ニュー・シネマ・パラダイスのレビュー・感想・評価
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一気にあふれかえる郷愁と、そこにたどりつくまでの時間の流れに震える。
○作品全体
定番名作映画の一つ、というスタンスで見始めたけれど、猛烈に良かった。名作映画といえど当然自身に刺さるものと刺さらないものがある。『ニューシネマパラダイス』は猛烈に刺さった。
一番刺さった要素は時間の扱い方と郷愁に対する感情の扱い方だった。
物語前半、約2時間あるうちのちょうど1時間分は旧映画館でのトトとアルフレッドの出会いの物語だ。シーンの大半を映写室に使うことになるが、ここで強調されるのは時間の滞留。トトは家族、学校、映画館とさまざまなコミュニティがあり、目まぐるしく走り回っているがアルフレッドにあるのは映写室と映写の仕事だけで、映写して神父からカット部分を指示されることを繰り返している。トトとアルフレッド、二人の対比的な存在が、多くの時間を費やしている映写室の時間の滞留を強調する。
アルフレッドの存在自体も「滞留」そのもの。自身が望んで映写技師をしているわけではなく自分しかいなかったというネガティブな成り立ちや、子供がいないこと、そして初等教育をキチンと受けていないこと等、アルフレッドの人生に進展がなく、留まった存在であるという要素を多く持っている。映写技師という仕事自体も、同じ映画を何十回も回しては巻き戻す。これも滞留を演出する一つだ。
ただ、この時期のトトからすれば映写室での出来事は真新しさの塊だ。だからこそ将来的に濃い思い出として郷愁の一ページに残るのだが、それは未来のトトにとっては「あのときの映写室」に滞留することを表す。それを端的に、そして辛辣に言葉にすると、「郷愁に騙されるな。ここにはなにもない」というアルフレッドのセリフになるのだろう。
停滞の無力さを映写室で長く過ごしてきたアルフレッドは身を持って実感している。だからこそ出てきた言葉であり、この言葉に説得力が生まれるのは前半1時間を映写室という滞留の時間に注いだからこそ。この時間の使い方が後半の物語に効いてくる。
物語後半は滞留した空間から長く離れていたトトに、長く離れていた分だけの郷愁が凝縮されてやってくる。その凝縮の密度は、上述した前半1時間分の密度だ。トトと同様、村の人々やジャン・カルロ村自体の変貌を浴びせられる感覚。自分自身が一気に年をとったような感覚がして震えた。
そしてなにより、郷愁を一気に浴びさせられたのはアルフレッドからの最後の贈り物だ。
あの切り取られたキスシーンフィルムは、単なるキスシーンを切って貼り合わせたフィルムではない。トトにとってはアルフレッドと神父が居て、それを覗き見する幼きトトがいたあの日を、まるでその場に戻ったかのように思い返すことのできる郷愁が凝縮されたフィルムでもあり、幼い頃見ることができなった未知なるフィルムだ。このフィルムからアルフレッドの「どうかあの日を覚えていてほしい」という郷愁を望む感情と、未だ未知なる世界に進み続けることを望む「郷愁に騙されるな」というアルフレッドの感情…そのアンビバレントな感情が勢いよく溢れ続けているように感じて、息を呑んだ。トトの涙はこうしたアルフレッドのメッセージをフィルムから受け取ったからではないか、と思う。
あの日の時間を思い返しながら揺蕩っていたトトを一気にあの日へ戻す物語後半の時間の緩急が
本当に素晴らしかった。
映画自体もいろんな映像を切って貼って作られるもの。ただ、その繋げ方や、その映画自体に寄り添う思い出によって映画は一人ひとりに違う感情を与えてくれたり、思い出させてくれる。
『ニュー・シネマ・パラダイス』。自分にとってたくさんある知らない名作の一つから、映画が好きな理由を明白にさせてくれるとても大事な作品になった。
○カメラワーク
