誰も知らないのレビュー・感想・評価
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子どもたちのパラダイスと過酷な現実
世間的には悲惨な事件として認識された巣鴨の子ども置き去り事件。実際にそれは悲惨なものであるのだが、そのレッテルが覆い隠したものにこそ是枝監督は焦点を当てる。
子どもを置き去りにする母親の無責任さを断罪すべきという声が、欧米の観客からもあったという。子どもの人権を考えれば断罪すべきかもしれないが、監督にとって映画は誰かを裁くためのものではない。ここで描かれるのは、子どもたちの幸せだった時間。人間の生活は新聞記事ほどシンプルに切り取れるものではない。残酷な事件だが、されだけで彼らの人生は残酷なものばかりだったわけでもない。
断罪にこだわれば別の真実を見落とすだろう。努めて観察的な監督の視点は社会を見つめる上で重要だ。怒りも忘れてはならないのだが、多面的な視点はもっと重要だ。それが残酷な現実であればなおさらそうだろう。是枝監督の視線のあり方は本当に誠実で貴重なものだと思う。
育児放棄のターニングポイントは、息子が笑った瞬間だった。
私は育児放棄の家庭ではなかったので、
主人公や兄弟達の内面的なところは、遠く理解が及ばないのだろうけれど、
親ガチャに失敗した、毒親を持つ息子、という共通点はあったので、
鑑賞中は開始1分直後から昔の事を思い出し、
塞がったはずの心のかさぶたを、強引に引っ剥がされた心地になり、
痛くて痛くてどうにもならなくなった。
冒頭からラストまで2時間強の間、強目の胸糞具合を味わうヘビーな内容だった。
印象深かったのは、母親が泥酔して深夜に帰宅し、寝ている子らを起こすシーン。
私の場合、それは母ではなく父だったが、深酒して叩き起こされ、
愚痴なのか説教なのか教訓めいたものかわからないが、延々と聞かされる苦行。
端的に言えば、親の吐き出したいエゴを、逃げ場無く押しつけられている、あの空虚な時間帯。
理屈としては、翌日シラフの時に伝えたい事を伝える方が効率的なのだが、
酒の力を借りてしか親は吐き出せないので、
親からすれば、そのタイミングでないと意味がないわけだ。
子の為に起こして語る行為というのはハリボテの建前、
実際は親自身が酔いしれている自分の為に、子の睡眠時間を搾取してるに過ぎない。
次に印象深いのは、母と息子でファストフードにいて、息子が意を決し、
「学校に行かせてくれ」と母に願い出たのに、母親がゴネて屁理屈並べ、
言い訳で誤魔化すシーン。
学校に行かなくても偉くなった人はいる、と母は強弁するのだが、
田中角栄とアントニオ猪木の名前を出すと、
息子は、角栄の名前が出た時はムスッとしたままだったが、
猪木の名前を出した途端、不意をつかれたのか、笑ってしまうのだ。
教育を受けさせる義務を、親として果たさない、毒親である母親に対し、
息子として毅然と怒りを表明してるにも関わらず、
自然の流れで瞬間的に許してしまうシーン。
これも毒親あるあるで、共感しかないエピソードだ。
そもそも、親が子を叱りつけるのは当たり前だが、
子が親を叱りつけたり、たしなめたりする事は、異常な出来事、
つまり「おかしな構図の現象」なのだ。
ただでさえ、異常でおかしな構図の現象中に、ボケの文脈で猪木の名前が飛び出すと、どうなるか。
笑ってしまうのだ。
冗談めいて軽口を言い合う「本来」の「正常」な構図の、
親子の会話に戻って、ふと我に帰る。
その瞬間が「猪木」というワードが出た時であり、
正常に戻って気が緩み、笑って許してしまう。
だって親子なんだから。
これは、上司と部下の関係でも同様だ。
上司が部下を叱るのは正常であり、部下が上司を叱るのは異常である。
異常な逆転構図の中で、気が緩む何かが発生すると、正常に戻る。
戻った途端、さっきまで異常だった事がおかしな事だと気づき、笑う。
笑うことは許したも同然になる。
だって本来の上下関係なんだから。
異常状態=緊張
異常→正常=緩和
「緊張と緩和」という、お笑いの王道テクニック。
笑ってしまうと、怒っている前提が崩れる。
つまり、許さないという前提が崩れたら、それは、許すことと同義なのだ。
例え話。伊集院光がアンタッチャブルのザキヤマに、
伊集院の自宅にて、ザキヤマの遅刻の多さにガチギレした事があった。
この人でなし!家から出てけ!と伊集院がキレたのだ。
ザキヤマはしょんぼり、伊集院宅を去った。
数十分後、クリスマス時期だったのか、
トナカイの格好に変装し、ザキヤマが再度伊集院宅に現れた。
それを見た伊集院は「ふざけてんのかお前」と更に激怒したが、
ザキヤマは「人でなしなんで、人間辞めて、トナカイになりました」と答えた。
伊集院は笑ってしまった。
すると伊集院の妻が出てきて、
「あなた、もう笑ったんだから、ザキヤマを許してやんなさい。今許さないと、あなたがダサくて人でなしよ。」
