ソフィーの選択のレビュー・感想・評価
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A Tale that Feels 100 Year Prior to Its Setting
An Emily Dickinson poem recited at the end has this film feel anachronistically in all times at once. The film humorously beckons into a complex relationship that is abusive but can't be shaken off, because Streep plays an eternal refugee from the Holocaust. The disturbing traumatic drama in the flashback scenes are much more powerful than the New World love story. An all around depressing movie.
ソフィーの人生
メリル•ストリープが若くて肌の色が白く透き通るようで自由の女神のようだった。
ユダヤ人でなくてもアウシュビッツに送られる。
ポーランド人ならって国どうしでも差別していた現実。
ドイツは、自分たちがどれだけ優秀だと思い上がっているのだ。
ソフィーの父は、反ユダヤ人主義者であるにも拘らず大学教授という肩書き故に殺されたのか?それともソフィーが間違えてタイプした演説内容が原因か?
文明人は真っ先に殺されるらしいが。
一体ソフィーは何を選択したのか⁉️
終盤でスティンゴに結婚を迫られて重い口を開く。
アウシュビッツへの列車内でもポーランド人というとポリ公と言われ息子はまだ直ぐではないが、娘は焼却場送りだと⁉️生きたまま焼いたのか⁉️
収容所隣のヘスの邸宅にはきれいな花々が咲く庭があった。ヘスの家族は普通の豊かな暮らしを送っている。
収容所から来たソフィーなんかは危険物かバイ菌扱い。
自身の仕事への良心の呵責だろか、偏頭痛の症状を息子を助けようとヘスに取り入っても信じたのが間違いという結末。
ソフィーがヘスの邸宅に通う途中ある建物の横を通る。
裸にされたユダヤ人たちが何日も立ちっぱなしで収容されており、窓からはたくさんの腕が出て助けを求めるようにうごめいているのだ。多分数日後にガス、そして焼却場送りなのだろう。
ドイツ降伏でかろうじて助かったのかソフィー。
そこをネイサンに助けてもらったものだから、
ネイサンから異常におかしい振る舞いや罵声を浴びせられようがソフィーからは別れられない。
スティンゴ、ある意味二人にいいように使われていたような面もあるが、ソフィーの側にいて一緒に行動できるのはうれしかったに違いない。
ソフィーはスティンゴにある告白をするが、母として最良の選択とは何だったのだろう。守るべきものを守る為には道があったのか。
一番自分を責めているのは自分である。
せっかくアウシュビッツから生還できた大切な命なのにネイサンと共の道を選んだ。
烈火のくすぶりは消えない
スティンゴが出会ったときには、すでに複雑な状況の大人の恋人同士ネイサンとソフィー。
激しく癖のあるネイサンとどこか影をもちつつ絶妙な距離感で接してくるソフィーに果敢に?関わっていく青年スティンゴの純心さと若さは怖いもの知らずだ。
ソフィーに魅了されてぽーっと舞あがってるその様子はちょっと滑稽でもあるのだが仄かな恋心がかなりのドロドロに巻き込まれていく。
しかもネイサンの誤解も含めてできあがる奇妙な三角関係をソフィーが上手くコントロールして繋いでいるのでまるでコミカルな話のようだ。
しかし実はそれだけではなかった。
これは、ナチス下にある不条理な時代を生きぬいてきた者のその後の苦悩を重く克明に描き出していく物語だ。
「人種的に不適合」、死ぬ者の「選択」、人間を「抹殺」など聞くだけで眉間に皺がよる嫌な言葉がたくさん出てくるが、それが実体験にまつわる話だから一層生々しい。
モノクロの回想はアウシュビッツへの道中から現地での様子だ。
この時のメリル・ストリープの天性の演技に文字通り釘付けにならない人はいるだろうか。
関心の領域と背中合わせなんだ!
