バベルのレビュー・感想・評価
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「届け、心」、伝わらない思い
07年の今頃、どんな作品を観たいたのか、
作品リストを見ていたら、この「バベル」だった。
幼い兄弟の一発の銃弾から事件は連鎖していく。
今これと同じ事が、メキシコから全世界へ連鎖しているが、
この物語はモロッコから起きた。
少年が放った銃弾は偶然、
バス旅行していたアメリカ人夫妻の、妻の肩を撃ち抜いてしまう。
そのせいで彼等の旅行は大変なものとなり、
アメリカ国内で待つ子供たちとベビーシッターは翻弄される。
ベビーシッターは地元メキシコで息子の結婚式が予定されていたのだ。
その結婚式へ、やもおえず子供たちを連れて行くと
そこでも事件が引き起こされてしまう。
さて、モロッコの事件で使われた銃の所有者は日本人。
その銃の所有者ヤスジローには聾唖の娘がいた。
彼女の元へ刑事がやってくる。
こんな,内容だったと思う。
アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引き
オーストラリアが肺炎になる、なんて一昔に言われたが、
中国で鳥インフルエンザが発生すれば、
メキシコで豚インフルエンザが発生し、
世界中で新型インフルエンザが発症する世の中である。
ある事象は世界を駆け巡っていくが
その受け止め方は世界中ばらばらである、
今思うとそんなことを感じさせてくれたのであろう。
失って気づくもの
先進国と途上国の対比をしながら、その国の一長一短を描写していくストーリーだった。
より高みを目指して繁栄のためひたむきに仕事をしてきた結果、家族を省みる時間を失っていないか日本人へ問う。ミリオネア夫婦が家政婦へ子育てを任せ、自らの自由な時間の確保を求めた結果、子供と対話する時間を失っていないかアメリカ人へ問う。
アメリカンドリームを信じて不法就労で米国での暮らしを続けた結果、故郷での絆を共有する時間を失っていないかをメキシコ人へ問う。
この映画に出てくる洗濯板で洗物をし、家族3世代で暮らす光景が見られなくなったのはどの国でもそれほど遠い昔の話ではない。モロッコのようにインフラや行政サービスはなくても、家族と地域の繋がりこそが生きることの原点であることを訴えかけているのではないか。
雲を目指すのは自由だが、生きている間にそこには届かない。上を見続ける野心は、その礎である家族との絆を見過ごすと砂上の楼閣に終わることを忘れてはいけない。
判り合うことが出来ないことの悲劇
ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、役所広司、菊地凛子出演のヒューマンドラマ。とても深い、考えさせられる作品でした。
モロッコの山間部を走る1台の観光バス。偶然、そのバスに放たれた1発の銃弾が、アメリカ人夫婦の妻に当たってしまったことから、「銃弾を放ったモロッコの少年」・「モロッコに旅行に来ていたアメリカ人夫婦」・「アメリカ人夫婦の2人の子供を預かるメキシコ人の乳母」・「モロッコの事件で使われたライフルの元の持ち主である日本人男性の娘」、人種も言語も生活環境も異なる登場人物達のストーリーが語られていきます。
この映画のタイトル「バベル」は、旧約聖書の中の「バベルの塔」の物語が基になっています。
遠い昔、一つの言葉を話していた人間は、神に近づこうと天まで届く「バベルの塔」を造ろうとします。神は怒り、人間の言葉を分かちバラバラにしてしまうという話です。
神の怒りに触れ、言語を分かたれてしまった人間は、元は一つであったはずなのに、お互いを理解することが出来なくなってしまった。そして、今では、同じ言語を話す人間同士でさえもお互いに心を通わすことが出来ないでいる・・・。
この作品は「判り合うことが出来ないことの悲劇」を淡々と残酷に描いています。
そして、この作品が言いたいこと(観客に対して投げかける疑問)はただ一つ。
「人間は本当に判り合うことが出来ないんだろうか?」
この疑問に対する答えの一つは、ラストシーンにあると僕は思いました。
賛否両論がある作品ですが、とても哲学的で、観る側が【自分で考えること】を求められる作品です。
この映画は決して万人向きではないです。映画に娯楽性を求める人は観ない方が良いですね。
う~ん、一筋縄では…。
前評判は確かに凄かった。吾輩の期待も確かに凄かった。さあ、現実はどうだったでしょうか?
