真珠の耳飾りの少女のレビュー・感想・評価
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女優の透明感
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父親が失明し、主人公の少女は働きに出ることになる。
妻子ある画家・フェルメールの家の女中みたいな仕事だった。
その美しさにフェルメールは心を惹かれ、少女を描くようになる。
少女は肉屋の息子と恋仲にあったが、フェルメールにも惹かれていた。
彼女はフェルメールがどうしても描きたいというので、
ピアスの穴をあけ、真珠のピアスをつけている絵を描かせる。
夫の気持ちに気付いた妻はヒステリーを起こし、主人公に出て行けと言う。
結局出て行って突然終了。
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嫁によるとフェルメールは実在の画家で、
真珠の耳飾りの少女って絵はホンマにあるらしい。
だからこれは史実をもとにした映画なのだろう。
でも正直余りよくわからなかった。
味わい深い、映画らしい映画だと思うけど、このテの映画は苦手。
主人公の少女の透き通るような美しさは印象に残った。
余りしゃべらないが、多くのメッセージが伝わる名演技だったように思う。
唇の赤が本物よりも赤い様な気がした。
大塚国際美術館へ、この絵を見に行った。さて、この映画の最後で、この絵の完成した姿を再現するが、唇の赤が本物よりも赤い様な気がした。もっとも、僕が今回見た絵もレプリカなわけだから、比較は出来ない。だから、色々な印刷物を併せて比較しての感想である。また、
ラピスラズリの青を強調するキリスト教的な主題にした方が、神秘的だったような気がする。そして、
他のフリュメールの絵と比べて、この絵は生活感が感じられないと思った。つまり、唇の赤もターバンの青もピアスの輝きも温度が感じられない。だから、少女の心が、この絵から感じられない。
勿論、美しい絵ではあるが、この絵がフリュメールの中で一番の傑作とは僕はどうしても思えなかった。
だから、日本にやって来た時も鑑賞しには行かなかった。
それから、数年後の今日(2023年10月4日)見に行かなかった事をくやみ、大塚国際美術館にレプリカを見に来た。でも、残念ながら、僕の気持ちは変わらなかった。
心まで描くの(名言)
実話じゃないことに驚き
あの絵画1枚からこんだけの物語を構築できるなんて
さらに驚いたのが絵画よりスカーレットヨハンソンの方が美しく見えたこと
絵より美しいって強すぎ〜〜
当時まだ19歳って信じられへん…
将来有望すぎるやん…
スカーレットヨハンソンが盗人にしたてあげられそうになった時、助けてとか弱く言われ、激しく犯人探しをするコリンファースに萌
全体的にセリフは少なく、
表情や行動、間などで表現されているので小説のような映画って感じ
一人でしっとり見る映画っすな
とても繊細で芸術的な映画
とても繊細で芸術的な映画です。
セリフが少ないため観客はかなり注意深く観ていないとこの映画の面白さについていけないかもしれません。
スカーレット・ヨハンソンとコリン・ファースの表情で語る感情表現の演技は素晴らしかったです。
そして一番の見どころはフェルメールも惚れ込んだ主人公のグリートの天才的な芸術センスが垣間見えるところ。色彩を考えた切った野菜の並べ方の配置や、窓拭きの際に光量の変化を気にしたこと、雲の色の表現、フェルメールの絵の構図が気になり掃除の時にアトリエの椅子の位置を変えたところなど至るところに表現されているところが面白かったです。
心まで描くの…
本作のモチーフとなったフェルメールのかの名画については、それなりの予備知識はあったものの、ここまで人の心をミステリアスに暴く映画に仕上げたピーター・ウェーバー監督の腕前がもう只者でない。これが初監督作品だというからなお驚きだ。
絵画のように完璧に構築された構図といい、スカーレット・ヨハンソンの抑制の効いた、ニュアンスで表現する演技の演出といい、キリアン・マーフィーの全くストーリーに絡まない粗末な扱い方といい(笑)、破格の力量をあますところなく表したデビュー作である。
その後、『ハンニバル・ライジング』くらいしか話題となった作品がないが、やはり作中のフェルメール同様に完璧主義なのだろうか。寡作なのが気になるところである。
グリートが初めて制作途中の絵を見せられて、ひどく動揺しながら「心まで描くの」と絶句するシーンは、芸術を生きるよすがとして選択した者の業の深さを感じさせて身震いさせられた。
その絵を一目見た瞬間に、夫の真意を知って「汚らわしい」と吐き捨てる奥方の気持ちがよく分かる。自分がモデルとして選ばれようのない主題であることが一目瞭然だからだ。
真実は必ずしも人を幸せにするとは限らないというのは、こういうことなのだろう。
Not inside me. マスターピース誕生秘話
1人で勝手に「スカヨハ強化月間」の第三回は「真珠の耳飾りの少女」です。言わずと知れたフェルメールのマスターピースの制作秘話。フェルメールの作品は何点か観たことあるのですが、最近上野であった「フェルメール展」に行きそびれたので、代わりに本作を観賞しました。
その43年の生涯でたった36点程しか作品を残してないフェルメールの多分一番有名な「真珠の耳飾りの少女」が制作されるまでを綴った映画です。フェルメールの作品って言うなれば派手さは無くてもとても引き込まれるんですよね。で、本作も全体的に物静かな作品なのですが、17世紀当時の雰囲気が良く出ていて引き込まれる物がありました。
