戦場のメリークリスマスのレビュー・感想・評価
全154件中、21~40件目を表示
公開当時はデヴィッド・ボウイと坂本龍一のキスシーンで大騒ぎした
この作品は、公開当時映画館で観て、パンフレットも関連の雑誌も全て購入、、サントラ盤もヴィデオも購入して、ボロボロになるまで観た作品です。
この映画が公開された当時、ビートたけしさんはテレビ界の覇者といえるくらい人気絶頂のお笑い芸人さんで、坂本隆一さんはYMOで「世界のSAKAMOTO」と呼ばれていました。だからこの映画は映画雑誌だけでなく、テレビのバラエティ番組でも、テレビの音楽番組・ラジオ音楽番組・音楽雑誌でも大きく取り上げられいました。ビートたけしさんが当時やっていたニッポン放送の「オールナイトニッポン」でも生放送で撮影秘話をどんどん話してくれるので、製作中から異常な高揚感とともに映画が公開されるのを待って、映画館に駆け込んだ記憶があります。
舞台は太平洋戦争当時の日本軍の捕虜収容所で、日本軍の捕虜の虐待は戦後問題になっていたそうです。敗戦色が濃厚で、日本兵の食糧さえ底をついた状況下で捕虜に食べさせる食糧がない状況下でも日本は降伏しない。
当時はゲイの映画だと騒がれましたが、大島渚監督作品だからゲイ映画だと短絡的にみなされている印象を持ちました。戦争は国と国の衝突で、個人という視点から見ると、見ず知らずの人間にいちいち殺意をいただくことはどは、単純に考えれば無いわけで、戦争は不条理な殺戮を個人に強いる行為だと私は考えます。
「殺戮を行わない」ルールがある場所で人と人が出会って、その相手が尊敬すべき人格だったら好意を抱いたり、性差を超えて恋愛感情をもつことは、なんら異常なことではないし、それをナチュラルに描いているだけで、ジャワ島の楽園のような美しい自然の中で、とても自然なこととして描かれていました。
異常なのは、食べ物がなくて大の男たちが日本兵も捕虜の外国兵も餓死直前まで耐えているという収容所の現実の方で、戦闘シーンがないのに、とても戦争の狂気を感じる大変な戦争映画でした。
坂本隆一さんがつけたこの映画映画「戦場のメリークリスマス」は傑作で、この作品で坂本さんはラストエンペラーの映画音楽を手掛け、世界的な作曲家として渡米されました。昨年癌でお亡くなりになられた坂本さんを追悼するとともに、リアルタイムで「戦場のメリークリスマス」の制作から公開、アカデミー賞受賞の瞬間まで、テレビやラジオで観ることができて、とても幸せな時代を過ごしたなあと思います。
ボブ・ディランよりも先にノーベル賞もらっていてもいいとさえ思った人の音楽♪←あなたの感想ですよね?
この作品随分と前に観たっきりでした。
どのくらい前かと言うと、借りてきた色んなビデオテープをダビングして楽しんでいた頃なのね。←パトライトグルグルのタイホー案件。
DVDなんて、まだまだなかった時代。音楽メディアでCDがやっとこさ市場に出てきたくらいの時代。
なので、お話の中身をすっかり忘れているです。というか、音楽&ビートたけしの存在感と坂本龍一の目力の印象があまりにも強すぎて、他のことがあまり記憶に残ってないの。
特に坂本龍一による音楽の妙味は、印象という名の背脂を三日三晩コトコト煮込んでから脳髄に染み込ませてたが如く、絶対に忘れられないの。←日本語でおk
ビートたけしのラストのカットのあれ「ローレンス!メリークリスマス!Mr.ローレンス」の時の表情なんて、歴代映画史の中に刻むべき名カットだと思ってるの。あの、うるうる澄んだ瞳はずるいわ!ラストのラストでたけしが美味しいところを全部持ってったって感じ。
そんな思い出を辿りたくて&時期がら楽しんでみようと思ってアマプラでの再鑑賞です。
てか「メリークリスマス」なんて表題している割に、我が国での公開は初夏だったんですね。
合衆国に至っては真夏の8月じゃないですか!(笑)
「最高のクリスマス映画の一つにも選ばれている(Wikipediaから抜粋)」のに、本国では7月公開だった『ダイ・ハード』みたいな感じ?
改めて観てみるとね、出し惜しみなしで、しょっぱなからドーンとやられちゃいました。とても印象的なタイトルロゴのバック流れるメインテーマに。
この映画の坂本龍一による音楽ね、ボブ・ディランよりも先に音楽ジャンルでノーベル賞もらっていてもよかったとさえ思ってるの。私は。
詩が乗っていないんで文芸性云々では同一に語れないんだけれど。
それほど優れている音楽だと思うの。私は。
英国アカデミー賞の音楽賞の器程度に収まるようなものじゃないと思うの。私は。
本作が長らく人々の記憶に残っている功績の半分は、間違いなくこのメインテーマのおかげだと思ってるの。私はだよ!
