バベルのレビュー・感想・評価
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人類の未来
旧約聖書の「バベルの塔」をモチーフにした物語ですが、想像以上に重苦しい話でした(汗;)。聖書に詳しくないのでざっくりとした理解ですが、天まで届く塔は、言い換えれば、神の領域まで進歩しようとする人類のシンボルで、その行為を快く思わなかった神が人々が結束しないように言葉が通じない世界を創ったという故事がこの作品のベースにあるのでしょう。元々1つだったはずの世界がバラバラにされて、今作ではアメリカ、メキシコ、モロッコ、日本という国々での出来事がバラバラに描かれます。本当にバラバラに描かれるので、「一体、何?」と迷子になるのですが、そこに明確な意図があるので、あとになって納得できます。バラバラに見えていたものが実は繋がっていたということが徐々に判ってくるのですが、そのこと自体はいくらでも作文できるので驚きはありません。見所は、そのことが人類の現在、あるいは未来にもたらす意味にあるように思え、ずっしりと重かったです。バベルの故事に思いを馳せると、神によって分断されているから異国の地で言葉が通じず、諍いが起き、不安や不信感を感じたり、不法入国者として逮捕されたり、言葉が通じる夫婦や親子間であっても心が通じなかったりする、そんなシーンがたくさん描かれます。なぜ、神がそんな風に人間を苦しめるようなことをしたのか、そもそも、なぜ神は人類が結束して進歩するのを快く思わなかったのか、神はいったい何を見通していたのかってことがテーマのように感じられました。しかしながら、久能整くんのように明快な答を言ってくれるわけではないので、スッキリしません。人類はいよいよ生成AIまで作り、言葉の壁を瞬時に乗り越える世界が目前まで来ています。あくまでもバベルの塔を建てようとしているかのような人類の未来はどうなるのか、ということを想起させる作品でした。観ていて全然楽しくなかったのですが、色々考えさせられる作品でした。
これは映画というよりドキュメンタリーとして観ればまだ…
楽しめるというか、観られるか。だがフィクションなのでそれも間違った楽しみ方か…。伝えたいことは分かったが。
運の良し悪しや偶然、運命。一言で片付けてしまうことを膨らませた結果、こんな映画に。つまらなくはないが退屈だ。
あらゆる対比が盛り込まれており、日本(特に当時の日本)を舞台の一つとしたのも分かるは分かるものの、なにかこう必然性というかどうしても掘り下げが深くないためあまり感情が揺さぶられなかった。
公開当時、他の映画を見に行ったらときに本作の予告を見て幼いながら「これは凄そうな映画だ!」と息を呑んだものだが、それから20年弱経過し今観てみると「凄そうだけど、子供の時に観ていた方が良かったかもな」という感想に終始した。
人の優しさを見た
人の手から手へ渡り歩いた銃が、モロッコの山道でいたずらをし、
平凡なアメリカ人の妻が瀕死の重傷を負う・・・
国と国、妻と夫、親と子。
言葉の伝わらないもどかしさはあっても、
すべては一つの糸でつながっている不思議と必然。
アコースティックギターをバックに、
ドキュメンタリータッチのカット展開が人の営みを鮮やかに描き出している。
メキシコの結婚式が人間臭くハチャメチャで面白い。
病院も救急車も無い砂漠の中で、オレの家へ来いと言った一介の男。
ボソッとして愛嬌は無いが、
医者を呼び、手術の介助、通訳、救急車の手はずをするその男。
負傷者に向ける老婆の温かい思いやり。
お茶でもてなす娘の自然さ。
やっと来た救急ヘリでの別れに、
とりあえず差し出した札を受け取らないその男。
この男の一家に、人の良心、躾、の美しさを見て、
豊かな時代しか知らない世代が親になり、
もはや日本から優しさが消えようとしている今、
弱者に対する思いやりを当然のこととして行動できる
モロッコの片田舎の貧しい一家に人の優しさを見てホッとする。
そんな気持ちが伏線となり、
少年の良心がほとばしるラストシーンが涙を誘った。
話題のアカデミー助演賞ノミネートの菊地凛子と、
照明点滅による体調不良については
つとめて知らん振りを決め込んだつもりだったが、
あの『目』の菊地凛子は存在感がありすぎた。
色んな人が地獄みたいな目に合う話
期待してなかったが超オモロカッタ!特に、人生は思い通りにいかないのだ。ツラすぎる。だが、それがいい。例えばメキシコ人の乳母さんや。彼女は息子の結婚式の帰りにエライ目に遭う。マジ災害レベルの迷惑や。各国の人たちもそうだった。日常的なショボい選択をしただけなのに今後の人生がガラリ変わってしまう!彼ら彼女らはコースアウトしそうなマリオカートを真ん中に走らせようとする。逆にドツボにハマる。自分の意図がまったく相手に伝わらない。いや伝わっているのかもしれないけど、相手は応えてくれない。人種の違いや思想の違いというだけじゃない。同じ家族でさえ平気でズレる。人間は他人とズレながら、それでも生きるのだという気持ちをこの映画から感じた。
モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本を舞台にそれぞれ別々の物語が進み...
モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本を舞台にそれぞれ別々の物語が進み、それがどこで結び付くのか、なかなかおもしろかった。
ただ、さほど大きな結びつきはなく、特に日本との関係はほとんどこじつけのような感じでどうでもいい。
日本のシーンをカットすればもっと高い評価になるかもしれない。
コミュニケーションとは?
天に届くような塔を作ろうとした人間に怒った神様が人間の言葉をバラバラにし、お互いにコミュニケーションが取れないようにした、という聖書のお話「バベルの塔」。
その「バベル」をタイトルにしたこの映画は、多分、国家間、親子間、夫婦間をメインに、人間同士のmiscommunication と communication を描いたのだと思う。
モロッコとアメリカ(メキシコ)と日本がつながり、夫婦や親子や見知らぬ他人がつながる。
場所も時系列もバラバラにされて組みなおされてるけど、案外わかりやすかった。
日本のシーンを本当に日本で、日本人を使って撮ってるから、違和感なく伝わってきたのかも。
「手」で色々なことが表現されてるのも印象的でした。
(手話シーンだけに限らず)
分断
タイトルはバベルの塔を意味するのかな?
元々は同じ発音、言葉を発していた人間が天にも届くようなバベルの塔を建てようとしたが、神の怒りに触れ、言葉をバラバラにされ、意思疎通ができず分断し、建設を中断したという逸話。
今作では、言語だけでなく、障害者と健常者、さらには心の分断をモロッコで起きたある一つの事件を起点に描いている。
まず、日本を舞台にした外国の作品と比べ、ちゃんと日本でロケしてて、片言で変な日本語もなく、ちゃんと日本を描いてくれてたから嬉しい。さらには日本パートで、監督が描きたかった?分断された人々が再び繋がることができるかという重要なテーマを表現していると思ったから尚嬉しい。
個人的にメキシコパートがテーマ的にいるんかなと思った。メキシコ人乳母がかわいそうやなと思った。だけと、メキシコパートないとエキサイトシーンがなくなって更に退屈🥱になるなと感じた。
一つの事件がきっかけで、そこから連鎖的に描かれている作品。物語もバ...
一つの事件がきっかけで、そこから連鎖的に描かれている作品。物語もバラバラすぎず、テンポが良く楽しめたが、日本編は必要だったのか、、?と思ってしまう。
日本編はとても見入ったが、もうちょっと掘り下げてほしかった。そうなるとやっぱり映画としてまとまらなくなるだろうし、カットしてもよかったのかなと、、、。
でも全体的に通して凄く面白かった。
人間達の愚かな行いの負のバタフライエフェクト
個人評価:4.4
1つの愚かな行いから、大きな負の出来事を引き起こす。その最初の愚かな行いは銃の所有という点から始まり、銃社会を批判的にも捉え、またその愚行を、人間の欲を積み上げ完成しなかったバレルの塔に準えているのだろうか。
神の怒りに触れる前は、人間の言語はひとつだったという伏線。現代の愚かな人間と、言葉を持たないチエコを対比させ描いているとも感じる。
アレハンド・ロゴンザレスの珠玉の人間ドラマだ。
あなたも少数派
「バードマン」を観てから、これもイニャリトゥ監督作品だと初めて知り鑑賞。
モロッコの羊飼い一家、アメリカのメキシコ人シッター、日本の聾唖の女子高生とその父親、そこをつなげる、ブラピとケイトブランシェットの夫婦に起こる事故。全ての事象でポイントとなるのは、「偏見にさらされる」「社会的弱者」。
要因としては、言葉が通じない、理解し合えない、だから壁が生じる。
「社会的弱者」というと、どうしても障害者とか、移民とかの少数派になってしまう。でもそれは誰にでも起こりうることだという事例が、夫婦に起こる事故で、全世界の人が括目せねばならない事例だと思う。全ての人がいつでも少数派になりうるという事は、常に少数派の意見は聞かねばならないという警鐘を感じた。
イニャリトゥ深いね。
銃なんてプレゼントするなよ
モロッコ観光でバスに乗っていた夫婦(ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)は関係修復を図っていたが、妻に流れ弾が当たり、重傷を負う。
サンディエゴに住む不法移民の女性のお手伝いさん(アドリアナ・バラッザ)は息子の結婚式に出るため、育てている子供二人を連れてメキシコに行く。
東京都心に住む父娘(役所広司、菊地凛子)、娘は聾唖でいつも不機嫌、母親がいないことが関係しているらしい。
この三つの物語がつながっていくのだが、見事な構成で観終わった後はとても満足できる。
日本、いる?
