善き人のためのソナタのレビュー・感想・評価
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静かな中に、力強さがある傑作だ。
旧東ドイツ。秘密警察(シュタージ)のヴィースラー大尉は、劇作家ドライマンの盗聴に従事する。盗聴を要請した大臣は、ドライマンの恋人に対して、邪な気持ちを抱いていた、、、。
極めて上質で静謐な空気のなか、胸が押しつぶされそうな、ヒューマン・スリラーだ。ウルリッヒ・ミューエが、劇作家の思いを知り、次第に本当の自分を発見する主人公を、見事に演じている。
国家のためにと言いつつ、己の欲望を満たすための欺瞞、一度かけられたら、執拗に追及される疑惑、そして、自由にものが言えない専制主義の息苦しさを、非常に落ち着いた雰囲気で醸し出している。
自分の人間性を発見したスパイを主人公に、繊細で巧みなストーリー運びで、一種の大きな賭けに出た男を、絶妙な緊張感で描く。悲劇的な人間ドラマの中で、恐怖体制を暴露し、個人の強烈な反抗を、静かな中に力強く描いた傑作だ。
国家保安局(シュタージ)が支配する1984年の東ベルリンを舞台に...
国家保安局(シュタージ)が支配する1984年の東ベルリンを舞台に、盗聴任務に従事する1人の局員の心の揺らぎを通して東ドイツの徹底された監視社会の実情と問題を静かに描いたヒューマン映画。
世間的には非常に評価が高い作品ではある。が、本当にヴィースラー大尉は『善き人』化したのだろうか?
大学の教壇に立ち学生に講義を行い、冷徹に学生の選別を行っているシーンがある。価値観が固定化しているであろう年齢の男性が、全てのキャリアを投げ捨ててまで短期間で善人化することが果たしてできるのだろうか。違和感を感じる。
大尉はもともと女優の熱烈なファンという描写もあるが、女優が盗聴対象となったので、女優の生活を守るためにシュタージの掟を破らざるを得ず、結果、女優の恋人であるドライマンを保護することになっただけ、という解釈も不可能ではない。
もともとヴィースラー大尉は『善き人』であり、その要素を隠しながら嫌々にシュタージの仕事をしているという描写があれば、解釈も変わるのだが・・・。
なお、国家保安局(通称:シュタージ)はドイツ語の Ministerium für Staatssicherheit の略称から由来している。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察・諜報機関を統括する省庁で1947年のK-5(秘密警察組織・第5委員部)を前身として始まり、1989年ベルリンの壁崩壊の1990年に解体されるまで続いた。ゲシュタポ(ナチス・ドイツ期の秘密警察部門:Geheime Staatspolizei)の手法を踏襲した徹底的な相互監視網を敷いて国民生活の抑圧を行った。組織解体時には9-10万人の正規職員を抱えていたとの記載がある。
対照的なふたり
演技は目で
おさえた動き、セリフも少なく。
だのに画面からあふれ出てくるこの感情はなんなんだ。
まん丸の目が何よりも語っている。
ラストの誇らしげな眼!目です!
あの眼は一生忘れられないかもしれない。
公安の彼をかりたてたのが
たった一度だけ聴いた一曲というのも
あまりにも印象的だ。
芸術の持つ力ってそういう底知れないものがある。
この映画の二人の男のように、
直接話すことはなくても
語れるなにかがこの世界にはあるのだと
うれしく感じた。
しかし、公安の情報は本当に公表しているの?
身の安全は保障されているのだろうか…?
