いカットがある
間が悪いというか、気持ちが切らされるように感じた余白の無いカットが個人的にはありました。3カットくらい? 尺の関係かも。
大きくこの3つが気になりました。なぜアシタカはあれをサンにあげたんだろうとかも気になりましたが、まあそこはどうでもいいかもしれません。
総評としては、やはり名作だと思います。ですが何度もテレビでやっている作品ですのでぜひ映画館で観たい! という想いの方はぜひ観たらいいと思います。
そうでないなら、別にお金を払ってみなくても良いかもしれません。
上映ありがとう
もののけ姫が再上映されると知って、でも近くの映画館では観れないし…と諦めかけていたら、デジタルリマスター版は全国47都道府県で上映!との事で、観ることができました。本当にありがたいです。1997年当時も映画館で鑑賞しましたが、当時は学生でした。その後は金曜ロードショーで何度か観ていて、ジブリ作品は観る年齢によって捉え方が変わってくると言われていますが、やはり今の私が観ても素晴らしい作品だと感じました。シシ神の森を切り崩すタタラ場は、森に生きるもの達にとっては悪でしかないのですが、ハンセン病患者の方や貧しい女性達にとって唯一の生きる場所で、タタラ場の鉄を狙う武将や森を奪われたモロ一族や、滅びようとも猪突猛進で人間たちに立ち向かう乙事主さま達…それぞれ守りたいものも違っていて対立していく様は本当に悲しい。上映当時は、アシタカとサンが共に生きて欲しいと思っていましたが、当時よりだいぶ年齢を重ねた今は、人それぞれ生き方、守るべきものはやはり違うし、シシ神の森は元には戻らない。それでも前を向いて生きていかなければならないと思いました。悪役を倒せば世界が元通りになるなんて、そんな都合の良い事は無いんですよね。また何年後かに必ず観ようと思う映画です。
タイトルなし(ネタバレ)
映画が公開されたのが、多分自分が小6のとき。
それから何度もテレビの日曜ロードショーや土曜プレミアム(以前は名前違ってたような)、金曜ロードショーなどで見てきた。
ビデオテープに録画したやつも見てた(地デジ移行前)。
それが、かれこれ10年以上、テレビを観ない生活になってからは見ることが無くなった。
コロナ時のジブリ上映には行けなかった。仕事的に、感染して職場に迷惑をかけるわけにはいかなかったから。
そんなこんなで今回の上映。絶対に観に行くと決めていた。
全体を通して印象的な作品なのだが、今回自分が特に印象にあるのは、たたらばでのやり取りや、人々の営み、ひとつひとつのディテールだった。
年取ったからかな?
昔はなんとなく長い印象(良い意味で)を受けていた作品だったのだが、今回観に行って、なんやかや数日の話(出来事)だと思うし(間違ってたらスミマセン)、結構テンポ良く(良い意味で)「おわり」までまとまってる作品なんだな、と思ったりした(最近の映画が余韻を長く持たせるイメージがあるからかな?)。
何にせよ、好きな作品であることにかわりない。
タイトルなし(ネタバレ)
大人になってからみると色々な気持ちが湧いてきますね、、。
村をもっと豊かに!というエボシの気持ちもわかりますが、他の命や森を奪ってまで繁栄を望むか?と思いました。
ただ、それは私たち人間が利便性を求めて実際に行ってきたことですよね。
利己的で他者の立場で物事を考えられない面に嫌悪感を感じましたが、私たちも同じだな〜と後から気づきました。
それぞれの主張や感情は理解できますが、それらが全く噛み合わず一方的なものになっており、結果としてたくさんの犠牲を生んでいました。ただその中で、アシタカだけが最後まで話し合いの道を諦めていなかったことが良かったです。
乗っていた原チャリの。。
名前がヤックルでした(^。^)
私の大切な相棒だったので「もののけ姫」を観て以降、原チャリをヤックルって名付けて呼んでいたらいつの間にか家族にも浸透して、雨の日なんかは「今日ヤックルで行かないでよ」とか言われてた。
面倒くさい庭の手入れの時には必ず
「人は土から離れられては生きられないのよ」ってシータのセリフを思い出す今も。
日本人なら一度は観ているであろうジブリ作品。
私はそこまでジブリ作品に詳しくないけれど、この「もののけ姫」は別格で好きな作品です。
今、この歳で、IMAXで劇場鑑賞出来た事は大きな喜びとなりました。
初見時から「もののけ姫」は結構攻めているなって思ってて、でも子供は子供の頭で理解出来る範囲で観ても充分に楽しいし、大人は大人でその奥底に隠れているメッセージや、シーンとして描かれてはいないがそのシーンが意味する事に気付くとうわっ!とびっくり深過ぎる。
(ま!まぐわっていたとは。。!!)
