「藤竜也を改名するとすれば、ヨクタツヤもしくはスグタツヤ」愛のコリーダ kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
藤竜也を改名するとすれば、ヨクタツヤもしくはスグタツヤ
阿部定事件と聞いて真っ先に思い出すのが阿部サダヲ。愛のコリーダと聞いて真っ先に思い出すのがクインシー・ジョーンズの名曲だったりする。学生時代にも吹奏楽部や合唱団とのコラボで演奏したこともあるのですが、キーがEmなのでブラスセクションが苦労していたことを思い出します。ギターソロはもちろんスティーブ・ルカサー。ベースがルイス・ジョンソン♪ちなみにシングル版とアルバム版ではギターソロの長さが違う・・・
日本版愛のコリーダが公開されたときには18歳未満だったので鑑賞は無理でしたが、「芸術か猥褻か」の裁判の行方が気になってしょうがなかった。さすがに性描写は半端ないものだったし、実際の行為を想像すると、そのままの流れで日活ロマンポルノが衰退しAVの時代へと突入する点では賛否両論あろうけどエポックメイキングな作品に違いない。
まず驚いたのが殿山泰司でさえ下半身を露出したシーン。さらに芸者たちという人前であろうが構わず抱き合う二人の姿。ブロージョブは変態行為だと蔑まれてもおかまいなしで、ネズミの死体臭がするまでやりまくりの二人。純愛?違うな。他の人ともセックスする二人だし、単なる愛欲に溺れた変態なのだろう。ことあるごとにハサミを用意する定だったし、吉蔵もこのまま殺されてもかまわないと覚悟を決めていたのだろう。その耽美的かつ厭世的でもある世界にどっぷりとはまってしまう。
もともと大島渚は国家権力に対する反骨精神にあふれていて、いつも怒りに満ち溢れているイメージだった。朝生を見てると、いつ倒れてもおかしくないほどブチ切れていた。映画はそれほど見てないけど、アウトロー的な社会派作品を作る監督だと思っていた。この愛のコリーダにしても映倫という検閲への抵抗を見せてくれたのだと思いたい。
ブロージョブって お酒を手を使わずに口にグラスをくわえて一気に流し込んで飲むって事だそうで、それがその語源になったのだとありました。
なんとなくわかった気になりました。洋画で聞き取る?ってそれは私はあり得なさそう。さすがです。
おはようございます。
”藤竜也を改名するとすれば、ヨクタツヤもしくはスグタツヤ”
朝から、脳内大笑いです。(これ、会社で使わせて貰って良いですか?タツヤって名前の同僚がいるので。)
Kossyさん、笑いのセンスも抜群ですね。
あ、全然映画の話をしていない・・。
又、消されちゃうかな?(結構、根に持っていますが、あの内容では仕方ないですね・・。)
これ見てから、朝ドラに今出ている藤竜也見ても場面がチラついて、それを払拭するのに実際 自分の頭をふりふりせねばならず困っております。
殿山泰司さん、ありましたね、あのシーンのグロさは極め付け。最近の私は脳内老化により「汚いものは見たくない」に特化して来てるらしいです。