「SF映画の嚆矢にして究極」2001年宇宙の旅 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
SF映画の嚆矢にして究極
これまで、僕はこの映画を3回観ている。
名作を片っ端から観ていた学生時代に初めてビデオで観たが、さっぱり解らなかった。
その後、リバイバル上映があって友達何人かで観た。何人かで観たら、解るようになることを期待した。しかし、解らなかった。
最後は、友達のお父さんがレーザーディスクを買ったとのことで家に遊びに行った。(確か)「ゴッドファーザー」とどちらがいいか?と言われて本作を選んだ。友達のお父さんは映画好きらしく、納得のいく解説を期待したが、解ったことと言えば、大人にとっても難解な作品だということだった。
その「2001年宇宙の旅」がデジタルリストアされてIMAXで2週間限定上映とのこと。
これは観たい。
僕の興味は「いまの自分が、この映画をどう理解するか」という点にあった。
さて、第一印象は映像の傑出した美しさである。
これをIMAXのスクリーンで観られるのは本当に幸せだ。
有名な、「美しき青きドナウ」に合わせて宇宙ステーションが“踊る”シーンはもちろん、宇宙ステーションの中を歩くシーン、ディスカバリー号でのトレーニング、HALを“殺す”シーンなど、そこだけ切り取って静止画にして眺めても見とれてしまうようなシーンが続出だ。
白を基調にした画面作り、そして時折そこに加わる鮮烈な赤。この映像美は、もうアートの域と言っていい。
それと、技術的な考証の確かさも驚異的である。
「いまの」宇宙船、宇宙ステーションと説明されても疑いようがないほどの完成度。本作の公開は1968年、つまりアポロ計画が月に到達する前であることが信じられない。
監督のスタンリー・キューブリックは当時の第一線の研究者たちに話を聞いて設定を考えたのだという。キューブリックの完璧主義の賜物である。
映画は3部構成になっていて、初めは猿人たちのシーンから始まる。
ちなみに、この猿人がまたよく出来ている。日本だとウルトラセブンやってる時代に、この着ぐるみの猿人たちは本当にホンモノのようでびっくりする。
さて、第1部だが、猿人が暮らしているところに、ある日突然、モノリスが現れる。モノリスに触れた猿人は道具を使うことを覚え、動物の骨を武器に使い始める。武器を手にした群れは、別の群れが支配する水場を襲い、勝利する。
昔はワケがわからなかった猿人パートだが、今回は非常によくわかった。
道具がやがて人殺しの武器になる、というのは非常に象徴的だ。後半、コンピュータのHALが暴走して乗組員たちを殺すことにもつながるし、ダイナマイト、飛行機、核兵器など例を挙げるまでもなく、始めは人類の進歩に寄与するはずだったものが、やがて殺し合いの道具になっていくことを表しているとも言える。
この時代は冷戦の最中で世界は核の傘の下にあった。そうした時代も反映しているのだろう。
宇宙のシーンもいま観ると、いろんな「仕込み」が見つかる。例えばアメリカの衛星には「アメリカ空軍」のマークが付いていて、未来の宇宙は軍事利用されていることを表している。また、登場するスペースシャトルはパン・アメリカン航空(いまは倒産して存在しないアメリカの航空会社)のロゴが付いているが、一方、宇宙ステーションの中にいるソビエト人たちはアエロフロートのロゴ付きバッグを持っている。宇宙に進出する時代になっても国家の枠組みは変わらない、ということである。
第2部から舞台は“2001年”に。
月でモノリスが発見され、それが木星に向かって強い電波を発していることがわかり、木星探査の旅に出る。
原題は「2001: a space odyssey」。
オデュッセイアとは、古代ギリシアの詩人ホメロスによる遠大な旅の物語。
そうか、この映画は「進化の旅」の話なんだな、と理解する。
猿人はモノリスに触れて道具を使い始めた。そこから400万年もの時間を必要としたが、人類は「道具」を、宇宙に行けるまでに発展させ、月でモノリスを発見した。
そして、モノリスは木星へと人類を導く。
そう、人類はモノリスに触れて進化する。
初めのモノリスから、実に長い進化の旅ではあったが、こうして人類は地上から月へ、そして木星へとたどり着くのだ。
たどり着いたのは木星探査宇宙船ディスカバリー号の船長デイヴィッド。
ここで彼を待っていたのは宇宙空間に浮かぶモノリスだ。
そしてデイヴィッドはスターゲイトを通り抜け、そして奇妙な中世風の部屋に行き着くのだ。
デイヴィッドは、その部屋の中でナイフとフォークを使って食事をする歳をとった自分自身を見る。さらに、その食事をしているデイヴィッドは、ベッドに横たわる老いた自分自身を見る。そして最後は赤ん坊(スターチャイルド)となり、地球を見つめる。
見て、入れ替わって、年を取っていく。400万年前の地上から始まった月、木星とつなぐリレー。生物は海から陸に上がって進化した。それと同様、地球から宇宙に出た人類は進化してスターチャイルドとなった。
この映画、説明的なセリフもナレーションもない。ゆえに解りにくいのだが、大きな物語と取ることで「進化の旅」というテーマが見えてくる。
若い頃の自分は暗喩というものを理解できていなかったのだろう。
こうして本作を捉えると、その後の様々な作品への影響が見えてくる。
「スターウォーズ」「スタートレック」は人類以外の知的生命体が当たり前に存在するという世界観が共通する。宇宙船内の密室のサスペンスという点では「エイリアン」。宇宙に出た人類の進化という点は「ガンダム」のニュータイプにつながるし、「Zガンダム」の最終決戦の舞台が木星という点や、「00(ダブルオー)」における「宇宙空間が国家の覇権を争う場となっている」という設定にも影響を見て取れるだろう。
こうして、「2001年宇宙の旅」を語ろうとすれば、様々な切り口から、いくらでも語れてしまう。それほどの知的スケールを持つ作品ということだ。
次に本作を観るのはいつのことか。そのとき、僕はなにを感じ、どう思うのだろうか。