時計じかけのオレンジのレビュー・感想・評価
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ナイアガラ・トライアングル VOL.2
『ハートじかけのオレンジ』はそのアルバムのラストナンバーである。そして、その頃からこの曲名の元ネタであろう、『時計仕掛けのオレンジ』という作品は、記憶に留めていた。その後、この作品の戦慄するシーンを知ることと成る。それは目を大きく見開くよう、強制的に固定させる器具を付けられ、拘束服に縛られた男の姿だ。その一瞬のシーンの続きの想像がおぞましく、多分、目に何か突き刺して何ていうスプラッターものだと、これは単に勘違いなのだが・・・。
そんなことで、なかなか鑑賞することを躊躇ったのだが、『2001年宇宙の旅』の流れで、スタンリー・キューブリックの作品は必須鑑賞だからと言い聞かせて、やっと観ることを決意した次第。
で、感想なのだが、これも又アラスジはもう超有名作品なので割愛するが、スプラッターではない別の方向の気持ち悪さが前面にでてくる内容。それが丸でミュージカルのような流れでポップスター宜しく、主人公の男の悪行三昧とその顛末が描かれる。極端なイデオロギー対立を際立たせながら、それでも人間性はどうしようも変えることが出来ないという諦観を滲ませてのラストなのだが、どこまでも人間というどうしようもない愚かな動物を、ここまで鮮明に演出している作品は希有であろう。それが自分が産まれて間もない昭和47年公開というのだから全くもって驚き以外に感じ得ない。正に普遍性を伴うテーマをしかしこれだけスタイリッシュに展開していけるキューブリックの高次元のセンスに脱帽だ。
そして、またミスリードしてしまったのだが、自分はあのラストはベートヴェンの第九でトドメを刺され、死に行く今際の際の走馬燈かとの演出だと感じたが、ネットで調べるとどうもそうではないらしい。飛び降りて自殺未遂からのディプロマイズで、又元に戻ったということ。『雀百まで踊り忘れず』ってことなんだろうね。そう観ると、この作品の何ともやりきれない無力感、修復不可能な絶対悪ということに陰々滅々となる、考え深い映画であった。
まず念頭に置いておきたいのはこの作品がいわゆるディストピアを舞台に...
まず念頭に置いておきたいのはこの作品がいわゆるディストピアを舞台にしているということだ。それがわかると主人公たちがロシア語っぽい造語を操ったり襲った作家が反政府活動をしていたり政府主導で人格矯正手術が行われていること等が風刺的な意味を帯びてくる。また、暴力描写がなんとなくオサレに演出されているのでサイコっぽく、そこがカルトな人気を獲得している所以なのだろうがアレックスの「(僕を追い出して)良心の呵責を十分堪能してくれ」の台詞が気になった。彼は罪の意識を認識している。サイコではない。ベートーベンを聞いたりドラッグミルクを嗜んだりしながらも最後は暴力とセックスに訴える。要するにガキなのだ。ただその衝動をコントロールできない姿はただ未熟なだけではなくどこか病的ではある。
凶暴な幼児が性欲と暴力に溺れる
人間の本能剥き出しとも言える作品だ。製作当時からして近未来。ずっと主人公アレックスの一人語りがストーリーを説明してゆく。簡単に書いてもこんな話しだ。
よくわからないミルクバーでくだをまく若者四人組。このミルクバーのシーンはこの映画の奇妙な雰囲気をもっともよく表している。彼らは無法者だ。完全に廃墟のカジノで、棒やナイフを持って喧嘩もする。町では、浮浪者の酔っ払い老人を袋叩きにし、深夜の田舎をスポーツカーで飛ばして、森の中の一軒家にたどり着く。シンギンザレインを唄いながら老作家フランクの家で暴れまくる。目鼻を隠したマスクをし、股間を守るサポーターをつけたユニフォーム。別の日、色々あって、猫屋敷で老女を殺し、味方から嵌められるアレックス。
ポリスに捕まったアレックスは、刑務所に入れられる。しかし、そこで模範囚を演じていた彼は、実験段階の更生プログラムを受けることになる。
この秘密の更生プログラムがかなりいかれてはいるが、説得性をもつ。まずこんな短期では洗脳は無理だろうとは思うが、わけのわからん薬物と内容が少ししか見えないモノクロ映画とマルコムマクダウェルの演技が暴力的な人間から反暴力的な人間への転向を信じさせる。ステージでの証明実験シーンも説得性がある。
ここまでが前半だ。政府によって洗脳された犯罪者一号になった彼は、暴力はふるえなくなっている。そしてルートヴィヒを聴くと吐き気に襲われ、無力になる。
出所した彼は、世間に放り出される。しかし、実家では、別の男が息子の地位を占有しており、両親から見放される。
包みをもってとぼとぼと歩くアレックス。港で浮浪者たちに復讐を受ける。さらに、警官になったかつての仲間から森の中で虐待を受ける。そして最後は雨の中、老作家フランクの家に正体を隠して迎えられる。
老作家の妻はすでにいなくなっており、用心棒のジュリアンが車椅子の作家をサポートしている。
身も心もズタズタのアレックスは、そ知らぬふりをして入浴し、パスタとワインを頂くが、老作家は、彼の正体を見抜いていた。ルートヴィヒの音楽で苦しみ抜くアレックス!
