「純粋とは必ずしも美しい言葉ではない」サイレントヒル 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
純粋とは必ずしも美しい言葉ではない
※たまにはレビュー追記して再Up
なぜ本作のレビューをこの時期になって
書いたかは……まあ、察しが付く方もいるかも。
(補足:当レビュー初投稿は2010年3月頃)
これまで10作近くのシリーズが作られたホラー
ゲーム『サイレントヒル』の映画化作品が本作。
デヴィッド・リンチ、クライヴ・バーカー、
スティーブン・キング等の作家が描いてきた
ホラーの影響が顕著な原作ゲームは、ドラマ性
の高さと世界観の完成度がハンパじゃない。
何を隠そう、僕も大ファンです。
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映画のあらすじ。
炭坑火災で閉鎖され、今も地下で火災が
続いているとされる田舎町サイレントヒル。
とある事情でその街を訪れた主人公は、
街で失踪した幼い娘を探すうち、異形の
怪物達が潜む“血と錆の世界”に直面。
やがて、この街で30年前に起こった事件
と娘の失踪との忌まわしい関連を知る——
火に焼かれた幼子を連想させる怪物、
己の罪により闇の世界に囚われた男、
肉の拘束衣を着せられたような異形、
人形のような、顔の膿み爛れたナース達、
圧倒的な威圧感を放つ“赤い三角頭”、
次々登場する、人間の肉体を歪めたような造形
の怪物達は否応無しに生理的嫌悪感を抱かせる。
と同時に、怒号とも悲鳴ともつかない叫びや
常に苦しみ悶えているような怪物達の動きは
どこか憐れで、ある種の美しさすら感じさせる。
灰が雪のように舞い落ちる廃墟の街や黄昏の光景、
陰惨な“血と錆の世界”の映像美も見事。
映像面における原作の世界観の再現は完璧に
近く、その点はファンとしては嬉しい限り。
クリストフ・ガンズ監督、感謝です。
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だが原作を単に一から十まで焼き直した
だけでは映画化する意味も効果も薄い。
本作の場合、前半は原作の展開をなぞり、
おぞましい“血と錆の世界”やそこに潜む
怪物共の恐怖を中心に描写しているが、
後半からは完全に映画独自の展開が
繰り広げられる。そこで描かれるのは、
“血と錆の世界”以上に恐ろしい人間の心。
盲目的に神を信奉する者達が無垢な魂を汚し、
無垢な魂に芽生えた憎悪は際限無く増大する。
娘を救い出す為なら如何なる犠牲も払うという
母の純粋な愛が、やがて惨たらしい結果を招く。
本作では、“純粋”とは必ずしも美しい言葉
ではない。それは寧ろ周囲を破壊してまで
己の心を満たそうとする危険な衝動だ。
人は自分の信じるもの、愛するものを
守る為ならどんな事でもやってのける——
例えそれがどんな悲惨な結果を招こうと。
荒廃した病院の地下深くの揺り籠で、数十年に
渡り純粋培養(incubate)され続けた憎悪が
爆発するクライマックスはまさに阿鼻叫喚。
目を覆いたくなるほどに凄惨だ。
物語がトントン拍子で進み過ぎるきらいはあるが、
切ないラストやずしりと重い後味が忘れ難い秀作。
<了>
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余談:
・主人公が父親→母親
・事件の発端が7年前→30年前
など、基本設定に幾つも差異があるが、
原作と映画版とで特に大きく異なるのは
ダリア・ギレスピーのキャラクターと
“教団”の扱い方だろう。
原作のダリアはむしろ教祖クリスタベラに近く、
原作と映画版の“教団”はそもそも御神体が真逆。
2組の母娘、そして神とその信徒を登場させ、
“愛する”という行為がいかに重く、そして
時に極めて排他的なものであるかを
描こうとしたのだろうと推察する。
『子どもにとって母親は神と同じ』
という言葉が印象的。
他方、原作ゲームは父子のドラマ
として純粋に感動できると思うが、
夢と現実の境目はさらにさらに曖昧で、
脳内を掻き回されるような凄まじい不条理性と
硬質且つ攻撃的なインダストリアルBGMにより
映画版を2、3段上回る恐怖を味わえると思う。