優れた映画が音楽に恵まれているのか、逆に音楽が優れているから名作に名を連ねているのかは、わからないんですが。
『大脱走』しかり『荒野の七人』しかり『ロッキー』だとか、巨匠ジョン・ウィリアムズの手による作品群もそう。←抜けてる作品が多すぎる!タイトルだけ挙げて書いても、それだけで少なくとも文字数制限の倍くらいになっちゃうと思うんですよね。
映画史に名を残す超名作って、もれなく音楽が大きく貢献してるって思うの。
本作は興行収入だけ見れば、そんなに大した数字じゃないんだけれど。
当然音楽だけじゃないんですよね。
デビット・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしの化学反応ときたら、まさに奇跡のコンボでした。よね?
特にたけしがいいのね!
相当、頑張ってはいらっしゃったんだろうけれどさ、素人演技丸出しだったですよね。拙い。だが、それがいい。
目力とメイクが妙にクセ強い坂本龍一も。演技は正直誉めらたもんじゃないけれど。活舌が悪いの差っ引いても目力が強烈なインパクト残してしていましたよね。
そんなヨノイがセリアズを見る目の妖しいこと妖しいこと。親戚の綺麗なおねいさんのパイオツをチラ見した時の純なDT君みたいな。
たけしと坂本龍一の撮影に関しての逸話も、Wikipediaで色々と記されていたんだけれど、どれもが爆笑物なんですよね。
大島監督が、なんでこの二人を起用しようと思ったのかに、かなり興味があります。
デビッド・ボウイの演技に関してはわからないの。だって英語さっぱりだもん。巧いんだかどうなんだか、わかんないんよ。
Wikipediaの記述によると、ヨノイとハラはキャスト決定までに色々な経緯があったそうですね。打診した俳優が、ことごとく「スケジュールの都合を理由に断った」だけじゃ説明つかないの。やっぱり同性愛色が強すぎるってことが理由だったんだんでしょうか?
候補に挙がっていた、沢田研二のヨノイ、勝新太郎のハラなんて見てみたかったかも。
内田裕也とか、ジョニー大倉とか、本業じゃない人をあえて脇に持ってきた理由も知りたいの。
デマの粋は出ないんですが。ゲイ疑惑のある三上博史もご出演だったのですね。どこのシーンかはさっぱりわからなかったんですが。てか!デマにしては悪質すぎるよ!
この映画ね、戦禍の時代の男たちの友情(愛情?)物語を表現するのなら、他にいくらでも表現あったと思うんですが。
なんであの描き方を選んだのかが本当にわからないんですよ。
女装はするけれど、恋愛対象は、依然女性の私には。そこがわからないの。←こら!またしれっと女装ネタぶっこみやがって。
その意味こそ本作のテーマだったと思うんですが。
私にはもうひとつよくわからなかったの。
私にとっての友情ってのは、裏切りの連続だったから?情が薄いから?
「ヒャッハー!これでええんやで!」みたいな大味のエンタメ大作や、「これ…一体何なん…」って言うようなカルトB級~Z級作品が好みの私にはよくわからなかったの。こういう文芸的映画って、アホの私にはよくわからないの。
本作では露骨に“ホモ”とか“オカマ”って言葉が、度々使われてるんですよね。
それが、数々の名優にオファーを断られた原因に間違いないと思うです。
今では、もっともっと理解があるですよね。三上博史も大手を振って歩ける時代が来たよね。←だから!
私如きでも女装しても許してもらえる時代ナイス。←よくないよ!
止めておいた方がいいついでに思いついたんですが。今日の俳優でリメイクした物を観てみたいなぁ…と思って。
ヨノイは松坂桃李で、ハラは阿部サダヲなんていかがでしょうか?←しょうか?って問われてもなぁ…ですよね。済みません忘れてください。
セリアズについては…わかんない。海外の俳優に関しては全く疎いから。
で、済ませるのも言い出しっぺとしてはヒキョーなのでPC検索フルに回して調べてみました。
すると適役いらっしゃったよね!ハリー・スタイルズなんていかがでしょうか?←しょうか?って…
ローレンスは、ほんま難儀しました。“ダスティン・ホフマンに似た俳優”で検索かけたです。←だから!なんでダスティン・ホフマンなの!
そうするとね、自分で思いついておいて言うのもアレなんですが、割とイケそうなの俳優がいらっしゃったです。
マシュー・グードなんてええじゃないか?済みません忘れてください。てか、誰それ状態?
