劇場公開日 2021年4月30日

  • 予告編を見る

愛のコリーダのレビュー・感想・評価

全59件中、41~59件目を表示

0.5芸術か猥褻かって、芸術って事じゃないと見てられない

2021年5月21日
iPhoneアプリから投稿

とは言え、正視出来ない程のグロテスク。

Netflixだったので早送りの連続。
映画館じゃ無理だった。

ましてボカシが入ってない無修正版じゃなくて良かった。
まともに人の股ぐらなんか見たくもない。

今の時代なら裁判以前の問題。
AVは知らんけど。

この時代、娯楽が他にないからか、よくまあ暇に任せてというか もう胸が悪くなった。気持ち悪い〜。

この映画は私がまだ未成年の頃 話題になり裁判にもなったわけだが、当時見てたらトラウマになった事間違いない。

いくつかの場面で子どもが出て来るのも これはもう児童虐待確定。
そう言った意味で有罪でいい。

この歳でこんな事言いたくないが、ここまでハードとは知らなかった。
完敗です。

あ〜も〜 吐きそう。
これが芸術だと言うのなら 私は芸術のわからん人間だというのはわかった。

しかし こういうものだ とわかった のが
見て良かった点。

コメントする 8件)
共感した! 4件)
asica

5.0美しくも儚い夢物語

2021年5月20日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

幸せ

美術と照明と衣装が生み出す世界が美しい。俳優陣の演技もあの状況であれだけ出来るのが素晴らしい。ドアップの撮影が多く、俳優の微妙な表情による演技が秀逸。単なるハードコアポルノに終わらすことなく、男女の愛欲の果て、肉体の内側の最奥、感情の深みに横たわる情念までも大島渚は映し撮る。晩年の大島渚はほとんど映画が撮れずにテレビの御意見番となって、無念の内に鬼籍の人となってしまった。やはり、映画を撮って貰いたかった…残念至極である。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
shanti

4.0本当の"芸術"をまだ知らないのかもしれない

2021年5月17日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする (0件)
共感した! 3件)
たまきさん。

4.0芸術か猥褻か

2021年5月17日
PCから投稿

芸術でしょう。

好きだから一時も離れたくない、常につながっていたいというのが、これでもかもかというぐらい直球で伝わる。これを映像で残すとセックスシーンばかりなってしまったわけだが、いやらしさより深い愛ゆえの狂気しか感じない。

怖いね、苦しいね、切ないね。

コメントする (0件)
共感した! 9件)
Oyster Boy

0.5全く面白くない

2021年5月16日
スマートフォンから投稿

情緒のやり取りの描写がほとんどなく、ただただセックス のシーンが延々と続く。物凄くつまらない。これを「芸術だ」と言ってる連中は芸術の何たるかを理解してると思えないし、ポルノとしても二流の作品。ポルノ以下。
日本的な表現が多いので海外ではそこだけが評価されたのだと思う。
見るだけ時間の無駄。全くの無価値。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
Hiroyuki

3.0役者ってすごい

2021年5月14日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ごめんなさい、有り体に言って他人がしてるところを延々と見てることにかなり辟易しました。
いや、あれが全て必要な描写だということはちゃんと分かってる。分かってるんだけど、ねえ。男の人はああいうの見慣れてるかもしれないけれど。
時代は変わりましたからね。今はそういうのいくらでも見られるでしょうから衝撃度は低いかもだけど、当時大変な問題作であったことは容易に想像がつく。ただそれにしても、よくあれで演技ができるな、っていうところに感心した。感動すら覚えた。役者ってすごいなと心から思う。首絞めてるのだって、本当に絞めてるよね。紅潮していくのが見えるもの。

クライマックス、それまで散々ぼかしが入ってたのに、切り取ったものをゴロンと転がしたところは一切ぼかされてないことにちょっとびっくりした。作り物だっていうのが分かるからいいのかな。
ラストのナレーションが聞き覚えのある大島渚監督の声だったのがかえって新鮮味があった。あと小山明子さんがちらっと出演してることもちょっとびっくり。

