セルピコのレビュー・感想・評価
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もっと古くさいかと思ったが
思いのほか古さは感じず、中盤からの盛り上がりはなかなかの、骨太風社会派映画。社会派なので爽快感は皆無。アル・パチーノはヒッピーファッションの割にはただのものぐさ不良刑事っぽいし、強い気持ちの持ち主の割にはメンヘラ発症しまくってげんなりしてくる。
キラキラ道徳心丸だしの体制迎合映画だと思う。
この映画は日本の刑事ドラマの手本になるような映画である。本来は冷静に調査と取り締まりを繰り返さなければ悪を根絶やしには出来ない。感情を高ぶらせて、暴力に訴える。警官には向かない人だと思った。
この時期、僕の高校は服装の自由化を学校に求める運動をしていた。リベラルな教師が多かったのだろう。僕もそれには呼応していた。しかし、もとより、服装には全く興味なかったので、服装が自由になったら、学ランで通えば良いと思っていた。実はこの映画も殻を破る反骨精神の警官と言う触れ込みで見に行った。でも、鑑賞していて髭面が汚く感じて、外見を綺麗に保つ難しさを知り、結局は個性は外見では無いと感じた。
マフィア、銀行強盗、警官、浮浪者とアル・パチーノは演技をするが、どれもこれも外見が変わるだけ一本調子に想える。アメリカン・ニューシネマの名作如きに過大評価される意味が分からない。兎に角、髭面外見汚い。男を誇示している。
僕の高校は僕が卒業した数年後に制服の自由化を果たした。しかし、調子にのってそんな事ばかりやった影響で、偏差値が急激に落ちて、何年か後に制服を復活する始末をしている。今でも地元の恥の様な学校として、過小評価されている。しかし、僕にとっては、寧ろそれが心のよりどころとなっている。
僕はこのあとアメリカン・ニューシネマと言われる映画を見まくるが、アメリカが怖くなるだけで、感動した作品には出会っていないと思う。
冷静に考えて誰かの殉職シーンが話題になった『お日様にワォー』の方がかっこいいと思わないだろうか。アクションはお粗末だけど、沢山、爆薬使って派手なカースタント見せてくれるし。
さて、最期まで、この映画見て『バラキ』って映画思いだした。バラキの方が勇気があると思うが、この主人公には『遅い』し『ヘェ~年金貰ってるんだ』って、当時は思った。
勿論、年金はもらって良いのだが。映画の版権で金もらって、年金も貰う。キラキラ道徳心丸だしの体制迎合型人間じゃん。
多分、2回目の高校以来の鑑賞。つまり、50年ぶりの鑑賞。
アメリカの刑事ドラマは『コロンボ』であり、『ホミサイド殺人捜査課』だね。理由はコロンボのサスペンスとホミサイドの人間性かなぁ。
向かいのマンハッタンの街並み(ビル群)にワールドトレードセンターが映っていた。
【”あんなにも崇拝していた警察だったのに。”或る男が夢を持って入った警察だが長年蔓延っていた悪人から賄賂を貰う事が横行していた。一人賄賂を受け取らず孤独だが信念を持って行動する男の姿が響く作品。】
ー エンドロールで流れるように、ニューヨーク市警の腐敗に立ち向かった刑事の実話に基づく骨太な社会派ドラマだそうである。-
■警察学校を卒業したばかりのフランク・セルピコ(アル・パチーノ)は正義感に燃えていたが、警察内部の腐敗を知り、自身だけが賄賂を受け取らない事で次第に孤立していく。
セルピコは不正を訴えるべく告発に踏みきるが、逆に市内で最も危険な場所といわれるブルックリンの一画に配属されてしまう。
◆感想<内容に触れています。>
・構成の妙に惹かれる作品である。
ー 冒頭、血だらけのセルピコが救急車で搬送されるシーンから、一転して彼が警察に巡査として採用されるシーンが映される。
警察のお偉いさんの訓話”治安に携わる君たちには道義的、社会的、政治的に重大な責任がある。・・・礼儀正しく、尊厳を持って、又、公正に振舞う事により一般市民の敬愛の念を喚起しなくてはならない。”(資料より)を、真面目に聞く若きセルピコの姿が印象的である。-