伊集院とザキヤマは、和解した。
息子柳楽優弥は、母親YOUの冗談めいた返しに、笑ってしまった。
切実な訴えとして、教育を受ける権利を主張したのに、その瞬間、許してしまったのだ。
そして、「怒る→許す」を繰り返しても、毒親というのは絶対に変わらない。
許されたので、自分の愚行を自省改善する必要がなくなったのだ。
ダメな親を持つと、ある年齢以上の子供は、自分がしっかりしないとと、
やけに大人びたりするものだが、
大人びた子供を見た毒親は、それに甘えてもっと酷くなるものだ。
ゆえに、育児放棄は改善されない。
私と父も、同じ関係だった。
酒乱の父を何度も何十回も、その都度「許してしまった」。
親子の良いところでもあり、悪いところでもある。
その結果、私が大人になったら、父親を許す事を諦めた。
絶縁したのだ。
育児放棄の問題を2004年当時切り込んだこの作品は、紛れもなく社会派映画であり、
2025年現在は、もっと深刻な状況に晒されている。
貧困家庭が増えたからだ。
そして、親側の倫理観の欠如が、もっと広がっているに違いない。
子供がおかしくなるのは、いつだって、大人のせい。
あの瞬間、母親を許してしまったから、母親は帰って来なかった。
物語のターニングポイントだった。それ以降、4人の子らは迷走してしまう。
頼るべき大人を見失ってしまい、最悪の事態にまで進んでしまう。
息子の、兄弟離れ離れになるのを最優先に避けたい心情も、わからなくもないが、
小学生じゃ無理な判断だわな。
とにかくこの母親役のYOUは、心底憎たらしい。
00年代の映画で、5本の指に入るラスボスの1人だ。
良かった演者
柳楽優弥
YOU
ストーリーに起伏がない
近所の人や警察など、誰にでも助けを求める事は可能だったはずなのに、母が戻って来るのを信じてひたすら耐えていたのかと思うと辛いです。
実際の事件をモデルにしていますが、実際は白骨遺体や、殺害された子もいるので、こんなにほのぼのとした状況ではなかったと思います。
ストーリーに起伏がなく、淡々と子供達の日常が無邪気な様子に描かれて、妹が死んだ後ものんびりした空気が流れてゴンチチの長閑な曲でそのまま終わってしまいます。
この様な事件は繰り返されてはいけないし、お金さえあれば生きていけるような雰囲気はどうなのかと、もう少し重く描いても良かった様に感じました。
柳楽優弥さんの眼力は良かったです。
生きているのは人間だけですか?
柳楽優弥のデビュー作なので、いつか観たいと思っていた作品
彼はそういう気にさせるほどの役者ですからね
キャッチコピーは
生きているのは、大人だけですか。
是枝監督の独特の思考なんだろうけど
すいません、よくわからない
だれも、大人子供と区別しても意味ないしね
母親に向かって言ってるにしても、なんか変ですね
まあ、なんか琴線に触れたんでしょう
社会構造も思考の違う外国人はどう感じたんだろう
是枝監督は”万引き家族”もそうですけど、社会の歪みのせいで、こぼれる人達に心を痛める人なんでしょう
でも社会が成熟して法的な整備も整っている日本だから、歪みに見えるけど、そうでない国にとっては当たり前にある事だったりする
例えば、万引き家族
人が死んだら、庭に埋める
DV受けてる子供を無断で連れて来る
今回の育児放棄だってそうですが、江戸時代だったら普通にあったでしょう
罪にもならない
今の日本なら、法に反する行為です
でも、どうしたって漏れはでる
でないようにしなくちゃいけないけどね
それだけです
妹に起こった事
これを見た時、不謹慎だけど今のペットブームの事を思いました
死を迎えようとしている命の延命処置の是非は、ここでは置いておきます
人はこの作品のような不幸がおこらなければ、適切な処置が受けられたでしょうし、行政は彼らを受け入れる法整備は出来ています
今回は不運が重なってしまっただけ
でも、ペット達は、ほぼ自然死です
人命の場合は、健康保険があるので病院に行けますが、ペットの場合は、突然、モルモン教やエホバに入信したかのように自然死が当然のような状態です
健康保険が無いので、高額な医療費がかかるからです
うちでは耐えきれずに、病院のお世話になりました
結果、貯金を取り崩すくらいの費用がかかりました
ペット保険の加入はまだまだ少ないし
多頭飼いなら、なおさらです
可愛そうで見てられなくて飼うことになった方には酷な事ですが、このあたりを考えれば、簡単にペットは飼えないと思うんですよ
今の現状は、保護した動物に対し、私たちは”君たちを保護しました
生きている間は、できるだけ幸せでいてあげられるよう努力します
病気になっても、延命はできません”
という割り切りがなければ、今飼っているペットのほとんどは路頭に迷うことになります
これも、これからの課題です
生きているのは人間だけですか?
