監督・ばんざい!のレビュー・感想・評価
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タイトルは『Opus 19/31』の方が良かった
監督と脚本は『みんな~やってるか!』『3-4x10月』『菊次郎の夏』『Dolls(ドールズ)』『TAKESHIS'』の北野武
映画監督キタノ・タケシが得意のギャング映画を封印し様々なジャンルの映画に挑戦するチープなコメディー
それまでは安っぽいものの話の運び自体はまあまあだがSF映画あたりから飽きたのか破綻
あまりにもナンセンスな展開に
人面隕石から岸本加世子&鈴木杏
なぜか場所はラーメン屋に
ラーメン屋の客も厨房でラーメンを作っている店主もプロレスラーで揉め事が起こり一軒家プロレスのような展開に
今度はいきなりナレーターの江守徹が顔出しで登場し「笑うな」と怒りながら壇上でおかしなことばかり始める
マトリックスのパロディを始めてSFらしくはなったけど
そのあたりから何度か吉本新喜劇?みたいにこける鈴木杏が好き
こけかたにキレがある
なぜか今度は柔道の道場に
吉祥寺はポンコツ師範
グダグダなコント
今度は詐欺師母娘が結婚詐欺で吉祥寺の実家に向かう展開
片田舎の貧乏な家のため逃亡する詐欺師母娘
エキセントリックな井手博士と一緒に追いかける吉祥寺
そしてなぜか結ばれる吉祥寺と詐欺師の娘喜美子
忘れた頃に隕石直撃
うーん支離滅裂
くだらない
でも嫌いじゃない
長いキャリアだと誰でも浮き沈みがある
B'zだって中島みゆきだって微妙な時代があった
吉永小百合なら『天国の駅』『玄海つれづれ節』か
自分はわりと好きだけど
鈴木杏の黒歴史になってなければいいが
黒歴史と言えばこの作品をDVDで初鑑賞したとき鈴木杏がドラム缶風呂に入るって場面で「わーい杏ちゃんの全裸が見れる」と期待したらその場面は端折られ地団駄を踏んだことを思い出したが今となってはそれが自分の黒歴史かもしれない
配役
監督のキタノ・タケシにビートたけし
ギャング映画に登場するヤクザにビートたけし
小津安二郎風映画に登場する親父にビートたけし
恋愛映画に登場する男にビートたけし
昭和30年代風映画に登場するマサオの父にビートたけし
忍者映画に登場する忍者にビートたけし
恐怖映画に登場する探偵にビートたけし
SF映画に登場する東大泉大善の友人の吉祥寺太にビートたけし
SF映画に登場する天文学者の高橋にビートたけし
※
ギャング映画
タケシ演じるヤクザの子分に寺島進
久松組組長に菅田俊
久松組若頭に石橋保
※
小津安二郎風映画『定年』
タケシ演じる定年男の妻に松坂慶子
定年男の娘の明子に木村佳乃
定年男が通うバーのマダムに入江若葉
※
恋愛映画『追憶の扉』など
ヒロインに内田有紀
※
昭和30年代風映画の『コールタールの力道山』
主人公のマサオに髙道峻
マサオの母に藤田弓子
子供に中嶋和男
子供に三瓶憂拓
子供に若林航平
車を拾った男に有薗芳記
チンピラにモロ師岡
駄菓子屋の婆さんに福井裕子
※
忍者映画『蒼い鴉 忍 PART2』
家老に谷本一
家臣に新納敏正
※
恐怖映画『能楽堂』
能面男に渡辺哲
家の主に田野良樹
泊まり客に柳憂怜
※
SF映画『約束の日』
東大泉政経会名誉会長の東大泉大善に江守徹
詐欺師の高円寺久美子に岸本加世子
詐欺師の娘の高円寺喜美子に鈴木杏
女中に吉行和子
白いベンツの紳士に宝田明
東大泉の息子に桐生康詩(現:桐生コウジ)
天文学者の山本に大杉漣
井出博士に井手らっきょ
空手道場の師範代に六平直政
空手道場の太鼓係につまみ枝豆
蝶天ラーメン店の店長に蝶野正洋
蝶天ラーメン店の副店長に天山広吉
蝶天ラーメン店員に森下能幸
蝶天ラーメンの客に真壁刀義
蝶天ラーメンの客に邪道
