「ラブロマンスから一転、疑惑に囚われるヒロインの恐怖」断崖 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ラブロマンスから一転、疑惑に囚われるヒロインの恐怖
ハリウッドに進出して精力的に作品を発表したヒッチコック映画の終戦後の日本公開は製作順ではなく、1946年に「疑惑の影」(43年)が最初に紹介されて、この「断崖」(41年)が翌年でした。アカデミー作品賞の「レベッカ」(40年)が1951年に漸く公開されたのに比べれば、上記の2作品はレオ・マッケリーの「我が道を往く」やジョン・フォードの「荒野の決闘」と同じく、上映禁止だったアメリカ映画に飢えていた日本の洋画ファンに温かく迎えられたと想像します。日本を統治していたGHQの検閲により、まだヨーロッパ映画は少なく殆どがアメリカ映画であり、民主主義のプロパガンダを優先して選別していたようです。
この第二次世界大戦のあった1940年代のヒッチコック作品で戦争の時代背景を色濃く反映したものが「海外特派員」くらいで、その他はサスペンス・スリラー映画とハリウッドスター主演のラブロマンスものの両面の特徴があります。(見落としがあるので断定までではありませんが)特にジョーン・フォンテインの「レベッカ」と「断崖」、イングリット・バーグマンの「白い恐怖」と「汚名」の4作品は、相手役にローレンス・オリビエ、ケーリー・グラント、グレゴリー・ペックの名優たちとの共演で見所の多い作品に仕上がっていると思います。
しかし、この映画ではそのことが長所と短所を明確にした大きな要因になりました。長所は、資産家の箱入り一人娘リナ・マクレイドロウが世間的には評判の良くないプレイボーイの男ジョニー・エイスガースの策略に嵌り恋に落ちてしまう前半部分の展開の面白さであり、ヒッチコック演出の巧さがあります。初めてリナの家を訪れた時、彼女が読んでいる本の中に自分の写真の新聞記事の切り抜きがあるのを知ったジョニーが、アプローチに自信を持ちます。気になったジョニーの訪問を受けて悪い気はしないリサを友人の輪から強引にふたりだけの散歩に誘い、丘の上で揉みあう男と女。ここで一寸怒らせるところの遊び慣れている男のテクニックとユーモア。そして、家まで送るとリナの両親の会話が窓辺に聞こえて来て、その内容が彼女をもっと怒らせる。娘を溺愛する両親は真面目で地味なリナが男性に興味が無く一生結婚しないだろうと決めつけ、財産はあるので生活には困らないと安心している。普通に結婚を薦められたら拒否するであろうリナは自立心を刺激されて振り向くと、そこにジョニーが立っている。思わずリナからキスをする、この展開の流れの簡潔さとリナの心理変化が面白い。突風が吹く丘の上でキスシーンを入れない脚本と演出が巧い。両親との食事シーンでは、ジョニーをろくでもない男と貶されても、会う約束があると答えて、そこに電話が掛かってくる。ここで来れなくなったジョニーにリナが優しく話すところは、恋に落ちた女性を演じているかのような、少し自分に酔っているリナが垣間見えます。そしてハンティングクラブ主催の舞踏会の招待の確認が取りたいリサが焦ってしまうのは、偶然かジョニーの作戦か不明でも、当日になって電報が届くのは、やはりジョニーのテクニックかと思えてしまう。男の免疫のない女性が初めて夢中になるパターンです。ふたりが舞踏会からまた抜け出して車中でジョニーから初めてキスをした後に言う台詞、“こんなに素直な女性は初めてだ”で女心をくすぐり、“普通は拒むフリをするもの”というジョニーの女たらしの言葉が続く。この時のフォンテインの幸せに満ちて恍惚とした表情の美しさ。純愛映画でも中々見られない代物です。それをヒッチコック作品で観られる贅沢さと、演出の巧さ。勿論フォンテインの演技も素晴らしい。ここに至ってグラント共演の意味も価値もあるというものです。