・なんといっても母との再会のシーン。トトの帰宅に気づいた母が編み物をそのままに玄関へ急ぐ。どんどんとほつれていく毛糸、そしてそれが止まる。そのままカメラを窓へ向けて、タクシーが去っていくのを見せたあとに、二人が抱き合う姿を見せる。二人は会えたのだろう、と思えるモチーフを手前に据えて、再会のカットを演出する。
俳優の渾身の芝居へカメラを向けるだけ…というカメラワークも良いけれど、表情を映さずに二人の再会の万感の思いを演出するこのカットこそ、映像演出だと思うし、映画だと思う。
○その他
・アルフレッドの葬儀で神父と話をするときに、あんなに立派になって…とつぶやく神父が猛烈に良い。これは「でもぜひ(気安く声をかけて良い)というのなら、トト」と、話したあとのセリフなんだけど、最後に「トト」と呼ぶのを大切そうにつぶやいて上述のセリフに繋がるのが、最高に良い。映画館の思い出がトトやアルフレッドだけではない、というのがこのつぶやき方ですべて理解したような気持ちにさせてくれる。
正直このシーンが一番泣ける。
今まで実写映画のソフトを買ったことがないのだけど、完全版が見たいから買う予定。あぁ、良い映画に出会えたな・・・。
あれ以上のフィナーレはないわ
過去に、レンタルで観ました💿
これほど映画愛に溢れた映画が他にあるでしょうか❓
やんちゃな少年だったトトがやがて大人になり、かつて親交のあったアルフレッドの訃報が届いたことから、故郷に戻ってくるストーリー。
トトの母親が息子に電話すると毎回違う女性が出ることに気づいていながら、知らないフリをする場面や、何よりアルフレッドがトトに遺したフィルムの内容など、見どころも多数あります🙂
エンリオ・モリコーネが手掛けた音楽も、これ以上ないほど作品にマッチしており、映画好きなら一度は見ていただきたい一本ですね😀
年齢を重ねた村人達の表情がステキでした
名作と言われる本作品。「泣ける映画」という世間のイメージに何となく圧倒されてしまい、これまで観たことがありませんでした。もったいないことをしました笑
今回映画館でリバイバル上映されると知り、今更ながらですが鑑賞してきました。
あらすじはレビューでもあちこちでのウェブサイトでも紹介されているとおりですが、個人的には、主人公のサルバトーレ(トト少年)が村を出て映画監督となり、30年たって帰ってきた時、取り壊し目前の映画館「パラダイス座」前に集まった村人たちの年齢を重ねた姿・表情がとてもステキで印象に残りました(登場人物が年齢を重ねてゆく様子を描いた作品は他に色々あると思いますが、その表情やたたずまいの移ろいを味わい深く描いた作品は、自分にはちょっと他に思い当たるものがありません)。因みに作品中では、登場人物たちの子供時代、青年期、壮年期、老年期と、違う俳優さんが演じている場合もあれば、一人の俳優さんが演じている場合もありますが、どちらの場合も素晴らしかったです。異なる俳優さん演じている場合としては何といっても3人の俳優さんが少年時代から壮年期までを演じた主人公サルバトーレですが、30年経って村に帰ってきた表情には少年トトをふと思い出させるような表情があって、一人の人物を異なる俳優さんが演じつないでいることに感動しました。
特に私個人としては、トトの母親役が素晴らしく感じました。戦争未亡人となって懸命にトトを育てている若い時代、村に帰ってきた息子を優しく迎える年老いた時代、それぞれを2人の女優さんが演じていましたが、どちらも味があって素晴らしかったです。