彼の姿を誇らしげに見る両親の姿。
・だが、セルピコは警察に入り、その博打屋から金を巻き上げる姿を見て、ひとり懊悩しつつ、自らの道を突き進むのである。
例え、ガールフレンドに愛想を尽かされて、逃げられようとも。
・セルピコが二番目のガールフレンド、ローリーに言った言葉は忘れ難い。
”小さな頃、近所で事件が有ったんだ。何が起こったのか分からずに色んな人に聞いていた時に、警官が現れたんだ。それまで、人だかりがあった中を青い服を着た警官が中に入って行く時に人混みが割れたんだ。まるで紅海のようにね。”
・セルピコは署を盥回しになり中で、警官らしくない髭を蓄えたヒッピーの様な格好をしながら、手柄を立てていく。
だが、彼はその手柄を独り占めにせず、場合によっては同僚に花を持たせる。
ー 彼が、表彰を受けたいがために行動していない事が良く分かる。-
・頭に来るのは、デップリ太った署長を始めとした、甘い汁を吸っていたNY警察の上層部の姿である。セルピコを上手くおだてながら、一切彼をサポートしない姿。
・そして、病院で意識を取り戻したセルピコに与えられた金のメダル。だが、彼はそれを受ける事を拒否するのである。
■今作では、大仰な音楽は流れない。
ドキュメンタリータッチと呼んでも良い抑制した画の作りの中、セルピコが唯一信頼するブレアの助力を借りながら、警察の腐敗を明らかにすべく裁判に臨む姿。だが、彼に下された非情なる異動の指示。
それは、NYの中でも危険と言われる地域への異動だった。
<今作は、幼き頃警察に憧れたセルピコが、愚直なまでに賄賂を貰わずに、”巨悪であった”NY警察の暗部を明らかにしようと、奮闘する姿が沁みる作品である。
アル・パチーノは、年代的に劇場で観たことが無いが、ゴッドファーザーシリーズを観ても、稀有な俳優である事が良く分かる作品でもある。>
臆することなかれ!! セルピコ、新人警官が我が道を行く作品
ニューヨークの警官に配属されたセルピコが
汚職、不正がまかり通る警察を
内部告発していくようなストーリーでした。
当時のニューヨークは治安の悪さを物語っていました。
警察官の仲間だと思っていた人物が
裏切りかと思える実態、真相に迫る姿が
鮮明に描かれていました。
銃で撃たれ倒れ込むシーン!
耳から流れる鮮血!
セルピコは自分の体に傷を負いながら
社会に訴えかけたいものがあった!
とそんな風に観終わりました。
若き日のアル・パチーノの演技を初めて観た
作品でした。
テーマ曲が物悲しさを増幅させる作品
ロードショーで観たかったのだが観そびれてしまい、
公開後、暫くしてからテアトル新宿あたりで観た。
原作本ありの実話物(現在も邦訳版を所有)。
中学生当時で、警察官=正義の執行者と単純に考えていたので(アメリカの事であるとはいえ)、かなりの衝撃を受けた映画である。
アル・パチーノの熱演と、社会派のシドニー・ルメットが監督と相まって、孤立無援な状況の中でも己の信念を貫き通して次第に想像を絶するような立場に追い込まれて行く主人公、それを優しく包み込んで励ましているかのようなギリシャ系のミキス・セオドラキス氏による音楽と共に忘れがたい、感動作品として記憶されています。
鑑賞後にサントラを探したが国内盤が入手困難になっていて、結局、アメリカ盤LPを購入して愛聴してました。
ついでに、劇中では流れませんが、ペリー・コモによるヴォーカル・バージョンも当時のシングル盤で所有してますが、歌付きカヴァー盤ではありますがとても好きな曲です。
「Beyond Tommorow」のタイトルです。
確かYouTubeで聴く事ができると思います。
尚、シドニー・ルメット氏はこの後、今作の姉妹編的な対をなす作品「プリンス・オブ・ザ・シティ」を監督しています。
この作品、セル、レンタルビデオ全盛時代前に初めてTVオンエアーされた時に喜び勇んで録画したんですが、放送枠の関係上、最初の恋人であるコーネリア・シャープとの件が潔くバッサリとちょん切られていて唖然でした。
それでも、故、野沢那智さまの吹き替えは良かったです。