洗脳についての映画であり、犯罪者更生についての映画であり、暴力的な人間についての映画である。
まずタイトルの意味が分からない
観た後調べて分かったけど、作中に出てこないと分からないよね。そして字幕が字幕してない。分からん。
色々と狂気に満ちてる感じはあったけどよく分からん。
最初のマルコムがアップで出てカメラが引いてく感じはすごいすきでした。
1時間までは嫌悪感が強くて耐えられなかったが、矯正の際の犯罪と嫌悪...
1時間までは嫌悪感が強くて耐えられなかったが、矯正の際の犯罪と嫌悪感の関連の話から興味深かった。ただし、雨に唄えばを聴衆に対し、嫌悪感との関連をもたせたのは好きな者にとってはかなりきつい。逆に言えば、それはテーマであるため、それに成功し完成されていることになる。
親と見ないように
あそこまで暴力的で性的描写にあふれているのに、確か年齢制限がなかったと思う。良い映画だとは到底思えないけど、強烈に頭に残ってしまう。
かつて暴力を奮われた人が、アレックスの口ずさむ "雨に唄えば" を聞いて震えるシーン。暴力と音楽を繋いだトラウマは、アレックス本人が受けた実験のよう。
BGMはずっとクラシックやオールドが流れていて、強烈なシーンほど明るいメロディはインパクトが残る。ホラー特有の鬼気迫る効果音より、明るい方がずっと怖い……。
面白すぎる
去年のカナザワ映画祭で後半部分から見始めて、何度も見ているのでいいかなと思ったけど、前半のエキサイティングな場面が面白かったことに気づいてすごく後悔した。WOWOWの放送で改めて見たらやっぱりとんでもなく面白かった。
主人公は高校生くらいの若者でスーパーカーみたいなのを乗り回してやりたい放題で、麻薬やってレイプして3Pして音楽聞いて、喧嘩して、浮浪者をリンチして強盗して悪い事全部していていて、とんでもなく楽しそうだった。あのミルク飲みたい。彼を演じるマルコム・マクダウェルはその後消えてしまったのだろうかと思って調べたら、最近の映画まで途切れなくたくさんの映画に出続けていたのだが、全く印象にない。舌がからんだようなレロレロした語り口が、この映画では異常者っぽくてよかった。
かなりのお調子者でお風呂で気持ちがよくなって『雨に歌えば』を最初は口ずさむ程度だったのが、だんだん盛り上がって熱唱して正体がばれるところは、おじいさんの表情も含めて最高だ。
金持ちたちが嫌味っぽいので犯罪者を応援したくなる。
男性器のオブジェで殺されるおばさんもよかった。暴漢に取り囲まれていても一歩も引かずに喚きつづけ、しかも口が悪くてかっこよかった。
デザインの凝った家や室内ばかりを映して普通の町並みや景色を全く描かない事で変な未来感を表現している。今から見れば過去なはずなのに、どこか違う世界の未来みたいな感じがしてすごくかっこいい。
5年くらいしたらまた見たい。
(追記)
ちょうど5年後に午前十時で上映されて、スクリーンで見た。何度見ても超絶に面白い。ストーリーも面白いけど随所にふざけていて面白い。お母さんの2回目の出番の衣装が、魔法使いサリーみたい。刑務所のナチスみたいな看守も面白いし、保護司みたいなおじさんも相当ふざけている。車椅子のおじいさんが、正体に気づいて驚愕する表情は完全に変顔でふざけている。素晴らしかった。
暴力が暴力をうむ
最初はあまりに衝撃的すぎて評価どころではなかった。
ただ二回、三回と観ていくうちにこの映画の本質がみえてきた。
まだちゃんとかみ砕けたわけではないけれど。
暴力が暴力をうむ
強い怒りや憎しみで人は簡単に本性をむき出しにして暴力をふるう。
人間てこわいな〜と思い知らされるような映画
もっとたくさん観て、より深く解読していこうかと思います。
難解
冒頭のシーンには衝撃を受けたし、世界観も近未来?をモチーフにしたような世界観で、つかみは良かった。少し演劇がかったような印象も受けたかな。
見終わった後は最後のシーンはどういう意味なんだろうなとか、多分色々なメッセージが込められてるんだろうなって感じで面白かったなーっていうような感じにはならなかった。つまらなくはないし、一回くらいは見といても良かったかなという感じ。
内容は、主人公の若者グループが別のグループと喧嘩したり、ホームレスを襲ったり、お金持ちの家に強盗に入ったりと好き放題やっていただんけど、主人公が自分勝手なやつでグループの人間にも高圧的な態度だったり殴ったりと仲間内でも嫌われているようなやつだった。