作品中で、夫の帰りを待っていたトトの母親が、夫が還らない人となったことを知って悲しむ場面があります。そういえば、戦争の時代にはどんなに待っても戦地から帰らず、二度と会えなくなってしまった家族が沢山いたんだな…と思い、ハッとしました(作品レビューは書いていませんが、「ラーゲリより愛を込めて」もそういうストーリーでした)。今の平和な時代なら、例えば自分なら、会いたい人に会おうと思えば、本人の連絡先さえ分かれば電話とかメールだってできるし、会いに行く。もちろん連絡先が分からなければ待つしかないけれども、苦しくても最後に会えるなら、トトの母親のように、会える日を信じて10年でも20年でもずっと待ち続ける、その気持ちは分かります。どんなに待っても、会えれば、待った時間の苦しみは全て一瞬で吹き飛ぶはずです。•••でも、戦争の時代は待っても待っても会えないことがあったわけなので、胸が痛みました。今の時代に生きていることにもっと感謝しないといけないな、と思いました。今も世界では紛争が絶えませんが、これからも、戦争にまつわる悲しみや寂しさを味わう人が出来るだけ生まれないことを祈る気持ちです。
たまたまこのところ、戦争にまつわる映画を3本続けて観たからか、たくましく懸命に生きるトトの母親の姿を見ながら、そんなことが心に浮かびました。
戦争未亡人のトトの母親に話題が少々偏りましたが、本作品は、俳優さんたちの素晴らしい演技のおかげで、年齢を重ねることの味わい深さを感じる作品でした。また自分自身が年齢を重ねて5年後、10年後に観てみたら、どんな風に感じるのか楽しみです。
モリコーネさんの音楽から
「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観てからずっと気になっていて、ついに初鑑賞。
前半のトトとアルフレードの友情が紡がれるまでの描写、後半の郷愁に駆られるトトの表情、そんで最後のフィルムーーーーーッ
後半はずっとじわじわ涙が出ておりました‥
アルフレード、序盤のミルク代のシーンやら形見やら‥うーん素敵
最初から最後までトトを笑顔にしてくれる最高の友達でしたね‥
美しいメロディの中にどこか懐かしさのあるメインテーマが内容の余韻と一緒に耳に残る、とても素敵な映画でした。期間をあけてもう一度観たい。
屋外映画上映会の経験がいくつかあって懐かしい。母親は、主人公が子...
屋外映画上映会の経験がいくつかあって懐かしい。母親は、主人公が子どもの頃は映画館に出入りをすることに反対していたのが、再建されて映写技師として給料をもらうようになったら賛成するようになったのかな。最後に戻ってきたときには息子の思い出の品や写真を取り置いていた。恋は擦れ違いに終わって残念だった。恩人の映写技師は、自分の死に目を主人公に知らせまいとしたが、活躍ぶりは知っていたのだろうか。
小倉昭和館の営業再開のオープニング上映作品に本作が選ばれた理由がわかった。どちらも火災からの復活を遂げたことである。ただ、運営者の成長を描いた経過を描いた作品としては、広島の『鯉のはなシアター』でも肩を並べられると思われる。小倉昭和館の運営者を描いた作品として、『映画の街・北九州』の存在を知った。福岡の中州大洋劇場の運営者を描いた作品も観たいものだ。
トトとアルフレード
戦後まもなくのイタリア🇮🇹シチリア半島。
娯楽の少ない時代、人々は教会で上映される映画に足を運び楽しむ。
ただキスシーン、裸、抱擁のシーンは、牧師様の意向でカットされている。
映画好きな男の子トト、映写技師のアルフレードと仲良くなり見よう見まねで技術を覚え映画を映しているが、アルフレードから、島を出て夢のある仕事に就け、と促される。
アルフレードにしたら映画好きならただ映すだけの仕事ではなく作る仕事をしろ、という示唆だったのだろうか。そしてそれはアルフレードの夢でもあった。
絵本のIページのような広場の情景。
建物の壁をスクリーンに見立て映像を映す。
入りきれなかった人々は喜び食い入るように観るが、燃えやすいフィルムから火が出て火事に、あわや、でトトがアルフレードを引き摺り出し助かった。命の恩人トト。
青年となり好きな女の子エレナもできて充実した生活を送る二人。しかし、徴兵され、大学に通うエレナと離れ離れになりいつか自然消滅。
決心し、島を出て行くトト。
見事夢を果たし、30年帰らなかった島に帰って来る。
アルフレードの訃報を聞いて。
出て行く時に帰って来るな!
と言い、
病の床に就いても、妻にトトには知らせるな!
