「大切な人を救うために、少女は成長していく」千と千尋の神隠し sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
大切な人を救うために、少女は成長していく
異世界に迷い混んだ少女千尋が、両親を助けるため、自分の名前を取り戻すため、そして大切な人を救うために強く成長していく物語。誰にでも分かりやすいストーリーながら、幾通りにも解釈の出来る奥深さがあるのはさすが宮崎駿の描く世界観だと思った。 千尋の両親、とりわけ父親の方はとにかく自信家で、自分の判断に任せておけば間違いないと、千尋が何を言っても耳を貸そうとしないような男だ。引っ越し先へ行く道を間違えてしまい、どう考えても抜け道につながらなさそうな獣道を車で突っ切っていき、彼曰くバブル時代に作られたテーマパークの残骸のような門をくぐり抜け、すがずかと敷地に入っていく。そして店主がいないにも関わらず、後で支払いをすればいいと店に並べられた料理に手を出してしまう。どう考えても非常識な行動だが、後に豚にされてしまう両親は、自分達の都合のいいように地球の資源を食いつくす傲慢な人間の姿を象徴的に描いたものだと思う。 現代っ子を象徴するような、覇気がなくグズグズしている千尋が、突如理不尽な世界に放り出されてしまうのも色々なメッセージ性を感じた。 「油屋」を経営する魔女湯婆婆に大切な名前を奪われ、千と呼ばれることになった千尋。神々の世界に人間が入り込めば、すぐさま排除されてしまうが、そこをハクと名乗る青年が何故か親身になって千を元の世界に戻る手助けをしようとする。 ハクも自分の本当の名前と記憶を失ってしまっているが、どうやら千尋とは何かの縁があるようだ。 最初は頼りなくグズグズしていた千尋が、千としてどんどん油屋で成長していく姿はとても微笑ましかった。彼女は自らの手で未来を切り開こうと動き出した。 腐れ神と決めつけられ皆が寄り付かないオクサレ様を、千は親身になってもてなす。やがてオクサレ様の身体には、人間の手によって捨てられた大量のゴミが埋まっていることが分かる。ゴミを取り除くとオクサレ様は立派な河の神の姿となって、満足そうに飛び立っていく。明らかに自然を汚す人間の行為に対する警告と取れるシーンだった。 自分の一番好きな相手に振り向いてもらえないことで、凶暴化してしまうカオナシ。目先の欲望に目がくらんで本質を見失ってしまう油屋の番頭達。強欲で猜疑心の塊の湯婆婆も、人に対する礼儀と思いやりを知らないばかりに大切なものが見えていない。 神々の姿はまるで人間の醜い部分を表しているようでもあった。 逆に大して事情も聞かずに千尋に親切にする釜爺や、リン、おしら様のように優しくおおらかな心を持った神々も登場する。 自分のことよりも人のことを一番に心配出来る千尋は、元々とても心の優しい人間だったのだろう。自分に敵対する相手に対しても慈悲の心を見せる彼女が、終盤になるとまるで女神のように感じた。 雨が降って一面大海原のようになった湯屋の光景がとても美しかった。 あからさまな戦争のシーンはないが、相容れないもの同士が憎み合い、傷つけ合うのはどこの世界も同じだ。 宮崎駿はずっとそうした相容れないもの同士が、共に暮らす道はないのだろうかと模索し続けている。 人間は自然に助けられて生きているのに、その自然を壊してしまう。かつて人間と神々が共存していた世界があったのかもしれないが、今では別々の空間に隔てられてしまっている。 色々と考えさせられる内容だが、観終わった後は素直な感動がじわーっと拡がるような良い作品だった。