なんてね
見続けるのがなかなかしんどい映画ではありますが
20年前の高評価映画「誰も知らない」を観た感想
日本に来てまだ2年ちょっとだけど、日本人に一言でラベルをつけるなら、「体面」かなと思う。たとえ服がちょっとだらしなくても、基本的な礼儀はしっかり守るし、生活が厳しくても、心の平和を保って、周りに怒りをぶつけたりしない。日本人がお互いのプライバシーを尊重する人間関係は、中国人から見るとたまに冷たく感じることもあるけど。論理的におかしいこととか、常識外れなことがない限り、日本人を怒らせるのは難しい気がする。これが、「嘘ばかりの国」から来た僕が日本を好きな理由の一つかな。
もう一つのラベルを付けるとすれば、「静か」かな。映画の中の子供たちを見て、すごいなと思う。何も持っていないのに、不満を言ったり、恨んだりしないんだ。食べ物も飲み物もない環境の中で、静かに成長していく。シンプルなおもちゃで喜ぶし、タンポポを追いかけて大笑いする。友達も作りやすくて、嫌いなことでも友達のためにする。友達を失っても、自分から関係を修復しようとする。何も持ってないけど、実はすごく大切なものを持っている。大人になった私たちにはもうないものを持っているからだ。あの純粋さや義理、勇気、いつから失ってしまったんだろうね?誰も知らないけど。
氷山の一角
アマプラで鑑賞。
柳楽優弥君の功績(カンヌ最年少男優賞)は、当時話題になったので知ってはいたが未見だった。
目力が強く自然な演技だった。
衝撃作である。
この作品が2004年公開だが、虐待のニュースが未だ絶える事がない。
昔からこういう母親はいたわけで、悔しい思いがする。本当に、どんな事情があるにせよ、育てられないなら子供産むなと言いたい。たまに帰ってきた時だけかわいがり、お土産でごまかす。子供達はペットのようだった。
上の2人は大体わかっていて、ほしいのはそんな物じゃないというのが伝わってくる。
そして周りの少しでも関わりのある大人が、どうにかできなかったか。
誰かが通報するまでの日々を描いてると思うが、スーツケースに幼い妹…大変ショックで悲しい話だ。
何も言えない
2004年の作品だが、「普遍的概念」に満ちている。
当時は賞を取ったことで有名になった作品だが、今回初めて見た。
物語は実際の事件をモチーフにしているが、製作者はその根底に感じたものを我々に提示している。
冒頭 アキラが大きなキャリーケースを持ってモノレールに乗っているシーンがある。
これは最後のシーンとなっているが、アキラの衣服のほころびと、キャリーケースを撫でるシーンが彼らの結末を表現しているものと気づいた。
そしてタイトルが現れるが、その右半分の余白は大きく空けられている。
この後この手法を取り入れた作品が登場しているが、つまりこの作品そのものが視聴者へ向けられたメッセージとなっていることが伺える。
私が見終えた後に感じたその余白は、
誰も知らない「誰も知ろうとはしないから」だった。
さて、
この物語に見られる「変化」
母親の存在と仲睦まじい兄弟たち。
それなりの訳アリだとわかるものの、彼らに暗さはない。
それが次第に変化していくのがこの作品の見どころだろう。
長男のアキラの明晰さにかこつけて、母親はすべてを彼に任せてしまっている。
これが母親のだらしなさの元凶になっているのだろうか?