『幾つものストーリーが、微妙に重なり合って1本の映画を構成している。そしてその、1つ1つのストーリーが、どれも素晴らしい』てな感じの評判を聞いておりましたし、実際に観て吾輩も各エピソードはそれぞれ充分に見応えの有るものだったと感じました。実は吾輩これまで、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の映画は観た事が無かった(別に嫌いな訳ではないです。ただホントに観るタイミングがなかっただけ…)のですが、この構成力には脱帽いたしました。コレを1本の映画にしてしまうってのは、素晴しいことだと思います。その力は認めますが、ただですね~。敢えて言わせてもらいますと、モロッコとメキシコのエピソードは非常に密接に絡まっているのですが、コレに対して日本のエピソードは、この映画に絶対必要な要素だったのでしょうか?誤解を受けるかもしれませんが、決して日本で繰り広げられるストーリーの出来が良くないとか思ってる訳ではありません。むしろ、非常に良く出来たストーリーだったと思います。ただ、コレを他の国(モロッコとメキシコ)で展開する物語と絡ませるのは、何となくムリからっぽい気がしておりました。そう正に“浮いてる”“異質”って感じを受けました。チョット詰め込み過ぎ…。
ただ何度も言いますが、それぞれのエピソードは秀逸です。言葉が伝わらないことで、人間は自分の思いを他人に伝えることが出来ない。また同じ国にいても、言葉を持たない者がその思いを他人に伝えるのは、並大抵のことではない。そんな人間の苦悩を、俳優陣も素晴しい演技で見せてくれます。特に吾輩は、ブラピ演じるリチャードにかなり感情移入してしまいました。彼の何ともやり切れない“哀しみ”“怒り”“不安”といった思いは、スクリーンを通してヒシヒシと伝わってきました。
ところで、アカデミー賞にノミネートされた菊池凛子さんですが、確かに手話も素晴しかったですし、ノミネートに値する演技だったとは思います。んが、“高校生”と言われると、やはりチョット違和感を感じてしまいましたね。ただこの映画に出たことで、彼女が国際的に強烈なインパクトを残したのは確かです(だってイキナリ「氷の微笑」やっちゃうんですから…)。そういう意味では、コレを機に更に世界に羽ばたいて行く足掛かりには、充分出来たと思います。後は英語力をどこまで伸ばせるか?に掛かってくると思います。何せ今回は喋ってませんから。
う~ん。。。それで?
一つの事件をきっかけに、国境を越えていろいろな人の生活に影響をおよぼすというのがストーリー。まぁ、こういったグローバルなご時世ゆえに出来た映画という感じです。世界的に高い評価を得たらしいですが、個人的には企画勝ちの映画なだけで、後世に語り継がれる映画だとは思わない。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(ながっ)監督は、ラテン系なだけあって、演歌でいう「こぶし」が入りそうなくらい抒情的な語りです。でも、じめじめぶつぶつって感じで、個人的になじめず途中かなりウトウトしてました。
こういう複眼映画は、やっぱりスティーブン・ソダーバーグの「トラフィック」には及びませんね。
泣きたいくらいのディスコミュニケーション
私たちは言葉の壁によって隔てられているし、例え言葉が通じる同士でも想いを伝えることはとても難しい。
最後のチエコの叫びが全てを代弁していた気がしました。
設定や各国の話の絡み方をもっと繊細にしていたら、もっと印象深いものになったんじゃないかなと思いました。
でもあの教授のテーマ曲ずるいです!普通に聴いただけでも泣く!
テーマ曲以外も、音楽がとても印象に残る映画でした。
あとクラブのシーンで映ったDJは大沢伸一さんですねー。
暁を求めし闇の暗さかな
エンディングに映し出されます言葉…。
【The brightest in the darkest night】
『最も暗い闇夜に輝く最も明るい光』
直訳するとこんなところでしょうか…?
または…、
『夜明け前こそ最も暗いのだ』
そして、
『闇は暁を求めて』
とも訳せましょうか。
先だって紹介しましたBOBBYしかり、
国家間の憎しみによる紛争、テロ…、そのえも云えぬ悲しみを乗り越えようと、
世界は暁を求めています…。
そんな映画です。
四つの言語が飛び交うメキシコ、モロッコ、日本…。
すなわち、アメリカ、アフリカ、アジアの三大陸を横断し製作された映画です。
モロッコのある村で放たれた一発の銃弾…。この一発の銃弾から、人間の抱える悲しみを個人、家族、民族、国家単位のコミュニケーションの難しさというテーマから描かれていきます。
いつものようにあまりストーリーには触れません。見て欲しいからです…。または、書くのがめんどくさいからです(……。)
さて、何故に涙があふれてくるのでしょうか?