またTVシリーズ化され「新セルピコ 」のタイトルで放映されてますが、当然、主演はアル・パチーノでは有りません(笑)。
実に上手に現実を見せた
主人公が 同じことにこだわり続け、 同じ 危険 同じ立場にはまり続けるのをかなり 延々と見せられて 霹靂した。が、 観客に現実を思い知らせるために それが必要だった。 見てるうちに だんだん 主人公のやってることが間違いではないかという気がしてきた。 いや 実際 間違いだったかもしれないということを思った。周りがそういう状況ならそれに合わせるべきじゃないか? 主人公がパラノイア の変人に見えた。 多分 実際にそういう人だったんだろうと思った。 こういう人じゃなきゃ こういう 戦い方、こういう 粘りかたは絶対にできなかっただろうと感じた。 そう感じさせるように描いた 脚本 力に脱帽した。
それにしてもアルパチーノ の警官制服姿、 全然似合わない。 制服が似合わなくても 女にモテて楽しく幸せにやってるところから追い詰められていく様子がリアルで怖かった。
これを見て 汚職の 撲滅 ってのは トップダウンでなきゃできないし、下手すると トップダウンでやろうとしてもトップが下から狙われるというリスクがあるなと思った。 ロシアや中国は 今でも こんな具合だろうなと思った。 そして アメリカも本当に 賄賂 体質から抜け出しているのかと疑問を感じた。
独り悪に立ち向かう警察官の毅然とした正義の社会派映画にみるルメット監督の真面目さ
シドニー・ルメット監督らしい題材の作品で「十二人の怒れる男」の感動をもう一度と期待して見学した。昨年公開の「オリエント急行殺人事件」では、娯楽サスペンスものに手堅い演出を見せていたから、実力的にはどんなジャンルにも対応できる技量を持つ監督の印象を持ったが、やはりこのような正義について考えさせる内容が合っている。警察内部の汚職の腐敗に毅然と立ち向かう、実録社会批判の力作だった。ただ、実際の事件の経過を忠実に再現した物語の展開だったからか、映画の語りとして主人公の良心を貫徹する苦悩が盛り上がりに欠けるように感じた。それは主人公の味方であるべき恋人の理解を得られず、公私において孤立した境遇の痛々しさと虚しさが現実とする無常観の表現が弱い物足りなさである。
それにしても驚くのは、社会の悪を取り締まるべく仕事に精進すべき警察官の呆れるくらいの腐敗ぶりである。セルピコのような勇気ある善人が居ても、最後まで善人として生き抜くことが困難になっている時代の問題点もあるのではないか。正義を守り抜いた現代のヒーローを熱演したアル・パチーノと、ルメット監督の真面目な演出を観る映画。
1976年 9月2日 池袋文芸坐
パチーノ ルメット中間作
社会派ルメット君の真面目な映画です。
ただ、事実を淡々と追っているきらいがあって、映画的なダイナミズムがあまり感じられないところが素材の割にオスカー候補にすらならなかった理由でしょう。パチーノ君も熱演ながら同じくルメット君と組んだ狼の方が輝いてます。
音楽がゴッドファーザーに似てた。
ヒッピー&潜入衣装の面白さと着こなし
再々…見。
序盤から居るだけで世への憤りがダダ漏れるアルパチーノは一つのピーク。
暗く停滞しまくる物語も一々変わるヒッピー&潜入衣装の面白さと着こなしで退屈させない趣向の正しさ。
日本も駄目だと言うが米国も相当だ。
直ってなどいない、と見るべきだろう。
穏やかに暗い映画。しみじみ浸れる映画。
穏やかに暗い映画。しみじみ浸れる映画。
124分間ある映画。汚職と戦う警官セルピコ(アル・パチーノ)の物語。目まぐるしい銃撃戦よりも汚職の打開に苦悩する会話シーンが多い。加えて音楽も静かなものがメインでそのためか疲れなかった。音楽が流れたとしてもマンドリン系のBGMでこれまた穏やかだった。ただし劇は汚職を暴こうとするセルピコの身の安全が保障されない状態で進む。そのため気が抜けずあっという間の124分だった。
冒頭がクライマックスという倒置法。だがラストの印象はあいまい・・・。
