「旧友と再会したように観賞した」2001年宇宙の旅 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
旧友と再会したように観賞した
午前十時の映画祭11にて
初観賞は高校生の時のテレビ初放映。この時の衝撃が未だに忘れられず、自分にとってのベストワン映画の位置を不動のものにしている。
だが、Wikiで見てみると、日曜洋画劇場での初放送は1981年とのこと…だとしたら浪人中だ。高校の校舎内で友人と語り合ったと思い込んでいたが、違ったか。記憶というのはいい加減なものだ。
上京した後、やっと映画館で観た。その後は数年おきに観ているような気がする。
WOWOWの初放送では部屋を暗くして観た。
過去の午前十時の映画際でも観たし、シネマコンサートでも観た。
DVDソフトもBlu-rayソフトも持っているが、これはコレクションとしての喜びであって、あまり自宅のテレビ画面で真剣に観ることはない。
感受性と集中力が年々衰えていく中で難解な映画を観るのは時に辛いが、本作は「慣れ親しんだ」旧友のようで、画面を見ながら「あ、この時ってこうだったっけ?」なんて、思い出話でもするように心の中で一人で会話したりする。
モノリスと人類進化の関係とか、スターベイビーはボーマン船長が神化した姿かとか、この映画のテーマを深掘りすることは今や重要ではない。
様々な研究者が講釈を述べているし、アー サー・C・クラークの長大な続編群でシラケるほど理由付けされている。
あらためて思うことは、この映画の特殊撮影によるリアリティは、恐ろしく緻密な人の作業に支えられていたのだということ。
ミニチュアに映像をはめ込んただけの単純な合成でも、画面設計と寸分狂わない映像を作りあげさえすれば、その映像の完成度に技術が新しいか古いかは関係ない。
ルネサンス時代の描方を現代の画家は使わないが、ルネサンス絵画が今も陳腐化していないのと同じだ。
SF的な映像は、科学的考察に基づくリアリティを追求して設計された。その設計を忠実に具現化しているから、映像はいつ観てもリアルなのだ。
このヴィジョンどおりの映像を作り出すためのキューブリックの要求が如何に妥協を許さないものだったかは、携わった多くの職人たちが二度とキューブリックとは仕事をしたくないと語っていることからも想像できる。
この一大宇宙叙事詩を完成させたクリエイターたちの才能と努力に敬意を表したい。
もし、手塚治虫がキューブリックからのオファーを断らず美術に参加していたら、、、、多分途中で決裂してただろう…