肝心なのは監督だよ!誰だよ!こんな作品リメイクできるのは誰だよ!庵野秀明でないことだけは確実だよ!『Shin・Merry Christmas, Mr. Lawrence』とか(笑)
ところで“ヨノイ”って姓を漢字ではどう書くの?と思い。また定期の脱線話で調べてみました。
正式な文献ではないのですが、知恵袋で私と同様の???を持った方が質問していらっしゃいました。
その回答として「四ノ井”と“与野井”、確認されているのはこの二つのみです。」との回答がありました。
ついでに脱線話です。こういう作品に出会った時、いつも思うことがあるの。
きっと「日本軍人の描き方がステレオタイプ過ぎる」とか言われてたと思うの。
百歩譲って、切腹とかは、武士道ってので説明できると思うんですが。
この国にに生まれた私でも、切腹とかマジありえねーしって思うの。海外の方々にしてみれば「こいつらマジで狂ってやがる!ウジ湧いてやがる!」ってなりますよね。
でもねその他、囚人に対する仕打ちだとかって何?一体どこの何基準でステレオタイプなんだろうって。
場所を問わずにそんな酷かったん?至る所にわけわからん石碑立てられるくらい酷いことしてたん?←素人レビューに政治ぶっこむなし!
久しぶりの戦メリ
異文化の表面的理解。かみ合わなさ、すれ違い。
原作未読。二つの短編を一つにまとめたらしい。
DVDについていた解説には、大島監督が「極限状態の中でも友情が生まれることを描きたかった」とおっしゃったと書かれていたが、私にはそうはとらえられなかった。
原作ではそういう物語が展開しているのだろうか?
日本軍俘虜収容所を支配していた雰囲気。
道理の通らぬ狂気。
切腹と言い、セリアズ少佐への処刑の仕方と言い、日本人である私が見ても、反吐が出る。
個々の日本人もいろいろな思いを持っていたはずだが、見事にヨノイ大尉とハラ軍曹に集約されている。(事件を起こすカネモト以外には、ヨノイ大尉に心酔している兵士が自らの意思で行動を起こすくらいで、あとは命じられたままに動く人形として描く)
対して俘虜の方が個々の様子も描かれる。その中で、個性をもって描かれるのは、ロレンス陸軍中佐、セリアズ陸軍少佐、ヒックスリー俘虜長(大佐)。
ヨノイ大尉。
DVDの解説にもあったが、三島由紀夫氏を彷彿とさせる。
実際の三島氏については語るほど存じ上げていないが、この映画のヨノイ大尉は、精神年齢がかなり幼く描かれる。自分の信じている精神性を最高のものとして、俘虜のみならず、自分の部下にも強要する。ロレンス中佐が「我々に”行”を命じれば、自分もやっている」というシーンがあるが、自分のみならず、部下にも強要しているのであろう。
その容貌・身体的なしなやかさのみならず、わずか5人で危険な任務に挑み、1人生還して捉えられ、しかも死刑を前にしてもその闘志を失わないセリアズに惹かれていく。自分では秘めていると思っているその思いは駄々洩れ。心酔している部下がそれを案じ、行動を起こすも、その思いに腹を立て、信じられない処遇を命じる。
ヒックスリー俘虜長が、自分の思い通りに動かないと、キレて暴言を吐き、暴力に訴えて従わさせるしか能がない。まるで、反抗的な児童・生徒を前にした、力のない教員の如く、権力に縋って従わさせるしか能がない。
ロレンス中佐を獄へ入れるのは、無線機に対する落とし前をつけなければ示しがつかないという、不良グループによくあるような論理・スケープゴート。かつ、セリアズ中佐とともに戦ったことがあり、自分よりも親しいロレンス中佐への嫉妬から、排斥したがっているようにも見える。
それを、求道者の純粋性として見るか。私には小学5年生レベルにしか見えない。
裁判ではハムレットを持ち出して西洋文化にも通じているように見せるが、実際は自分の理解したいようにしか理解していない。ヒックスリー俘虜長たちが求める国際法すら理解しようとしていない。自分の精神性を押し付けるだけ。
対して、ヒックスリー俘虜長。
頑固。ではあるが、銃器に詳しいものの名簿を出せば、どんなことになるかを考えて応じない。”長”として、部下を守ろうとする気概がある。殺される寸前でも、部下を売り渡さない。
相手の文化(日本文化)を理解しようとしない点では同じだが、上に立つ者としての責務は知っている。
ロシアにて拘留された俘虜たちがどんな生活をしていたかと比較すれば、ここと似たようなものではあるものの、少なくとも、ヒックスリー俘虜長はこの収容所での待遇改善に尽力している。
セリアズ少佐。
