劇場公開日 2006年7月8日

「純粋とは必ずしも美しい言葉ではない」サイレントヒル 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5純粋とは必ずしも美しい言葉ではない

2010年3月31日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

※たまにはレビュー追記して再Up

なぜ本作のレビューをこの時期になって
書いたかは……まあ、察しが付く方もいるかも。
(補足:当レビュー初投稿は2010年3月頃)

これまで10作近くのシリーズが作られたホラー
ゲーム『サイレントヒル』の映画化作品が本作。
デヴィッド・リンチ、クライヴ・バーカー、
スティーブン・キング等の作家が描いてきた
ホラーの影響が顕著な原作ゲームは、ドラマ性
の高さと世界観の完成度がハンパじゃない。
何を隠そう、僕も大ファンです。

...

映画のあらすじ。
炭坑火災で閉鎖され、今も地下で火災が
続いているとされる田舎町サイレントヒル。
とある事情でその街を訪れた主人公は、
街で失踪した幼い娘を探すうち、異形の
怪物達が潜む“血と錆の世界”に直面。
やがて、この街で30年前に起こった事件
と娘の失踪との忌まわしい関連を知る——

火に焼かれた幼子を連想させる怪物、
己の罪により闇の世界に囚われた男、
肉の拘束衣を着せられたような異形、
人形のような、顔の膿み爛れたナース達、
圧倒的な威圧感を放つ“赤い三角頭”、

次々登場する、人間の肉体を歪めたような造形
の怪物達は否応無しに生理的嫌悪感を抱かせる。
と同時に、怒号とも悲鳴ともつかない叫びや
常に苦しみ悶えているような怪物達の動きは
どこか憐れで、ある種の美しさすら感じさせる。
灰が雪のように舞い落ちる廃墟の街や黄昏の光景、
陰惨な“血と錆の世界”の映像美も見事。
映像面における原作の世界観の再現は完璧に
近く、その点はファンとしては嬉しい限り。
クリストフ・ガンズ監督、感謝です。

...

だが原作を単に一から十まで焼き直した
だけでは映画化する意味も効果も薄い。

本作の場合、前半は原作の展開をなぞり、
おぞましい“血と錆の世界”やそこに潜む
怪物共の恐怖を中心に描写しているが、
後半からは完全に映画独自の展開が
繰り広げられる。そこで描かれるのは、
“血と錆の世界”以上に恐ろしい人間の心。

盲目的に神を信奉する者達が無垢な魂を汚し、
無垢な魂に芽生えた憎悪は際限無く増大する。
娘を救い出す為なら如何なる犠牲も払うという
母の純粋な愛が、やがて惨たらしい結果を招く。

本作では、“純粋”とは必ずしも美しい言葉
ではない。それは寧ろ周囲を破壊してまで
己の心を満たそうとする危険な衝動だ。
人は自分の信じるもの、愛するものを
守る為ならどんな事でもやってのける——
例えそれがどんな悲惨な結果を招こうと。

荒廃した病院の地下深くの揺り籠で、数十年に
渡り純粋培養(incubate)され続けた憎悪が
爆発するクライマックスはまさに阿鼻叫喚。
目を覆いたくなるほどに凄惨だ。

物語がトントン拍子で進み過ぎるきらいはあるが、
切ないラストやずしりと重い後味が忘れ難い秀作。

<了>
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余談:
・主人公が父親→母親
・事件の発端が7年前→30年前
など、基本設定に幾つも差異があるが、
原作と映画版とで特に大きく異なるのは
ダリア・ギレスピーのキャラクターと
“教団”の扱い方だろう。

原作のダリアはむしろ教祖クリスタベラに近く、
原作と映画版の“教団”はそもそも御神体が真逆。
2組の母娘、そして神とその信徒を登場させ、
“愛する”という行為がいかに重く、そして
時に極めて排他的なものであるかを
描こうとしたのだろうと推察する。
『子どもにとって母親は神と同じ』
という言葉が印象的。

他方、原作ゲームは父子のドラマ
として純粋に感動できると思うが、
夢と現実の境目はさらにさらに曖昧で、
脳内を掻き回されるような凄まじい不条理性と
硬質且つ攻撃的なインダストリアルBGMにより
映画版を2、3段上回る恐怖を味わえると思う。

浮遊きびなご