パリ、テキサスのレビュー・感想・評価
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四半世紀越しの願い
「パリ、テキサス」が劇場公開された1984年当時、私はまだ小学生でこの作品の存在すら知らなかった。
それから10数年後、大人になり一人暮らしを始めた私の元に実家の母から1本のビデオテープが送られてくる。どうやらケーブルテレビの映画専門チャンネルで録画したものらしい。そのビデオテープのラベルには手書きの文字で「パリ、テキサス」と書かれていた。私はそれを小さな14インチのテレビで鑑賞した。その日以来いつか「パリ、テキサス」を劇場の大きなスクリーンでを観てみたいと強く願うようになった。この時すでに時代は1990年代後半に差し掛かっていた。
あれから四半世紀以上が経ち、半世紀以上生きた私は劇場でのリバイバル上映の列に並びようやく願いを叶える事ができた。
主人公が彷徨うパリと言う名のテキサスの荒野をスクリーンの中に観た。そして涙ぐんだ。嬉しかった。
思い出話しをしておきながらこんな事を言うのはなんだが、私はこの映画を観て懐かしがりたくない。懐古する事は悪い事ではない。でも懐かしいと思った瞬間それは過去の物になってしまう。パリ、テキサスは決して古くないのだ。だから配信でこの作品を知った現代の若者か私のようにいつか映画館のスクリーンで観てみたいと1人でも多く願って欲しい。
そうやって願いは時代を超えて「パリ、テキサス」の物語は受け継がれていくのだろうと思う。
見る/見られる、見せる/見せられる
覗き部屋と映画は似ている。映画は観客が一方的にスクリーンを見る。見る主体としての観客と見られる客体としての映画。覗き部屋は、マジックミラーのようになっており、客からは女性が見えるが、女性側は客を視認できない。見る主体としての男性客と見られる客体としての女性。映画研究者ローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」の影響があるんだろう。映画がなぜ魅力的なのか、それは「のぞき見る」快楽があるから、そしてハリウッド映画においては大抵、男が女をのぞき見る構造をしているとローラ・マルヴィは言ったわけだけど、彼女が言ったことがそのまま映画の中で再現されている。
「見る/見られる」という関係において、確かに男が女を見ることの方が多かっただろう。しかし、「見る/見られる」は何かの拍子に「見せる/見せられる」という関係に反転するのではないか。この映画を久しぶりに見てそんなことを思った。主人公の男はかつての妻を覗き部屋の鏡越しに見たくなかったのか、背中を向けて話し始める。しかし、最終的には見なくてはいけなくなる。彼はあの時、主体的に「見た」のか、それとも「見せられた」のか。
面白い
タイトルなし
男と女、ままならない愛の果て
フランスのパリではなく、アメリカのテキサスのパリ。
荒野を彷徨い倒れた男が、元妻を探して旅に出る・・・。
ヴィム・ヴェンダースが撮ったロードムービーの名作・・・。
映画をジャンルで分類するなら、確かにこれはロードムービーだ。
大人と子供。男同士。果てしなく続く道路。車中で語り合い、ときに疲れて眠り、ときに荒れて酒を飲む。分かれ道。来た道を一旦引き返す。どこかで観たような画がでてくる。
しかし、どうやら、この旅路の果てにハッピーエンドは用意されていないらしい。8ミリフィルムの家族達をみて、そう確信した。
彼らにとって、幸せの頂点は、この8ミリ映画を撮ったときだったのだろう。もうそこには戻れない彼らがいた。
トラヴィスが彷徨い続けた闇から出て正気を取り戻し、ハンターと親子の絆を取り戻していく過程が淡々と描かれていく。道路の両側を歩調を合わせて歩く親子の姿は、微笑ましいシーンだ。
しかし、トラヴィスの心の闇はなかなか明かされない。彼は何を抱え、何を考えているのか。それは、「覗き小屋」という意外な仕掛けの中で一気に明らかにされた。
板で区切られた閉鎖的な小部屋の中で、1枚のマジックミラーを隔て、電話で会話する。今までの開放的な空間とは真逆の空間の中で語られる2人の過去。
この場面設定には、痺れた。お互いが心の内を語り合うのに、触れあうことはない。この空間は彼らのために用意された空間のようにすら思えた。