過去の思い出から、希死念慮を抱き、それが英雄行為に結びついている。その元になった過去の思い出も映画で描かれているが、正直、あの思い出で希死念慮は理解しがたい。それでも、帰りたい場所への憧憬は美しく、胸に迫る。
そんな心情をベースに、納得のいかないことヘは確固たる信念をもって反逆する。希死念慮をもつとはいえ、”死”への恐れはあり、震えながらも、踏ん張り、視線をそらさないところが、格好よく見える。髭剃りのパフォーマンスも見事。死を覚悟して整える姿。
「映画史上最高に美しいキスシーン」ドス ベソス(dos besos)。スペイン文化圏(ラテンアメリカ含む)で行われる挨拶。初対面やビジネスシーンではあまりやらないけれど、紹介されたときとかちょっと知り合っただけでも行われる。性的な意味合いはない。ラテンアメリカに居たときにラテンアメリカーノから聞いた話では、元々敵意がないことを示すパフォーマンスだったという。まだスペインが各国に分かれていた戦国時代。ギャング抗争の激しい頃。会合等で、武器を隠し持っていないよと示すパーフォーマンス。
セリアズ少佐がどのように思っていたかは表現されていないが、殴りかかって阻止すれば暴動になり、あの場にいた全員が殺される。それをあの突飛な行動で、阻止した勇断に感銘を受ける。
そしてそれは、弟にしてあげられなかったことへの贖罪なのであろうか。弟を見捨てた負い目。今回はヒックスリー俘虜長を見捨てない。
だが、ここに友情はあるのか。ヒックスリー俘虜長は、自分の代わりに
ヨノイが俘虜長にしたがったセリアズ少佐に命を救ってもらった恩義は感じたであろうが。
ヨノイ大尉は、自覚の上では、自分の思いを”性愛”とは考えず、死をも覚悟した任務を遂行する気高き同志として思っていただけ。かつ、日本人同士でも身体接触には慣れていなかったであろう。しかも、スペイン圏の風習など知っているわけもなく、このパフォーマンスをどう受け止めてよいのか、ただたじろぐ。自覚がなかったにもかかわらず、この件で周りに気づかれてしまった慌てふためきも、立場を無くす思いも重なり、どうしてよいかわからない。ここでも、小5レベルのふるまい。
セリアズ少佐はもとより、ヨノイ大尉が自分に示す情には気づいていただろうが、彼の思想を理解するつもりも、その情に応じる気持ちもなく。”行”をくだらないものと破った如く。
それに対する処刑。どうして銃殺でなく、あんな過酷な仕打ちなのか。他の俘虜たちへの見せしめなのか。白い砂、四方に張られた紐が、結界を示すしめ縄のようにも見えて…。
ロレンス中佐。
日本にいたことがあり、日本語が理解できるので、双方の橋渡し的な役割を担う。その経験と、キリスト教の教え(汝を苦しめるものを許せ:デ・ヨンへの葬式の言葉)にのっとり、「日本人個人を恨みたくない」という信念を持っている。また、皆で生きて帰るために、うまく立ち回ろうとしている。
長いものに巻かれろ的な立ち回りで、俘虜たちのためになるときと、誤解を受けるとき、厄介なことに巻き込まれるときと…。
その忍耐強さに感服する。
ハラ軍曹。
私にとって一番理解に苦しむ。彼は度々ローレンス中佐に俘虜になることは恥だという。「俺だったら自決する」と言い切っている。にもかかわらず、ラストのシーンでは、捉えられたときに自決せず、裁判を経て、”死刑”となる。それも「他の奴がやったことと同じ」とも言う。しかも、片言の英語もマスターしている。何があったのだろうか?もともと、「自分は天皇家の英兵」というアイデンティティに酔っていただけで、有言実行にはならなかったのか。
暴力性。処刑等の実行犯。だが、上司というか、軍部の意図を汲んで動いている。カネモトへの処置も、LGBTQ+がメジャー化した今なら許しがたい処置だが、男同士の恋愛が陰では一般的ではあるものの(江戸時代にも陰間茶屋とかあったし)、まだ忌み嫌われてもいた時代。リンチにあうよりは処罰したほうがという、ハラ軍曹なりの恩情?ロレンス中佐を同席させるのも、カネモト=レイプ犯を処罰することで、他の俘虜の懸念を払しょくするためとも思えなくもない。だが、”死”を貴ぶハラ軍曹たちの思想とロレンス中佐たちの生き方とは相いれず、残酷に映るだけ。たけしさんが初演技でもあり、暴力的な狂気を見せながら、どこかひいている様子もあり、そこがハラ軍曹の複雑さにみえて、おもしろい。
”友情”を語るのなら、唯一、ハラ軍曹のロレンス中佐への思いであろう。思いがけなく、無線機により、処刑の危機にさらされてしまったロレンス中佐。それを酔ったふりして、セリアズ少佐ともども救う。ヨノイ大尉の意に背けば、場合によっては、自分が切腹を命じられるのにも関わらず。それでも殺したくはなかったのであろう。幸い、ヨノイ大尉は振り上げた刃の落としどころに困っていたから、別のスケープゴートを差し出したハラ軍曹へは、皇室のしるしがある煙草を渡し礼を示したうえで、別の仕事(降格?)を命じるだけにする。