コメントする (0件)
共感した! 5件)
よしえ

5.0【時代を超えて語りかけるもの】

2021年5月12日
iPhoneアプリから投稿

公開当初は超センセーショナルだった性描写も、今や、過激なAVの登場で過去のものになってしまったのかと思いきや、なんのなんの、やはり大島渚監督の画力は、色褪せないというか、今でも群を抜いてるなと改めて感じた。

冒頭の、料亭のあたりに雪がしんしん降りうっすら積もる場面、喜多川歌麿の肉筆画「深川の雪」を思わせる。

これは、深川の料亭の雪の降る日の芸者衆を描いたものだ。
長らく行方不明になっていて、近年発見され、修復された喜多川歌麿の傑作の一つだ。
喜多川歌麿は、美人画を描かせたら当代随一とされる浮世絵師だが、その魅力は描かれた女性の艶っぽさだ。

そして、映画「愛のコリーダ」は、その後の展開では、「春画」のような性描写の場面が続く。

大島渚監督は、この作品を撮るにあたって、映画「四畳半襖の下張」を意識したと言われているが、同名の原作は永井荷風の小説で、永井荷風が描いたとされる春本(春画集のこと)もあるのだから、春画のようだと感じるのは当たり前なのかもしれない。

因みに、「深川の雪」は箱根にある岡田美術館の所蔵で、別途、春画を展示しているコーナーもあるので、「深川の雪」の限定公開を狙って訪れるのも良いかもしれません。
歌手のあいみょんは、春画愛好家だが、今は容易に春画を集めた画集を手に入れることができるほか、研究家の本などもあるので、ご覧になってみて下さい。

そして、作品について思うのは、人間の奥底に潜む性的な結合を求めてやまない人の心は、至極当たり前のことではないのかいうことだ。

身体のフィーリングが合うのであれば尚更ではないのか。

人間の三欲を語る時、「権力欲」と「睡眠欲」、「集団欲」は選択肢になるが、「食欲」と『性欲』を外す人はいないと思う。
更に、触れ合いたいという「集団欲」は、ちょっと「性欲」にも通じるものがある気がするのは僕だけではないように思う。

確かに、この阿部定事件のようなケースや、有名なアメリカのプロゴルファーのセックス依存症のような状況は許容出来ないと思うが、趣味が合うとか、(曖昧いだが)価値観が合うとか、そういう言葉で説明できないものが、僕達の心の奥底には絶対眠っているのだ。

狂おしいほど好きな相手であれば、ずっと身体を合わせていたいと思うことだってあるはずだ。

場合によっては、落ちるところまで落ちても良いと思うことだってあるだろう。

最近の映画で言えば、「花束みたいな恋をした」では趣味などを通じて付き合った二人は別れたが、ネットフリックス作品の「彼女」や、この「愛のコリーダ」では、人は落ちるところまで落ちてしまう。

「花束みたいな恋をした」を否定して、「彼女」や「愛のコリーダ」を肯定するつもりはない。

どちらも人の揺れ動く心によるものなのだ。

海外では「愛のコリーダ」の無修正のDVDが販売されていて、男性器が見えたのは何回とか、女性器の陰部が見られるのは何回とか、実際に挿入が確認できるのは何回とか、下世話なところのが注目されることが多いように感じる。

しかし、僕達の心の奥底に潜む…というか、当たり前にあるはずの性への欲求を、改めて客観的に考えてみる機会に出来たらいいのにと思う。

それが、単純な性欲なのか、狂おしいほど好きになったが故のものなのか。

「愛のコリーダ」にしろ「彼女」にしろ、人を殺すなんて出来ませんなどと極端な結末を前提に考えるのではなく、心の奥底に潜むものを感じながら、自分自身と照らし合わせて観るのが面白い作品だと思う。