と言い‥‥。
だから、亡くなってからしか会えなかった。
アルフレードのトトに賭ける二人分の思いが伝わる。
あの新しかった白い現代的なシアターが、
情けないほど惨めな様相を呈していたのは、
観ていて辛い。
恋人エレナとの出会いといつのまにかの別れは、仕事を達成する為の布石となったのだろうか?
トトの子供時代青年時代は、映画の絶頂期。
昔のたくさんの作品が映され、映画好きにはたまらない作品だろう。
私がわかったのは、
『カサブランカ』『風と共に去りぬ』のポスター。
『恐怖の報酬』、『誰がために鐘は鳴る』、
チャップリン、イングリット•バーグマン、
トトとエレナがサボテンのお皿でサラダを食べている時、ラストのテーマ曲、
『森の学校』でも流れていた。
自分が存在する根拠を問い続ける映画(だから身に覚えがある人は多いよ...
自分が存在する根拠を問い続ける映画(だから身に覚えがある人は多いよね)。男女(父母)が睦み合って自分は生まれたという確信を得るために、失われた欠片を拾い集める。それが一つの物語として紡がれる最後は圧巻。
イタリアらしく適度に下世話なのも人間讃歌という感じでよく、下世話だから人間が生まれるんだよね。
幻を信じられる人は強い。
音楽が大好き
冒頭の、大人のトトが、映写技師の死を聞いて、その死を悼み、過去を振り返るスタートからつまずきました。
きっと、監督は自分の半生をこの映画に投影したんでしょうが、不義の関係の女性がベッドにいる必要があったのでしょうか、余計な夾雑物に見えますし、関係性はどうにでも表現できたはず。「こんなに汚い大人になった自分にも、かつて輝かしい季節があった」というような、自戒の意味が込められているのでしょうか。私には余計な演出で、まわりからのおすすめの声と、評価の高さもあって、二重のマイナスポイントでした。
少年時代のお話は、文句なしの素晴らしい出来栄え。
特に、情感たっぷりに繰り返されるテーマ音楽は、既に耳なじみのいい印象であちこちで刷り込まれていたので、「あ、この曲この映画がもとなんだ」という驚きと、あらためてその旋律の美しさに聞きほれてしまいました。
何かのジブリの映画だと勘違いしていたほどです。使われる古い映画のフィルムと、耳に覚えのあるメロディの効果で、既視感たっぷりの展開に。
自分の少年時代がダブったほどです。
私には、ほろ苦い演出がちょっと苦過ぎました。
【"Kiss Kiss Kiss the Movie!"映画を通して成長するトト少年の姿を、数多くの映画を愛する人々の姿を絡ませて描き出した作品。映画を大スクリーンで観る時間は、何物にも変え難い。】
ー これだけの名作であるので、久方ぶりに鑑賞した感想を簡潔に記す。
但し一部、ネタバレになっています。-
・シチリアの小さな村。少年・トトは、母の目を盗んで、村唯一の娯楽である映画館・パラダイス座に通い詰めて映写技師・アルフレードと交流を深めて行くシーンの数々。
そして、教会を兼用した映画館に集う人々。映画館は常に満席であり、人々は映画を見て笑い、涙し、司祭によりカットされたキスシーンが観れなくて、憤慨する。
ー 何度観ても良い。
トトが牛乳を買うお金を映画に使ってしまい、母親に叱られるも、アルフレードが機転を利かせて、トトを助けるシーン。
トトの母親もそれを分かりつつ、お礼を言う。
アルフレードの善性と、トトの映画大好きな事が見事に描かれたシーンである。
そして、司祭によりカットされたキスシーン。
伊丹十三のエッセイで、日本でも戦時下、統制により恋人同士のベッドシーンの台詞が”お兄様と久しぶりに寝るわ・・。”と勝手に変えられていたという逸話を思い出す。ー
・1950年代まで、映画のフィルムは可燃性であった。今作でも上映中、映画館に入れない人達のためにアルフレードが、向かいの家の壁に映画を映してあげるシーンで、火災が起こってしまう。