冒頭はセルピコが撃たれるクライマックスで始まる。担ぎ込まれたセルピコの安全を守るため多数の警官が警護に配備される。私はそのシーンの解釈を間違ってしまった。セルピコを何としても警察が守りたい『人望ある警官』、『仲間から愛された警官』であることを示すシーンなのだと理解してしまったのだ。
これは全く逆で、セルピコは最後まで警察の中で敵だらけだ。セルピコが撃たれた時の上官のセリフから『撃つ心当たりのあるやつがやたら多いな。嫌われとるんやな・・・』と読み取るべきであった。演出的にも十分そう示していたのだろう・・・笑
警察の汚職は新聞社タイムズに告発して大々的に報じられても抜本的には治らない。ラストで聴聞会を開き、社会が聞き入れるまでどうにもならない(まぁちゃんと汚職がなくなったかは示されていないのだが)。警察だけじゃ自浄作用は効かずに永遠にもみ消されていただろう。
さてここで「あいまい」なラストの印象について。
ラストでセルピコが撃たれたことは彼が社会への発信力を手に入れるイベントとして機能したように思えた。明示されていないものの撃たれたことは社会がセルピコに関心を持つキッカケとして作用したようだった。だからこの映画としてはセルピコの終わりなき汚職との闘いに幕を下ろした大きな転換点だったのだと思う。大事なシーンということだ。しかし最後の聴聞会が何気なく始まったからか印象には残らなかった。。。
もっとこの辺を印象的なシーンにできなかったのかね。撃たれたこと自体は倒置法も相まって印象的だったがこれでは「いつハメられるかわからない状態で結局彼は撃たれちゃいました」という点を最も押しており、聴聞会で「彼の戦いはついに報われました」という点を押さない形になっているように思える。
映画としては後者の方が断然押す甲斐があるように思えるのだが、この作品では前者を押しているのだろうか?でもそうだとしたら撃たれる直前に仲間が全然助けてくれないシーンでの恐怖をもっと強調して描くだろうと思う。ということはやっぱり後者を押しているのだろうが、それにしてはラストの印象があいまいだったなと感じる。だから終わり方がちょっと物足りなかった。
セルピコの人となりの描き方:周囲の人物との対比から
前半では周りの人々がセルピコの人となりを示す上で効果的に使われている。たとえば初めの彼女とその友人たちだ。彼女自身はバレリーナを目指している。そしてその友人は詩人やら作家、女優であるらしい。しかしそう言いながらも一時の腰掛としてサラリーマン・OLをしている。そんな彼・彼女らについてセルピコは「なんで君の友達はみんな本来の仕事をしていないんだい?」と聞く。鋭い質問だ。誰一人として本業一本槍がいないのである。
本気で警官をやっているセルピコにこれを言われるとたまらない。彼・彼女らはみんなかっこつけで華やかな職業を名乗っているだけなのだ。その証拠にセルピコに芸術論をぶつ女性のセリフは誰が聞いてもわかるくらい「薄っぺら」にされてしまっている。これらが相まって、不思議そうに尋ねるセルピコの顔は実に印象深い。
軽薄で上っ面だけの人間とセルピコを対比することで、セルピコの真摯な人間性を浮かび上がらせる効果があったと思う。そして痛快なシーンだと思う。またセルピコは酔ってしまえばそんな友人たちとも冗談交じりで気さくにパーティを楽しんでおり、そんな様子から彼が「気のいいやつ」であることが分かる。観ているとセルピコの魅力に徐々に魅了される。まだ汚職の中で身の危険が迫っておらず楽しめるフェーズだ。ついでに触れると、劇を通じてどんどん伸びていくセルピコのヒゲもビジュアル的に飽きない(笑)。
他にもセルピコの人柄を浮かび上がらせる役として下手をこく警官が出てくる。泥棒追跡中にセルピコもろとも銃を乱射してしまう警官だ。彼は乱射のせいで市民の車を傷つけており、自分が始末書を書かずに済むように泥棒逮捕の功績をセルピコにおねだりする。くそ野郎だがセルピコは悪態をついた後に手柄を譲る。この警官は相手を確認もせずに射撃するビビりで情けない警官だ。観る者は自然とセルピコとこの警官を対比してしまい、堂々と泥棒を捕まえて手柄まで渡すセルピコに感情的に味方するだろう。