事件後、戦前も阿部定に同情が集まったというのは、これを自分自身の心の底に潜む感情として考えた人が多くいたということではないのか。

大島渚監督の、まるで日本の伝統的な浮世絵と春画を映像に蘇らせたような画力と、そこから感じ取れるエロティシズム、物語の展開は、僕達の心の奥底を照らして、問うているような気がする。

あなたは狂おしいほど人を好きになったことがありますか?…と。

コメントする 2件)
共感した! 10件)
ワンコ

3.0始まりと終わりの唐突さ。藤竜也、まさに体当たり。

2021年5月9日
iPhoneアプリから投稿

再見、劇場では初見。
露悪的でさえある性愛シーンを全編で延々見せられ、その前後は唐突な始まりと終わりという構成の歪を特殊性と評するか否か。
脱力弛緩衰弱し緩やかに絶望する男をそれでも優し気にカッコ良く演る藤竜也、まさに体当たりの巧演。
重要作ではあろう。

コメントする (0件)
共感した! 6件)
きねまっきい

4.0すごい作品!

2021年5月8日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ほとんど、セックス三昧。
こんな作品を作った大島渚監督に改めて頭が下がります。
戦争中の実話ですが、ラストはしびれました。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
かん

5.0感情の振れ幅を見事に表現している

2021年5月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

生は有限である。
死は永遠である。
永遠の愛は死を持って完結する。
男は死を覚悟し死を持って女のものとならんと欲し、女はそれに応えた。
表題にも記したが見事な演出である。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
ちゆう

4.0俺はかたい男だ

2021年4月29日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

怖い

.
.
戦前に実際に起きた女性が不倫相手のブツを切り落として逃走した阿部定事件を題材にした男と女の情事を描いた話。
.
劇中ほぼずーっと2人はヤってるんだが、何がすごいって普通の本番を映してること。日本じゃモザイクかかってるけど、恐らく藤竜也のブツがガッツリ映ってるっていう。すごいわ。
.
2人とも性欲が異常に強くて、特に女の方は食欲と睡眠欲が全部性欲に注ぎ込まれてる。AVのようだけど、もう見てるこっちの性欲はこの女に全部吸い取られてなんか疲れてくるから、そこがAVじゃなくて芸術なのかなと。
.
トイレの時以外ほぼずっとブツを掴まれている男の姿は完全に手綱を握られてるようだし、なんでもお前の好きなようにしていいよっていうあの感じ、なんか見覚えあって腹立つなと思ったら『人間失格』の小栗旬の太宰治だった。
.
公開当時は性的描写が過激すぎて裁判にまでなったらしいし、今だに日本はブツを映しちゃいけないっていうルールがあるのに、ネットでAVが大量に見られたり、日本の風俗文化は他の国からしたら性大国と言われてるんだよ。おかしな国だね日本は。
.
役者本人のブツはモザイクかかるのにブツの作り物にはモザイクかからないってちょっと意味わからんし。
.

コメントする (0件)
共感した! 1件)
せつこん

4.0【”故、松田英子さんの畢生の一作。性愛を映画倫理規定の極限まで描き、世界の映画界に名を遺した大島監督執念の一作でもある。】

2021年3月4日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

難しい

ー 私にとっては、”愛のコリーダ”と言えば、クインシー・ジョーンズの哀愁溢れるディスコ・サウンドである。
 だが、調べてみると、彼はこの映画に触発されて、”愛のコリーダ”を作ったとの事であった・・。
 ”そんなことも知らないのか!””とお叱りを受けそうであるが、年代的にお許し願いたい。-

■感想
 ・初鑑賞作品である。2000年の、修正なし作品の公開の際も興味なくスルーしていた。

 ・阿部定事件を、モチーフに描いている事も、知ってはいた。

 ・このような作品が、東洋の春画の世界を描いていると思われていたのか・・、等と邪推すると、ちょっとなあ・・、と言うのが当時の今作を観なかった正直な感想である。
 ー 琴の音とか・・、ちょっとなあ・・。