本来持っている自分(人間)の中に潜む悲しみ…、希望…、僕の中の様々な核心を直撃したのでしょうか?
テロ、戦争、様々な争いごと…。これらは島国日本に生きている僕たちに無関係なことでなく僕たちの日常の出来事、すなわち僕たちが家族、恋人、仕事関係の人、友達などと関わり合う上で発生する、そして思い知るコミュニケーションの難しさから端を発することであると、この映画は語りかけます。
バベル公式サイトも是非参照してほしいのですが、この映画の大テーマは言語、国境、宗教の違いにより、
【心が分断されバラバラになった世界をつなぎたい】</font>
監督はこの困難なテーマを撮影中に実体験するのです。
まさに他言語が飛び交いコミュニケーションが非常に困難な中、“この映画に関わったすべての人たちの事を奥深く考えたい。そして皆で何かを胸に刻みたい。”との想いで完成させたそうです。
【本当の境界線は…、国家間、言語の違いにではなく私たちの自身の中にある】
そして映画の最後に小さく映し出される文字…、
The brightest in the darkest night。
この文章の前に二名の自分の子供たちの名前が書き綴られていました。
すなわち、冒頭に述べた暗闇の中の最も明るい輝きを放つ存在を“子供たち”であると位置付けているのです。
おらたちは悲しき現実を直視しなければいけないと思います。
今、普通の大人たち(特殊でサイコな人、凶悪な人、ジャンキーな人などではなく)が、いとも簡単に子供を殺してしまう。
僕たちももちろん含まれますが、性産業の業界がいとも簡単に“中出しまくり”なんて表現を用いてしまったりと…。
以上、おらのつぶやきでした。ご静聴ありがとうございます。
つぶやきだけでは終わらせないぞ!と誓うおらです。
話題性で見に行ってはいけません。結構難解です。
菊池凛子が、助演女優賞にノミネートされて話題になった映画。バベルとは、”バベルの塔”から来ています。旧約聖書 創世記11章には『遠い昔、言葉は一つだった。神に近づこうとした人間たちは天まで届く塔を建てようとした。神は怒り、言われた”言葉を乱し、世界をバラバラにしよう”。やがてその街は、バベルと呼ばれた。』と書かれているらしいですが、今の世界はまさにバベルでの出来事のために、人々は言葉も心も通じ合うことは無い(通じ合っていない)と言うことが、この映画が突きつけたテーマになっています。でも、それだけで『バベル』と言うタイトルになっているのでは無い気がします。今の人間は、バベルの塔を築いた頃の人間と同じように傲慢であるとも示唆しているような気もしますが、考えすぎでしょうか?
突きつけているテーマがテーマだけに、非常に難解です。モロッコ・アメリカ・メキシコ・日本の4カ国で物語りは進んでいくのですが、直接的にはそれぞれの出演者同士は全く絡みません。その意味でも、人々は通じ合っていないんですよね。まぁ、物語の発端となった銃撃に使われたライフルで人々はつながっていると言うことは可能ですが。
リチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が、モロッコに観光に来ていると言う設定なのですが、なぜ二人で観光に行っているのかと言うことは明らかにされません。子供をめぐって二人の間に諍いがあり、その解消のために来ていると言う示唆はあるのですが。でも、欧米の人って、ああ言うところに観光に行くんですね。
さて、菊池凛子です。聴覚しょうがい者を演じるため、手話を勉強し、聴覚しょうがい者について色々勉強したかいもあり、聴覚しょうがい者の演技は、出来ているのではないでしょうか。ただ、26歳の彼女が女子高生を演じるのは、ちょっと無理があるのではないでしょうか。日本人の目から見ると、若干の(いや、かなりの)違和感を覚えました。しかし、日本のシーンが、何故女子高生なのかと言うことには、いろいろと考えさせられました。女子高生の文化というのは、日本の若者文化の代表として欧米人の目には映っているのでしょうか? もちろん役所広司も、出演場面もせりふも少ないながら、女子高生の娘との距離感に悩む(娘と通じ合っていない)父親をうまく演じています。
サンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)とアメリア(アドリアナ・バラッザ)の出てくるメキシコの件の結末は、まぁ、予想通りですね。アメリカでメキシコと言えば・・・と言う感じです。アメリカとメキシコも通じ合っていないんですね。
いずれにしても、「話題になったから」と言う動機で見ると、途中で寝てしまう可能性大です。ですが、物語は非常に深いです。色々と考えてみたい方は、見られてはどうでしょうか。あ、PG-12指定ですが、指定されている事には、納得です。
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