劇場公開日 2002年6月1日

「爆発的アイデア、盤石なフォーマット」少林サッカー 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0爆発的アイデア、盤石なフォーマット

2022年12月24日
iPhoneアプリから投稿

チャウ・シンチーの無限大の想像力、というか想像を実際の身体・物理運動として具現させる能力には思わず舌を巻く。しかもまるきり荒唐無稽なようでいて、意外にも実際のスポーツに近い成長過程を踏襲している。

主人公のシンは冒頭から「蹴る」という技能に関して才覚があった。私も中学時代まではサッカーをやっていたからわかるのだが、蹴りが強いとか視野が広いとか走りだけ速いとか、何かしら強みのあるプレイヤーというのははじめからそれらの技能に長けていることが多い。逆に言えば、練習を積んだからといって、はじめ以上に蹴りが強くなるとか視野が広くなるとか足が速くなるとかそういったことはあまりない。現にはじめから何の強みもなかった私は中学卒業とともにサッカーをやめた。ではなぜ練習なんかが必要なのかといえば、それは「精度」と「チームワーク」を高めるためだ。この二つが必要不可欠であることは、チームスポーツ経験者であれば誰もが認めるところだろう。いくらパワーがあっても「精度」がなければ、いくら突出した個人がいても「チームワーク」がなければ、勝利には結びつかない。

ゆえにスポーツ映画というものは、プレイヤーたちが「精度」と「チームワーク」を獲得していく過程さえ丁寧に描くことができれば、表象がどれだけ誇張的であっても成立する。本作はそのどちらをも満たしていたように思う。「精度」に関して言えば、シンが壁当ての練習をするシーン。壁に描かれた赤い丸をめがけて拙い動作でボールを蹴っていた彼が次第に感覚を掴んでいき、だんだん体とボールの距離が遠ざかっていく。最後には50メートルほども離れた位置から精確に赤い丸めがけてボールを蹴られるまでに成長していた。これによってシンの「蹴る」という能力は「シュートする」という技能に高められた。「チームワーク」に関して言えば、中盤の不良チームとの練習試合を通じて再覚醒するシーン。少林チームは不良チームの非道な暴力の応酬を受ける中で、ふと少林寺拳法の極意に再覚醒する。この再覚醒は同時にチームワークの獲得でもある。なぜならシンたちはみなかつて同じ少林寺で拳法を学んだ元同級生だったから。少林寺拳法への再覚醒はそのまま同級生としての友情への再覚醒をも意味している。彼らが交わしたあの一連のパスはまさに友情の確認作業、ないしチームワークの結実だった。

アクションシーンの切り抜きだけ見ていると本作は荒唐無稽なギャグ映画にしか見えないが、全体を通して見るとスポーツ映画の要件はしっかり満たしている。それゆえ人智を超越した技能を操るプレイヤーたちを、我々は最後まで観戦客のマインドで応援することができる。物語の傍流としてシンとムイの恋愛模様も挿入されるが、まるで孫悟空とチチのような関係というか、シン側に一切の恋愛感情がないのが面白すぎる。一度は去っていったムイが最終的にチームの窮地を救ってくれるというのははじめからわかりきった展開だったが、まさか丸坊主で現れるとは。あとムイが饅頭屋をクビになった理由が「作る饅頭がしょっぱくなったから」で、その「しょっぱくなった」理由が「饅頭に失恋の涙が滴り落ちたから」というのは私が何度生まれ変わっても絶対に思いつけない発想だ。アクション面のみならずこういう日常の細やかな部分にまで細工が凝らされているので見ていて本当に楽しかった。

数々の爆発的アイデアが盤石なスポーツ映画のフォーマットの中にうまくまとまった快作だ。

因果