 ◆役者さんについて
 ・後年、現在でも現役バリバリで活躍されている藤竜也さんのインタビューを読んだ記憶はある。確か、衆人環視の中で偽りなき行為を行う際には、相当な集中力が必要であった・・、という内容であったと思う。
 同性としては、驚嘆するしかない・・。

 ・そして、”定”を演じた松田英子さん。
 当時、24歳である。
 驚きである。正に畢生の演技であろう。
 この役のイメージが強すぎて、(それはそうだろう・・。)今作後、スクリーンで活躍される機会は少なく、58歳と言う若さで亡くなっている・・。

<大島渚監督が、フランススタッフと製作し、一世を風靡した作品。(当時のレビュー・・。)
 邦画を代表する偉大な監督は、この後、男色に傾倒していくのだが・・・。
 主演のお二人には、敬服するしかない作品である。
 特に、故松田英子さんに対して・・。>

コメントする 1件)
共感した! 16件)
NOBU

5.0死ぬほど良かった

2020年9月17日
iPhoneアプリから投稿

泣ける

興奮

幸せ

ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする (0件)
共感した! 8件)
金子和令

4.5完全ノーカット版は無修正ではない

2019年11月20日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

笑える

楽しい

怖い

ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする 1件)
共感した! 2件)
野川新栄

5.0☆『愛のコリーダ』評

2018年6月2日
Androidアプリから投稿

★映画『愛のコリーダ』(1976年日本・フランス合作/大島渚監督作品)評

-映画『愛のコリーダ』は実にさりげなく大島的シーニュを画面に遍在させながらも、観る者にその強制力を剥奪させる独自の演出力が認められる。それはイマージュとリアリズムを犯罪者と被害者、或いは共犯者に共有させ、それを決して愚弄せず、寧ろこの吉と定を崇める対象とする事で齎される神話作用を司るヘゲモニーを握る大島渚監督のノエマが実に濃厚に刻み込まれた、これは第二次世界大戦直前の予行演習にも準える愛の闘争劇として立派に流通する一個のバイブルとも謂えよう。それはどこまでもグロテスクであり、それをファルスに転化させる記号の遍在にこそ目を向けたい欲望に駆られる実に幸福な映画とも謂えよう-