ー けれど、映画館は”ニュー・シネマ・パラダイス”という名で復興され、トトが映写技師として働く。だが、そこにアルフレードがやって来て、火災のために盲目になりながらも一緒に働く、まるで目が見えているかのように・・。映画愛だなあ・・。-
・青年になったトトが、美少女エレナと恋に落ちるシーンも良い。
ー 告解室で、トトがエレナに言った言葉。そして、二人のキスシーンはカットされる事無く、この映画内で何度も、映し出される。ー
・トトに、アルフレードが”若くて、未来があるのだからこの村を出てローマに行け。帰って来てはイケナイ”と諭すシーン。
ー ローマで、トトは映画監督として成功し、アルフレードが亡くなったという連絡を母から受け、30年振りに故郷へ戻る。
久しぶりの故郷の輝くようだった映画館は、TVの普及により解体が決まっていた。
現況下も、似たような状況になっているが、私は映画館特にミニシアターは無くならないと信じている。
TVは、かつての様な面白さを失い、一部のドラマを除いて、グルメ番組やゴシップニュースを流す番組が多くなっているという・・。(私は、TVは殆ど見ないので、伝聞です・・。)
何故なら、客電が落ちた漆黒の闇の中、映画を大スクリーンで観る時間は、何物にも変え難いモノだと思っているからである。ー
<ラスト、トトが会社の試写室で観た、アルフレードが遺した且つてカットしたキスシーンを繋ぎ合わせたフィルムを涙を浮かべて観るシーンは、何度観ても心に沁みるのである。
これは、私の勝手な解釈であるが、亡きアルフレードが天国から、
”もう大人だから、観ても良いよ、トト・・。”と言っているように、私には見えるのである。>
<2013年5月の気候の良き頃 今は無き映画館にて鑑賞>
<その後、様々な媒体で再鑑賞>
ノスタルジア
ネットフリックスにて久しぶりの鑑賞
キネマの神様を読後、作中で何度も出てきたので久しぶりに鑑賞
あらためてあぁこんな映画だったなあと思った。
この映画は主人公が友人、知人であるアルフレードが死んだと電話を受けるところから始まる。
この映画の魅力として
まず言えるのがトトの少年時代の可愛さ
これだけでこの映画を見る価値があると思う
アルフレードが火傷してから初めて映写室に来た時の「アルフレード」と笑顔で呼んだシーンは演技以上の嬉しさを感じる。
おそらくその時にしかできない演技だろう。
またきれいなシチリア島の風景も見所のひとつだ。
この映画のテーマは郷愁
田舎を捨て出ていった男が当時を思い出し、最後帰って変わった、変わっていない町を見るそこに郷愁を感じる
そしてあの有名なテーマが流れるそれだけで胸が熱くなる
ただ今回思ったのはあらためて見直すとそこまで脚本が作り込まれてないように感じた。
展開が時々突然変わったりするシーンがあり、また全体的にまったりした映画なので123分という時間以上に長く感じてしまう。
また母親や妹とのエピソードがなさすぎる気がする。
アルフレードが故郷を捨てて出て行けと戻ってきてもダメ連絡もするなというがそこまで求める意味合いもあまり納得はしづらい。
おそらく未練を断ち切れという事だろうが💧
エレナとの恋愛も展開が急で落とし物の次に突然告白していたし、突然のフェードアウト
あらためて調べてみると完全版があるようでシーンカットが大分入ってるようだった。
あらすじで完全版も読んでみるとだいぶ違ったイメージをうけた。
調べてみると当時イタリアで完全版で上映したが評判が悪くてシーンカットしたみたいだ。
たしかに今でこそ3時間級の映画もゴロゴロ出てきたりするが当時の感覚ではまったく受け入れられないだろう。
また機会があれば完全版も見てみたいもおもう。
この映画は監督の実際にあったような出来事も入ってるのだろう。映画で成功するために故郷を捨てる覚悟で出てきたとかそういう思いも。そういう意味で全編に郷愁と哀愁が表現されている。