これ、監督はヒント全部出しているのに、上部だけ掬って見ていた私には分からなか部分が多過ぎて。
監督のインタビュー記事を読んでようやく少し理解して、ハッとさせられた記憶がある。
あった事実は描きたい、だけど表現はしたくない。。
なんてアーティスティックなのw
全てが完璧な作品ですが、やはり声優陣が素晴らしいのです。
松田洋治さん、ゆり子さん、田中裕子さん、美輪明宏森繁久弥大先生!
魂の籠ったその迫真の芝居に何度も泣かされそして「生きろ。」のメッセージが突き刺さる!
歳を重ねる度に観たい作品です。
ヤックル推しですが、モロの子、2匹の山犬も大好き!
「食べていい?」
「だめ」
凄い
映画とはこういうものだよねという説得力がすごい
切なかったり、胸が熱くなったり、苦しくなったり涙ぐむシーンは劇中何度かあったのだけど、個人的には私が1番好きなタイプのエンドロール始まってからが(映画全体のメッセージとかが押し寄せてきてその余韻で)1番泣けるタイプの作品だった
大人の視座とピュアさの両立具合も改めて見事だと感心するくらいに、双方向から感性を刺激された
日本人の誇りとか普段感じないけど、自然との向き合い方とか感覚的に備わっているものは、アイデンティティとして深くあるのでそこも感じさせてくれてじんわり心があたたかくなる
色々感じたことはあるけど、希望を感じさせるエンディングには許しとか愛とか生とかが、恨みとか厳しさとか現実に負けないようにっていう人間讃歌に泣いた
良い悪いってないもんね
アシタカヒコのごとき曇りなきまなこで俯瞰していきたい
ヤックル推しです
IMAXでの上映で鑑賞しました。
ジブリ作品はもののけ姫以外もそうですが、音楽や美術が本当に素晴らしいですね。実に壮観です。これをIMAXの劇場で観ることができたのは幸せです。
森に暮らす生き物が神や精霊の類として描かれている世界観の中で、架空の生き物であるヤックルが逆にリアルな生き物っぽく描かれているのが好きです。(お利口さんなところも個人的に好き)
アシタカがタタラ場で暮らすと言った時は、故郷の村に戻らないのか...とちょっと意外に思いましたが、よく考えたらヤックルの矢の傷が癒えないままでは帰るのも難しいですね。ヤックルとアシタカはしばらくタタラ場に留まって、傷が治って元気になってるといいなと思いました。
初鑑賞
もののけ姫初鑑賞。鑑賞後、何年の作品かと気になって調べてみると自分の生まれ年で驚いた。そういえば実家にVHSがあったような、でも見たことなかった。
自分の生まれ年に公開された作品がリバイバル公開され、当時見れなかった世代に届くことは素晴らしいと思うし、それだけの価値がある作品なんだろうなと思った。
実際見た感想は、ただただ心を打たれてしまったということ。薄い言葉になってしまうのが悔しいけど、かなりぶっ刺さった。
最初は人間と自然界の攻防戦でどちらが強くてどちらが勝って終わってその結果が現代に繋がるのかとか思っていたけど違った。共存、共生。共に生きるということ。
自然が破壊され、生き物たちの住む場所がなくなり、人間と自然の境界線がくっきりと線引きされているところをよく見かけるけど、人は自然に生かされて自然を生かす、自然は人間を生かし人間のすぐそばで生きている。アシタカとサンが共に生きることを誓ってそれぞれの場所に帰っていく姿が、どちらか一方ではなく共に支え合い依存し合い助け合い時間を過ごすこと、それが“生きる”中で大切なことだと思った。
