悲情城市のレビュー・感想・評価
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知られざる時代の切なく重厚な群像劇
ホウ・シャオシェンの台湾現代史三部作の1作目で第二部にあたる映画で、日本が降伏した1945年から国民党が台湾に逃亡してくる1949年までをある台湾人の大家族を主人公に描いた群像劇。日本植民地時代と国民党台湾逃亡に挟まれた、日本人の意識としては空白だったと言ってもよい台湾の時代を描いた映画で、僕はこの映画で二・二八事件を知った。二・二八事件を描いた最初の映画だったとのことで、ようやく戒厳令が解除されてから2年後に公開された映画だったそうだ。
とはいえ観た当時はそんなことはほとんど知らず、あくまで『恋恋風塵』に続くホウ・シャオシェン監督の映画として観た。僕はそれ以前にまず中国第五世代のチャン・イーモウ監督の『紅いコーリャン』に衝撃を受けていて、その次の洗礼が台湾ニューシネマのホウ・シャオシェンだった。さらにその後、チョウ・ユンファが主演したメイベル・チャン監督の『誰かがあなたを愛してる』やレオン・ポーチ監督の『風の輝く朝に』といった香港ニューウェーブに触れていく時代である。う~ん、懐かしい。
製作側からのオファーで大家族の四男役で主演した香港俳優トニー・レオンは台湾語が話せなかったため、原作を改変して聾唖者の役になったというのは有名な話。また、その恋人役で初期ホウ・シャオシェン映画のミューズだったシン・シューフェン(辛樹芬)の最後の出演作となった映画でもある。ホウ・シャオシェンが『童年往事 時の流れ』のヒロインを探している時に街で偶然見かけて一目惚れし、熱心に口説き落として出演させたそうで、以後『恋恋風塵』でもヒロイン役、『ナイルの娘』では脇役で出演したものの、渡米して結婚。しかしホウ・シャオシェンの強い希望で一時帰国して本作に出演したのが最後の映画出演となった。おそらくシン・シューフェン本人はあまり女優業に強い関心がなかったんじゃないかという気がする。映画を観ていても職業女優とは違うちょっと素人っぽい儚げな雰囲気に、そういうところがなんとなく感じられた。あと、80年代ジャッキー映画でお馴染みのタイ・ポーが出演していて、こういうシリアスな演技もできるんだとちょっとびっくりした記憶もある。幼少期に台湾に住んでいたらしい。
青春4部作と違って、ホウ・シャオシェンにしてはかなりの大作。とにかくすごい作品でした。
歴史の背景を持つ映画
傑作
長い間ずっと観たくて、でもなかなか観られなかった作品。
〝日本統治が終わった台湾で何が起きたのか〟という歴史的事実と、人々の複雑で屈折した思いが十全に描かれている。ここまで綿密に繊細に〝声なき声〟を語るホウ・シャオシェンの驚くべき表現力に度肝を抜かれた。
控えめなカメラワークと、同じ構図が何度も繰り返されることによって、同じ時間と空間を追体験しているような感覚を味わう。
暗がりの部屋から始まるオープニングでは、玉音放送、電球の光、赤子の産声を通して、これから台湾が台湾として生まれかわる希望が確かに見えた。
しかし物語が進むにつれ、思い描いていた希望は徐々に失望へと移り変わる。国民党の悪政、理不尽な逮捕、残念無念な死。
世の中には記録されたものしか記憶されない。無数の人々の記憶が歴史から忘れ去られる中で、我々は〝誰かが生きた証〟の尊さを噛みしめるしかない。文清の筆談や最後に撮った家族写真を見ながらそんなことを思った。
台湾が日本が植民地として台湾総督府にするまで、ただの島で高砂族やオ...