 幸福なる時間を創造する映画監督とは、観る者にもその時間を共有させる、まさに天使にも等しいステイタスを誇示する人。この『愛のコリーダ』と呼ばれる映画は、そんな幸福なる瞬間の連続体として君臨する大島渚という固有名詞が生んだ奇跡的と言っても決して過言ではない佳作であろう。
 ここには、あくことなく展開される性戯が愛憎のコード化から逸脱する時に齎される生死を賭した四畳半のコロッセウムという仮想のトポスを、事件の現場に変容させる説話が確認されるのだ。それを人は、ヒロインの阿部定にイヴを措定させ不可視の空虚なる空間にアダムにも準える吉の魂を漂わせるエデンの園での、至高なる愛の物語とも謂える。
 例えば、吉の息の根を止める定の行為には、殺意というよりも愛情のほとばしりが認識できる。それは、首を締められる時の吉の喉仏を一際強調するかのように、その円形がデフォルメされる。
 ここに於いて、大島的シーニュとしての円形というフォルムへの執着が確かめられる。この球形への誘惑は、最初は屹立していた勃起したペニスにも酷似する徳利が、最期には丸型となり定の遊具として独楽の役割を与えられる。それは、吉のペニスが次第に劣等的な位置に追いやられ、サディストとして高ぶる女陰にも似た丸型の徳利が廻す対象として君臨する。ここに、円形の優位が確認されよう。それは吉が劣勢となり、定が女帝としてこの四畳半という空間を占拠する最期に相応しい儀式としてのペニス切断をも向かえる事となる。
 しかも映画中盤の夜の場面で、これも大島的シーニュと符合する俯瞰撮影で捉えられる雨中の屋外で番傘を廻しながら定と吉が決して性戯ではなく、遊戯的特権を行使するかのようにお互いが旋回する場面。ここにも、円形へのこだわりが窺えよう。それは屋内の畳部屋で、定を中心に据えすっ裸の少年と少女が彼女の周囲を廻る場面とシンメトリーな関係を保つ。
 この二つの場面には大人と子供の遊戯性が、実に他愛のない未熟さを共示として純粋無垢な子供達と男女の酸いも甘いもかぎ分けた恋愛の達人の定と吉の、無償とも謂える未完成の関係を観る者に提示するのだ。ここでは年齢差という差異よりも、幼児性の露呈があり、人間が根源で受け持つ未成熟への憧憬が確認されよう。
 更にこれと供応するであろう場面に相当するもうひとつの対となる場面が、最期の円山公園の客席でのイマージュの場面。半裸に近い定を四角い仕切りの中心に据え、その周りを死んだ吉と少女が廻る無人の客席が、その冬の異様さを称える。ここでは廻る二人が理不尽にも親子を演じる事で、生に耽溺する定を中心にしてその周縁を廻る事が冥界に於ける輪廻転生を仮想として具現化させるのだ。ここに於いて、六道遊行に旅立つ吉と仮想の少女は犯罪者として生きる事を決意する定を見守る為に、辺境の死界に追いやられるのだ。それは、未成熟から死を体験して到達した成熟の彼岸とも謂えよう。
 そして、この映画に於けるもうひとつの記号体系として、先の傘の場面辺りから画面に実にさりげなく示された定の表象色とも謂える赤が、次第にスクリーンを占有してゆく。それは、タイトルのコリーダ(闘牛)のメタファとも謂える吉の性欲を奮い立たせる色として君臨する。
 更に、これと比例するかのように吉のペニスに代表されるリニア的構造への定の嫌悪が明かされてくる。それにつれて定のサディズムをも高じらせ、やがて吉にまで伝播するこの嫌悪感は、憲兵隊の行進とは逆方向を一人吉が歩む事で時代を逆行する、まさにスクリーンという表層の領域で批評性を帯びさせるダイナミズムを観る者に抱かせるのだ。
 このダイナミズムは、この映画の天候を左右する。先ずは冒頭から深々と降る雪がやがて雨へと変容する頃には、この凝固した雪が融解して雨となるのも、定と吉の性愛のパトスの高揚が恰も天候にまで関連したかのような激しさを、その性交に纏わせる。
 そして二人の飲む酒はやがて二人の体液として、定には吉の肌に浮かぶ汗として自らの性欲を昂然とさせ、吉には女陰が生成する潮を醤油代わりに煮物に付け食する事で、性欲と食欲を同時に満足させる一石二鳥の快楽を完遂させる。
 その異常とも謂える液体は、やがて最期には吉の定によるペニス切断から放射された血液へと変貌を遂げる。ここに赤色と血液という恋愛の彼岸を賛嘆する幸福な記号が生産され、流通する為の見事な融合の儀式が成就するのだ。それは、それまでの性交の恋愛形態がいかに未成熟に等しかったかを示す為の異化効果をも孕んだ演出で提示される。この円熟を示唆するダイナミズムとオルガスムス、そして儀式の終焉に相応しい説話的磁場を生成するラストも希有な存在であろう。
 映画『愛のコリーダ』は実にさりげなく大島的シーニュを画面に遍在させながらも、観る者にその強制力を剥奪させる独自の演出力が認められる。それはイマージュとリアリズムを犯罪者と被害者、或いは共犯者に共有させ、それを決して愚弄せず、寧ろこの吉と定を崇める対象とする事で齎される神話作用を司るヘゲモニーを握る大島渚監督のノエマが実に濃厚に刻み込まれた、これは第二次世界大戦直前の予行演習にも準える愛の闘争劇として立派に流通する一個のバイブルとも謂えよう。それはどこまでもグロテスクであり、それをファルスに転化させる記号の遍在にこそ目を向けたい欲望に駆られる実に幸福な映画とも謂えよう。
(了)

コメントする (0件)
共感した! 1件)
シネフィル淀川

4.0愛って...?