名作だと言われる理由がなんとなくわかった気がする。公開から28年経った今の世界にも刺さる内容が描かれていて、自分が生まれた時から変わっていないのかと思う反面、このテーマはこれからもずっと考えていくべき人類のテーマだと思う、生きていく限り。
タイトルなし(ネタバレ)
もののけ姫が大好きでそれを映画館でで観れるなら絶対観たかったがもう最高。
作品自体は何回も観てるが数年振りに改めて観て思ったのが脚本、キャラ造形、セリフ、演技、演出、音楽が全部良い。
やっぱりIMAXだと絵も音の迫力もすごく、感情に直に訴えかけてくる感じで、特に1番最初のアシタカが旅立つシーンの絵や音楽に泣かされた。
作品自体の感想は色々あれどやっぱり令和の時代にデカいスクリーンと音で観れたのは感激。
他のジブリもして欲しい。
生きる、ということ
映画館という、作品に最も没入できる環境でこの作品を観るのは初めての経験だった。
最初に出てくる感想は何回観ても名作は色褪せないという一種の普遍的なものであったが、王道でありながらも魂を真正面から見つめられ、強いテーマ性をもちながらこれでもかと叙情を揺さぶられるような作品には、最高に合う文句であるように思う。
以下映画を振り返っていく中で率直に感じ取ったこと、感想を述べようと思う。
人生において映画レビューは初めてなので、言いたいことが上手くまとまらず支離滅裂であることを留意いただきたい。
本作品の根底には生と死は等価値であるという価値観が前提としてある。
自然の中においては、生も死も分かちがたく、等しく「あるもの」として受け入れられている。
この作品における「自然」を象徴する存在ともいえるシシガミは生と死を同時に司る神として描かれていた。
けれどこの物語は、その等価性をただ説くだけのものではない。
たとえ生と死が等しいとしても、死は新たに何も生まない。一方で、“生きる”という行為によってこそ、生まれる、生命固有の美しさがあることを、神々含む登場人物たちの生き様を通して伝えているのだ。
文明の発展というものは生命としての一種の進化であり、また、生命たる以上、どうしても無くすことができないものである。それを無理やり抑え込むなぞ出来ないのも、エボシ御前やたたら場の人々からも感じ取ることができる。
でも、それゆえに生存本能としての破壊も生まれる。まず己を守ることに必死になるのが生命の性であり、それに伴う暴力の行使は自然の摂理の一部でもあるのだ。「祟り」として表出される憎しみや恨みも「自分の居場所を奪われた」ところから来ており、この摂理に帰結する。
しかし、過剰な破壊は自身にとっても毒となる。自身の居場所を守ろうとするために行使した暴力は、直接でなくとも、そのうちになんらかの形で跳ね返ってくる。
だからこそ、アシタカは曇りなき眼で「共生」という道を見定め、模索する。
自己や他者を傷つけることは生きる上で仕方がない。でも、傷つけ合いながらも共に生きていく、という選択肢である。
これは、自然と共に生き、死ぬことを選びとる、日本古来のアミニズム思想にも繋がっている。
民俗学者である和辻哲郎が著書「風土」にて述べたように、日本は災害が多い国であるからこそ、自然と共に暮らし、神に寄り添う文化が育った。
『もののけ姫』の世界における“共生”の思想は、まさにこの価値観を体現しており、それはアシタカの生き方にも通底している。
縄文的価値観が色濃く残っている蝦夷の生き残りであり、祟り神の呪いと運命を共にしたアシタカだからこそ、文明と森を繋げられたのである。
シシガミは死んでしまったが、森は再生し、新たな命が生きようとする。
