パッション(2004) : 映画評論・批評
2004年5月1日更新
2004年5月1日よりテアトルタイムズスクエアほかにてロードショー
そのとき、キリストの血は人間世界の反映となる
やられっぱなしのキリスト。いきなり捕まるところからスタートし、後はひたすら殴られる蹴られる鞭打たれる釘打たれるという責め苦の連続。容赦はない。それをただ黙々と耐えるばかりのキリスト。人間的な感情から限りなく遠く、まるで石ころのように打たれ続ける。その弱さゆえの強靭さに、ただ呆れるばかり。
およそ理解不能な何者かとして、キリストはそこにいる。だからこそキリストはとらえられ鞭打たれる。その過酷な虐待を次々に見せることで、あなたはキリストについて何をどのように知っているのかと、この映画は問いかける。そしてこの傷と痛みこそがキリストである、これがキリストである、これが我々の罪であると、説明抜きに、結果だけを投げつけてくるのである。
そのとき、キリストの身体に刻み付けられた傷と流れ出る血は、彼の視界に広がる人間世界の惨状の反映となる。その傷と血において、我々は等しく罪を負っている。それが人間世界であると、耐え続けるキリストの身体が語る。今も世界中で流される人々の血と同じ血が、そこでは流れている。その意味でこの映画は現代の物語でもある。今回は監督のみに専念したメル・ギブソンはそんな血塗られた世界を救う別の道を、見つめているように思う。
(樋口泰人)