なおこの対比をより鮮明にするために、ここでの逮捕劇はセルピコが相当体を張ったもものにされている。渡す手柄が重たい方がいいイメージが増すからだ。セルピコが階段を転げまわってまで捕まえた泥棒なのだ。
他の印象的なシーン
告発の相棒となるノッポ(役名わからんかった・・・)との出会いも印象的に描かれている。ピンチが続くセルピコの相棒なので観る側としては「信用できるやつ」なのか、「いいやつ」なのかを把握したい気持ちが働くキャラクターなのだが、出会い方が実に良く安心できるキャラであることが分かりやすく示されている。
こんな出会い方だ。私服警官としての座学にてマリファナの実物を吸うところで隣同士として登場してくるのだ。教官にマリファナを吸うぞ~と言われて教室内は「オイオイマジかよ、儲けもんじゃん!」みたいなウキウキ感が出る。そして一緒に吸ったノッポは「上物だ」と超ご機嫌。こんな状況で仲良くならないわけがない笑。その後地下鉄のホームで一緒にラリッた会話をたっぷりして見せる。これで観客もノッポに対してセルピコ同様に親密な気持ちになれる。「良いやつ」認定ができるのだ。こんな流れを自然に導けるのでマリファナを一緒に吸うのはとても工夫された演出だと思った。
やっぱりアル・パチーノ。ブチギレたら天下一品...!!
セルピコは中盤まで慎重だ。あまり表立って告発すると命が危ないから、周りをうかがいながら自分だけは裏金を受け取らないようにする。しかし中盤でついにブチギレるシーンがある。ここで思い出す。「こいつはアルパチーノだ」ということを。キレたときの彼の演技はやはり最高だ。余談だが私が初めてアル・パチーノの映画を観たのは大学生の時、平日昼間の『スカーフェース』のリバイバル上映でだった。5人しか客がいない。しかも主婦ばっかだ。そんな中ノーカット版180分が一瞬だったのを強烈に覚えている。あの主婦たちも同じように感じたのだろうか(感じていれば飲み友達になりたい笑)。
彼がブチギレるとそのくらい魔法がかかる。はっきり言って普通のストレスならぶっ飛んでしまう。「暴力シーンはこうでなくっちゃ」という要素が全部詰まっていて物足りなさがない。しかも過剰さもない。私にとって最高の怒り爆発シーンだ。中盤までの穏やかな展開からうっかり忘れていたが、あのアル・パチーノを感じたシーンだった。もうこれだけで私には最高だった。
ちなみにこの映画はアメリカ・イタリア合作だそうだ。イタリア要素は主に音楽くらいかな?ロケ地はすべてアメリカだろうし、合作感がまるでなかったな。1976年に「アウトロー刑事・セルピコ」としてドラマ化したとのこと。機会があれば観比べてみたい。面白かった。
アル・パチーノも若い時は正義感溢れる役
実話ネタとか
アル・パチーノは撮影前にセルピコ本人と三週間一緒に暮らしたとのこと。
撃たれて瀕死の状態でスタート
フランクセルピコ
ニューヨーク8分署
配属当初は髭無しマンハッタン82分署でスタート
小さい。声も軽い
食堂でのタカリに憮然、仕事もやる気満々レイプ犯捕まえたが
優しい警官で 共犯者を見つけた 手柄横取りされた
靴の修理屋の息子 次男坊
口ひげ生やしだした、似合わん
習慣に従わないセルピコ
一人暮らしを始めたタイミングで5ドルで犬を買う
警官やりながら 大学にも通ってるのか
金髪の美女をバイクで送る
展開が早い
2年おるんか
アルフィーもでかくなった
転勤93分署
見た目で損をしている 早く刑事になりたい
制服警官に撃たれた
マリファナ講習でラリった仲間と内調
出世は政治力
レズリーの尖りおっぱい、 結婚してくれないから他の男に取られた。 すっかり髭面
初日から賄賂の分前がきた
部長に相談しても無視
ブロンクス第7地区へ
49分署まっさら
じゃなかった
毎月の配当は800ドル
違う女
白ネズミ
イタリア人の相棒ができても未だに賄賂を受け取らない。 警視総監に本当に伝わってるのかな
速攻で相棒が変わった
