ミツバチのささやきのレビュー・感想・評価
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何とも言えない寒さ、温かさ
ほとんど説明の無い映画なので
難しい映画だな、と思うのが前半
冷えている夫婦関係
閉塞感のある村
唯一の娯楽が映画
そんな中で、天真爛漫な姉妹が織りなす優しい世界
時代背景は1940年とのこと、スペイン内戦時代
天真爛漫な姉妹を優しい目で見る映画
かと思ったが、最終的に
夫婦関係に明るい兆し
いなくなったアナの発見
全てが前向きになり映画が終わる
とても良い世界観、淡々と進む描写、私に合っている映画だった
時代背景を照らし合わせると
個人的にはギレルモ・デル・トロ監督の
パンズ・ラビリンスに通じる何かを感じた
この映画を突き詰めるとパンズ・ラビリンスになる気もする
もう一度パンズ・ラビリンスを見たくなった
悪とは何か
幻想的で美しい
閉塞感と立ち込める死の匂い
午前十時の映画祭で初見。
本編の前後に町村智浩氏の解説というかネタバラしが付いている。町村氏の評論全般には好感はもっているのだけど今回のこれはやり過ぎかなと思った。フランコ体制が終焉した後に監督はじめスタッフが映画について語ったことが元ネタではあるのだけど、あのシーンの意味は、とかあの配役の位置づけは、とかいちいち政治体制と紐づけて答え合わせをするのはちょっとね。
映画は最終的には観る人に委ねられるものだと思っている。監督の意図から離れたところで観客が感銘を受けるってこともあり得るわけでそれが表現っちゅうものではないんかい。
私自身はタイトルにした通りの印象をこの映画から受けそれはそれでなかなか得難い体験でした。
それ以上の細かい説明はいらないんだけどね。
スペイン内戦
あの世とこの世の境、すぐそこにいる精霊の世界。
「7歳までは神のうち」とは、日本での話と思っていたが、スペインにもあるのだろうか。
スペイン・フランコ政権下での、鄙びた村での話。
スペイン・フランコ政権下と聞いて、『パンズ・ラビリンス』を思い出す。
現実と空想の境界線があいまいな点は同じだが、
『ミツバチのささやき』の方が、より現実に根差している。
(とはいえ、軍部とゲリラの抗争は『パンズ・ラビリンス』の方がはっきりと描かれているが)
なのに、『ミツバチのささやき』の方が豊かなイマジネーションが広がるのは、どういうことだろうか。
フランコ政権下の検閲を逃れるために、メタファーを使っていると聞く。
だからか、ほとんど説明がない。
映像やわずかな台詞・音楽・音響から、鑑賞者が読み取るしかない。
その映像も、素朴な風景画。
わずかな登場人物。
行間ならぬ、映画が醸し出す雰囲気を読み取る・イメージすることを求められる。
”映像詩””絵本のような”という感想も頷ける。
どなたも絶賛されるように、主人公・アナがかわいい。
おしゃまに見える姉・イサベルもよい。
そして、ふりまかれる死のモチーフ。
誰に書いて、投函しているのか、返事の得られない手紙。
どこかに連れて行ってくれる / 連れていかれる / 何かを運んでくる汽車。
生気のない乗客。
映画『フランケンシュタイン』。
「ねえ、どうして少女は殺されたの?怪物は殺されたの?」アナの疑問。
線路での遊び。ねえ、事故るよと、ハラハラと。
毒キノコ。
キノコの宝庫である山に目をやれば、靄がかかり…。『パンズ・ラビリンス』を思い出す私は、靄が煙に見え、メルセデス達が隠れているのではないかと思ってしまう。
学校での勉強。教えてもらっている内容…。「大切な器官」と焦点を当てられる”目”(フランケンシュタインつながりで、”脳”だと思ったのに)。何を見るのか。
井戸の周りでの遊び。余程暇なのだろうと思う反面、いつ、井戸に落ちてしまうのかとハラハラする。井戸もこの世とあの世をつなぐ橋。(ex.『赤ひげ』)
首を絞められる猫。
傷から湧き出てくる血。
西洋絵画には必ずと言っていいほど描かれる骸骨にわざわざ焦点を当てる映像。