アウシュビッツのヘスス所長が、出ていたなんて、鑑賞当時は、知らなかったよ。アランJパクラ監督 メリルストリープが若い。ケルビンクラインもね。
マービンハムリシュの音楽だ。 ソフィーが、アウシュビッツで所長の秘書になるとき、収容所から、裕福な家庭へ、ちょうど転勤の話があって奥さん文句言ってた。娘もからんで話するシーンが不思議だ。犬もいたなあ。映画は、オールドスタイルだが、戦争の虚しさを詩的に描いていたのは、当時の時事があるんかな?監督は、大統領の陰謀もあったな。
この世界の殉教者
アメリカの田舎町で育ったスティンゴは、小説家になるための自分探しの旅をしており、ブルックリンにアパートを見つける。
部屋中ピンクの変わった建物で、階上ではどうやら恋人同士がセックスに夢中らしく、天井がギシギシと軋んでいた。
やがて廊下からは男が激しく罵倒する声と、それにすがりつく女の泣き声が聞こえる。
その現場を覗き見てしまったスティンゴは、男に口汚く罵られる。
女の方はすぐにスティンゴに謝罪をするが、彼は儚げな彼女に惹かれてしまう。
まだ恋愛も経験していない世間知らずなスティンゴ。
このアパートでの生活が彼に未知の刺激を与えてくれることは確かなようだ。
その後、スティンゴを罵ったネイサンと、その恋人であるソフィーは、謝罪の意を込めて彼をピクニックに誘う。
こうして不思議な男女三人の交流が始まる。
やがてスティンゴは彼らの口から馴れ初めや身の上話を聞かされる。
ソフィーはアウシュヴィッツに収容されていたこと、収容所を出た後に貧血で倒れたところをネイサンに助けられたこと、ネイサンは生物学者で重要な研究に携わっていること。
物語が進むにつれて、二人にはスティンゴにはない心の闇があることが分かってくる。
ネイサンはソフィーに「僕らは間もなく死ぬんだ」と呟く。
その言葉にスティンゴはずっと引っ掛かっていた。
とにかくネイサンは陰と陽の差が激しい。
一度鬱状態に入ってしまったら、どれだけ宥めても被害妄想に取りつかれ、ソフィーとスティンゴに攻撃を加える。
そしてソフィーはどれだけ身の危険を感じてスティンゴに忠告されようと、決してネイサンの側を離れようとしない。
この二人の危うい関係の裏にあるものは何なのか。
まずは収容所を生き延びたソフィー。
彼女はとにかく生き残ることに必死で、そのために多くの嘘をついてしまったようだ。
彼女の口から語られる収容所での出来事はショッキングだ。
選択を間違えれば命を奪われてしまう。
そんな究極な状況で無力な彼女に何が出来ただろう。
後になって考えれば罪深いことだとしても、その時には彼女には選択肢はなかったのだ。
一番悲しかったのは彼女が息子か娘か、どちらを助けるか選ばされる場面だ。
追い詰められた彼女は娘の命を差し出してしまう。
彼女は収容所を生き延びたが、彼女の心の一部は収容所で死んでしまったのだろう。
彼女は常に罪悪感に苛まれている。
彼女がネイサンという危うい存在に惹かれ、離れられなくなってしまったのも必然だと思われた。彼女はネイサンに責められることで救われていたのだ。
ユダヤ人であるネイサンはナチスを憎悪している。そしてその憎悪を時にはソフィーにもぶつけてしまう。
後半に彼は妄想分裂症であり、生物学者だというのも嘘だったことが分かる。
ついにネイサンは銃を持ち出し、ソフィーとスティンゴを殺すと脅迫するまでに精神的に追い詰められてしまう。
スティンゴはソフィーを連れて逃げ出し、彼女に結婚を申し込む。
だが、正直スティンゴにはソフィーの心の闇は抱えきれないだろう。
スティンゴはあまりにも初で真っ直ぐ過ぎる。
最終的にソフィーはネイサンの元に戻り、二人揃って命を断ってしまう。
とても悲劇的な結末、そしてスティンゴにとっては辛すぎる結末だ。
しかしソフィーとネイサンにとっては、真っ直ぐな心を持ったスティンゴの存在は最後の救いだったのだろう。
二人には破滅的な結末以外は考えられなかったが、だからこそ彼らは汚れのないスティンゴを側に置きたかったのだろう。
スティンゴの割り切れない想いもとてもよく分かる。
おそらくこの経験が彼を小説家として成長させてくれることだろう。
ソフィーの選択は悲しいものばかりだったが、改めて彼女に非道な決断を強いたナチスドイツの冷酷さ、そして戦争の残酷さを思い知らされた。