悲しみの終わらない国
一度観ただけでは登場人物の相関図を把握するのに時間がかかってしまい、理解しきれない部分はあったものの、最後まで作品のスケールの壮大さに圧倒された。
1945年、ラジオから日本の敗戦が伝えられる中で、ひとつの命が生まれるというかなり印象的なシーンから映画は始まる。
日本の敗戦は、すなわち台湾の日本統治が終わることでもある。
敗戦後の日本はその後高度経済成長を迎え、今に至るまで大きな戦争に巻き込まれることもなかったが、台湾が戦後に歩んだ歴史はかなり過酷だ。
中国では国境内線が始まり、やがて日本に代わり台湾に流れ込んできた中国人たちは台湾の人々に対して弾圧を行うようになる。
この作品でも二・二八事件という闇タバコが引き金になった、中国人による台湾人の虐殺の模様が描かれている。
とにかくこの映画に登場する台湾人は理不尽な暴力にさらされる。
林家の三男である文良は戦争によって精神錯乱状態になり帰国する。
病は治ったものの文良は阿片に手を出すなど問題的な行動も多く、長男の文雄は彼を叱責する。ヤクザ同士の抗争は一応解決はするのだが、彼は売国奴と密告されたことから憲兵に逮捕され、激しい拷問を受ける。文良は釈放されるのだが、拷問によって再び精神に障害を負ってしまう。
四男の文清は耳が聞こえないのにも関わらず、同じく売国奴の疑いをかけられ逮捕されてしまう。
彼の親友である寛榮も足を折られ、やがて中国の軍隊によって追い詰められていくのだが、何を根拠に彼らが危険分子として追われることになるのかが全く分からなかった。
実際にも潔白であるのにも関わらず不当に逮捕された台湾人はかなりいたのだろう。
両親や妹の寛美に二度と会うことが出来ないことを覚悟の上で、祖国のために寛榮がゲリラとして山奥に潜伏する道を選んだのはとても悲しいことだと思った。
長男の文雄は上海マフィアとの抗争に思わず手を出してしまったために命を落とす。
個人的には耳の聞こえない文清が、だからなのか、一番台湾の人々の思いを代弁しているようにも感じ、この映画の中では一番の重要なキャラクターであるとも思った。
ずっと文清と寛美はいつかは夫婦になるのだろうなと予感はしていたのだが、なかなか文清の方が一歩を踏み出すことが出来ない。
そんな文清に耳が聞こえないことを承知で、寛美の気持ちに応えてあげろと文雄が発破をかけるシーンがかなり印象的だった。
そして文雄の死語、二人は結婚式を挙げる。
このシーンはかなり感動的に演出してもいいように思ったが、最後までこの映画はどこか俯瞰したところから淡々と物事を映し出している。
人が亡くなることも、人が生まれることも、同じようにこの映画はありのままの事実として描いている。
だからこれは観ていて感動の涙を流すというタイプの作品では全くない。
ありのままに残酷な現実を見せつけられるからこそ、心に強く響くものはあるのだが。
文清が寛美と生まれたばかりの子供と、セルフタイマーで記念写真を撮るシーンは印象的だ。
その後に文清は再び逮捕されて行方不明になってしまう。
最後は文良や父親の阿祿ら家族が食卓を囲むシーンで終わるのだが、どれだけ過酷な運命を描いた映画でも、食事のシーンで終わる作品はどこか救いを感じさせるものだといつも思う。
すごい作品を見たとしか言いようがない。男の子の誕生で始まり、その周...
これが九份
最後の家族写真が目に焼き付く
監督の気合いと気負いを強く強く感じる力作、チャレンジング、監督の気合いを感じる。
正直人間関係、歴史的背景などがよくわからなくてすごい考えながら見た。特に登場人物、家族関係が人数多い上、家長のお爺さん(お父さん役)は他の映画でもいつもお父さんなので他の映画の人間関係まで思い出してしまい、話についていくのが大変だった。
中国語の知識、聞き分けごできないから、長兄と大陸やくざとの交渉は二段階通訳で、台湾語〜何語〜何語かもわからず。全部わからないと悔しい作品だがなかなか見る機会もない。しかし台湾現代史に斬り込みながらも日本統治、国民党統治に翻弄される台湾社会、家族の暮らしを悲しみと、愛情で描写する大作。反政府活動というのか民主化?啓蒙?活動に従事する若者たちがあのような弾圧され最後トニーレオン演じる聞こえない喋れない男まで再び逮捕されるとは。最初の煙草屋騒動からの暴動、台湾人の逮捕、獄中での仲間が銃殺など台湾の知られざる事実に戦慄を覚える。支配、植民、隷属化される島の悲しみ。いつまでも途絶えることない悲しみ。
家族愛
日本人には余り知られていない台湾の近代史がわかる。日本の敗戦によって解放されてから国民党政府が台北に成立するまでの激動期の台湾を舞台にしたある一家の物語(悲劇)である。中国、特に上海との抗争が中心となっていて、反日的な物語とはなっていない。 台湾北部の町、九份が舞台となっているが、九份の良さが出ていないのがちょっと残念。一部の台湾人にとって、戦争前よりも戦後のほうが大変だったんですね。
被支配者の憂い。
昔観たはずですが、侯孝賢はそんなに良いのか?と当時思っていました。
九份が台湾のどの辺りなのかすら、当時は知らなかった。
世紀をまたいで二度目の鑑賞。
カタギではない大家族を中心に、1945年〜1949年までの変遷を、市井で生活している者の目線で捉えた大作。
WWⅡの終結、日本の撤退、国共内戦、ニ・ニ八事件から戒厳令に至るまで、翻弄されながらも幸せを求めんとする人間の姿は愛しい。
ドタバタはあるけれど、驚く程静かに、声高に主張することなく、その生きる様を描いていると思います。
四男文清が中途失聴者である(筆談のみ可能)、という設定が功を奏してます。
惜しむらくは、登場人物が多く、関係性を捉えるのに戸惑う人も少なくないのでは?ということ。私もその一人です。
それでもなお、今の台湾を知る上で、その底辺に流れているものを感じることのできる作品でした。
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