反応しない姉。
焚火での遊び。これも危ないよと、ハラハラと。それだけでなく、サンファンの火祭り→メキシコの死者の祭りをも連想させる。日本でも、仏教の修行等の一環として行っているし、世界各国であるようだ(Wikiによると、適切に行われる限り、火傷を負う危険はないようだ)。
負傷した逃亡者。
ちらつくピストル。
銃撃戦。
死体。
こびりついている血。
フランケンシュタインとの邂逅。
あの世とこの世をさまようアナ。
医者・薬。
…。
物語は淡々と、エピソードやシーンはつながりが特にあるわけでもなく、日常を単発的に拾っているように進むのだが、静かな静かな緊張感が持続する。
何かが起こりそうで起こらない。そんな展開に引っ張られる。
その展開をつなぐのがアナ。
この世とあの世に境目にいるかの如く。
”殺される”ことの意味すらよく解らなかったのか。
小屋にいる逃亡者に、なんのためらいもなく、近づくアナ。
逃亡者を精霊=フランケンシュタインに見立てているのなら、映画の少女と同じように「殺される」と怖がってもよいのに。
未知なるものに惹かれていくあの年代。世の中は、善意溢れるもの・キラキラしたものであふれていると思っていたあの頃。
それが…。(食肉とかは屠殺しているだろうから、血が流れているだけで何があったかはアナにもわかるであろう)
しかも、父が…(と誤解)。
初めて、本当の恐怖を感じるアナ…。
それでも、目覚めたアナは、イサベルに教えてもらった呪文で、精霊に呼びかける。
このシーンの、幻想的で美しいこと。
心に残るラスト。
誰に呼びかけているのだろうか。
誰が答えてくれるのだろうか。
蜜蜂。働きづめの一生。働いた報酬は、女王蜂どころか、人間に搾取される。
フランケンシュタイン。”死体”の寄せ集め、しかも脳は犯罪者のもので作った化け物。結局、少女を殺してしまう。
フランコ政権の暗喩としている解説もある。
”あの世”と”この世”は、フランコ政権下での生活と、フランコ政権下以外での生活のことも意味しているのか?
同時代を生きたスペインの観衆には、言葉にしなくとも共感し、それと気づくモチーフだったのだろう。
水辺で出会ったフランケンシュタイン。
無垢なるものとしてのメタファーか、人間が作り出した化け物(≒フランコ政権)として見るかによって、意味づけが変わってくる。
とはいえ、そんな当時のことを知らなくとも、アナの物語としても永久保存版。
”死”というものが、”あの世”がどんなものか、怖れと好奇心で満ち溢れていたあの頃。
ちょっと危険な遊びをして叱られたっけ。
精霊はすぐそばにいて、怖い反面、会いたかった、あの頃。
会えない代わりに、妖精の本とかを夢中で読んだっけ。
そんな日々を思い出させてくれる。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
よくわからないことだらけで、推測で補う映画だが、私にとっての最大の疑問は、イサベル。DVDについていた解説を始めとして、私が読んだ解説は”死体ごっこをしていた”とする。
”死体ごっこをしていた”だけなのか?
実は、あの時、死んでいるのでは?
焚火越えは、死者であるイサベルたちだけが参加できる遊びなので、アナは見ていただけなのでは?
布団でのおしゃべりも、映画を観た日は”会話”していたが、”あの日”以降は、イサベルが一方的にしゃべっているだけで、”会話”にはなっていない。
朝食シーンでも、両親とイサベルの会話はない。
実は、死んで精霊となってそこにいるのでは?
だから、医者は「アナはまだ生きている」と強調したのではないか。
ラストのシーンで、イサベルのベッドが片付けられているのは、そういうことではないのか。
朝食のシーンで、イサベルもカップを抱えていたのは、
しばらくイサベルもベッドで寝ていたのは、
母が、イサベルが死んだことが受け入れられなく、イサベルが生きているようにしていただけなのではと思ってしまった。
そうすると、ラストでアナが呼びかけていたのは、精霊となったイサベル?
