2004年の作品
ガラケー時代の「認識」を普遍的視点から描き出している。
タイトルを直訳すると「翻訳の中で失われた」ということになるだろうか。
それはそのまま直球として物語に登場する。
1970代に人気の絶頂を迎えた俳優ボブ
日本でCMの撮影をするためにしばらく滞在
カメラマンがボブに要求したことを、翻訳家は体裁上やわらかい言葉で翻訳するが、ダイレクトなニュアンスがズレることで、ボブにはカメラマンが求めていることがわからない。
言葉の壁
これは多くの英語圏の人々が感じることで、その不自由さに我慢できない人は未だに少なからずいる。
そしてこの作品は、この「言葉の壁」をタイトルとしてダイレクトに表現しておきながら、登場人物たちの「心の壁」を描き出している。
心とか感情というものは非常に生々しい部分があって、それをある言葉に訳した際には、そのダイレクトに感じた生々さが消え、その言葉の持つ直接的な意味に変換されてしまう。
そうなってしまうと、言葉そのものの意味が感情を伝えてしまい、その感情はすでに感じたそれとは置き換えられてしまっていることになる。
人々は英語であれ日本語であれ、日々親しい人々に対しても同じような接し方をしながら、いつしか「本心」が違ったものに置き換えられてしまい、何かが違うとモヤモヤするのだろう。
ボブは、まず言葉の壁があり、指示された意味がよくわからないこと、文化の違いなどに辟易している。
マネージャーに早く帰りたいと伝えても、200万ドルももらっているんだから我慢しろと言われ、追加の仕事まで入れられる。
ボブが変わったのは、同じホテルに滞在していたシャーロットと出会えたからだろう。
シャーロットは夫の仕事に同伴して東京にやってきたが、日中は一人行動になり、やはり言葉の壁、文化の違いに疲れてしまう。
そして旅行者にありがちな、ホテルとごく近場の観光を行ったり来たりする。
大学を卒業してまだ日の浅いシャーロットにとって、見知らぬ場所での一人歩きは孤独を感じるのだろう。
どこに出掛けても面白いものは無く、一人でホテルの部屋で過ごす時間の方が長くなる。
物語はこの二人の出会い
ボブは過去の成功と妻への愛情が最長地点として過ぎ、子供が生まれれば妻は子供の方に常に気を取られ、次第に一人の時間が長くなってしまったボブにとって、知らない場所、言葉の壁などが苦痛になっていた。
しかし自分のチームもなるので仕事を放り出すことはできない。
ボブは次第に理想から離れてしまった現在の生活スタイルに苦痛を感じていた。
ボブとシャーロットの言葉にできない孤独感は、お互いの中に似たようなものがあるのを感じたのだろう。
言葉にできない感情 そしてその共有と共感がこの作品のテーマだろうか?
心を通わせるためには言葉は必要だが、そもそも置き換えられた言葉には表面上の意味しかないが、話し方や表現方法によってその心は伝わるのだろう。
まったく楽しめなかった日本
ボブはシャーロットに誘われたことで、日本の若者と交流した。
パーティと喧嘩 カラオケなどを通して、初めて日本でプライベートを楽しむことができた。
鬱陶しく思っていた妻からの電話だったが、自分からかけることもした。
シャーロットも外出を楽しむことができ、わざわざ京都まで足を運んでみた。
そして、
自分自身の気持ちに変化が現れた時、興味のなかった日本文化に興味を覚えた。
最後に二人で出かけたしゃぶしゃぶ店
言葉の壁 注文方法 そして食べ方に至るまで「最低のランチだった」と言った。
おそらくこれは裏返しで、言葉がわからない世界の中にいながらも、お互いの心に触れあうことができたこと そのこと自体を体験できたことで、お互い表面上面倒くさいと思っていた「言葉の壁」について「最低のランチだった」と表現したのだろうと思った。
もう心は通じ合っていることを確認したのだろう。
欧米人の一般的な感覚
まずこれが先にある。
そして変化とは、自分自身の認識の変化だろうか?
似た者同士 他人には言えないことも、これだけ離れた他人には言える。
アノニマスグループのようだ。
シャーロットの夫ジョン カメラマン
彼は一定してシャーロットを愛しているし、そこに彼女も不満はない。
しかし、
ポツンと一人置き去りにされた時、いったい自分自身何をしていいの変わらなくなってしまった。
書くことを仕事にしたいと、おそらくジョンにも話していないことを口に出してみた。
「才能がない」
「それでも書き続けろ」
この他愛もなく、発展もない会話。
自分の中の恐れ 不安
異国に降り立ち感じるそれらのことを初めて口に出してみた時、それを受け止めてくれる人がいて、何らかの言葉を投げかけてくれる。
それだけでシャーロットは救われたのかもしれない。
そして、普段感じないようにしていたそれらネガティブな感情を共有してくれる誰かがいてくれるだけで、今まで見えていたものに変化があった。
シャーロットの東京の旅
思わぬ自分の心に気づき、怯え、孤独を抱えてしまったが、有名俳優もまた似たような心の怯えがあったことを話し合っただけでもやが晴れるようになった。
シャーロットがしゃぶしゃぶ店で言ったあの「歌手」との一夜。
「話し相手が欲しかった」
あまりにも年齢の離れた二人だし、お互い結婚しているのにもかかわらずチクっとしたくなったのっは、本心を確認したかったからだろう。
確かに恋人同士だったら、あのランチは最低だったに違いない。
しかし、二人の関係上それはない。
ただ、やはりロマンスはあったし、それは恋ではなく愛情があることを二人は認識していた。
嫉妬 怒り 無関係 男女 他人
でも、お互いの心の奥底に触れた感覚と、その痛みを共有した感覚があった。
「最低のランチ」という言い方に様々な感情が込められている。
そして別れの後、ハイヤーで空港に向かう途中、ボブはシャーロットを見かけ追いかけた。
あのハグこそ愛情であり、心を共有した証であり、ほんの少し求めていたロマンスでもあった。
2002年 当時この作品を見たことを思い出した。
当時はまだ日本という国がよく知られていなかったのだろう。
だから視点はボブであり、シャーロットだ。
当時は、まったくこの作品を評価できなかった。
「ライジングサン」のように、日本バッシング映画だと思った。
そしてこのタイミングでこの映画を再評価できた。
相当奥深い作品だった。