確かに「真珠の耳飾りの少女」ってフェルメールの中ではちょっと異色なんですよね。で、その作品に秘められたストーリーを想像力豊かに描いています。このストーリーだったら異色になっているのも納得というか、そんな感じの落とし所です。作品にカメラ・オブスクラを使ってる所とか知ってる人にはニヤニヤポイントですね。
当時20前後のスカヨハの透き通るような白い肌が美しいですね。手がスゴく荒れてたのが使用人というポジションをリアルに現してました。コリン・フェースが若くってビックリ!そりゃ15年も前なら若いか。スカヨハと良い感じになる肉屋の青年がキリアン・マーフィー!こんな所にも出ていたんですね。
ストーリー的に仕方ないにせよスカヨハはずっと少し困った表情でした。それでも絵のモデルになった時のハッとするような美しさ。将来的に実物を観れる機会があるかどうかは分かりませんが、きっと「真珠の耳飾りの少女」を観ればスカヨハを思い出す事間違いないですね。
映像、音、キャストの演技が絶妙な美しさを醸し出す
これほど官能的で美しいと思える作品は初めてでして、感動の一言。
なんともエロティックな、手が触れるシーンがお気に入りです。
妻役の女優のラストの演技も圧巻。
これは素晴らしい。
芸術を生むにはお金がかかる。
生来の“才能”を人生で活かせないというのは何とも悲しいことだ。本作のヒロイン、グリートの才能は芸術的審美眼。
画家とモデルを題材にした映画は多数作られている。そのほとんどが性的な関係を含んだ愛憎物語になることが多い。しかし本作のフェルメールとグリートの“愛”は男女の愛情よりも芸術家としての愛情が勝っている点が興味深い。もちろんその奥底には男女の秘められた愛情があったことは確かだが。
17世紀のオランダの画家フェルメールはその人気の割に現存する絵画が少ないため希少性が高く、日本での展覧会など毎回長蛇の列が続く。その中でも特に人気が高いのが本作のタイトルにもなっている『真珠の耳飾りの少女』だ。かねがねこの作品が他のフェルメール作品の中で異彩を放っているのを不思議に思っていたのだが、本作を観てその謎が解けた(もちろん本作はフィクションであるが・・・)。フェルメール作品は主に室内で起こっている情景を引きでとらえたものが多く、窓から入る光を有効に使い、人物とその周りの小道具や背景(壁)を微細に描いているのが特徴だ。しかし『真珠の耳飾りの少女』は、黒バックの中の少女のクローズアップという大胆さだ。何故フェルメールはこの作品を特別にこのような構図で描いたのか?本作を観れば彼がモデルに特別の想いを抱き、さらに本作が「未完」だったことが解る(それゆえの黒バックと解釈)。だが未完に終わったからこそ、世界中を魅了する作品になったことも確かだろう。
さて、映画は17世紀のデルフトを舞台にしているというよりも、フェルメールの絵画そのものが舞台と言って良い。フェルメールの特徴である淡い自然光によって生じる陰影をそのまま再現した映像と、計算しつくされた絵画の構図そのものの画面構成。ショットが切り替わるたびにフェルメール絵画そのままが目の前に広がり、思わず感嘆の声が漏れる。奥行きの豊かさ(小津作品に通じるものがある)、そこに配置されるのは17世紀の人物そのもの。本物のフェルメール絵画を観ているような映像が本当に素晴らしい。
その美しい映像をさらに美しくしているのは、グリートを演じるヨハンソンの清楚な美しさだ。知的で奥ゆかしく純真。画家なら彼女を描きたいと思うのも当然だろう。しかし彼女は美しいだけでなく、光や雲や空の「色」を感じとるセンスを持っている。色彩だけでなく画家が描こうと思う人物の内面までも見て取れる審美眼を持っているのだ。フェルメールが彼女に惹かれたのは、本物の芸術家同士にしか理解できない「魂の呼応」による。もしこれが現代ならば、グリートは女流画家として成功するか、あるいは本物の絵画の価値を見抜ける者として、才能ある画家のパトロンになれただろう。しかし、裕福な者でしか芸術に接することの出来ないこの時代、単なる下働きの女中では、スケベおやじに慰み者の対象として見られるか、画家の妻の嫉妬の標的にされるだけだ。この時代の絵の具は原料に宝石などの鉱物を使うため大変高価だったと美術番組で観たことがある。特に「フェルメール・ブルー」と呼ばれる彼が好んで使ったアクアマリンは純金と同程度の価値だったとか。だからこそフェルメールは裕福な妻や義母やパトロンの言いなりになるしかなかったのである。画家にとって作品は金には変えられない「命」であるはずが、金がなければその「命」を守れないというジレンマ。妻の嫉妬によって追い出されるグリートを黙って見送る彼の心中は察するに余りある。
できればグリートはその後、肉屋の息子と結婚して、裕福ではないが身分に見合った幸福な家庭を築ければ良いと思う。そしてたまには日々の雑用の合間に空を見上げて、刻々と変化する雲の「色」を楽しんでくれれば良いと思う。
ごらん、雲を。何色だ?
映画「真珠の耳飾りの少女」(ピーター・ウェーバー監督)から。
画家・フェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」に秘められた
至高の愛の物語であるが、私のメモは、
フェルメールの家にメイドとしてやって来た少女の
色彩的才能を見抜いた時の会話が気になった。
「ごらん、雲を。何色だ?」り問いに、
彼女は最初「白・・いや白じゃない。
黄色・ブルー・灰色・・色が混ざっています」と答える。
そのシーンがとても印象的だった。
彼女は、フェルメールに「アトリエの窓は拭いても?」と訊ねる。
その後「光が変わりますが」と付け加えて。
その時彼は「おやっ?」と感じたに違いない。
他人の才能を見極めるのは難しいが、
自分なりの判断基準を決めておくのも悪くない。
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