裸のランチのレビュー・感想・評価
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作家になるための方程式か?
米文学のちょっと変わった難解作家W.S.バロウズが原作の映画。
クローネンバーグは原作に沿って忠実に制作したわけでもなさそうで、オープニング、Written & Direced By D.Cronenbergとありました。原作を読んでいないので何とも言えませんが、小説はかなりぶっ飛んでいるそうです。
主人公ビルは害虫駆除の仕事をしており、オープニングから、ゴキがゾロゾロと。家に帰ると妻のジョーンが、害虫駆除薬でハイになってて・・・この辺りから訳わからなく始めて。「カフカ的ハイ」などと口走り、文学的路線を匂わせております。そのうち、ビルが麻薬捜査班に呼び出され、巨大なゴキが出てきて、羽根の下のお尻(どうも口らしい)でしゃべり始めます。家に戻ると妻のジョーンがゴキに向かってはぁ〜っと息を吹き掛けたら、ゴキが失神してしまい、どうやら、ビルの麻薬中毒状態の幻覚が映像になって進んで行くようです。
ストーリーは悪夢の断片のようで、理解するのは無理と思い、途中から、クローネンバーグのお手並み拝見(どんなものを見せてくれるか?何を表現するのか?)を期待して映画を観ることにしました。
マグワンプやらバグライターやら黒い水棲ムカデが登場し、エログロナンセンスなんだけど、妙に淡々とストーリーが進行していき、1950年代のオールドアメリカンスタイルとジャズのメロディが何ともお洒落ではありませんか。ビルは、いつもハットを被ってスーツをビシッと着こなし、ニートアンドスマート。さほど乱れた様子もなく、麻薬捜査室で巨大ゴキを靴でたたきのめしましたが、その靴のきれいなこと!ホコリ一つ付いていないように見えました。
ビルの脳内世界に現れる架空の組織?、インターゾーン。迷路みたいな、情緒あるイスラム圏の地みたいでした。あとで解説を読んだら、モロッコで行われるはずのロケがなくなり、スタジオセットでの撮影となったとか。あの地はモロッコという設定だったのか。
ビルは麻薬でハイになった状態で、ウイリアム・テルごっこをして誤って妻を射殺してしまいます。そして、終盤でもう一度、ビルはジョーンを射殺します。そして、「小説家としての証明」が認められ、「アネクシアへようこそ」と迎え入れられ、そこでThe Endとなります。バロウズが妻を射殺したのは事実でして、ビル=バロウズだったのでしょう。(実際のバロウズの妻の名前もジョーンだったらしい)途中、「妻を射殺するのはプログラムされていた」とも表現され、最後に、妻を射殺したことによって、「物書き」として認められたということなので、妻の死はある意味、作家になるための方程式だったのかもしれません。そのあたりに、何かメッセージがあるような気がします。
よくわからないと言いながら、続けて2回観てしまいました。そして、★を4つも付けてしまいました。すでに、自分も中毒になってしまったのか?笑
高IQと麻薬と
その両極端を科学方程式に紐解くと今作に繋がるという表現がぴったりな作劇であろう
頭脳と精神的深層は同一ではない 頭の悪い人=幼稚的発想 頭の善い人=高度な倫理観 人はそれを心に落とし込みがちであり、カタルシスを得易い 社会はそれで形成されたいと願うのだが、そうはいかないのが人間の本質のもう片方であり、だからこそドラマは絶えることない泉として滾々と湧き出るのである
そして今作ではそれを外的要因である"薬物"に拠ってデフォルメされた表現により、クローネンバーグらしさを爆発させた怪作である ただ、今回上映回での登壇ゲストであった菊池成孔氏によれば、まさに"インディ・ジョーンズ"そのもののコンセプトであり、豪奢な画作りは引けを取らないと感想を述べていて、確かに腑に落ちる見解である ストーリー自体は頭の中で繰広げられているモロッコの世界に、これまたアニマトロニクスで動く不気味な蟲や、トカゲの怪獣と、タイプライターとの融合、そしてクィアを性的快楽のみで落とし込んだ堕落感等、まるで太宰と谷崎に導かれるような世界観は、ビートニクと位置づけられたバロウズとの相関を妄想してしまうに相応しい作劇である
そして現在では村上龍の系譜だと感じるのは、私の浅はかさか・・・・ 2回も遊びで妻の頭を打ち抜く その蛮行は果して社会から抹殺するべき存在か?、それとも殆どが経験しない『ゴールドエクスペリエンス』なのか?
社会を脅かす"悪"は、それでも静かに蔓延している事実を我々に突きつけ魅了して止まない・・・
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