一つの分数署で年間25万ドル
市長に直訴も駄目だった 夏は暴動が起きるから
オウムまで飼いだした。女に当たるとは
頑なに受け取らない
一人で働きたい
張り込みの末イタリアンギャングを 逮捕したが コーサロは余裕 いくらなんでもコップキラーを庇うのはどうかと思うね
1年半もたらい回し
ラビ扮装で呼び出し
外部機関に漏らしたのか 気に入らないらしい
一応調査は始まったかするピコが証明しない
彼女から別れを告げられた
どんどんヒッピーになっていくがだんだん魅力的に
結局証人台に
ブロンクスだけを生け贄に差し出す
警視総監は 絶対に金色バッチをあげない と明言
どんどん追い詰められる
また転勤8分署
退職した警官が集金している
ついに ニューヨークタイムズに
南ブルックリンの麻薬班に転勤 やばいところだ
焦燥感のある射撃訓練
早々に脅かされる
手伝ってもらえず撃たれてる
念願の金色バッチ
顔を撃たれた 馬鹿な巡査だからですか
5年も
左耳は聞こえない
スイスのどこかで隠居
船着き場で牧歌的エンディング
同調圧力に屈しないというのは 本当に大変だろうと思う
アルパチーノ主演の秀作。
不正が蔓延る市警を告発した、一刑事の物語。
1970年代に制作されたアル・パチーノ主演のサスペンス。実話を基にした作品とのこと。
分類はサスペンスになるのでしょうが、人間ドラマとしてとても良く出来た作品だと思います。
警察の酷い不正行為に唖然とします。そんな中、子供の頃に憧れた警官の職責を全うする主人公には、尊敬の念を禁じえません。
ただ、映画では、単純な正義の味方を描いておらず、彼の苦悩を描いていることも共感出来ます。周囲が全て敵の中で、「猜疑心」「恐怖」「絶望」、それらの気持ちが制御不能になっている様はもの悲しく感じられます。
最後はハッピーエンドと言って良いかは、判断し兼ねるところです。しかし、とても静かで穏やかな終わり方で、映画の余韻を楽しむことが出来たと思います。流石に50年近く経った今でも放映される秀作でした。
タイトルなし
ジャーナリストのピーター・マース原作
ニューヨーク市警に蔓延する汚職や腐敗に立ち向かう警察官フランク・セルピコ
実話に基づいた作品
セルピコをアル・パチーノが演じている
.
警察官の汚職
警察組織の腐敗
70年代NYの話だけでなく
今も起きているかもと思える内容
見て見ぬふり 周りに同調
正義とはなにか…
怯え苦しみ闘い抜いた
一人の"人間" セルピコのお話
セルピコみたいにはなりたくない。
正義を貫いた孤独の男、と言えば聞こえは良いし、キャッチコピーにもそう書いてありましたが、私にはセルピコは飛んで火に入る夏の虫にしか見えませんでした。
火中に飛び込む虫を英雄の様にみる事は出来ませんし、そもそも英雄談ではない様にも思えます。
社会やいずれかの登場人物に焦点を当てて観させようとしている節はなく、むしろ セルピコ の方にカメラがずっと集中していました。
なので、汚職の話とか正義の話 というよりも、セルピコ の話なのであります。もう題名がセルピコ とつけられるくらいですから。
『老人と海』という小説がありますが、そこに共通する 勲章や名誉にとらわれない 一種の美学を感じる部分はあります。
しかし、セルピコに憧れを持てるか、と言われれば ノー です。正義感が無くても、彼は孤立したと思います。
みんなが当たり前のことを当たり前にやっていれば こうはならなかった、という話です。
同情 するしかありませんでした。
あなたはどうするのか?それがテーマだ
観終わった後の重さは凄まじいものがある
刑事ものではあるがアクションでも謎解きでもない
NY市警の腐敗を告発する刑事の物語だと一言の説明で終る
一体どのような腐敗であり、どのような構造であり、主人公の活躍によってどの様にそれは克服されるのか
もちろんそれは映画の中で語られる
しかし、本作の主題はそこではない
不正を前にした時、一人の人間としてどのように感じ、どのように折り合いをつけるのか
あなたならどうするのか?