アキラを見て、母親は「もう彼らだけで生きていける」と判断したのだろうか?
また、
大家はあの状況から無理に家賃を取り立てないことにしたと思われるが、それは、やさしさだったのだろうか?
毎日毎日公園で水を汲み、トイレをそこでして、洗濯もする。
誰もが使っている公園での彼らの日常に気づかないはずはない。
実際に事件ということが明確化されなければ、当時の東京は、かなり他人に無関心な場所だったのかもしれない。
この現状が、製作者の心を動かしたのだろうか?
「お葬式ごっこ」という当時流行った新しいじめ。
そのターゲットにされたサキ
近所に住んでいた彼女と、この家族らの距離が次第に縮まっていく伏線の貼り方はよかった。
そしてアキラはとても気丈だ。
彼が憧れた「普通の生活」
普通に学校に行って、普通に友達と遊びたい。
それでも彼には善悪の区別がはっきりと付き、だからそそのかされても万引きには手を出さなかった。
だから、サキが「大丈夫、一緒にカラオケしただけ」というお金をもらおうとはしなかった。
アキラには何が人をダメにするのかよくわかっていたのだろう。
ここが事件と一線を画す場所であり、人間としての誇りを失わない砦になるのだろう。
おそらく監督は、誰にも助けられなくても、人間としての誇りだけは失うなと言いたかったのだと思う。
ここに仕掛けたフィクションこそが、実際の事件のもう一つあったであろう道を描いている。
しかし、
物語の現実も残酷さを突き付ける。
アキラはユキの具合の悪さからドラッグストアに行き、ついに万引きをした。
サキにもお金の相談をした。
アキラには万引きに至るまでの決心があり、その決行は正しかった。
頼みの綱である母に電話をかけたが、手持ちのお金が無くなってしまう。
ダメな母親もアキラに連絡手段を残しているのは、この作品における監督の趣旨が、「誰が悪いのか」というところにないからだろう。
彼の判断基準と葛藤がいくつものシーンで描かれている。
今ある彼の知識と今までの判断
そばが食べたいという弟が遊びに行ってしまったこと。
公園でトイレに行かなかったユキがトイレに行きたいと言ったこと。
家計のやりくり
妹たちの鬱憤 そして眼
もうこれ以上支えられなくなってしまったアキラの判断 万引き
誰にも責めることはできない彼の万引きで、
彼は、自分の中の誇りを失ってしまったのだろうか?
さて、
冒頭のシーンが最後のシーンに繋がっている。
キャリーケース アキラとサキ
ユキが大事に食べていたアポロチョコを大量に買ってケースの中に入れたのだろう。
何も知らない「何も知ろうとしない」コンビニ店主の能天気な言葉
あれは城南島あたりだろうか?
穴を掘って墓標を立てる二人
大都会東京で精一杯生きている子供たち
一晩かけてユキを弔う。
「何かすごく… 何かすごく…」
自分の気持ちを言葉にできないアキラ。
泥だらけになった服で早朝の電車に乗る二人。
流れる歌の歌詞「誰も寄せ付けられない異臭を放った宝石」
そして
やっぱりそれでも同じ生活が続く。
空を飛ぶ飛行機
アキラはそれでも上を向いて生きていく。
さてさて、、
酔った母が、「昔アキラがひとりでモノレールに乗って、羽田空港で働いている父に会いに行ったことがある」という話があり、アキラは「覚えてない」という。
アキラは二人の父に会いに行ってお金をもらう。
アキラは何故本当の父親を訪ねなかったのだろう?
アキラがモノレールに乗って父に会いに行ったのは、おそらく母がお金をもらって来いと言ったからだと思われる。
だから二人の父に、そうしたのだろう。
アキラは、羽田空港で働く実の父の姿に感銘を受けたのではないだろうか?
シゲルもユキも憧れる飛行機
この飛行機が飛んでいるシーンがいくつか登場するのは、子供たちに向け「はばたけ」と言っているのではないだろうか?
その言葉そのものがアキラを突き動かす原動力となっていると思った。
「決してくじけない」
その姿を見たアキラは、いつか父の様な男になりたいと強く思ったのではないだろうか?