ラストシーンのところはアルフレードがトトへの約束を守って渡すキスシーン特集
泣けるシーンという話だが自分としてはアルフレードのお茶目さを感じてクスッとなるシーンのような気もした。
見終わった後スカッとする映画で映画の良さを教えてくれるような映画なので見たことがない方はぜひ見てほしい作品ではある。
合掌
映画と共に歩んだ主人公の人生
2度目の鑑賞
映画ファンの間で、高く評価されていることは知っていたが
なかなか機会が無く、2019年に初めて見た
舞台は戦後の貧しいイタリアの(架空の)村
村の唯一の娯楽施設は『パラダイス(パラディソ)』という名の映画館
主人公の少年時代はパラダイス座と映写技師アルフレードと共にあった
映画館は火災にあい、焼失してしまうが、再建を果たし
「ニュー・シネマ・パラダイス」がオープンする
兵役が終わったトトは村を出て、ローマへ行く
そして、映画監督として成功する
という物語
今回、なぜかストーリーがあっさりしてる気がして
インターネットで調べたら
前回見たのは完全版で、今回見たのは1時間短い劇場版だった
これだと、兵役に向かうときにエレナと連絡が取れなくなった原因がわからないままで、
ちょっと寂しい気がする
(ただし、完全版のエレナとのエピソードはコアな映画ファンの間で賛否両論あることを知った)
エレナとの別れが、謎のままというのも、青春の思い出なのかな?
兵役を終えて村に帰ってきたトトが
自分ではない技師が映写室にいる光景を見てパラダイス座へ行く事をやめて
アルフレードを訪ねるが
映写室へ行っていれば、エレナのメッセージに気づき
ローマへ行く事はなかったのか・・・・
ここがトトの人生の分岐点だったのかな?
アルフレードの残した遺品は
神父さんの指示でカットされた、「キスシーン」「ヌードシーン」を繋ぎ合わせたもの
主人公は、シネマ・パラダイスの映写室でアルフレードと過ごした
子供時代を思い出したに違いない
若いころはこのような
「純文学を映像化したような」映画は好みではなかったが
50歳を過ぎてからは好きになった
もう一度完全版を見たいと思った
変わるもの、変わらないもの
初めてこの作品を見た人が特に感じたこと(魅力が多くて書ききれない😭)としてお読みください。
サルヴァトーレ(トト)とアルフレードは素敵な関係だと思った。
アルフレードがトトに50リラ渡すシーン、トトがアルフレードに「友達になろう」と言うシーン、二人が一緒に自転車に乗っているシーンが特に気に入った。
「人が笑うのが嬉しい」というアルフレードの言葉と、映画館の中に入れない人のためにアルフレードが外の窓に映画を映し、さらにオマケ(音声)をつけてあげることからアルフレードがとても優しい人だと感じた。自分もアルフレードのように優しい人間になりたい。
サッカーくじが当たった人が、火事で燃えてしまった映画館を建て直すためにお金を使っていてとても素敵だった。自分もいつか他人のため・世の中のためにお金を使い、誰かを喜ばすことが出来るようになりたいと思った。
アルフレードの「自分がやるしかなかった。」等のセリフから、映写技師は決して誇れるものではなく、世間的にも人気がない仕事かもしれないが、当時のシチリアの村の人々にとって映画は唯一の娯楽・楽しみである。アルフレードはとても重要で素敵な役割を果たしていると自分は考えた。
劇中音楽はノスタルジックで何故か何度も涙が流れそうになった。
個人的に、"変わらないもの"の象徴(?)として登場する「オレの広場だよ!」と言うおじさんがお気に入り。
この作品は、年齢によってそれぞれのシーンの感じ方が変わる気がするため、数年後数十年後に何回か見たいと思う。
この作品に出会えて、さらに映画館で見られて本当に良かった。
ひっかかるシーンが多い