ラスト。ハラ軍曹はロレンス中佐に「メリークリスマス」を贈る。キリスト教や欧米文化を理解してというより、俘虜収容所での唯一の人間らしい行いの思い出。それを胸に死に向かうことを示しているように見えた。その言葉を受けるロレンス中佐の笑みは、俘虜収容所で浮かべていたものと同じもの。恨んではいないものの、ハラ軍曹の思いを受け止めているとは思えず、表面的な理解をしているハラ軍曹を憐れんでいるように見えた。
Wikiを読むと、「(監督は)『セリアズ、ヨノイ、ハラそれぞれが自分の思いを伝えられずにいる』という女子中学生からの感想の手紙が、東洋と西洋の対立といった海外の反応や評論家よりも、よっぽどこの映画の本質を捉えているように感じられたという。」とある。
それだったら、腑に落ちる。セリアズ少佐は弟に、ヨノイ大尉はセリアズ少佐に、ハラ軍曹はロレンス中佐に。そして、カネモトとデ・ヨンのエピソードも意味を持つ。
だから、この凄惨な映画の中で、セリアズ少佐の思いが家に招き入れられるところが、弟に思いが伝わったようで、少し気持ちが落ち着くのであろう。
キャスティングによって、永遠に語り継がれる映画。
Wikiによると、どの役柄も変転している。候補に挙がった方々で作ったら、別の印象になりそうだ。だが、この反吐が出そうなシークエンスが続く映画で、このキャスティングだからこそ、また見返す気にもなる。偶然は必然なのだと思った。
極限の果ての愛
恥ずかしながら大島渚監督の映画は見たことがほぼなく、唯一見ていたのが「御法度」だった。
御法度と戦メリに共通することを探しながら見ていて、これらの映画は同棲愛を描いているのではなく、常に生と死が隣り合わせの極限の状況の中で生まれる愛を描いているのだろうと思った。
愛に戸惑い不器用になってしまいながらも他人に魅せられていく、そんなキャラクターたちを、演技未経験の坂本龍一や北野武が演じているのが、良いのか悪いのか分からない。
棒読みで動きも固い坂本龍一の演技は、その固さが、愛に戸惑うヨノイそのもののようにも見えたし、でもそれは少し酔いすぎた見方かとも思ってしまう。見ている私自身がその佇まいに動揺し、考えざるを得ないのだ。
しかし棒読み演技をそのように捉える事が出来ることこそ、この作品の魅力かもしれない。演出、シナリオ、そして音楽、これらの強度が高いからこそ、役者のあらゆる姿があらゆる角度で見ている者に迫ってくる。それもまた大島渚監督の手腕であるのだと思った。
御法度でも思ったが、どうしようもなくなっていくキャラクターの心情を、丁寧かつ大胆に描いていくのが上手い。
大きなアクションがあるわけではなく(作品の時代背景や舞台として、誰かが死んだり拷問があるというアクションはあるが)、キャラクターたちは流れる時間の中を懸命に過ごしていく。その積み重ねがやがて大きな感情になっていくのを、この映画はしっかり描いている。これは本当に凄いことだと思う。
誰もそれぞれの思いを言葉にしてはっきりと伝えられてはいないが、その言葉にできない思いが画面から溢れて伝わってくる。そして人はそう簡単に思いを吐き出せないのだと、思い出させてくれる。
異質の戦争映画と偉大な音楽
毎年クリスマスの時期には見る映画です。
異質でありながらも、戦争の本質をついた映画だと思います。
戦争映画でありながら、戦闘シーンはなく悲劇的な女性も描かれません。
そう言う意味では、定石を外した戦争映画です。
勝てば官軍と言う通り、連合国が正義で枢軸国が悪となったわけですが、そこにいるのは同じ人間。
双方の視点をうまく駆使して、戦争が如何に空虚なものかを問いかけています。
クリスマスを祝うシーンが2度あり、セリフとしては似ているシーンなのですが、
ハラ(枢軸国)とロレンス(連合国)の立場がこれほどまでに変わるのは、なんとも言えない気持ちになります。
またこの映画を同性愛の映画と言う人がいますが、そんなことはないと思っています。
戦地という極限状態に中でこそ成立し得る、通常では理解し難い形のリスペクトが非常に綺麗に描かれていると感じました。
戦いをより直接的に描いて感動を誘う戦争映画も好きなのですが、違ったアプローチをしている本作は、
それ故に戦争についてより冷静に考える助けをしてくれるように感じます。
映画館で観られる機会は終わりが近いそうで、見納めにまいりました。 ...