どうしても日本だけは時代を感じるというか、古臭くてイ二ャリトゥにしても日本をちゃんと描くことは出来なかったってな印象。
伝えたいテーマは何となく理解出来るようで全体的に大風呂敷広げといて、上手に畳めなかった不甲斐なさ。
イ二ャリトゥ、お得意の時間軸を入り乱れながらの群像劇も「アモーレス・ペロス」から本作迄で、以降は一人の男をメインに軌道修正。
菊地凛子がオスカーにノミネートされたりの話題はあったが、日本はいらなかったかなぁ。
モロッコ、メキシコそして東京の悲劇から1つの物語につなぐ物語
とくに東京パートのシーンで菊地凛子さん演じるろう者に引かれましたが、最後のヌードのシーンで役所さんと抱き締めたままエンドロールとか締め地味だなと思いました。
パンツはいてください。
アカデミー賞授賞式以前に鑑賞できていたら、作品賞の予想することもなかったのかもしれません。脚本はよく練られていて物語にのめり込む巧さは感じられたのに、独立した3つのプロットそのものには魅力がないのです。その点、監督のデビュー作である『アモーレス・ペロス』では人やモノ、そして伏線が3つのドラマを有機的に結びつき、ストーリー展開にも驚かされたものだった。『21g』ではプロットが単純なためか、フィルムをバラバラにして切り貼りしたおかげで複雑すぎて感情移入もできない欠点もあった。逆に考えると、イニャリトゥ監督は元が単純なプロットを壮大なドラマに作り上げることのできる天才なのかもしれないのです。
この映画の予告編などで聞かれる“言葉が通じない・・・”というコピーが大変良い出来で、バベルの塔を作ろうとした人間が神の怒りに触れ、言葉も人種もバラバラにされてしまったという世界観に大いに期待してしまう。しかし、大きなテーマはさほど実を結ばず、“言葉の壁”よりも“心の壁”、または青少年の“性の壁”や市民と警察の間にあった“権力の壁”といったものまで感じ取れてしまう。特に、モロッコ、日本、アメリカにおける警察官の対応の違いが興味深く、この市民と警察との心の壁が最も強烈だったようにも思います。
カンヌ国際映画祭から始まってGG賞、アカデミー賞と映画賞レースも大いに賑わせてくれたコン作品でありますが、やはり俳優、映像、音楽が秀でてました。菊地凛子とアドリアナ・バラーザももちろん良かったのですが、一押しはモロッコの少年ユセフを演じたブブケ・アイト・エル・カイドです。姉の裸を覗き見し、オナニーシーンを経て兄とライフル銃を撃つシークエンスの演技は一流俳優の片鱗さえ見せてくれました。兄ちゃんが父ちゃんに告げ口するシーンも面白かったです。
最近、日本人が外国人女性を殺したり留学生が日本人を殺したり、アメリカでは韓国人留学生が銃乱射事件を起こしたり、他の国の者を傷つける事件が目立ちます。言葉の壁が心の壁をも作ってしまうことをリアルに感じる出来事ですが、それよりも根本的に、人々がお互いに殺し合う能力を授かったということも神が怒りのために人間に与えた罰なのであろうか・・・
えっ、急に話変わんの?あっ、また。おっとブラピやん。今度は日本?役...
えっ、急に話変わんの?あっ、また。おっとブラピやん。今度は日本?役所広司も出てるの。どこで繋がるんだ、この話?
繋がるんは繋がったけどちょっとだけやん。
どこが面白いと言われれば、さっぱり面白くない話ばかり。しかし、なぜかどの話も食い入るように見てしまう。なんとも不思議な作品、こんなの初めてかも。
出てくる人間のほとんどがクズです(笑)No.1は我らが菊地凛子。あの手紙の中身が気になる。
ネットの解説でちょっとだけバベルの意味がわかった。
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