あるとき、別のお金持ちの家に強盗に入ろうとした時に、普段は仲間が事故にあったって嘘を言って家の鍵を開けてもらってたんだけど、その時は不審がられてあけてもらえず屋根から侵入したんだけど、家主が前に同じような事件があった事を新聞で知っていて、警察に通報していたんだよね。で、屋根から侵入したあとに気の強い家主と口論のあと暴行してるときに警察が来て逃げようとするが、外で待っていた仲間に裏切られ、そのまま警察おくりになってしまう。
結局、さっきの家主は死んでしまって、主人公は刑務所おくりになるんだけど、刑務所の過密化の対処のために新しい更正方法の検証に主人公が志願するんだけど、その更正方法がまぶたを固定されて瞬き出来ない状態にされて残酷な映画を見せられるって言う更正方法で、これをやられると残虐なシーンや性的なシーンが出た時に吐き気を催してしまい悪い事ができなくなるっていう効果があるみたい。その方法で更正した後、主人公は釈放されるんだけど、実家には既に下宿人が居て、主人公の部屋を使っていて、両親自体も息子の悪行に散々迷惑を受けていたので、主人公は家に居られなくなって、街を彷徨うんだけど途中で、以前に暴行を加えていたホームレスに出くわして逆に暴行を加えられたり、もともと仲間だった奴らは警官になっていて、そいつらにもまた仕返しされたりして、ぼろぼろになりながら彷徨っていたら、以前に強盗に入った作家の家に助けを求めに行って、最初は保護されて、しかも主人公が受けていた更正方法を非人道的と考えていてそんな事を許している政府を打倒しようとしている人の1人でこの主人公をうまく使って、政府を打倒しようと考え、知り合いの有力者に声をかけて何かを企んでいたんだけど、主人公が風呂場で以前に強盗に入った時に歌っていた歌を歌ってしまったので、作家の人が気づき、主人公を拉致して苦手なベートーベンの第九を聞かせて苦痛を味あわせていたんだけど俊二公は耐えられなくなって窓から飛び降りてしまう。その事もニュースになって、やっぱりあの更正方法は間違っていたんだっていうような風潮が強くなって行きまた政府打倒の良いマスコットになってしまうというようなラストだった。
超衝撃、超暴力!
間違いなく今まで見た映画の中で衝撃的な映画でした。この衝撃を超える映画はないかもしれないです。
キューブリックの作品といえば、ユーモアのあるセリフ回し、とても効果的な音楽の挿入の仕方などが印象的でよく挙げられますが、この『時計じかけのオレンジ』では、他のどの作品よりもユーモア抜群、とくに、音楽の使い方は印象的でした。
この作品の中でも、ベートーベンの交響曲第9番に代表に、名シーンと言われるかたりべで主人公アレックスが「雨に唄えば」を歌いながらタップ・ダンスを踊るレイプシーンはかなりキチガイで狂気的です。この狂気でキチガイじみたシーンはおおく、ほとんどの暴力シーンはコミカルで、どこか楽しげで、雰囲気は明るく、アップテンポな音楽が使われます。(アレックスのナンパ後のプレイシーンなど。)まるで、超暴力に浸るアレックスは罪という概念を持ち合わせていないかのようにもみえます。 それとは対照的に、暴力シーン以外ではどこか控えめな雰囲気や、おどろおどろしい表現が多くありました。特に、アレックスがとある治療を受けた後では特に顕著でした。どこにも居場所のない絶望感はいきなりの衝撃でした。
このような表現のせいか、作品全体からどこか皮肉るようなジョークのような雰囲気を感じました。
考えさせられることも多く、人間の罪と罰、人間の本性をキューブリックは描き出していると思います。
アレックスは、あの治療で本当に罪という概念を覚えたのか、今までの罪を反省したのか、治療後の拒絶反応で苦しむアレックスは、女性の胸を掴もうとして苦しんだし、殴ろうとして苦しんでいたし、やっぱり、罪という概念を覚えたわけではなく、ただ、苦しいのが嫌だから暴力をやめています。本当にこれは、罰になっているのだろうか?かつての仲間からの裏切り、妻を殺された作家のやり返しや大臣の身勝手な治療と政治利用。
ラストシーンはかなりショッキングで、フラッシュの中での握手、アレックスの表情の変化、戯れのシーン、はこの後の出来事を予感させます。極めつけは、あのセリフ。鳥肌がたちました。
とにかく、文書にして書き表すのはとても難しい作品です。絶対に一見の価値はあります!