愛情というのは、やっかいなものだ。
相手にわかって欲しいと思ってもわかってもらえない。わかってもらえないと徐々に歪んでいく。一旦歪んでズレていった愛情はもう元には戻らない。
ハンターはどうなるのだろう。実の父と母に再会できた彼は幸せになるのだろうか。
赤いセーターのナスターシャ・キンスキーがとびきり美しい。まるで彼女は幻のよう。
ままならない愛は、ままならないまま終わり、男はまたどこかへ消える。
ライ・クーダーのギターのせいだろう。湿っぽさはない。
今も何処かにこんな男と女がいる。ただ、その想いだけが心に残った。
子どもが大人
おそらく、当時に観たほうが、
断然面白く感じたんだろうと思いました。
今の自分の年齢や進化した社会だと、
ストーリー的にうーん…て感じでした。
トラヴィスという困ったちゃんの大人の男と
ジェーンという若い女が結婚して、
男は女の若さと美しさに、いろいろ不安になって情緒不安定、
女は若すぎたからか、子どもを仲の良かった男の弟夫婦に預け去る。
まぁ、あるあると言えばあるあるなんだけど…。
なんだかなぁ…。
弟夫婦が良い人過ぎて、
後半は、ないがしろかいっ!てツッコミました 笑
ただ、音楽や全体の雰囲気や演出、ロードムービーなところ、
ところどころのセリフ(忘れたけど 笑)は良かったです。
でも、一番は、ジェーン役のナスターシャ・キンスキー!
小悪魔的なセクシー&キュートさの破壊力がハンパなく、
こりゃ、トラヴィスも不安になるわなぁ…でした。
男はつらいな
テキサス州のパリとの情報だけで、この映画を見た。
テーマは、孤独な人間の交差点。夫、トラヴィスは4年前に失踪し、妻はやむなく子供を夫の弟夫婦に委ねざるを得なかった。ところが夫がほぼ言葉を喪った状態で、テキサス州の荒野で見出される。
トラヴィスの妻だったジェーンをナスターシャ・キンスキーが演じ、20歳以上も歳の離れた夫トラヴィスが4年間の記憶を失っていた段階で、心の襞に触れてゆくような心理ドラマではなく、人間の存在そのものが問われる、これ以上ない厳しい映画と知れた。ましてや、日本のように、子供中心の家族劇ではない。舞台は米国だが、それぞれが孤独な魂を抱え、個人で生きているヨーロッパを思わせる映画。ロードムービーとは言え、米国映画のそれとは違い、旅に出ても、何かが変わるわけではない。
驚いたことに、映画の撮り方には、フランシス・フォード・コッポラの影響がある。仕切りのガラスが、マジックミラーにも、向こうが透けて見えるガラスにも、鏡にもなるところ(黒澤の影響もあるのかも)など。街の撮り方も、perfect daysを見た時、ソフィア・コッポラの映画と似ていると思ったけど、これも親父コッポラの影響か。
ナスターシャ・キンスキーは、マジックミラー越しのテレクラでは、この世のものとは思えないくらい美しかった。息子のハンターの面倒を見てくれているトラヴィスの弟ウォルトは、面倒見のよい米国人を象徴しているのか。不思議だったこと、フランスのことは何度も出てくる。表題も、ハンターの面倒を見てくれるウォルトの優しい妻アンは、フランス語なまりの英語を話すフランス人。ハンターが、ヒューストンで泊まっていた高層ホテルはメリディアン、おそらく独仏合作で、スポンサーのこともあったのか、ところがベルリンの壁、崩壊前のドイツのことは何も出てこない。ここに、ヴェンダースの葛藤があることが予期された。
記憶を喪ったトラヴィスが、ウォルト、アン、ハンターと共に暮らすようになってから、アンの靴を磨いて並べたり、自分で皿洗いを始めたりするところに、何とも言えないrealityがあった。彼の4年間の身過ぎ世すぎが伺われた。おそらく、救ってくれたドクターが予想していたように、交通事故か何かに遭って、高次脳機能障害を負ったのだろうけれど。
傑作である。ヴェンダースが若い頃作った他の映画も是非、観たい。
ロードムービーの原点ともいえる作品か
今年13本目(合計1,555本目/今月(2025年1月度)13本目)。
近くの映画館で復刻上映をやっていたので見に行ってきました。