感動作と言われていてずっと見たかった映画。戦後間もなくのシチリアの田舎ってヨーロッパでも相当文化が遅れていたみたい。映画だけが田舎の娯楽で子供から大人まで色んなタイプの人がひとつの映画を楽しんでいてカトリックの教会で上映してるからキスシーンは全カット。ちょっとヌードに近いシーンでは若者が何人も股間さすってるし後ろでカップルはHしてるし何しに来てるんだか?主人公のトトは小学生位なのにまわし煙草してるし、子牛が殺されるシーンをフィルムに収めたりちょっと可愛いとはかけ離れてるし不快な印象だった。最後に元映画技士のアルフレッドから渡されたフィルムはずっとカットし続けたキスシーンや裸のシーンだった。これ感動するかな?音楽だけは良かった。
男と男の子のロマン映画
良くも悪くも「男と男の子のロマン映画」だと思う
現実的な見方をすると醒めてしまう部分もあるけれど
(アルフレードが突然トトを自立させようとする所が
ひとりよがりに感じるし、トトは
エレナの事を何も知らないのに顔見て惚れたと
ストーカーまがいの事をして根負けさせるとか)
あれもこれもどれもそれも
「これがロマンなんだ( ー`дー´)キリッ」
の一言で押し通されそうで
あぁそうですかと思うしか・・・
映画が村人の唯一の娯楽だった時代って
こんな風に皆で集まって一体感を味わいながら
楽しんでいたのね・・・日本も昔そうだった
みたいなノスタルジー
ラストで、没にされたラブ・シーンを繋げた
フィルム上映は、男のロマンの集大成みたい
(キスする事が男女の恋愛の到達点的な)だと
思いつつ、気が利いたエンディングだと
思いました
音楽とシチリアの景観も素晴らしいイタリア映画の名作。
主人公トトと映写技士アルフレードとの友好を主体に主人公トトが初恋等の経験をしながら半生を描いた作品です。
この映画のテーマは「別れ」と思います。!
主人公トトは現在ローマで大勢した映画監督であるがそれを得る為に大事な物との別れを経験している。
それは、「初恋の人」、「友アルフレード」、「家族」、「故郷」「町の人達」「昔ながらの映画劇場」です。!
「何か得る為には何かを失う」それをエンニオマルコーネの美しい音楽と乾いた雰囲気のシチリアの景観を描いて郷愁を誘う名作です。!
(個人的には映画音楽No1)
各シーンに本当に美しいメロディが効果的に使用されています。
特に印象深い「愛のテーマ」が流れるラストシーン(カットされたラブシーンを見るトト)は本当に素晴らしく感じる。
トトの表情もいいですね。!
ただ音楽が素晴らしいだけに音楽に頼りすぎてる印象があります。
それほど人の感情は音楽による影響は大きいと思います。
「タイタニック」も本当に感情が高ぶる所にうまく使用されていると感じます。
(映像と音楽があって映画とも言えますが。!)
でも、名シーンも数多くあることも事実です。
私が印象強く残ったシーンは映画館が爆破されてしまう所で、オーナーがアップになるシーンです。
深いシワが顔にきざまれた悲しみの表情は時代の変化を感じる切ないシーンです。
これは、日本の地方映画館が消えていく状況とまったく同じと思いました。
最後にこの作品で気になるのは、アルフレードがトトに話した「衛兵と王女」の童話である。
アルフレードがトトに今のお前には恋愛が早いと言いたかったのであろうか?
この童話がトラウマとなり大人になったトトが冒頭のシーンや母との会話でも判るように恋愛が上手くいってない事がうかがえる。
なぜ後1日なのに99日目で王女の前から去るのか。?(諸説あるようだ。)
アルフレードは答えを言わないで話しは終わる。
私は王女の幸福を第一に考えた場合、自分がその相手にふさわしくないと悟とった衛兵がせめて王女の心の底に自分を印象づける為に取った行動と思える。!
(100日間バルコニーの前にいる事は可能だと言う事を示した上で。!)
もう少し具体的に言うとせめて、王女の気持ちに自分と言う存在を生涯忘れさせない為に。!
そう思うし、そう信じたい。
皆さんはどう考えます。?
せひ皆さんの考えを教えて下さい。!