凶悪体現者という駒
人間は理性と本能をあわせもつ。
本能に興じる個々の人間がその本能を強制的に刈り取られたとき、残るものは善良たる理性なのか?
とてもスタイリッシュでユーモラスな作品。
映像への強烈なこだわりを持つキューブリックだからこそ、ここまで描ききれたのだろうと思う。
画面の構図、配置、色合い…端から端まで隙がなく世界観をつくっている。
CGなぞない時代だからこそ、多角的に物事をとらえ練りに練って架空を構築できるのであろう。
主人公のアレックス自身がナレーターとなり物語を進める。
そこが主人公の持つ自由さ、身勝手さ、高慢さを観客に植え付けるのだが、実際は社会の1ピースとして社会という力に利用されているに過ぎない。
社会は(どれだけ汚れていても)正義でありモラルであり理性の象徴である。
一見傍若無人に暴れまわる本能、それを利用し飼いならし続ける物静かな理性。
この映画にはそんな皮肉が込められている気がします。
個人的なウィークポイントは、早回しのエロシーン。
ゆっくりでよかったのに。
あとは時代背景の説明不足かも。
作品自体もそうだし、奇抜なだけに見る側もこの時代の人々はこう感じていたんだろうなみたいなものが感じ取りにくく、現代の若者としては若干伝わりにくい部分があった気がします。
暴力は終わらない
まったくすごい映画に出会ってしまったと思う。
狂っている。
この映画の中での人物のキャラクターも、建物も、服装も、とにかく異様で最初は困惑した。特にアレックス含む4人組の服装は印象的。主人公のアレックスは、暴力とセックスとベートーベンを愛する15歳の少年。ホントに15歳か?彼の表情は常に狂気じみており、理性がない、悪魔のようで、挑発的で官能的だ。頭から離れない。また最高に魅力的。何をするにも手加減なく非情、爽快なまでの暴力の嵐。ともかく、雨に唄えば、を歌いながらのレイプシーンの破壊力が凄まじかった。この音楽だけでなく、第9や不気味なBGMも印象的で映画をますます狂気的にしている。
悪魔のような、彼が刑務所にブチ込まれてから、話が違う意味で面白くなってくる。もともとアレックスはかしこく、うまい具合に気に入られ瞬く間に世間に逆戻り。自分の中の悪魔を隠して一つ返事でコロコロ転がされるアレックスが滑稽だ。
そんな彼を見てると、以前、アレックスの暴力の下に隠れていた、誰の心にも存在する悪魔が次々顔を出してくるのがわかる。アレックスをルドヴィコ療法の実験台にしようとする連中、結局息子を見捨てた両親、昔の仲間達は今も昔も変わらず暴力の中に生きアレックスを痛めつけ、政治家は巧みに彼を操って政治のエサにし、アレックスの悪事を思い出した被害者たちは悪魔になる。
ルドヴィコ療法によって暴力行為に無防備となったアレックスは、こんなにもか、というほど痛めつけられ、大好きだった第9を聞きながら死を選ぶ。
そして、なんとも驚くべきことに、幾多もの暴力がアレックスの心の中に閉じ込められていた悪魔を呼び戻してしまう。看護師はそれを、平常だと言うのだ。なんということだろう、悪が肯定されてしまった。最後に彼は以前のように笑う。
暴力の中で暴力が生まれる。
被害者などおらず、正義なんてものはない。
狂わしいこの世界の中で、暴力は終わらない。
この映画に感銘を受けた人々は大勢いる。私もそうだし、完全に引き込まれてしまった。
どうだろう、
みんな、人間にはアレックスみたいな欲が渦巻いているんじゃないだろうか。
なんて思うと、ますますおぞましい映画だと感じる。
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