リアルタイムで東西ドイツの壁が壊れたニュースを見た。
その当時も衝撃だったが
この映画で登場した際には鳥肌がたった。
日本ではたしか平成元年、昭和天皇が亡くなった翌年のこと。
芸術の力は絶大
見事なストーリー
屋根裏の常人
難しく陰湿な話かと思いきや、
秘密警察が反体制派を監視する中でだけ起こる物語
なので分かりやすく入りやすかった。
敵対する立場である秘密警察に身を置き、
随時反体制派の行動を報告しなけれざならない立場に
いながら、反体制派の身を陰ながら守ると言う設定が
まず面白かった。
ヒーローみたいに目立つ人でもなく、
影のヒーローでもない、
ただの普通の面白みのない人が主人公というのも
良かった。
反体制派の自由な思想、何にも縛られてない発想に
憧れを持ったのだと思う。
反体制派が憧れであり主人公はファンと言う立場
はまるで今で言う推し活の様。
壁が崩壊してからの物語の改修も派手にせず
だけど、綺麗にまとまっててとても気持ち良かったです。
ここでも、ファンと憧れの適切な距離感が出てて
そこも良かったなぁ。
心に残る映画のひとつ
ジワジワ忍び寄る東ドイツの静かな恐怖
戦争やユダヤ人迫害の凄惨さと、東ドイツの抑制された静かな恐怖は別物だけど、1914年の第一次世界大戦開戦から辿るドイツの悲劇は、第二次大戦で終わらず、東ベルリンから89年の壁崩壊まで続いていたことに、あらためて気づかされた。
東ベルリンの質素で虚無な空気感と、ウルリッヒ・ミューエの気持ちが読めない表情が、その「静かな恐怖」を見事に表現しているように思う。
権力を持つ人の欲望は醜い
【”シュタージ盗聴者HGW XX7が盗聴メモに残さなかった事”1984年、東ドイツを舞台にした、恐ろしくも切なきヒューマンドラマ。言論、思想の自由の大切さを、今一度感じさせる作品である。】
■1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安局“シュタージ”の局員・ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、反体制の疑いのある劇作家・ドライマンの監視を命じられる。
国家に忠誠を誓ったはずのヴィースラーであったが、仕掛けた盗聴器から聞こえてくる彼らの自由に芸術、舞台に関し、会話する声に共鳴し…。
◆感想
・劇中でも描かれているが、1984年と言えばベルリンの壁崩壊の5年前である。そんな中、本作では旧東ドイツのシュタージによる諜報活動が描かれる。
ー 劇的でもなく、あくまでも淡々と・・。-
・ヴィースラーはドライマンの恋人で、女優のクリスタと彼とのSEXも無表情に聴いて、メモを残す。あくまで、機械的に。
ー だが、ヴィースラーは後にクリスタが薬物依存をシュタージに指摘され、ドライマンを裏切る行為をしたときに彼女に掛けた言葉”今の貴女は、本当の貴女ではない・・。”という言葉に彼に人間性の豊かさ、優しさを感じてしまう。-
・ヴィースラーはある日、ドライマンが尊敬する劇作家で、国家から活動を中止されていたイェルスカの自死を知る。彼は、ドライマンに”善きひとのためのソナタ”と、名付けられた楽譜を残していた。
ー その楽譜をドライマンはピアノで弾く。美しくも哀しい曲である。そして、ヴィースラーは日の当たらない監視室で、その曲を聞きながら、涙を流している。
この映画の名シーンの一つであろうし、彼が西側の文化、人の自由な生き方に感動したシーンであろう。-
<今作を観ると、共産思想に染まった真面目な人間が、西側の思想に傾倒する人たちの会話を盗聴する中で、音楽、文化を楽しむ人たちの”声”に感化されて行く姿が、淡々と描かれている。
ベルリンの壁崩壊後に、ドライマンが出版した”善き人のためのソナタ”を書店の店頭で見つけたヴィースラーが、その本を手に取り、裏表紙に書かれていた”HGW XX7に捧げる”という献辞を見るシーン。
彼は本を手に取りレジに向かい、店員に”これは私の本だから・・”と答えるシーンも沁みる作品である。
言論、思想の自由の大切さを今一度感じさせる作品である。>
最後の言葉が深く余韻を残す
冷戦下の旧東ドイツ。国家のため盗聴を行うことを任務とする男性。 舞...
一言「これは、渋い胸熱!」
人間らしさ
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