だから、絶対父にだけはお金をせびるような姿は見せられないのだ。
やがて、
ユキが死に絶え、ユキも憧れていた羽田に埋葬する。
飛び交う飛行機の轟音は、この世界に対する嘆きだろう。
父と同じ羽田の地にいて、この違い。
これがアキラの口から漏れ出た「何かすごく… 何かすごく…」という言葉に込められている。
「普遍的概念」とは、時代が変わってもなお解決されない弱者と貧困に対するもので、これを普遍的とするならば、政治など不要で、これが人類つまりホモ=サピエンスであるならば、本当は人類を表現する言葉は「ホモ=インサピエンス」と呼ぶべきだろう。
私は、この作品を見て何も言えないが、この現実に対してできる精一杯を心がけたい。
普通であれる幸せのありがたさを感じた。
誰にも知られない命
当時、すごく話題になったのに何だか怖くて観ることができなかった作品。
世の中に“無戸籍の子どもたち”がたくさんいることを知らしめるキッカケともなった。
無戸籍の子どもはやがて大人になり、戸籍がないが故に様々な社会の仕組みから取り残され、もしかしたらまたこのような家族を生み出すのかもしれない。
モデルとなった巣鴨の子ども置き去り事件の母親は、どんな生育環境でこのような無責任な大人になったのか。そしてまた父親たち男性も同じく、女性性に快楽の後始末をさせ、素知らぬ顔で生きていくこと。
誰にも知られず、気にも留められず、周りにたくさん大人はいたのに、手を差し伸べる人、本気でこの異常さに向き合う人のいなかった不幸。
にも関わらず、悲惨さを感じない淡々とした、優しい光と静かな作風が、逆にものすごく恐ろしい。
段々と薄汚れていく姿、明らかに栄養の足りない粗末な食事、不衛生な部屋、全てが悲しくて、大人の1人として私には何ができるのか、しかと考えよと言われているような気持ちになりました。
徐々に状況が悪化していく日常生活の描写がリアル
自身の記憶になる作品
無知と無関心
実話をもとにした作品との事。実際の凄惨さよりは淡々と描かれていたのか、本人達は生まれた時からその生活が当たり前で違和感を感じていないがゆえに淡々と見えてしまうのか。
子供達の自然な演技が素晴らしい作品。でも、もう観たくない。辛い。関わりのある大人は居たのに、誰もが責任を逃れ、見て見ぬふりをして。でも、自分だったら…とも思えない。社会と個の断絶は映画が作られた当時より進んでいる。せめて、家族を大切にしよう。手の届く範囲には手をのばそう。
とても辛い。
苦しかった
静かに淡々とした日常の恐ろしさ
この映画の恐ろしさは、色々な出来事が全て一定のトーンで描かれていることかもしれない。
母親は子供を可愛がっているようなのに、恋人と出掛けて帰ってこない。この母、明るくて全然罪悪感ないのが不思議なのだ。この役をYOUが好演している。
長男はそんな母の代わりに3人の兄弟の面倒みてる。お金がなくなると,元の父親にもらいに行ったりコンビニに廃棄食料もらいに行ったり。
悲惨な貧乏暮らしなのに、それが普通のように淡々と描かれてる。そして、事故で末っ子が死んでしまうのもその子を埋めに行くのも日常のようにすぎていくのだ。
なぜ,周りが誰も気が付かないのか。子供が4人もいるのがバレないわけない。誰も知らないというタイトルはみんなが知らないふりってことか。
最後の子供達の後ろ姿、誰か気づいて助けてあげてほしいと思う。
やっと観た。
評価が高いのは知っていたので、以前から観ようと思っていたけど今回やっと視聴。ストーリーと実話に基づくという事も知らなくて、衝撃を受けた。
子供の頃の柳楽くんの演技、初めて観た。コレは賞も受賞するな。心に訴えかけてくるものがすごかった。
観ている間中、ずっと胸が痛かった。
健気で素直で、明るい子供達。親は子供を選べないかもしれないけど、子供も親を選んで産まれられない。ダメな親でも親。母親の帰りを今か今かと心待ちにしている。自分を犠牲にしている母親を、家に監禁された状態で。なのに、母親は全く顧みず一向に帰ってこない。
そんな中でも、子供達なりに仲良く生きていて、お兄ちゃんの責任感と子供の純真無垢な輝きに胸が打たれた。
育てる責任を全う出来ない親は、子供を産まないで欲しいと切に願う。
タイトルなし(ネタバレ)
すごい作品。実際の事件がベースだということと、ドキュメンタリーっぽい演出で、そこにある現実が痛々しい。ドラッグストアでの万引きからアポロ、羽田への旅は泣いた。
隠れて暮らすメリットとデメリット
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