奇跡の一作
大島渚(1932-2013)
戦後を代表する
演出家・映画監督
反権力・貧困など
社会派で知られ特に
「政治」や「性」を
特徴的に描く
「松竹ヌーヴェルヴァーグ」
と呼ばれる作品群で
知名度を上げていった
バラエティ出演も多く
一般にも知られる機会が
多かったが
晩節は脳出血と後遺症に
見舞われ1999年「御法度」
を最後にメガホンを
ついぞ取ることはなかった
影響を与えた監督は
マーティン・スコセッシから
クリストファー・ノーラン
そして北野武まで
枚挙にいとまがない
坂本龍一氏追悼特別上映
作品自体は観たことはあるんですが
大スクリーンで一度という事で観賞
1942年
ジャワ島
レバクセンバタの日本軍俘虜収容所
国に忠誠を誓い
いつでも死ぬ覚悟を決めている
と豪語するも
俘虜達と不思議な友情を
持っていく
ハラ軍曹(と日本兵たち)
日本文化を知りながらも
精神性までは理解できず
板挟みになる
ローレンス
肉親にもひどいことをした
自分自身の苦い過去から
死んでもいいから自分を
見つめ直したいと戦地に
身を置いていた英国軍少佐
ジャック・セリアズ
とそのセリアズの
真っすぐな瞳に
惹かれつつ自分の今までの
生き方と相いれられず
葛藤し続ける
ヨノイ大尉
立場を超えた友情なのか
もしくはこれはもう
愛なのかという描写を
続けながらそれぞれの
登場人物の心象が
むき出しでほんとに
魅せられる作品です
坂本龍一の全然
言えてない日本語セリフとか
ダンカンコノヤロー的
たけしのセリフ回しとか
全然気にならない
むしろ素のまま
やってくれる事で
どうしても素直な思いを
伝えられない日本兵
の葛藤をいやがおうに
描写しているのだから
ロレンスをひっぱたく時に
腰のサーベルがうっかり
ビョーンと鞘から
飛び出しちゃっても
リテイクしてないとことか
たけしのコメディアン
だというキャラクター性を
あえて省いてないんだなって
とこも面白いと感じました
たけし自身も高田文夫などに
「わけわかんない映画」
「坂本君とそう言い合っていた」
とかネタにしていたけど
絶対照れ隠しであろう
そんなたけしと坂本の
不器用な演技が映画の中で
確実なメッセージ性を
もっている点には
たけしらも衝撃を受けた
と言われています
実際たけしはこの出演以後
映画製作に興味を持ったと
聞いたことがあります
デビッド・ボウイも
当時の彼の神秘性を最も表している
映画だとノーランが評したのも
分かる存在感でした
(ノーラン最新作
「オッペンハイマー」
ではトム・コンティが
アインシュタインを
演じるそうですね)
印象的な音楽と共に
大スクリーンで見る機会が
あって最もよかった映画でした
Sowing the seeds of love and peace
個人的にシリーズ化してるDボウイと坂本龍一作品 今度は2人一緒だよ、せっかくの映画館上映これは見ないと...しかしミュージシャンが出演してる映画って駄作が多いような気がして全篇通してまともに見たことがなかった 大島監督敢えてのキャスティングとかなんとか
下手すれば棒なんだろうけど、切腹やら手合わせやら外国人にとっては奇行としか捉えられない、分かり合えない感じがこの起用で出ていたと思う セリアズのリアル種には驚いた とにもかくにもメリークリスマスMrロレンス そして誰が主役なんだろう?
監督が日本人で時々忘れる凄さ
坂本龍一追悼緊急上映とのことで4K版を劇場で。
若い時に見た映画はもう一度は見ないとダメだなと思う作品
坂本龍一追悼ということだがDavid Bowie も、大島渚監督ももう生きてないんだ。タケシは映画監督になり、、、
南の島の緑の下のバラックがゆらゆらの美しい。戦争映画でしか見ない光景なので哀しいがこのゆらゆらとした不安定で不穏な美しさは、地獄の黙示録と同じ気持ちを抱かせる。
音楽が有名になりすぎ、音楽がかなり鳴ってる印象があっだが久々に見てみると、音楽は最低限。双方兵士たちが静かに死んでいく南の島の静寂がある。
捕虜のうち傷病者は衣服を身につけたない人も多くホロコーストを自然と想起する。
食料も乏しいなか風紀を重んじ全く理解できない理由で日本男児として切腹で死んでいく日本兵、朝鮮人軍属、、、
音楽でもセリフでもなく、視線が描く世界、心象、
地球に落ちてきた男の完璧美形であったボウイが砂まみれのこの役を唯一無二に演じている存在感。
タケシと坂本龍一の微熱を帯びたような眼差し、唇や頬や全ての造作が真摯だ。
メリークリスマス!Mr.ローレンス
「メリークリスマス...メリークリスマス!Mr.ローレンス」
"教授"坂本龍一の追悼上映として鑑賞。
道理で世界的にウケるわけだ。
上の感想にはいい意味と悪い意味の両面がある。
