レクイエム・フォー・ドリーム : 映画評論・批評
2001年6月15日更新
2001年7月7日よりシネセゾン渋谷ほかにてロードショー
幸福という出口を探し続けるすべての現代人に捧ぐ
アロノフスキーのデビュー作「π」は、主人公が天才型の人間だったため、われわれはその強烈な妄想世界を傍観することが許された。だが、ヒューバート・セルビーJr.の「夢へのレクイエム」を映画化したこの第2作では、そうはいかない。ハリーとマリオンというカップルの物語だけなら、この作品はドラッグ映画の枠を出ることがなかっただろう。しかし、ハリーの母親サラの物語が絡むことによって、中毒や常習性というテーマがより日常的な土俵に引き出されているのだ。
夢を叶えるためにいくつかの手段があるとしたら、彼らはそれぞれに一番の近道を選ぶ。ところが近道というのはそれ自体が心地よい。だから手段が気づかぬうちに目的そのものとなってしまう。アロノフスキーは、高速で反復される映像や分割スクリーンなどを駆使して、手段が目的に変わる過程、常習性や強迫観念を鮮烈に描きだす。こうして心の飢えは肉体の飢えにすりかわり、彼らはそれぞれに肉体という檻のなかでもがき苦しむ。
そんなドラマはわれわれの感覚にダイレクトに訴えかける。手軽な手段が提供する快楽に溺れるうちに、本質的な欲望が見失われ、孤独に陥るのが現代消費社会であるからだ。
(大場正明)