どんな状況下になっても、生命は芽生え、生き続けていく。
自然と文明との橋渡しとして、アシタカは再びサンに会いに行くのだ。
流石の満足感
もののけ姫自体は子供の頃大好きで、当時レンタルビデオを食い入るように何回も観てました。
大人になって、見方が変わるのかな?楽しめなくなってるのかな?と、不安になりながら鑑賞しましたが、杞憂でした。
やはり名作だ。アシタカにもサンにもエボシにも勿論イノシシ達にもそれぞれの正義があって、いずれも悪と断じれるものではない。そんな中で、それぞれが危機感を持って懸命に生きている作品。
たった2時間でとても満足な作品。
音楽も映像もシナリオを全てが美しい。
あらためて好きな作品と再認識しました。
ただ、毎度ながらカヤが可哀想。
君たちはどう生きるかにつながる内容を感じた
君たちはどう生きるかに出てくる気持ち悪い軟体物と似た様なものが出てきて、あれ祟りを象徴するのではと感じた。
生きるということ
悪人がでてこない。アシタカの視点でいろいろな人間や獣の神などが出てくる。共に生きる道はないのかなんどもなんども問われる。「生きろ」がテーマだが、アシタカとサンが引き付けあっていく感覚がスゴい。ともに生きるアシタカはタタラ場でサンは森で。
シキ神は首を取り戻しで映画は終わる。
自然も人間も負けない。
ちょうど室町時代がその境目ということなのだろう。
三輪明宏の声もいい。
米良さんの声もいい。
ジブリが圧倒的に表舞台に出た作品だ。
曇りなき眼ですべてを見定めよ‼️
「風の谷のナウシカ」と同じく、自然と人間の対立&共存というテーマを描いた宮崎駿監督の傑作ですね‼️時は室町時代。タタリ神の呪いを断つために旅立った少年アシタカは、たどり着いたシシ神の森で、森の神々とエボシ御前が率いる製鉄集団が熾烈な戦いを繰り広げているのを知る。同じ時期、彼は、人間でありながら森の神々に味方する少女サンに出会う・・・‼️山犬のモロや猪の頭・乙事主、シシ神などのキョーレツすぎるキャラ‼️ナウシカの凶悪バージョンであるサン‼️そんなサンの心を開いてくれる男らしいアシタカ‼️そんな魅力的なキャラたちが繰り広げる凄まじいアクション・シーン‼️手や首が飛ぶチョット残酷なバイオレンス・シーン‼️特にタタラ場でのサンvsエボシ御前、そこにアシタカが乱入するシーンのスピード感と躍動感はアニメーションを超越してる‼️首を失ったシシ神がデイダラボッチと化し、青空にその巨大な姿が映えるシーンの美しさもホントに印象深い‼️そして鑑賞するたびに思う、エミシの村に残されたアシタカの許婚・カヤ‼️多分、エミシの村へは二度と戻らぬアシタカを、永遠に待ち続けるであろうカヤが切ない‼️
白蛇伝なら宮城ま◯子さんですね
1931(昭和6)年に「癩(らい)予防法」なるものが加わる。しかし、それよりも、優生保護法が1948年から1996年まで存在した。それが、1931年の法律と相まって、とんでもない悲劇を生むのだ。
このアニメはそこまで、体制に迎合した話にはなっていない。しかし、やはり、商業的ではないが、優生保護法に重点を置いて描いてもらいたかった。
僕に取っては、一番良くもあり、悪くもある歴史だ。しかし、日本は泥沼から永遠にはい出せない機会になってしまったように感じる。
さて。
勿論、最初に見たのは封切。川崎のチネチ◯タである。
黄砂が酷い大連にて鑑賞
2024年7月31日
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