「密室のミステリーを軸に、窮地に追い込められた女性の美しさを引き出すヒッチコック演出の巧妙さ」バルカン超特急 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
密室のミステリーを軸に、窮地に追い込められた女性の美しさを引き出すヒッチコック演出の巧妙さ
遺作「ファミリー・プロット」の公開の年に「海外特派員」と共に本邦初公開されたヒッチコック監督のイギリス時代を代表するコメディ・サスペンス映画の秀作。大戦前夜のヨーロッパの某国(バンドリカ)を舞台にして、密室の列車内のミステリーを軸に、記憶障害の幻想と片付けられひとり孤立する婚約中の女性アイリスと、彼女を介抱しながら消えた家庭教師のフロイ婦人を救出する民族舞踊の研究家ギルバートふたりの活躍がスリリングに描かれる。その家庭教師を装いスパイ活動をするミス・フロイを、イギリスの女優で初の勲章を授けられたデイム・メイ・ウィッティが、それこそウィットに富んだ好演を見せてくれる。マーガレット・ロックウッドとマイケル・レッドグレイヴが主演の映画だが、主役はラストカットで微笑むメイ・ウィッティであり、その役柄にピッタリな存在感が素晴らしい。不穏な時代背景から国際政治絡みの駆け引きの深刻な題材を、ユーモアたっぷりに演出するヒッチコック監督の演出力を楽しむべき作品。ロックウッドの美しさも際立っているし、レッドグレイヴの品の良いイギリス紳士然とした演技もヒッチコック監督の演出が為せる成果と言える。
車窓に書いたフロイの文字でアイリスが混乱から目覚めるところ、食堂車に持参したハーブティの”メキシコ人も飲んでいる”とプリントされたラベルを眼にしてギルバートがアイリスを信用する展開、そして一つとして無意味な使い方が無い汽笛の効果。人物の配置では、ダブル不倫で旅行中の弁護士と愛人のカップルの、離婚に消極的な男と、そんな男の身勝手さに愛想を尽かす女の立場を巧妙にプロットに組み入れている。クリケットにしか興味がないイギリス男の二人組は、映画開巻のホテルのフロントで既にフロイ婦人と出くわしていながら帰国を急ぐために嘘をつくのだが、無事にロンドンに到着するストーリーの狂言回しの役割を務める。更に言えば、ミニチュアセットの雪山からホテルのフロントにパンして、フロイ婦人とイギリス男二人組が風に煽られたドアを閉めるまでは、BGMのみで現実音はカットされている。ヒントを明確にしたヒッチコック監督の演出のサービスであり、全編に張り巡らされた細かい演出を代表するひとつと言えよう。
フロイ婦人の代わりに頭を打ち意識朦朧となり、消えた婦人を心配して助けを求めるも誰にも相手にされず、唯一話を聞いてくれたのが前日最悪の出会いをした傲慢男、そして幸運にも乗り合わせたハーツ医師には裏切られるという災難にあったアイリス。女性を窮地に追い込むこのヒッチコック監督の演出では、どんな女優も美しく撮られている。ヒッチコック監督が夫人同伴で来日した時のインタビューで、女優の美しさの理由を尋ねられたとき、妻のいる前では教えられないとはぐらかしたユーモアの達人ヒッチコック。その回答が、この映画のアイリスに少しはあるのではないかと思う。彼女の儚げな女の魅力の虜になってギルバートが暗号のメロディを忘れるオチが、何ともいい。
何度観ても脚本と演出の細かさや巧妙さに感心してしまう、面白くて楽しいサスペンス映の模範。