彼女の家で盛り上がるふたりは、もう恋人同士のようにダンスを踊る。その出会って3度目で結婚を決めたリナが両親の反対を予想して駆け落ちするシーンも、映像で分からせる表現力が見事でした。何気ない日常の両親と思い詰めた娘の対比から、部屋のドアを閉めて玄関に向かうリナをワンカットで捉え、母親の“お茶までに戻って”の台詞をリナの後ろ姿に被せます。彼女がどんなに後ろめたい想いでいるかを首を僅かにすくめる仕草で演出し、観客に想像させる。優れた映画の特徴のひとつが、この観客の想像力を視覚的に刺激する演出です。次の結婚登録所の看板のカットが雨に濡れているのも前途多難の暗示であり、映画表現のイロハと言えましょう。ここまでの流れを観ていて連想する作品があります。それは偶然にもフォンテインのひとつ年上の姉オリヴィア・デ・ハヴィランドが主演した、ウィリアム・ワイラー監督の「女相続人」(49年)です。資産家の一人娘の主人公が誰からも女性として扱われず、偶々美青年から口説かれ結婚を考えるが、父親は財産目当てと大反対する。そこで駆け落ちを試みるが、というストーリーで相手役はデビュー2年目のモンゴメリー・クリフト。この作品でデ・ハヴィランドもアカデミー主演女優賞を受賞しています。ただ「風と共に去りぬ」のメラニーとは正反対の美人ではない意固地な役柄でした。フォンテインは、恋愛に関心の無い女性が一気に恋する自分を抑えきれず夢中になる過程を美しく、時に可愛らしく演じてアカデミー賞に相応しい演技でした。この前半部分のラブロマンスの巧さから、サスペンス・スリラーに拘らないヒッチコック作品も観てみたかった衝動に駆られます。
いざ新婚旅行から帰って結婚生活を始めると、資産目当てのギャンブル狂で横領にまで手を出してしまうジョニーの裏の顔が分かってきて、疑い深くなるリナの心理状況から原題を『疑惑』にしたことが分かります。結婚祝いのアンティークの椅子を売却して競馬の大穴を当てるジョニーに翻弄されても許すリナですが、流石に従兄の会社から横領で解雇になっていたことはショックで、もう別れようと置手紙を一度書き、そして破り捨てる。駆け落ちまでして結婚したリナの後ろめたさのフォンテインの葛藤の演技がいい。対して本当の正体をラストまで明かさないのがこのジョニーの設定の為に、後半のケーリー・グラントの演技が曖昧模糊として魅力が削がれています。いい人寄りのだらしない男を演じるグラントは、敢えて表情に出さない演技を強いられているよう。父の死、土地開発に絡む友人ビーキーの死、そして生命保険からの通知、そこにミステリー作家の痕跡が残らない毒物の話と、自分までも危険な目に遭うのではないかと追い詰められるリナが心労で倒れる。ここで有名な牛乳の入った白いコップが登場します。電球で白を強調するトリックが有名です。ところがその後は原作と全く違う展開だと知り、あくまでスター俳優ケーリー・グラントのイメージを最優先したハリウッド映画の為のラストシーンでした。サスペンス・スリラーの点では物足りなさが残る結果になりました。
脚本にヒッチコック監督夫人のアルマ・レビィンが加わり、音楽は「レベッカ」と同じくフランツ・ワックスマン。ヒッチコック監督の演出の意図を反映した柔らかいメロディーと緊迫したリズムを使い分けています。今回特に注目に値するのは、多才な経歴を持った撮影監督ハリー・ストラドリングです。戦前フランスに渡りジャック・フェデーの名作「外人部隊」「女だけの都」を撮り、アメリカに戻って「欲望という名の電車」「愛情物語」「マイ・フェア・レディ」など、ジャンルを問わず活躍した人でした。前半のハリウッドの巨大なスタジオを使った奥行きのある絵画のような映像は、モノクロ映像を最大限に生かしたカメラワークです。またグラントとフォンテインは野外の断崖で撮影はしていません。編集も含めて、この時代の撮影システムが充実してたことと、モノクロ映像だから自然に見えるラストシークエンスの映像作りでした。