「やり場のない喪失感と孤独感」まぼろし たけろくさんの映画レビュー(感想・評価)
やり場のない喪失感と孤独感
夫が行方不明になったのちに明らかにされる、心の病を抱えた夫の孤独とそれを生前には知り得なかった妻の孤独…。
妻が夫を「失った」のは、はたして何時なのか。夫が行方をくらましてからなのか、夫が妻に全てを打ち明けなくなったとき既に夫を「失って」いたのか…。残された妻には、それを確認する術はない。
『愛していた夫の死という事実を受け止められず、その「まぼろし」を見てしまう』とか、『愛という二人称の関係は、当事者性にのみ、その真実が宿る』とかいう言説は、多分的外れです。
この夫婦は、共に孤独です。しかしその訪れには時間差があります。妻との関係において、妻からの信頼を得られるという自信が持てない夫は、結果的に妻を信頼できず、また妻は、夫の苦しみについて、夫の母親はそれを知っていた一方で自分は夫から知らされていなかったことを、夫の失踪後に、夫の母親を通じて知らされるのです。
残された妻は、「宙ぶらりん」になります。夫との関係が「どの程度」なのか(「どの程度」だったのか)、検証することが出来ないのです。
妻にとっては多くのことが「検証不可能」です。まず、夫が自ら海に消えていったのか、単なる事故なのかが不明です。そして、夫が既に亡くなっているのか、それともどこかで生きているのかも不明です。さらに加えて、これまで一緒に過ごしてきた年月さえも「まぼろし」かもしれない…。そんな疑念が妻に湧いてきます。
夫の抱えていた苦悩も相当だったとは思いますが、物語は、残された妻の側から描かれます。その喪失感と孤独感は、出口のない「やるせなさ」を思わせます。
その悲しみを想像すればこそ、夫の「まぼろし」を追いかけて砂浜をかけていくラストシーンは涙を誘うのです。
それにしても、シャーロット・ランプリングはいくつになっても美しいですね。