この点だけは、監督の解説を聞きたい。
★ ★ ★ ★ ★
(2024.4.5追記)
上記の疑問に対して、いろいろな方が様々なコメントをくださいました。おかげ様で、考察が深められました。レビューサイトの醍醐味と嬉しくなると同時に、皆様に感謝いたします。
その中で、レビュアーのiwaoz様が町山さんの解説をコメントに記載してくださいました。ありがとうございます。
町山さんの解説(監督たちの言葉)、
「姉は、フランコ政権下で生まれて、現状に問題意識の無い若者たち。」
「監督曰く『私はアナ』というセリフは、スペイン国民に対して、希望を捨てずに新しい国を作っていこう、という呼び掛けだったらしいです。」
を頭に置きながら、
”イザベルは死体ごっこをしていた。”→「現状に問題意識の無い若者たち」に見えるが、実は処世術で死んだふりをしているだけ。そしてアナは精霊となった逃亡兵かフランケンシュタインに呼びかけている?
”イザベルは死んで精霊になった。”→「現状に問題意識の無い若者たち」の魂は一度死んだが、「希望を捨てずに新しい国を作ってい」く国民として再び蘇るように呼び掛けている?
と考えると、そこにも監督の強烈なメッセージを感じてしまいます。
焚火を飛び越える遊びも、イザベルが象徴している人々はこういう現状にいるよということなのか…。
下手に表現したら殺されるかもしれない状況の中、検閲に対する目くらましを用いてもなお、それでも発信したいメッセージ。監督のパッションがとても強い映画なのですね。
本当に知れば知るほどという映画だと改めて思いました。
溶け込むような静かな世界
アナ=サロメちゃん
エリセ監督の融和への希求が満ちあふれ…
アナ・トレント出演の「カラスの飼育」
を図書館レンタルで観れた勢いで、
36年前にシネヴィヴァン六本木
で鑑賞した以来のDVDでの再鑑賞。
最近はよく理解出来なかったがために
2日連続で鑑賞することもあるが、
今回も多少その要素はあったものの、
それ以上に、名画の世界に再び浸りたい
がための2度の鑑賞になった。
ヴィクトル・エリセ監督は
10年に1作との寡作作家に相応しく、
緻密な構成と美しく且つ繊細な映像で、
子供の生命への興味心エピソードを使って
国民融和への希求を実に見事に描いていた。
内戦で苦しむスペイン国内も、
夫婦愛の冷めた両親の関係
(内戦のしわざと解説にあった)も、
人間が純粋でいられる時には
出来たはずの融和が
何故次第に出来なくなってしまうのか、
永遠のテーマなのかも知れない。
しかし、その中でも、妻が手紙を焼いたり、
眠る夫にショール?をかけてあげたり、
これは2つの勢力の融和を期待したシーン
でもあるのだろうか。
エリセ監督は子供に希望を託している
ようにも見える一方で、
「アナは子供なんだ…少しずつ忘れていく」
とも医者に語らせていて、
対立の克服は難しいとの認識でもあるが、
それでもラストシーンで
アナの頭に浮かんだ姉イサベルの言葉
「お友達なればいつでもお話ができる」は、
内戦に苦しんだスペインの
融和の希望に繋げるべく、
皆がアナのような気持になってもらえたら
との、監督の切なる願いのようにも思えた。
映画とは何かを答える
すごくすごく良かった!(前半10分くらい寝たけど) 難解という評判...
すごくすごく良かった!(前半10分くらい寝たけど)
難解という評判だったけど、全然難しくなかった。
ひたすらにアナが可愛い。目の魅力がすごい。もうずっとヨーシヨシヨシって感じ。人格の芽生えもひたすらに眩しかった!
