「ウォン・カーウァイのキャリアを代表する傑作!」花様年華 デッキブラシと飛行船さんの映画レビュー(感想・評価)
ウォン・カーウァイのキャリアを代表する傑作!
チャウとチャンが小説執筆を口実に密会するシーンで、チャウのジャケットをチャンが羽織って執筆しているシーンがある。
チャンが薄着で寒がってたから、チャウがジャケットを脱いでかけてあげたってことだと思う。でもお互いにその事を意識してる感じがない。
小説の筋を話し合う事に夢中になっていて、無意識のうちに2人の心がひとつになっている事が分かる劇中屈指の名シーン。
スエン夫人から外出が多すぎるとたしなめられた後、一家の麻雀を眺めるチャン。影が差して暗い表情だが、背を向けて鏡の前に立つとライトが当たって明るい表情になる。
保守的な社会に嫌気がさしていて、心はもうチャウの方に向いている。この時点でチャウに誘われれば応える覚悟が出来ていたことが窺える。
チャウの妻がチャンの夫に「(チャンに)話さなきゃダメ」と言った後、シャワーのシーンで泣いていた。チャンの夫が拒否したからだろう。この事からチャウの妻は本気の不倫だったが、チャンの夫は遊びだった事が分かる。
またチャウの妻の本気度はネクタイのエピソードでも分かる。男はそれに無関心だが女は気付く。チャウの妻が出張先から同じネクタイを買ってきたのは、チャンにアンタの夫の不倫相手は私だと暗に教える為。これは物語序盤に伏線があるので間違いないと思う。
チャンは「一線は守りたい」と口にするがそれは建前。「自分からは誘えない」から、チャウが誘ってくれるのを待っていた。
物語終盤にタクシーで「帰りたくない」と言ってチャウもたれ掛かるのが精一杯だったのだろう。チャウにとってもこれが最後のチャンスだった。
その後のすれ違いシーンは切なさを高めるための演出だろう。「切符がもう一枚取れたら⋯」はどちらも言えるはずのない言葉だから。
チャウは「君は夫と別れない。だから僕の方が去る」と言ったが、これは自分に対する言い訳。ただ一歩踏み出す勇気が無かった。
それから4年後のエピソードでは、チャウとチャン共に左手から結婚指輪が消えている。おそらくどちらも離婚したのだろう。
チャウは小説家として、チャンは幼い息子と共に新しい人生を歩み出す。だがチャウにはチャンに声をかけるチャンスがもう一度だけあった。しかしそうせずに去っていく。チャウの中で彼女はもう過去の思い出になっていた。時代の変化と共に2人の心も変わったという事だろう。
お互いに愛し合いながら、最後の決定的な一言が言えなかった。切なさで胸がいっぱいになる大人のラブロマンスの傑作。公開時劇場で見て、BluRayでも見て、今回で5回目くらい。何度観てもいい映画。
この映画って元々はドロドロの不倫愛を描くつもりだったのが、途中で監督の気が変わって大人の純愛になったんだとか。
この映画見て気に入った人は、パトリス・ルコントの橋の上の娘も見てほしい
公開当時のキャッチコピーは「くちづけさえ交わさないふたりの濃密な愛の時間」
※1年後の1963年シンガポールのエピソードでチャウとチャン共に左手から結婚指輪が消えている。チャンは離婚して自由になった事でチャウに会いに来たのではないか。
それでも自分からは声をかけられなかった。もし彼が心変わりしてたらどうしようとか。そもそもチャウは練習と称して別れ話をしているので、彼の中ではもう終わっているのかも?とか。
色々思い悩んだ結果、受話器を持ったまま声が出なかったのだろう。
4年後の1966年のエピソードではスエン夫人が「ご主人は?」と尋ね、チャンが「元気です」と答えている。しかし指輪ははめていない。
子供の年齢的にも再婚して出来た子とも考えにくい。離婚した後に生まれた元夫との子と考えるべき。
ただなぜスエン夫人はあんな事を言ったのか意図がよく分からん。夫と離婚していないのなら、なぜ指輪をしていないのか、今度はそっちの説明がつかないし。
ラストのナレーションがめっちゃ好き。
「埃で汚れたガラス越しに見るかのように 過去は見るだけで触れることはできない 見える物はすべて幻のようにぼんやりと⋯」
1週間は余韻に浸れる。