美しい映画美術
鑑賞し終わった後に、あまりの美しさに声が出ない。すぐに感想を書こうと思ったが、出てこないほどに魅了された。最初から最後までとても美しく、素晴らしい。人生というものを描いたこの作品では、誰もが経験するであろう、何かに熱中したり、大切な友達が出来たり、愛する人ができ、そして大切な人の死、思い出の故郷。小さな幼少期から成長し青年へと、そして歳を取り、年寄りとなる、3部構成で物語は進む。小さな頃はただただ映画が大好きな子供、何度も映画館に足を運び映画を見たり、おじさんの働く姿を見て憧れ、夢をみる。ここから主人公は人生を成長し生きる、戦争も経験し、恋というものも知り、故郷を離れたりもする。「人生」は経験から成長し、愛は人の人生を素晴らしいものにする。幼少期には知らなかった、キスシーンがどういうものなのか、そして歳を取り成長してから見る、キスシーンの素晴らしさ、愛というものの素晴らしさ。ラストシーンでの映画鑑賞をしたトトの心情はどんなものだったのだろうか。そしてエンドロールのタイミングもお洒落で音楽も素晴らしい、なんとも声が出ないほどに美しい映画美術。
変わり続ける
とても美しい映画でした。
「一度村を出たら、長い年月帰るな。
年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再会できる。
人生はお前が見た映画とは違う。
人生はもっと困難なものだ。行け。ローマへ戻れ。」
アルフレードのこの言葉の意味が最初はイマイチわかりませんでした。
でも映画見終わって考えて、なんとなく自分なりに解釈できました。
トトは帰ってきて、変わり果てた街を見て「何も変わってなかった」と言います。
アルフレードは「ここにいると自分が世界の中心だと思っちまう」と言っていて、きっと村に居続けると置いていかれるんやろうな〜と思いました。
世界は変わり続ける。でも、村にいて、自分が世界の中心だと思ったままやと、自分は変われない。世界だけが変わって自分は取り残される。
外に出て、思い出にすがるのではなく、世界とともに自分も変わり続けることができれば、思い出は思い出のまま綺麗に残り続けるんじゃないかなと思いました。
閉館して、ボロボロになったニューシネマパラダイスの中を見ながらトトが昔を思い出すシーンでそう感じました。
見た目は変わっても、思い出はその中に残り続けてる。自分がその思い出の中に取り残されずに、歩み続けていれば振り返ることができる。そう思いました。
映画にしか興味がなかったトトが、映画より恋愛に夢中になることも、名誉を手に入れて大人になることも。変わることってやっぱり何かを失うことでもあって、寂しいけれど、変わることは悪いことではないんだって思わせてくれました。
やっとみれた名作
トトの幼少期が可愛い。
そして、アルフレードの愛の深さよ。本来であれば、感動できそうもない最後の映画シーンで感動できてしまうのは、それまでの物語で積み上げられた時間があって、もう見事すぎる脚本に脱帽。いやぁ、名作だ。
趣味じゃなかも
こちらも何十年も前から気になっていた映画でようやく観賞することができた。
でも趣味じゃなかったな。。
ノスタルジックが響かなかった。
面白いし幼いトトは可愛かったし、アルフレードとの歳の差の友情も良かったが
トトが青年になってから特にエレナとのシーンに疑問がの頃ことも多く見ていながらも
しっくりこなかった。
またアルフレードがトトに執拗に帰ってくるなと言い聞かせていたが
その理由も明かされないのでモヤモヤが残ったままになった。
トトが中年になって一体どんな事をしているのかも明かされなかったし、
支配人?が立派になってと言っていたが、何が立派なのかも分からなかった。
ラストに映画館で過去の切り捨てたキスシーンを編集させていることから
そこそこ偉いのかな?くらいしかわからなかった。
ウィキペディアで完全版があると知りあらすじを読んだら色々腑に落ちたのだが
完全版でなければ物語が成立しないのではないかと思う。あまりにも重要なシーンを
カットしすぎているのが原因で評価が若干低めについている気がする。
因みに完全版のあらすじを読んでからもアルフレードの行動には納得いかないけど。
もしかしたら完全版を見ていたらまた評価が違ったかもしれないと思うので
もし、これからみようと思っている人がいるのであればそっちをお勧めしますね。
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