蝶天ラーメンの客に外道
蝶天ラーメンの客に矢野通
蝶天ラーメンの客にマスクドC.T.U
東大泉政経会の司会者に江口ともみ
借金取りに諏訪太朗
性教育の男に芦川誠
若者に福士誠治
岩の上の男にゾマホン
※
アヒルの声に柿原徹也
ナレーションに伊武雅刀
自虐的ネタ不足作品。
思いっきり映画を楽しむとか、監督のメッセージを理解しようとか、そうった普通の映画を楽しむ世界とは異次元に存在するかのような作品でした。同時上映の短編『素晴らしき休日』がネタとしては古くても、北野監督自身の『Kids Return』の劇中台詞を上手く利用したところが面白かった。ここで掴みはOKという気分になるものの、本編がどうしようもない。「ギャング映画はもう撮らない」と宣言したために、新たなるジャンルを模索しつつ、彼のスタイルに合わないことわかるということの繰り返し。小津風作品、恋愛映画、ホラー映画、SF映画等々・・・結局は暴力描写から抜け出せないジレンマまで感じてしまいます。
あれこれ試行錯誤するうちにネタを思いついて、岸本加世子と鈴木杏の親子が玉の輿に乗ろうとするストーリーへと展開する。ラーメン屋で丼の中にゴキブリを入れたり、当り屋にチャレンジする母娘の小ネタまでは良かったけど、江守徹や東大泉道場の部分から徐々に面白くなくなってくる。どうしようもなくなってくると、得意のコントを取り入れて、なんとか集中力を保たたせようともしていました。こうやって、つまらなさをとことんまでアピールして、監督業や映画作りがいかに大変なのかを訴えているようにも思えます。
そして、映画の作り、特にフィルムの編集・カットバック、それにどうでもいいようなCGを利用したりして、これからの映画人にヒントを与えているような優しさも感じられる。それでも数度登場するマトリックス風特撮はしつこく感じられるし、このパロディは本意ではないのでしょう。「こんなの簡単にできるような時代になったんだから、お前たち上手く作れよ」とでも言いたいのか、映画の後継者が欲しくなったのか、とにかく、一貫性があまり感じられない作品でもありました。
今まで北野作品が好きにはなれない理由もわかった気がします。ギャング映画に代表されるように、各キャラクターの性格設定が典型的、画一的、個性がない(笑いのための個性はある)・・・監督の日常生活は知りませんが、周りには自分の笑いを認めてほしい人たちばかりが集まってくるのでしょう。それが色んなジャンルにチャレンジできない原因なのか、プロットや映像にこだわりすぎるの原因なのかはわかりません。でも、この映画のように自虐的に壊れてくれると、監督にはもっと頑張ってもらいたくなる・・・
前半のオムニバス形式ならば◎だったのに…
これはあえてフィルムで撮る必要があったのかな…。
前半のオムニバスは
“もし武が小津のパクりを撮ったら…”とか
伊武雅刀のナレーションと相まって
面白い効果を出してました。
嫌いじゃないです。
ただ、後半は更に壊しにかかり
ただただ、ひょうきん族のノリで
映像が流れているだけ…。
前半の流れが最後まで続いたならば、
及第点はとれたのでは…。
しかし、配給が松竹から東京テアトルに代わったのは
前作で松竹が頭を抱え、
ビビったためとしか思えない。
天才、鬼才、しかし世に受け入れられないジレンマが
この作品に限り何をどう表現したいのかよくわかりません。本当は映画監督なんかやりたくないのかも。過去の作品へのオマージュも感じないし、新路線を切り開く勇気もないと適当に作った作品におもえます。すべて中途半端なオムニバス。私には少しひねくれたクラスの優等生の作文を聞いている気分でした。
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