千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
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分裂した自己の物語
「獅子の子落とし」という言葉がある。生まれた子供を千尋(せんじん)の谷に突き落とし、這い上がってきた子供だけを育てるという俗説が言葉の由来らしい。この映画の主人公・荻野千尋も千尋の谷に突き落とされたような体験をするのだ。 車で引越し先に向かう途中で、両親と千尋は鎮守の森に似た場所に迷い込む。行き止まりの道の傍にはトンネルがあり、3人が通り抜けた先には八百万(やおよろず)の神々が集う湯屋「油屋」を中心にした「不思議な町」が広がっていた。 その町で、千尋の両親はあるきっかけから豚になってしまう。途方に暮れた千尋を助けてくれたのが謎の少年・ハクだった。彼の助言を受け、油屋で働きながら「不思議な町」から両親と共に脱出する機会を窺うのだが…。 映画のタイトルが「千尋の神隠し」ではなく、何故「千と千尋の神隠し」なのか? 少女が苦難を乗り越え、成長していく物語だと言えば簡単なのだが、宮崎駿監督が発信するメッセージはこのタイトルがヒントになっていると思う。 千尋は、油屋の経営者である魔女・湯婆婆に本名を奪われ、「千」という名を与えられる。湯婆婆は本名を奪って相手を支配するのだ。「千」も油屋で働いているうちに、「千尋」という本名を忘れそうになっていく。 似たような状況が現実の世界でも起きているのだ。戦後、産業社会に導入された大量生産技術は日本の経済発展に寄与したのだが、その価値観である「効率化」「スピード」「利益優先」「競争」「合理化」はあらゆる分野に侵食して、人間疎外の原因にもなっているのだ。価値観に適応できない人々が増え、自殺や犯罪、精神疾患の要因になっている。 「千と千尋の神隠し」というタイトルは、「分裂した自己」あるいは「分断された人格」を暗示しているのだ。人間を抑圧する価値観に合わせようとして、本音を隠し建前(ペルソナ)の顔が肥大化した現代人を表わしているのだと思う。 千尋にまとわりつく「カオナシ(仮面男)」というキャラクターも、価値観に適応できない人々を集約した姿なのかもしれない。分析心理学者・ユングが提唱した概念であるペルソナは、古典劇で使われた「仮面」を意味している。 千尋を助ける少年・ハクも、本来の名前を喪失している。別の意味で「カオナシ」なのだ。見失った自己を取り戻すための物語という意味では、「自分探し」がこの映画のテーマなのだろう。千尋が、非日常の旅を通して新たな自分を発見したように、現代は「プチ家出」あるいは「プチ神隠し」が必要な時代なのかもしれない。
現代っ子の成長物語
「もののけ姫」以来、久々の宮崎駿監督の作品です。 僕はスタジオジブリの作品が結構好きで、 今までの作品もほとんど観ているんですけど、 この「千と千尋の神隠し」は、 今までの作品と少し毛色が違う感じがしました。 主人公の「千尋」は、どこにでもいそうな10歳の少女です。 「千尋」が初めて登場する場面。 父親の運転する車の後部座席で、花束を持ったまま 気だるそうに寝ている姿は、ハッキリ言って、 今までの宮崎作品の主人公とは正反対でいい印象はありません。 ところが、「千尋」と両親が異世界に迷い込んで、物語が進むに従って、 「千尋」に対するイメージが次第に変わっていきます。 様々な困難にあいながらも、必死に頑張る「千尋」の姿に いつの間にか引き込まれていって、 最後には、「千尋」が魅力的なキャラクターに見えてきます。 この映画は、「千尋」の成長物語とも取れますけど、 環境破壊の問題や、モラル・躾の問題など、 いろいろな事が盛り込まれていて、 いろんな意味で考えさせられる映画でした。
複雑な気持ちになる作品
最近の宮崎駿監督の作品は、変に説教臭くなって個人的にあまり好きではありません。「もののけ姫」のようにメッセージ性を大きくしすぎて、結局見ている側として、首を縦に振らざるえない作品は苦手です。観客に判断を委ねるというより、大御所宮崎監督の思想を突き付けられているような感じがするからです。 さて、本作ですが、感想は上と同様。「かおなし」なんかはとても面白い発想ですが、作品全体はかわいくしながら威圧的。なにか奥から監督の完全に私的な感情が伝わってくるんですね。かわいくされたって、わたくしには通用しません。
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