名演技と名演出による2つの究極の選択物語が私の意識を作品の外に出ることを許さなかった
事前に「サラの鍵」という
ユダヤ人強制収容所関連作品を観て、
強いられた選択と自ら意思での選択、
この2つの究極の選択という意味では
同じ匂いを感じるこの作品を思い出し、
改めて鑑賞した。
結末が分かっている中での
何度目かの再鑑賞の今回、
特にネイサンがユダヤ人であることを
強く認識しながら観た結果、
たくさんのシーンがエンディングに繋がって
いることに改めて気付き、
心が締め付けられる思いだった。
そして、アウシュビッツで
究極の選択を強いられたソフィーが、
戦後に下した
自らの意思での選択に号泣させられた。
この、ネイサンがユダヤ人であること、
また、彼が精神分裂症であることも
全て承知の上での選択には、あたかも
彼女一人でこの歴史の汚点全てを背負った
かのようで、戦争の悲惨さを伝えて余りある
エンディングに感じられる。
私は、
俳優の演技力で鑑賞するタイプではないが、
この作品については、
メリル・ストリーブの演技に支えられた作品
と言ってもよい程、
特に彼女のモノローグシーンは、
本来はその台詞の中の場面を
映像化したくなるところだが、
それらを必要させない見事さで、
この作品を支えている最大要素と確信出来る
アカデミー主演女優賞に相応しい
名演技だった。
アラン・J・パクラ監督の、
観客の意識が映画の外に出ることを許さない
見事な演出共々、二人にとって
これ以上の作品は想像出来ない、
原作をも見事に凌いだ
名作中の名作ではないだろうか。
さすがアカデミー賞女優
メリルストリープ扮するソフィーは、痴話げんかしていたところをピーターマクニコル扮する下階の住人作家のスティンゴに見られお詫びに料理を持って行った。
どうしてスティンゴはカップルの間で楽しめるのかなとまず疑問に思った。見せつけられるだけだよな。それにしてもソフィーはアウシュビッツの生き残りだから悲惨な過去を持っていたんだけど、ケヴィンクライン扮するソフィーの恋人ユダヤ人のネイサンがナチスの事を調べていたりしてどこか無気味だったね。
後半、俄然トーンが変わりアウシュビッツの頃のソフィーは迫力あったね。さすがアカデミー賞女優さんだ。
原作者が僕の肌に全く合わない。
『自己破滅型の私小説作家』でありながら、ストーリーとして描くは赤の他人事。
日本で言えば、太宰治見たいな小説家であろうが、太宰治は自己破滅している。だから、日本人としては『美しい二人の死(?)』に納得が行かないと思うが。
ナチスに協力的なポーランド人は沢山いた。また、ポーランドの大統領の発言で『ナチスに協力的だったのは、ユダヤ人にもいた』と言う言葉があった。
このアメリカ南部出身の原作者に話を戻すと、ユダヤ人の虐殺を憂えるよりも『奇妙な果実』に目を向けるべきだと思った。
追伸 ヘスってルドルフ・ヘスの事だろうが、ルドルフ・ヘスってドイツ系なのだろうが、エジプト生まれで『エジプト人!』って差別されている様だ。ナチスのプロフィールではドイツ人とされているが、見た目がベルベル人に見える。
そして、ルドルフ・ヘスは責任をどう逃れたのか、1987年まで存命だった。
いずれにしても、アウシュビッツで犠牲になったユダヤ人は、この映画の中では一人も登場しない。そして、このストーリーに登場する、極めて保守的な連中が右往左往する話で、なんか、無責任な話だと感じた。勿論、微塵も共感できない。
図書館に『ソフィーの選択』ってあって、読んだと思っていたら『ソフィーの世界』の間違いだった。
精神状態が安定しているときに、どうぞ…
メリル・ストリープの鬼気迫る演技に心がくじかれてしまいそうになります。特に有名なあの最後の凄惨なシーン。精神状態が不安定と思われるときは是非鑑賞をお控えください。
大昔にチラ見した映画雑誌で、女性が選ぶ嫌いな女優というテーマがあって、誰もが認める大女優である彼女がワースト3くらいに選ばれていたのを思いだしました。理由は覚えていないけれど、彼女は女性の嫌な部分を演じるのが上手すぎて、これを見せつけられると女性は逆に嫌悪感を抱くのかな。「クレイマー、クレイマー」や「マジソン群の橋」でもそうであったように。この映画の彼女も決して「悲劇のヒロイン」なんかじゃなくて、壮絶な人生を送る決してそうはなりたくない女性像をエグいまでに演じ切っているんです(独りよがりの憶測であれば、女性の方々、お許しを)。