今でこそロードムービーといえば色々な種類がありますが、黎明期であったのであろうこの作品のころは、本当にロードムービーをする「だけ」の映画か、それに一ひねりしている程度の映画というのが多いですが(過去作品をVODでみても)、本映画は基本的には単純なロードムービーを前提にしつつも、家族の愛について考える後半パートとの塩梅の良さが良かったといったところでしょうか。
実際、ロードムービーの映画は「純粋に」それだけだと本当に見るところがなくなるので(別にそれなら、グランツーリスモなりの映画でも見てればいいってことになる)、「なぜ車(なり、バイクなり、趣旨が似ても旅行するために一般的に用いられる乗り物含む)なのか」ということに加えて「その車などによる旅行で、主人公たちがどのような経験をするか」というのは大きなファクターで、この点が詳しく描かれていたので良かったところです。
採点に関しては特段差し引く要素まで見当たらないのでフルスコア扱いです。
かなりVODでも見られるようななのであまりネタバレはよくないな、ということでネタバレ回避で動いた部分もままあります。
幸福で美しく
行方不明のオレの恋人は…
昔レンタルで観て、あまり良くなかった事を覚えていたのですが、今回で2回目です。
超久しぶりに観たけど、パルムドールを受賞した作品だけど、やっぱり、あまり良く思えなかった…
長すぎるし、テンポ悪いし、あまり起伏がないし、観てて疲れます。
1時間ぐらいバッサリ切った方が良くなると思う。
アメリカ文化が好きな自分にとっては、アメリカンな風景のオンパレードなので、そういった意味では楽しめました。
ライ・クーダーの音楽は良かったです。
ラウンジ・リザーズのジョン・ルーリーがチョイ役で出てます。
映画タイトルで、フランスからテキサスまで旅する話だと思う方がいると思いますが、
アメリカのケンタッキー州にパリという都市があるみたいで、その事です(笑)
うーん😔そこまでだったけど…
生涯見続けたい作品(4Kレストア版)
砂漠の中の世界
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 人間は過去から逃れられないものなのだろうか。男は過去をどうしても乗り越えられず未来へも歩き出せそうにない。でも愛する者に未来を贈った。此はそういう物語だと思う。
アメリカンロードムービーに隠れた洒落たカメラワーク
強すぎる愛は相手を理想化し、コミュニケーションが成立しなくなる。
テキサスを放浪していたトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)は弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)に引き取られる。
ウォルトと妻のアンはトラヴィスの息子ハンターを育てていた。
トラヴィスはウォルトの家でしばらく生活していたが、アンから彼の妻ジェーンの消息を知らされ、探しにいくことにする。
ジェーンを演じているのが絶頂期のナスターシャ・キンスキー。それだけでもうなにも言うことがないのだが、ヴェンダース作品としても、上位のクオリティだ。
強すぎる愛は相手を理想化し、本当の意味でのコミュニケーションは成立しない。
これは映画についての映画であり、コミュニケーションについての映画でもある。
ウォルトが編集した8ミリには理想的な家族がうつされていて、ハンターはそこにうつっているジェーンが本当のジェーンではないと語る。
トラヴィスはハンターに認められようとして、父親らしい服装や立ち居振る舞いを演じようとする。
場末の風俗店で、トラヴィスはマジックミラー越しに女と話す。客から女が見えるが、女から客は見えない。女はそれぞれの役割を演じ、客の要望に応える。
その店で働いているジェーンを演じているのは何度も言うように、ナスターシャ・キンスキーであり、超絶美人だ。マジックミラーを挟んだ会話は、スクリーンに映し出される女優のように遠い。
ジェーンもそうだが、息子のハンターも賢く、ものわかりがいい。
この映画じたい、構図も考え抜かれており、映像も美しい。
すべてが美しすぎて、理想的だ。
そう、この映画は映画的であるからこそ成功していると言える。
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