本作で描かれている日本軍と、その精神性は、謂わば新渡戸稲造が「武士道」で描き、(読んでいないけど)恐らくベネディクトが「菊と刀」で紹介した、「外国向け」の日本人の精神がベースになっている。
なので日本軍の胸糞描写と同時に外国人からすれば死と隣り合わせの「ジャパニーズ・スピリット」に美を見出したはずだ。
だが同時に、それはサムライの時代が終わってから創り出された幻の精神であり、実際の日本人のそれとは異なる。
だから日本人が本作を観ると良さ以上に違和感が浮き彫りになってくるはずだ。
当然、大島渚監督もそれは承知の上で、葛藤もあっただろうが外国人の原作に従った描写をしたのだろうと思う。
そしてこの「幻のスピリット」がセクシュアリティと結び付くと、いよいよこの差は歴然としてくる。
+に+を掛けるか、-に+を掛けるかでこの乖離はさらに大きなものとなる。
なので僕としては美しさ以上に不気味さや気持ち悪さを覚えた作品だった。
ひとついただけなかったのはキャスティング。もはやこのキャスティング以外考えられないというステータスまで来ているが、ゼロフラットで考えてみると何故ここまでミュージシャンの起用に拘ったのかは疑問が残る。
何故かと言われれば、バラエティ慣れしていないせいか、とにかく日本側の滑舌が悪く日本語なのに聞き取りにくい場面がいくつも見受けられた。滑舌の悪さをモノマネのネタにされている北野武の喋りが一番まともに聞こえたくらいだから相当なものだったと思う。
これを本業の俳優で製作したらどういう作品になったのか、却って興味をそそられた。
天才たちが集った、凄い作品。
なんとなく今まで観ることを避けていたが、坂本龍一への追悼の意味を込め、初めて鑑賞。
予想以上にものすごい作品で、奇才・大島渚の世界観に飲み込まれた。
デビッド・ボウイはもちろん格好いいが、武も坂本龍一も存在感あり、異彩を放っている。
個人的には、セリアズ少佐の弟のエピソードも心に残った。
メッセージ性が強く、数日この映画の事が頭から離れなくなるくらいインパクトがあった。
そして、やはり、音楽がいい。メインテーマがあってこそのこの作品で、完成度を高めている。
個人的には北野武監督の映画が大好きでたくさん観ているが、映画監督としての北野武も、映画音楽作曲家としての坂本龍一も、この映画から始まったと思うととても感慨深く、凄い作品。
究極のカルトムービー
坂本龍一さんを偲んで
坂本龍一さん
2023年3月28日東京都内の病院で癌のため71歳で他界
世界的な音楽家
バラエティーでたけしやダウンタウンなどと度々絡んだりしたわりとお笑い好きな人
政治的発言も話題になったが自分は原発が安全なら再稼働しても良いし明治神宮外苑の再開発にしても手つかずの森と違い街路樹には街路樹の生き方がありスワローズファンとしては新神宮球場完成が楽しみだから賛成
しっかり最初から最後まで観たのは今回が初めて
日曜洋画劇場だったと思うがラストシーンでたけしが笑顔で言い放つ「ロレンス!」「メリークリスマス!ロレンス!」は何度も観たし1番印象深い
とにかくテーマ曲が素晴らしい
監督と脚本は『飼育』『愛のコリーダ』『御法度』の大島渚
脚本は他に『地球に落ちて来た男』のポール・メイヤーズバーグ
大島渚監督の代表作
傑作の部類と言って間違いない
映画館に行って4Kで観ても損はしないはず
大東亜戦争真っ最中1942年ジャワ島レバクセンバタ俘虜収容所での出来事
外国人俘虜たちと日本兵士たちの文化や考え方の違いによる衝突が面白い
知的なやりとりが醍醐味
原題は『Merry Christmas Mr. Lawrence』だがロレンスはデヴィッド・ボウイの役名ではない
日本のタイトルは戦場とあるが回想シーン以外の舞台は俘虜収容所であり戦場での戦闘シーンはない
ゲイっぽい指摘もあるがその方面のえぐいシーンはない
俳優としてはズブの素人のビートたけしや坂本龍一の芝居は武骨な軍人という役も手伝ってそれほど悪くもなかった
演技指導が厳しいとされる大島監督にしごかれたら辞めようと2人で決めてたそうだがそれを知ってか監督は代わりに助監督を叱ってたらしい
たけしと坂本は存在感で多少の演技力不足なんて吹っ飛ばしてお釣りが来てしまう
あえて苦言を呈するならジャック・セリアズの少年時代のシーンは全てにおいていらなかった
あくまでも自分の好みであり反論はあるだろうがそれで考えを変えるつもりは微塵もない
島でのやり取りには一切女性は登場しないが教会のシーンで数人の女性や女児がカットされずしっかりと出演してる
内藤剛志や三上博史も出ていたんだね
三上はキスシーンに登場している
三上寛は名前が似てるが全くの別人で身内でもなんでもないようだ
間違えてキャスティングされてジャワに来ちゃったからせっかくだから役をつけたのかもしれない