こんな大作でありながら見終わった後に沈んだ気持ちになってしまう映画は興行的にこれからも創られることはないんだろうなあ。いずれにせよ記憶に刻まれる一本です。
ラストシーンは悲しく美しく、ナチスドイツとポーランドの関係性に関する歴史の勉強にはなったのだが、ストーリー展開にはあまり乗れなかった
アラン・J・パクラ 監督による1982年製作(151分)のアメリカ映画。
原題:Sophie's Choice。
ウィリアム・スタイロンによるベストセラー小説「Sophie's Choice」を原作とし、アラン・J・パクラが脚色。原作は読んでいない。
予想とは異なりアウシュビッツの話は印象的だが短く、ソフィーことメリル・ストリープ、彼女の恋人ケビン・クライン、駆け出し童貞作家で語り部のピーター・マクニコルの三角関係的な描写が殆どであった。脚本的には、この過去と現在、二つの要素のバランスが悪く、作家の童貞卒業物語も余分に感じ、あまり好きにはなれなかった。
ナチスによるユダヤ人虐殺は有名であるが、恥ずかしながら、この映画で描かれた様なユダヤ人でないポーランド人の虐殺は知らなかった。調べてみると、タンネンベルク作戦(ナチスによるポーランド人の絶滅計画)で、何と約61,000人のポーランド人活動家、知識人、俳優、元将校が逮捕・抑留、あるいは銃殺されたらしい。
キリスト教徒のポーランド人を演じたメリル・ストリープは見事なドイツ語とポーランド語、移民らしい流暢とは言えない英語を、的確に話しているらしいが、その点は分からずじまいで残念。ナチス将校や語り部のピーター・マクニコルから見れば、大変な美人ということらしいが、自分的にはそうは思えず、あまりストーリー展開に乗れなかった。
ケビン・クラインが自称生物学者で天才性と狂気を併せ持つ妄想性分裂症のユダヤ人を大熱演。感心させられたのだが、あまり共感を持てないせいか魅力はあまり感じなかった。
ラストシーンは個人的には賛同できない終わり方だが、悲しく美しくもあった。2人の出会いの要因となったエミリー・ディキンソンの詩“Ample make this bed”がベースにあるらしい。彼女の愛読書である聖書の世界の映像化と感じた。
Make this bed with awe;
In it wait till judgment break
Excellent and fair.
Be its mattress straight,
Be its pillow round;
Let no sunrise' yellow noise
Interrupt this ground.
監督・脚本アラン・J・パクラ、製作総指揮マーティン・スターガー、製作キース・バリッシュ、 アラン・J・パクラ。
原作ウィリアム・スタイロン、撮影ネストール・アルメンドロス、音楽マービン・ハムリッシュ。
出演
メリル・ストリープ、ケビン・クライン、ピーター・マクニコル、リタ・カリン、スティーブン・D・ニューマン、ジョシュ・モステルジョシュ・モステル、ジョセフ・ソマージョセフ・ソマー、グレタ・ターケングレタ・ターケン、ロビン・バートレット、ジョン・ロスマン、デビッド・ウォール。
あらゆる真実と事実に呪われた話。愛と死を知る自己発見旅
内容は、1947年アメリカはNY Brooklynに作家志望の青年スティングが下宿先で巻き込まれる波瀾万丈な話。愛と死も知らない作家志望の青年が自分の住む階上の住人の恋人とのとの出逢いで、2人の生い立ちや過去と付き合いから愛と死の意味を少しだけ🤏理解し自己発見に繋がり苦い青年時代経てを大人の階段を登る事が出来き成長へと導かれる話。好きな言葉は『独りぼっちになるのが怖かったからよ!』ソフィーの言葉。自分が生き残る術としての欲望と打算に満ちた独善的事実。そんな自分へのアンチテーゼとも取られる発言には驚いた。また『君を1人にはしない!』から『沢山嘘をつき過ぎて、もぅ何が真実か分からなくなっちゃった。』嘘をつき過ぎる事への罪悪感すらも無くなり目的が手段となってしまった。ある種呪いに取り憑かれた人々が苦くも笑えてくる。好きな場面は、一番最初に出会う場面でソフィーがつく父親がユダヤ人擁護派に尽力したと云う都合の良い嘘の場面で、ソフィーの目が泳ぐ所。