劇場公開日 2021年4月30日

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「【時代を超えて語りかけるもの】」愛のコリーダ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0【時代を超えて語りかけるもの】

2021年5月12日
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公開当初は超センセーショナルだった性描写も、今や、過激なAVの登場で過去のものになってしまったのかと思いきや、なんのなんの、やはり大島渚監督の画力は、色褪せないというか、今でも群を抜いてるなと改めて感じた。

冒頭の、料亭のあたりに雪がしんしん降りうっすら積もる場面、喜多川歌麿の肉筆画「深川の雪」を思わせる。

これは、深川の料亭の雪の降る日の芸者衆を描いたものだ。
長らく行方不明になっていて、近年発見され、修復された喜多川歌麿の傑作の一つだ。
喜多川歌麿は、美人画を描かせたら当代随一とされる浮世絵師だが、その魅力は描かれた女性の艶っぽさだ。

そして、映画「愛のコリーダ」は、その後の展開では、「春画」のような性描写の場面が続く。

大島渚監督は、この作品を撮るにあたって、映画「四畳半襖の下張」を意識したと言われているが、同名の原作は永井荷風の小説で、永井荷風が描いたとされる春本(春画集のこと)もあるのだから、春画のようだと感じるのは当たり前なのかもしれない。

因みに、「深川の雪」は箱根にある岡田美術館の所蔵で、別途、春画を展示しているコーナーもあるので、「深川の雪」の限定公開を狙って訪れるのも良いかもしれません。
歌手のあいみょんは、春画愛好家だが、今は容易に春画を集めた画集を手に入れることができるほか、研究家の本などもあるので、ご覧になってみて下さい。

そして、作品について思うのは、人間の奥底に潜む性的な結合を求めてやまない人の心は、至極当たり前のことではないのかいうことだ。

身体のフィーリングが合うのであれば尚更ではないのか。

人間の三欲を語る時、「権力欲」と「睡眠欲」、「集団欲」は選択肢になるが、「食欲」と『性欲』を外す人はいないと思う。
更に、触れ合いたいという「集団欲」は、ちょっと「性欲」にも通じるものがある気がするのは僕だけではないように思う。

確かに、この阿部定事件のようなケースや、有名なアメリカのプロゴルファーのセックス依存症のような状況は許容出来ないと思うが、趣味が合うとか、(曖昧いだが)価値観が合うとか、そういう言葉で説明できないものが、僕達の心の奥底には絶対眠っているのだ。

狂おしいほど好きな相手であれば、ずっと身体を合わせていたいと思うことだってあるはずだ。

場合によっては、落ちるところまで落ちても良いと思うことだってあるだろう。

最近の映画で言えば、「花束みたいな恋をした」では趣味などを通じて付き合った二人は別れたが、ネットフリックス作品の「彼女」や、この「愛のコリーダ」では、人は落ちるところまで落ちてしまう。

「花束みたいな恋をした」を否定して、「彼女」や「愛のコリーダ」を肯定するつもりはない。

どちらも人の揺れ動く心によるものなのだ。

海外では「愛のコリーダ」の無修正のDVDが販売されていて、男性器が見えたのは何回とか、女性器の陰部が見られるのは何回とか、実際に挿入が確認できるのは何回とか、下世話なところのが注目されることが多いように感じる。

しかし、僕達の心の奥底に潜む…というか、当たり前にあるはずの性への欲求を、改めて客観的に考えてみる機会に出来たらいいのにと思う。

それが、単純な性欲なのか、狂おしいほど好きになったが故のものなのか。

「愛のコリーダ」にしろ「彼女」にしろ、人を殺すなんて出来ませんなどと極端な結末を前提に考えるのではなく、心の奥底に潜むものを感じながら、自分自身と照らし合わせて観るのが面白い作品だと思う。

事件後、戦前も阿部定に同情が集まったというのは、これを自分自身の心の底に潜む感情として考えた人が多くいたということではないのか。

大島渚監督の、まるで日本の伝統的な浮世絵と春画を映像に蘇らせたような画力と、そこから感じ取れるエロティシズム、物語の展開は、僕達の心の奥底を照らして、問うているような気がする。

あなたは狂おしいほど人を好きになったことがありますか?…と。

ワンコ
talismanさんのコメント
2021年6月1日

私も春画の世界だなと思いました。

talisman
morihideさんのコメント
2021年5月18日

そういう解釈ですか。
このレビューを読んで観てみたくなりました。今度観に行きます。

morihide