『八紘一宇』という言葉が飛び込んできた
世界は一つという意味のようだ
なぜか東京ディズニーランドを思い出した
『八紘一宇』も『共産主義思想』もそれ自体立派な思想でその言葉そのものに罪は無いんだけどな
ジャック・セリアズ陸軍少佐にデヴィッド・ボウイ
レバクセンバタ俘虜収容所所長ヨノイ大尉に坂本龍一
ハラ・ゲンゴ軍曹にビートたけし
ジョン・ロレンス陸軍中佐にトム・コンティ
ヒックスリー俘虜長にジャック・トンプソン
拘禁所所長に内田裕也
イトウ憲兵中尉に三上寛
朝鮮人軍属カネモトにジョニー大倉
オランダ軍兵士カール・デ・ヨンにアリステア・ブラウニング
ウエキ伍長に飯島大介
ヤジマ一等兵に本間優二
ゴンドウ大尉に室田日出男
軍律会議通訳に戸浦六宏
軍律会議審判長のフジムラ中佐に金田龍之介
軍律会議審判官のイワタ法務中尉に内藤剛志
軍律会議検察官に石倉民雄
俘虜収容所勤務の兵に三上博史
セリアズの弟にジェイムズ・マルコム
異文化交流INジャワ島捕虜収容所
第二次大戦下の大日本帝国ジャワ島捕虜収容所を舞台に、イギリス人捕虜と日本人兵士の交流を通して当時の相容れない両者の思想、価値観の齟齬を如実に表し、やがて互いを理解しあうという物語。たぶん。
当時、出演者であるビートたけし、坂本龍一両氏が自分達で見てもよくわからないと言ったとか。なるほど、よくわからない。
そもそもヨノイを演じた坂本氏がまんまYMOのメイクで登場。この時点ではたして本作を真面目にとらえるべきか悩む。
収容所所長のヨノイは軍事裁判にかけられたジャックに一目惚れ。拷問されたという傷を見せるために肌をさらした姿を見て生唾ごっくんだ。
確かにジャックを演じたデヴィッド・ボウイは美しい。男が見とれるほどの美形だ(それだけに歯並びの悪さが気になったが)。
何としても彼の処刑を免れさせたいヨノイはどのような手段を使ったのか、まんまと自分の収容所に連れてくる。
彼を優遇して何とか捕虜長にしようとするヨノイ。早朝の剣道も彼が嫌がると聞けば素直に控えるというように、まさに初恋の相手に恋い焦がれる乙女のようである。
だが、ヨノイのジャックへの思いがやがて収容所の規律に乱れを生じさせることとなる。ヨノイの従卒が嫉妬のあまりジャックを暗殺しようとしたり、部下のハラは上司を無視して独断的行動を連発する。
規律の乱れを危惧したヨノイは粛清を行うがそれも逆効果。乙女心と所長としての職責のはざまで揺れ動くヨノイ。いつしか彼の捕虜への扱いはジュネーブ条約に反する常軌を逸したものとなってゆく。
それを見かねたジャックは彼の前に立ちはだかり両の頬へキスするのだった。昇天し、その場で腰砕けとなるヨノイ。彼はこの時恍惚とした表情を浮かべていた。
不祥事で解任されたヨノイに代わってやって来た新任の所長により地中に埋められたジャックは息絶える。その彼の髪を後生大事に刈り取るヨノイ。敗戦後、共にジュネーブ協定に違反したヨノイとハラは死刑を待つ身となる。
死刑を待つ身のハラのもとに訪れたローレンス。彼に対して覚えたての英語で話しかけるハラ。
「メリークリスマス、ミスターローレンス」。ハラは皮肉にも死を前にして相手の言語、文化を尊重し学んだのだった。
戦争がなければ、いや、戦争があったからこそ彼らは深く互いを理解し尊重しえたのだろうか。戦争がコミュニケーションの一環とは思いたくないが、しかし、相争う相手同士が深く理解しあえることがあるのも否定はできない。
ちなみに本作では冒頭で、軍属である朝鮮人がオランダ人捕虜に性的虐待をした罪で粛清されるシーンがある。伏線としても見事だが、その当時の日本軍の罪を描いた作品としてはかなり貴重な作品と言えるだろう。
削除されたレビューを復元。
過去に傷を持つ気高い者同士の共感
デビット・ボウイ、坂本龍一、北野武とこれほどの大物を80年代に集結させ、日本人監督でありながらいわゆる日本映画に留まらない作風で描き切った大島渚監督の凄さを改めて認識する。
登場人物それぞれの人間らしさ、運命、想いなどが映像の端々に散りばめられた映画であり、私はそんな万華鏡のような映画が好きだ。
日本と西洋の間にある憧憬や対立は、碧眼のセリアズ少佐と日本軍人ヨノイ士官の面構えだけでも十分に伝わる。私はセリアズ少佐のイングリッシュガーデンの回想シーンが好きだ。日本人には想像しにくい外国の原風景を映像で見せてくれたと思う。私は、二人の関係は性愛的な惹かれ合いというよりは、過去に傷を持つ気高い者同士の共感と解釈したい。
死に急ぐことを否定しない者たちに対してローレンスは生きることを考えているのがもう一つの対比として興味深い。だからこそ彼は実際に生き残ったのだと思う。
全154件中、21~40件目を表示