本作はセルピコはこうしたという一例を示しただけであって、観終わった私達にはその疑問が突き付けられているのだ
だからセルピコ刑事の伝記映画の様でそうではない
人間としてのあなた自身の在り方を問う映画なのだ
あなたならどうするのか?と
それゆえに本作製作時に監督が交代させられ、「怒れる12人の男達」で有名なエルメット監督が撮ることになったわけだ
東芝の不正経理、日産のゴーン会長の逮捕
あなたもこのような現場に身を置くことがあるかも知れない
あなたは本作の登場人物の誰なのか?
娘がオペラのコーラスで金がかかるんだと話す警官だろうか?
報告を受けて放置する管理職だろうか
他人事みたいに誰々を紹介すると言うだけか
日本は同調圧力の強い社会だ
あなたはそれに逆らえる勇気が有るのか
同僚、上司を全て敵に回して孤独に生きる精神力が有るのか
地位や職を失い、家族をどう養ったら良いのかという恐怖に打ち勝てるのだろうか
本作を観終わった後、のしかかる重さはこの問いかけに答えなければならない重さなのだ
セルピコは仲間を裏切ってはいない
なぜなら最初から腐敗警官の仲間になったこと自体なかったからだ
いわば汚い水の入った風呂桶に浸けられていたのだ
ならば、その風呂桶にから出て汚い水を捨てて入れ替えるしかないではないか
彼は裏切ってなぞいない
裏切っているのは周囲の警官達全員の方なのだ
当たり前のことだ
しかし、その孤独、危険は彼自身の精神を追い詰めた上に、最終的に肉体的な危険にされらされたのだ
彼の苦悩をアル・パチーノは見事な熱演でそれを表現している
ラストシーンはセルピコが大型客船が停泊する埠頭に佇むシーンで終る
平和な暮らしが約束されるであろうが、もうこの街には居られないのだという見事な映像表現での終わり方であった
あなたはどうするのか?
トップダウン
疲れてる時に見たからか…
見続けるのに少し忍耐が必要でした。
だけど、汚職て、あーんな風に起こるんだなと。
全体がそうなったら、もう取り込まれるしかないよなと。
トップダウンでしない限りは難しいですね。
アルパチーノさんが、木村拓哉さんに似てるなと思いながら見ました。
3.4
社会派ドラマそのもの。映画『セブン』の中でブラッド・ピッドが「おれは刑事セルピコだ」と言っていたのを覚えている。セルピコは結構有名な人らしい。
憧れていた警察になった正義感の強いセルピコは、賄賂など汚職が横行する警察界に1人で立ち向かう話。
一応物語は最後収束したけど、ハッピーエンドなのかよくわからん。恐らくハッピーエンドなんだろうけど、顔を撃たれたとき死んでいたら、と考えるとハッピーエンドとは思えない。
この映画を観て思ったことは幾つかある。
誤解を恐れずに言えば警察って「みんなの用心棒」のはず。でも実際今ぼくは守られてる気がしない。少し恐れているところもあるし、避けたい存在になっていことに気付いた。その理由はたぶんぼくが警察が権力を持っているように見ているからだと思う。でも間違っていた。警察の見方が変わった。あと映画の中でも言っていたけど、権力には常に監視が必要。その監視役と警察側がお互いにチェックしてバランスをとることが大事だと思う。
2つ目がセルピコの存在について。組織の流れに乗れば確かに楽だし、自分の哲学や道徳を貫くのはかなり大変。そういう経験は誰にでもよくあることだと思う。このテーマはよくあるし、いろんな映画や評論のネタになってるからわかっていると思う。映画の中で出てきた王様と井戸の話が本質をついてると思う。その話をよく考えて理解すれば、この映画の伝えたいことの半分くらいわかると思う。
最後にセルピコの髪や髭と言い犬と言い、映画自体もしゃもしゃしていてああいった感じは好きじゃなかった。
社会派
社会派と名高いシドニー・ルメットの作品だけあって内容は警察の汚職と戦う男の物語と中々硬派な印象
だけどただ説教臭い話が続くだけではなくて男の抱える弱さとか孤独も描かれていて、その辺りはさすがアルパチーノが見事に演じきっている 特に人間への不信感からの反動かアルパチーノがペットをドンドン増やしていく様子はさりげなくてよかった
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