物語が主人公の一人称で進むが主としてソフィーとネイサンと主人公スディンゴが繰り広げられる話は脚本も内容も役者の表現力や撮影や明暗が非常に上手く全く古さや長尺を感じませんでした。減量をした役作りにも凄さを感じましたし、台詞回しも絶妙です。ソフィーとネイサンの最初期の会話で『僕達は死ぬしかないんだ』との会話は2度目に観ると寒くなります。終始映像表現は明るくて非常に暗い内容は文学的でもあり、登場人物全てが嘘や虚構にまみれた現実を生きている様で、その中で必死に生き抜こうとする生きづらさを表現している様でした。ひたすらに根底に流れる暗さから逃げる為に、ソフィーはアルコールにネイサンは麻薬にスティンゴは文章表現に頼らざるを得なかった辛さが何とも言えません。人は皆何かに酔っ払ってないと生きにくいのかもしれません。次々と分かる嘘が話を盛り上げ最終的に一番大きな嘘に光が当たる素晴らしい構成です。文学や映像や現実と思われるモノですら嘘で、自分達が信じたいものを信じる自分達の業の深さが表現されていて非常に興味深い作品です。『真実を知っても理解するのは難しい』この言葉も好きです。
なにがいいのかわからない、
戦時中の話かと思って見てみたが、終戦後の時代の話だった。
となると、過去につらいものを背負っていはしても、爆撃などもなく戦後の一応は平和な生活での男女のガチャガチャなストーリーの映画としか見えなかった。
後半までは。
主人公の女性の過去のつらさはわかるが、回想で戦時中の当時のシーンがようやく終盤に出てきて話がわかってきたかんじでもあった。
それなら中盤までのガチャガチャはなくてもよかったようでもあり、半狂乱な男の話とかそれを追いかけていった女性のことも、そして、その終わり方もさみしくもありつつ、んー、男女間のメインのストーリーだった、ということで、そこは自分個人のミスチョイスだったかな、と。
心安らかになっても良いじゃない。
思いもよらぬ事実が次々と明かされて行って
最後はドス〜〜〜ンとメガトン爆弾が落とされた様!
まさに「午前十時の映画祭」で映画館でこそ
観てよかった作品。
ポーランドの複雑な
歴史的事情を体現しているメリル・ストリープの
とにかく、青白い顔色が哀しい〜
現代の感覚だとこの結末は無しなんだろうけど、
あまりに厳し過ぎるトラウマから逃れるためには
これで良かったのかも〜と思える映画です。
で、月に8回ほど映画館の通う中途半端な映画好きとしては
ケビン・クラインが演じる役が、
この人は普通じゃないな〜と思ったらやっぱ普通じゃ無かった。
で普通じゃない男に尽くすメリル・ストリープは
理解できるとしても、
友達を続けるピーター・マクニコルが演じる
地方出身の小説家志望の青年が何だか不憫!
彼自身にもっと確固たる自信があれば
この不可解な友人関係は成立しなかったと思う
彼もまた、2人には及ばないが自分に自信が持てない
非力な存在だったからこそ、
この三人の関係が成立したんでしょうね。
生き続けるのも、死ぬのも辛い。
ここまで激しい痛みで無くとも、
ある程度歳月を重ねた人間には
大なり小なり思い当たるものです。
捨ててしまえるものならば早く捨てて
心安らかに生きるのも一つの生き方ですね。
@もう一度観るなら?
「苦し過ぎる〜〜一度がやっとです。」
孤独な魂が引かれ合うとき
40年ぶりに再鑑賞。抱いていたイメージと全然違っていた。こんなに重苦しいテーマだったのか。当時はメリル・ストリープの美しさばかりに目がいっていたけど。ネイサンも精神障害を背負って、だからこそ、悲惨な過去を背負うソフィーとあんなに引かれあったのだと、理解できました。
選択の女王
大力演メリルストリープは、後のマディソン郡の橋、恋に落ちて、クレイマークレイマー、ついでにペンタゴンペーパーズなどで三択ならぬ選択の女王を不動のものとする。
この人は難しい選択を迫られると巧いのだ。
漱石こころ的構成も納まり良し。
重量級の名作。
見終わって何とも言えない気持ち。
初見でした。
題名は知っていましたが、甘い恋愛映画と思い、今まで見る機会もありませんでした。
戦争は絶対ダメですね。
人生は選択の連続と思いながらも、自分がその時代に行き、ソフィーだったらと思うと、涙と震えがとまりません。
メリル万歳!
