マルコヴィッチの穴 : 映画評論・批評
2000年9月15日更新
2000年9月23日より渋谷東急ほか全国松竹・東急系にてロードショー
予測不能。先が読めない不思議世界
「サウンド・オブ・ミュージック」以来ではないか! この感動……ではなく、操り人形がフィーチャーされた映画は。それもいやらしく悶えてみせる人形を見せたのは、初めてではないか? 冒頭で売れない人形使い(ジョン・キューザック)が操ってみせる人形の悶えを見た瞬間、傑作を確信した。まだマルコビッチのマの字の気配もないにもかかわらず、映画は傑作をはやばやと予感させたのである。監督の心地よい悪意が感じとれ、しかもこの悪意には品があった。
さて、「マルコヴィッチの穴」という邦題だが、これは品がない。たちどころに観客はだれもが見たくもない、食物流通の最終域周辺に思いいたったのではないか? なにしろ変態(顔)のマルコビッチだからね。
透明人間と同じく、だれかの脳に入りその人間をかりてナニしたい、というのも共通の夢なわけだ。
なぜ、ジョン・マルコビッチか? 絶妙のキャスティングというしかないが、今ならフィリップ・シーモア・ホフマンもありだな。くくく。
(滝本誠)