ソウ : 映画評論・批評
2004年11月1日更新
2004年10月30日よりVIRGIN TOHO CINEMAS六本木ヒルズほかにてロードショー
謎解きの後に外部から内部への転換が待つ
デビッド・フィンチャーの映画では、外的な闘争が内的な葛藤へと変貌していく。「エイリアン3」のヒロインは、体内にエイリアンの幼生を植えつけられ、「セブン」の刑事は、憤怒にからめとられ、「ファイト・クラブ」の不眠症男は、殴り合いの果てに自己と向き合うことを余儀なくされる。「ゲーム」の富豪は、企業が仕組んだゲームで死を体験することによって、トラウマから解放される。
「ソウ」を作ったワンとワネルのコンビもまた、そんなフィンチャー的な世界に分け入ろうとしているように見える。この映画には、パズルのような謎解きがあり、極限状態の男たちのドラマがあるが、最も印象に残るのは、外的なサバイバルから葛藤への移行だろう。
連続殺人犯“ジグソウ”は、標的を様々な死のゲームに引き込み、自ら手を下さずに観察している。過去にそのゲームからただひとり生き延びた娘は、人間性を放棄するような悪夢を体験することによって、麻薬中毒から更生した。ジグソウの犠牲になった放火魔や自殺志願者も、生還していれば異なる人生を歩んでいたことだろう。そして、彼の罠に落ちたふたりの主人公たちも、自己と向き合い、凄まじい選択を強いられることになるのだ。
(大場正明)