神に選ばれし無敵の男 : 映画評論・批評
2003年5月1日更新
2003年5月24日より銀座テアトルシネマほかにてロードショー
まさかヘルツォークの映画で暖かい気持ちにさせられようとは!
ヴェルナー・ヘルツォークと言えば神にも挑む誇大妄想狂である。昂然と顔をもたげ「私は神の怒りだ!」と叫ぶクラウス・キンスキーがヘルツォークの分身であることは誰の目にもあきらかだ。だが、そのキンスキーが死んだとき、ヘルツォークの中でも何かが変わったのかもしれない。なんせ今度の主人公は「神に選ばれし無敵の男」なのだ。
第2次大戦前夜、ジシェはポーランドの田舎町に生まれる。神から授かった無敵の肉体を生かすべく享楽と退廃の市ベルリンへ出かけ、そこでユダヤ人である出自を隠してナチス上層部に食いこもうとする霊媒ハヌッセンと出会う。ハヌッセンはみずからの力で世界の運命すら変えられると信じる男である。まさにヘルツォーク的人物なのだ。だが、今回、ヘルツォークはハヌッセンを主人公とせず、ジシェを選んだ。ジシェは人生に満足した人間である。何ひとつ野心を持たず、ただそこにあることに満足している。もちろんジシェを待っているのは幸福だけではないが、不幸すらも悠々迫らぬ肉体に受け止めてしまうのだ。この映画が与えてくれるのは最大限の先を求めようとするヒリつく緊張感ではなく、すべてが一致した瞬間の充足感である。まさかヘルツォークの映画を見て暖かい気持ちにさせられようとは!
ヘルツォークもまた、世界と和解することを学んだのだろうか。
(柳下毅一郎)