2014年12月15日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

怖い

阿部定さんを知って以来、ずっと観たいと思っていて
やっと、機会があって観ることができました。

いろいろなことを抜かしていると感じました。
定の生い立ちや、なぜ定が吉蔵を殺そうと思ったのかなどです。
これが無かったので
定がただの快楽主義者にしか見えませんでした。

吉蔵は定をなんでも許すということで愛して居たのだと思います。
定は吉蔵を愛して居たのでしょうか...。

それにしても
藤竜也がとてもいい男でした。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
タテスジコ

3.5強烈

2014年11月5日
iPhoneアプリから投稿

怖い

ここまで無理矢理に、強制的に、性行為に直面させられた映画は初めてだ。
息もつけないほどの強烈さは、どこか外傷的である。

男は、女の快楽を自分の欲望として、引き受ける。
女は、男の欲望を自分の快楽として、享楽にふける。
自分の快楽と他人の欲望が、境界線をなくし、二人で作った幻想を、破滅に向かって抱きしめる。

何食わぬ顔で性愛を妄想して楽しむ下品さに対して、強烈なリアルを提示されることで、観客は仮面を剥ぎ取られる。

藤竜也が、カッコよすぎる。

コメントする (0件)
共感した! 7件)
Raspberry

3.0性愛と戦争と

2014年7月11日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

 おそらく、このフィルムに、日の丸を持った子供たちや、藤竜也が軍隊の行進を避けて道の端を歩くシーンがなかったとしたら、ひたすら性愛に没頭する男と女の情念に関する記録を映したものにしかならなかったのではないか。
 ラストで、たぶん大島監督自身によるナレーションが、この事件が1936年に起きたことを伝える。2・26事件が発生した昭和11年のことである。この年代についてわざわざ言及することは、子供たちに日の丸を持たせたり、藤の歩く道に軍隊を行進させたりすることと同じ効果を発揮している。
 これらの効果とは、観客が、この性愛を主題とした物語の片隅に戦争の記憶が刻みつけられていることを意識させられるということである。大島監督は、何を狙って戦争の記憶というものをこのフィルムに挿入したのだろう。初めて観た大島作品なので、他の作品にも触れなければ分からないだろう。
 論戦を朝までやってるTVのトークショーに彼が出演していたことの意味合いを、何となく感じ始めた。これは、彼の作品群を観なければならないな。

コメントする 2件)
共感した! 7件)
佐分 利信

4.5何度見ても圧倒される

2013年3月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

 人間の本質をいかにフィルムに焼き付けようかという運動をとても感じる映画だった。セックスのために何もかも犠牲にして命すら粗末にしてしまうというのにどうしようもなく絶望感たっぷりで、全然楽しくなさそうなところがすごい。決して幸福でもなさそうだった。それでも深みにどんどん足を踏み入れていくところに圧倒される。

 女にもてる人は、この藤達也もそうだけど、とても優しい人で、女の子の物質から精神までとても細やかなケアをする人が多い。単に気の合う合わないの問題もあるだろうけど、なかなか真似できるものではなく、非常に頭がさがる。そして精力のすごさにも頭がさがった。

 2000年のリバイバル時にレンタルのVHSで見て圧倒されて、いつかスクリーンで見たいと思っていた。大島監督には申し訳ないのだが、追悼特集でこうして『戦場のメリークリスマス』など傑作が上映されるのはとてもありがたい。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
吉泉知彦
PR U-NEXTで本編を観る