名作と言われる作品をどんどん見ていこうと数年前から食べず嫌いせずにやってます
一生続けられるライフワークになりますね
さてメリル・ストリープです
好きな女優なのでほぼほぼ見ていたつもりでしたがまだこの作品が残ってましたね
第二次大戦をこんな角度から描いた作品は見た事がありません
『ソフィーの選択』
ソフィーだけではない、ネイサンもスティンゴ
人はみな選んでいる
二つ以上あれば選ばなければならない
一つなら問題ない何の問題もないのだ、それが二つあり三つあり四つ五つと増えれば増えるほど難しくなる
かの有名な方がおっしゃってました
「勉強とは困った時にキチンと筋道を立てて考える為にやるのだよ」と
誰もがたくさんの選択をして今があるのだと思います
ホロコーストには1つも「良かった」と言う事は無いのではないでしょうか
今後の教訓にすらならない
しかしあったものをもう無しにする訳にもいかない
風化させないようにしたいものです
『シンドラーのリスト』また見なきゃ
戦争の罪深さと人間の苦しを正面から見詰めたパクラ監督の真摯さ
脚本と演出と演技がバランス良く統一された完成度の高いアメリカ映画であり、戦争の罪深さと人間のそれでも生きなければならない苦しみを見詰めて愛して、美しかった。久しぶりのアメリカ映画の秀作と思う。アラン・J・パクラ監督に、これだけの実力があったのかと、思いを改めた。主演のメリル・ストリープが素晴らしいのは言うに及ばず、ピーター・マクニコル、ケビン・クラインの演技も自然で良かった。
1988年 2月19日 日本テレビ
心安らかになっても良いじゃない。
思いもよらぬ事実が次々と明かされて行って
最後はドス〜〜〜ンとメガトン爆弾が落とされた様!
まさに「午前十時の映画祭」で映画館でこそ
観てよかった作品。
ポーランドの複雑な
歴史的事情を体現しているメリル・ストリープの
とにかく、青白い顔色が哀しい〜
現代の感覚だとこの結末は無しなんだろうけど、
あまりに厳し過ぎるトラウマから逃れるためには
これで良かったのかも〜と思える映画です。
で、月に8回ほど映画館の通う中途半端な映画好きとしては
ケビン・クラインが演じる役が、
この人は普通じゃないな〜と思ったらやっぱ普通じゃ無かった。
で普通じゃない男に尽くすメリル・ストリープは
理解できるとしても、
友達を続けるピーター・マクニコルが演じる
地方出身の小説家志望の青年が何だか不憫!
自分にもっと確固たる自信があれば
この不可解な友人関係は成立しなかったと思う
彼もまた、2人には及ばないが自分に自信が持てない
非力な存在だったからこそ、
この三人の関係が成立したんでしょうね。
生き続けるよりも辛い事。
ここまで激しい痛みで無くとも、
ある程度歳月を重ねた人間には
大なり小なり思い当たるものです。
かつて20キロダイエットに成功した時(笑)
「人生で思い通りにになるのは自分の体重だけ」と
個人的に豪語した私。
ここにもう一つ加えたいと思います。
「人生で思い通りになるのは体重と、思い出との決別」
@もう一度観るなら?
「苦し過ぎる〜〜一度がやっとです。」
ソフィーはずっと選択していた
初めから男女でベタベタしているシーンだったので、そのうちの女の方が、個人的に好感を持っているメリル・ストリープでないことを思わず願ってしまった。メリルの性的なシーンを見せられると、なぜかざわついてしまう。本当はもっと静かで、控えめな演技でその知的な雰囲気を発揮して欲しいのに。
父との決別、地下組織への参加、子供の選別、アメリカへの移住、精神病患者との心中と、常に選択をした結果に導かれてきた彼女の苦悩が存分に表現されていると思う。
語り手の男性が同い年だと知ってほっとした。なんだか幼く見えていたから。自分だけが大人気ないわけじゃないんだな。よかったよかった。
全26件中、1~20件目を表示