モヤモヤは感じてるけど、目を逸らして諦めて心を抑圧して、メンタルやばめに病んでるお母さん(届いてるか分からん手紙ばっか書いてる)とイザベラ(虚言、異常なからかい、焚き火を跳ぶ)、
お父さんとアナは正面から受け止めている(しかもお父さんは割と器用に)印象だった。
独裁政権っていうしんどい状況下で、心を閉ざし、感動しなかったり信じないほうが楽だけど(母とイザベラみたいにね)、
心をオープンにし続けているアナがすごく輝いていた。
ミツバチのつぶやき
午前十時の映画祭で、ウン年ぶりにスクリーンで鑑賞。
やっぱり好きだぁ、この作品。
今回は冷えた関係の家族が、再生するお話とも思えた。
また何年か周期で観直したい。
2023.9.10追記
******
初めて見たのは20歳前後、それまでの人生で出会ったことのないタイプの映画だった。説明的なセリフもほとんどなく、あっけなく場面が変わり、わかりやすい盛り上がりもない。正直「よくわからない」映画だった。ただ、わからないけど妙に惹きつけられ、様々なシーンが脳裏に焼き付き、印象は強烈に残った。光と影、寂しい風景、沈んだ色彩などが絵画のようで、物語というよりも画集みたい。しばらくの間、幾度も記憶を反芻していた。
今、久方ぶりに見直し、初見よりも気付く点は多い。スペイン内戦の影響など、当時は知らなかったことも今はわかる。フランコ独裁下で作られたことも。アナの母テレサは誰に手紙を書いていたのか。村はずれの井戸の小屋にいた若者は、どこから逃げてきたのか。暗喩や象徴だらけである。
そして何よりも主人公アナの目があまりにも清らかで、強い。イサベルなんかいくつか違うだけなのに、言うこともやることもすでに女だ〜と思うけど、アナは本当にこども。ほんの数年で過ぎ去ってしまう、まさに限定された時期なのだ。役の名前と実名が同じなのは、撮影時アナが5歳と幼く、混乱させないためだという。
私にとってはこの映画は記念碑的な作品で、今も心の中の一番いい位置にいる。結局、この作品に出会って以降、映画のマイスタンダードになってしまった。
映像詩の傑作
静かな混乱
恐ろしく台詞が少ない。しかも決定的な事件も少ない。だから話が難解になっている。
ポイントは3つ。
「フランケンシュタイン」「ミツバチ」「キノコ」
この3つの場面だけはいろいろ説明しているので、
その説明の文言をヒントに解明するしかない。
時代背景も色濃い。当時のスペインは内戦が終結。
それでも社会は混沌としており、この映画のフェルナンド家族もまた、
そんな社会情勢に翻弄されていた。
窮屈な社会=ミツバチの巣
新たな希望=創造物としてのフランケン
そして、キノコは死をイメージさせる。
台詞欲しいところも多々あった。
父フェルナンドは娘アナを何故に叱らないのか。
フェルナンドと後妻?テレサは一切の会話がないのは何故か。
何とも深い話だが、3回も見直して疲れました。
ヴィジュアル系映画
なんだ、こりゃ?
1940年代、内戦が終戦したばかりのスペインのとある農村が舞台。幼い少女アナが、村を回る映画で「フランケンシュタイン」を観、姉に「フランケンシュタインは死んでない。精霊だから」と教えられ、村はずれの廃墟で負傷した脱走兵に会い、… と起きることだけを羅列すると、こんな映画。
しかしこの映画の真髄は、少女の思い描く心象風景なのであろうから、上記には大した意味はない。
心象風景とは言っても、映画は現実に起きることを撮影してるだけで、ファンタジーではない。フランケンシュタインのくだりだけが、アナの心の中にあるだけの映像か。それでいてこの映画全体を「心象風景」と感じさせるところが、この作品の、この監督の凄いところだろうか。
なんか偉そうに書いたけど、「なんでミツバチのささやきなの?」を筆頭に、ちっともわからなかった俺でした。これからみんなの感想を読んで勉強してきます!
嫌だね。
抗しがたい死の魅力
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