ソウ3 : 映画評論・批評
2006年11月14日更新
2006年11月18日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー
狂気の天才犯罪者にふさわしい異常なフィナーレ
濃密なホラーの気配をまとったスリラーとして異彩を放った第1作。視覚的なショック度の強い猟奇バイオレンスへと転じた第2作。そしてまたまた全米大ヒットを飛ばしたこの第3作は、前作の残虐路線をいっそうハードに追求した仕上がりである。ここではネタバレを避けつつ、皮肉をこめて“見てのお楽しみ”としておくが、残虐描写にはかなり免疫のあるホラー愛好歴30年の筆者がゲンナリするほどの凄まじさであった。
とはいえ、単なるグロ描写の博覧会で終わらないのがこのシリーズ。前作まではジグソウの“死のゲーム”を無理強いされた登場人物が生き延びられるかどうかを描いていたが、今回は少々趣向が異なる。ジグソウとその弟子アマンダによって食肉工場に閉じ込められたのは、最愛の息子をひき逃げ野郎に殺されてしまった悲運の中年男。そんな彼が恨みある目撃者や裁判官らに“死をもって償わせるか、それとも赦しを与えるか”がゲームの焦点となる。このような究極の道徳的難題をはらんだ巧妙な状況設定と、先述した残虐描写が相乗効果を生み、おどろおどろしい怨念たぎるドラマになっているのだ。
そして前作のラストで息絶えたと思わせ、今回もちゃっかり影の主役を務めるジグソウの動向も見逃せない。このシリーズはラスト10分間の情報量が異様に多く、そこで一気呵成に明かされる“意外な真実”が最大の見どころとなる。その点、命懸けのトリックを遂行したジグソウの驚くべき真意には、唖然とするほかはない。この男がいかに常軌を逸した怪人だったか、すべての観客が思い知らされることだろう。まさに狂気の天才犯罪者にふさわしい異常なフィナーレだ。
(高橋諭治)